帚木逢生『三たびの海峡』は戦争中の朝鮮人強制連行を描いている。
九州の炭坑で強制労働させられた朝鮮半島出身の若者が過酷極まる労働を生きのびて、故郷への帰国を果たす。戦後、韓国で事業に成功し、老年期をむかえて釜山から三たび目の海峡を渡って日本で当時の関係者を探索するはなしである。五十年の時間をはさんで過去と現在がたくみな構成で往還する。
こんなふうに数十万人の大勢の若者を連行し、炭坑、鉱山、ダム建設などで酷使し、堪えかねた逃亡者を捕まえると拷問、虐殺したのかと息をのむ。いまも日本各地の当時の工事現場近くには朝鮮人が無縁仏のまま葬られているという。朝鮮人だけでなく、終戦も知らず十三年も北海道で逃亡生活をつづけた劉蓮仁さんのような中国人もいる。
つい70年前のことだ。めんどうなことは全部忘れてしまいたい大方の日本人と日本政府。
関川夏央が――朝鮮と日本の「かくも長き不在」と題して巻末に解説を書いている。
わたしも近年、中国残留孤児の生活支援活動に参加しているが「孤児」らは四十年以上も祖国に帰国を果たすことができなかった。文革の辛酸をなめて五十才近くになってやっと帰国しても言葉の壁もあり生活もままならず、満州国をつくって他国の土地をとりあげて開拓民をおくりこんだ日本政府を相手取って裁判を起こさずにはいられなかった。いまは裁判は終結し生活支援法ができたが、中国からいっしょに帰ってきた中国人配偶者や子供たちの生活にもたくさんの困難を生じている。中国では養父母が年老いて次々と亡くなっている。
これは他国の土地をとりあげて送りこまれた満蒙開拓団員の子供たちの「かくも長き不在」である。
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