2012年3月7日水曜日

死は愉悦か・・・猫跨ぎ

   死は愉悦に近いと思っている。生は四囲の色んなストレスとの体力、知力を尽くした戦いだと思う。その緊張から解き放たれるから。死顔は(私の知る限り)等しく安らかだ。年齢が何歳か若返って見える。だから、その部分は安心していいのではないか。
   糞まみれが尊厳を犯すか否かは人それぞれだろうが、望んでそうなる人はいないだろうな。元気で意識清明で人生を終えたい、そう言う状態で周りに感謝と別離を言いたいというのは、人間として真当な要求だと思う。これが安楽死か。脳死状態で生命維持装置を外すのが尊厳死か。今、尊厳死は認められつつあり、安楽死はまだまだ幇助すれば犯罪行為。ただヨーロッパの或る国では容認の処があるとか。こういう動きに火のついたように反対する連中もいるが、何を騒ぐのかと言いたい。いいのではないか。
  江藤淳が晩年、脳梗塞を患い、思考が思うようにならなくなった。結局、自裁したが、友人への遺書の一節に「今の自分は君らの知る自分にあらず」というのがあった。自壊していく予兆のなかで、彼なりに尊厳を保つにはこうするしか無かったのだろう。
こういう知識人ならずとも、自己崩壊に際してどう向き合うかは永遠の答のない課題だろう。

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