食事時に相応しくない内容になってしまった事を遺憾とするが、老いの極北に必ずある事実でどなたも納得されよう。「哲学的」というからには、徹底的で普遍的であらねばならず、こういう事実を対象から除去すべきでない。とはいえ当の本人はそういう事態の認識からもう別の世界に旅立っていることも最大の悲劇(喜劇か)なのだけれど。
俳句結社にいて散見されるのは、やはり忍び寄る老いに飲み込まれる同人たちだ。文章に脈絡がとれなくなる。簡単な一文でもそれを構成するのには相当な知力を使っていることが判る。それに隙間が出来はじめる。ふしぎと俳句はまともなものをつくるのだが、これも時間の問題で、徐々に崩壊してくる。
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