近所に鬱そうとした林のなかに地主だった旧家があって独身を通したおばあさんが住んでいた。老後は樹林に囲まれたレストランをやりたいという私の知り合いがいて、いちど訪ねていったことがあるが、私が死ねば相続する親類が東京にいるので…と気の毒そうにおばあさんに譲渡をやんわり断られたことがある。
この近所づきあいもなかった物静かなおばあさんが、ガス代の集金人に風呂のなかで死んでいるのを年末に発見された。年が明けたら、相続人の手で、あっというまに重機でばりばりと大きな家も壊されゴミの山になり、欅の屋敷林も無残に切られて今は大きな切り株だけが寒風にさらされている。林にかくれていた奥の住宅地が丸見えになって西風があたって寒いと、町会のひとがこぼしているがどうすることもできない。
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きのうの日曜日、寒かった。年金者組合の新年会があって、こちらもいちおう組合員なので参加したが、全員の自己紹介が面白かった。平均年齢は七十七八才くらいだと思うが“死に支度ぶり”が十人十色。
会がひけて九十才ちかいおばあさんを車で自宅まで送っていった。亡夫の本の処分で困っている、ゴミに出すのも夫に申し訳ないし、自分も目がほとんど見えないし…としきりにこぼしている。独り暮らしで、たまに来る子供たちも本には興味がない、段ボールがあるから好きなだけ持って行って欲しい、と何度も頼まれて自宅にあがりこんでしまった。
猫跨ぎさんがもってるという小宮豊隆編集昭和四十年から配本がはじまった漱石全集三十五巻が茶の間の本棚の真ん中をかざっている。その下には中江兆民全集、うえには平塚らいてふ全集、山本宣治全集などがあって、今の私の年齢の六十九才で三十年ちかく前に亡くなったご主人Kさんの風貌を思い出した。
漱石全集はさすがに気がひけて、書棚の一番うえにヒモでしばって積んであった鴎外選集全二十一巻だけを紙袋にいれてもらって帰った。むかし、ご主人が「ぼくはいま鴎外を毎晩寝る前に読んでいるよ」と酒の席で話していたのをかすかに思い出したのである。石川淳編『鴎外選集』新書版、黄土色のクロス装上製本。
さっそく第六巻の「史伝一」の『渋江抽齋』を夕べ夜から読み出した。
やっぱり安物の文庫本よりクロス装上製本は手触りがいいねえ。
『銃・病原菌・鉄』『人間臨終図鑑』『平家物語』『父の肖像』、アテルイを描いた高橋克彦『火怨』と寒いせいか春分以降もやけになってめちゃくちゃに読みちらしているが、こらえ性のない性格はなおらないものだ。
デジタル時代をむかえて、家庭に退蔵されている蔵書類を買いとる古本屋もなくなると産廃埋め立て地のゴミになるのか市営焼却場で煙になるのか…さみしい景ではあるが、うちの本もたぶんおそらくその運命に。
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