2012年3月28日水曜日

科学の敗北・・・猫跨ぎ

  3・11は、日本に色々な課題を提起したが、科学技術に関しても同じだ。先ず地震予知。あの規模の地震があの箇所で連動して起きる事を予測した学者は多分いなかった。後講釈は精緻にやっているが。有り体に言えば地震予知学の敗北だろう。あれだけ巨額の国費を使い何なんだという非難囂々もおかしくないと思うが。そしてここへ来て、東海地震とか直下型地震など首都圏の大規模地震の発生確率を何年以内に50%とか、75%とか言い出して、やたら不安を煽っているように見える。これは明らかに、仮に起こっても、事前に警告を発していたよ、と保険を張って居るように思えるのは皮肉にすぎるか。
それに付けても、かって竹下均さんが、地震予知に金を使うより耐震研究をと強調していたことを改めて思い出す。彼は予知に対し一貫して懐疑的だった。結局、いつどんな規模の地震が起きるのかは永久に判らないという当たり前のことを白けた思いで再確認している。
  原発もそう。いまもあの原子炉がどんな状態なのかはっきり判らない。そこが不明であれば、津波が事故の主要因なのは自明だが、地震が直接施設にどんなダメージを与えたのか判らない。それが判らないと福島原発事故報告書は永久に完結しないということだろう。原子力委員会の斑目委員長は原発再開の断を下すのは専門家ではない政治判断だと言い出している。ここでも敗北を認めたわけだ。
要するに、Criticalな場面では、科学は無力とはいわないが、頼りにならんということなんだ。そういう認識が静かに広まりつつあると思う。

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