2013年1月31日木曜日

奥能登慕情・・・褌子

   今秋のほろほろ会の旅行は金沢から奥能登方面にきまった。
   奥能登といえば松本清張『ゼロの焦点』
   前任地での仕事の引継ぎに行って来るといったまま新婚一週間で失踪した夫、鵜原憲一のゆくえを求めて北陸の灰色の空の下を尋ね歩く禎子。ようやく手がかりを掴んだ時、“自殺”として処理されていた夫の姓は曾根であった! 夫の陰の生活がわかるにつれ ..
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   金沢生まれといえば泉鏡花。
   『高野聖』
   飛騨から信州に抜ける深山幽谷の間道。ここでおきた怪異な体験。
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   いま壬申の乱を描いた黒岩重吾『天の川の太陽』を読んでいる。
   663年、百済救援の倭軍が白村江で新羅と唐の連合軍に大敗し、天智天皇(中大兄皇子)と大海人皇子の兄弟の間に起こる軋轢が壬申の乱(672年)という古代日本最大の内乱を誘発していく。(新羅の王女を母とする桓武天皇が平安遷都をなしとげ、坂上田村麻呂が蝦夷の長アテルイを降伏させたのは壬申の乱より130年後のあとのこと)
   こういうのを読んでいるとまた飛鳥に行きたくなった。百済人が大挙して亡命してきた近江でもよい。百済寺の巨大な草鞋を思い出す。百済寺のはるか西方に百済の古都扶余、白馬江の河口白村江がある。
   太宰府ちかくの水城も白村江敗北のあと大唐の来襲をおそれて大和朝廷がつくったもの。いまもその遺構が残っている。

2013年1月28日月曜日

写真・・・猫跨ぎ

なかなかいい写真だね。養老川の反射がいいアクセントになっている。大晦日に五井工場の当直をやったことがあるが、元日の朝、建物の屋上から冨士山が本当に間近に見えたことを思い出した。
千葉市に富士見町というのがあるが、結構昔は眺めていたんだね。総武線でたしか江戸川をわたった辺りに、富士山とスカイツリーが並んでみえる。

ところで、この写真のアップロードの際、お気づきと思うが、先日小生が繭玉の写真を載せた際、サイズを確認せずやたら大きなやつを載せてしまった。あれ削除できればして欲しいが、どうかな。

傑作 富士山夕景・・・褌子

   
   きのうの再挑戦。きれいな富士山の夕焼けのシルエットの撮影に成功した。光っている川面もは養老川。
  うーん実にきれいだ。こんど逸徳さんと富士山を西と東から同時に観望しながら携帯電話で話そうね。
  五井のコンビナートのむこうに東京湾をこえて観音崎灯台の明滅がかすかに見えるから横須賀は指呼の距離。原子力空母ジョージワシントンが事故を起こせばあっというまに東京や房総半島が放射能汚染されることがよくわかる。東京湾にはだいたい西風がふいているという。

2013年1月27日日曜日

IT時代の小説・・・褌子

  今日は素晴らしい夕焼け。自宅近くの高台から京葉コンビナートの向こう東京湾はるかに富士山がくっきりと見えるポイントがある。素晴らしい富士のシルエットを望遠で撮影しようとでかけた。ところが丹沢山系の奥にそびえる、ちょうど富士山の頂上あたりに雲がかかっているではないか。
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   横山秀夫のでたばかりの警察小説『64』を読んだ。現代最新の電子機器を駆使しての誘拐事件捜査の情景が詳細に描かれている。
   いっぽう、水上勉の『飢餓海峡』は昭和三十何年の岩内大火がでてくる。小説では岩幌大火を背景に戦後まもなく起きた刑事事件として当時の世相を色濃く描写した語り口。石川達三『人間の壁』も昭和30年代なかば、井上靖『氷壁』三浦綾子『氷点』は昭和30年代末、松本清張『砂の器』は昭和40年ごろが舞台。当時の日本がどんな時代だったか、すぐれた作家によって描写されている。
   そんな時代背景を楽しみながら読むのだが、ひさしぶりに横山秀夫『64』や三浦しをん『舟を編む』 貴志祐介『黒い家』などの現代作家を読んでIT時代の小説もまたおもしろいなあと思った。75才のおばあさんが芥川賞をとったとか。70才の女性が読んだら貸してくれるそうだ。楽しみに待っていよう。

2013年1月25日金曜日

空爆・・・猫跨ぎ

  イラクの空爆で無辜の市民が殺傷され苦しんでいる。わたしたちも同じ目にあったらと想像力を働かせて・・・と言う少女の叫びか。
判るよ。東京、広島、長崎、ベトナム、ユーゴ、そしてイラク、アフガン、(ガザ)か。アメリカは何にも反省していない。多分これからもやる。唯一の救いはこういう意見を自由に発表させる体制というか、国柄というか。しかし何も反省していないのだからどもならんが。
  産経の表彰を突き返したのは快事と喜んでいるが、どうかね。産経も良いと思ったのだろう。そのことは認めてやってもいいのではないか。産経はそんなに好かんタコの新聞ではないよ。東京新聞の読者が言うのだから間違いない。

シャーロット アルデブロンちゃんの2003年2月15日のスピーチ

お二人で高尚ないい議論が続いていますね。
逸徳さんから紹介されて英会話学習会で読み合わせしました。褌子
by Charlotte Aldebron
When people think about bombing Iraq, they see a picture in their heads of Saddam Hussein in a military uniform, or maybe soldiers with big black mustaches carrying guns, or the mosaic of George Bush Sr. on the lobby floor of the Al-Rashid Hotel with the word criminal. But guess what? More than half of Iraq's 24 million people are children under the age of 15. That's 12 million kids. Kids like me. Well, I'm almost 13, so some are a little older, and some a lot younger, some boys instead of girls, some with brown hair, not red. But kids who are pretty much like me just the same. So take a look at me, a good long look. Because I am what you should see in your head when you think about bombing Iraq. I am what you are going to destroy.
If I am lucky, I will be killed instantly, like the three hundred children murdered by your smart bombs in a Baghdad bomb shelter on February 16, 1991. The blast caused a fire so intense that it flash-burned outlines of those children and their mothers on the walls; you can still peel strips of blackened skin souvenirs of your victory from the stones.

But maybe I won't be lucky and I'll die slowly, like 14-year-old Ali Faisal, who right now is on the death ward of the Baghdad children's hospital. He has malignant lymphoma cancer caused by the depleted uranium in your Gulf War missiles. Or maybe I will die painfully and needlessly like 18-month-old Mustafa, whose vital organs are being devoured by sand fly parasites. I know it's hard to believe, but Mustafa could be totally cured with just $25 worth of medicine, but there is none of this medicine because of your sanctions.

Or maybe I won't die at all but will live for years with the psychological damage that you can't see from the outside, like Salman Mohammed, who even now can't forget the terror he lived through with his little sisters when you bombed Iraq in 1991. Salman's father made the whole family sleep in the same room so that they would all survive together, or die together. He still has nightmares about the air raid sirens.

Or maybe I will be orphaned like Ali, who was three when you killed his father in the Gulf War. Ali scraped at the dirt covering his fathers grave every day for three years calling out to him, It's all right Daddy, you can come out now, the men who put you here have gone away. Well, Ali, you're wrong. It looks like those men are coming back.

Or I maybe I will make it in one piece, like Luay Majed, who remembers that the Gulf War meant he didn't have to go to school and could stay up as late as he wanted. But today, with no education, he tries to live by selling newspapers on the street.

Imagine that these are your children or nieces or nephews or neighbors. Imagine your son screaming from the agony of a severed limb, but you can't do anything to ease the pain or comfort him. Imagine your daughter crying out from under the rubble of a collapsed building, but you can't get to her. Imagine your children wandering the streets, hungry and alone, after having watched you die before their eyes.

This is not an adventure movie or a fantasy or a video game. This is reality for children in Iraq. Recently, an international group of researchers went to Iraq to find out how children there are being affected by the possibility of war. Half the children they talked to said they saw no point in living any more. Even really young kids knew about war and worried about it. One 5-year-old, Assem, described it as guns and bombs and the air will be cold and hot and we will burn very much. Ten-year-old Aesar had a message for President Bush: he wanted him to know that a lot of Iraqi children will die. You will see it on TV and then you will regret.

Back in elementary school I was taught to solve problems with other kids not by hitting or name-calling, but by talking and using 'I messages'. The idea of an I message was to make the other person understand how bad his or her actions made you feel, so that the person would sympathize with you and stop it. Now I am going to give you an "I message." Only it's going to be a We message. We as in all the children in Iraq who are waiting helplessly for something bad to happen. We as in the children of the world who don't make any of the decisions but have to suffer all the consequences. We as in those whose voices are too small and too far away to be heard.

We feel scared when we don't know if we'll live another day. We feel angry when people want to kill us or injure us or steal our future. We feel sad because all we want is a mom and a dad who we know will be there the next day. And, finally, we feel confused because we don't even know what we did wrong.

すまんすまん・・・・逸徳

やめるといいながらまた書いている。しつっこいな。 実はやや説明不足があった。高遠女史は別に劣化ウラン弾のレポートをしようとしたわけではなく、ひろくイラク戦争における市民の被害と、特にこどもの問題を支援しようとしていた。 ベトナム戦争のときの大森記者を思い出す。すこし、説明不足だったな。 このことに関してエピソードをひとつ。2003年2月、アメリカのメイン州の田舎町の教会で開かれた150人ほどの平和集会で、当時13歳のシャーロットアルデブロンという女の子が、こどもの立場から反戦のスピーチをおこない、これが大変有名になって、全世界に紹介される。英文としてもなかなかの名文であると思うので、かって褌子さんにも紹介したことがある。ネットでも読めると思う。話はその先である。この内容に感動した日本の写真家森住卓さん、彼は10年にわたってイラクの子供たちの写真を撮り続けている人なのだが、その作品と彼女のスピーチをいっしょにして、講談社から「私たちは今イラクにいます」という写真絵本を出したのである。図書館でも読めるだろう。それがその年の産経新聞の児童文学賞を受賞することになる。この先がおもしろかった。森住氏は、イラク戦争にかかわるマスコミとしての産経の今までの姿勢を痛烈に批判して、賞をつきかえしたのである。(高額の賞金もあった・・・・もったいない・・・貧乏人の感想) これいいなあ。大好きなエピソードである。江戸っ子だよ森住さん、とやんやの拍手を送りたくなった。もう古い話だ。

2013年1月24日木曜日

あの頃・・・猫跨ぎ

イラクの高遠女史の件は私は残念ながら良く知らない。コメントは差し控えたい。無鉄砲に飛び出したのではないことは了解した。ただ劣化ウラン彈の話は、NHKその他マスコミでもその後報道されていたし、格別シークレットとも思われない。それを隠蔽するために、マスコミ、政府が結託したのが事の真相とは、どうかなあ、俄には信じがたいが。

パート3・・・・逸徳

としだな。 くたびれてきた。 まあこの辺にしたい。 昔なら延々とやるバイタリティがあったんだが・・・。 これで褌子氏が参戦して、共産党論になったら、もうもたないかも。で最後に一言(往生際がわるいな) ものがたり論はもういいや。別に大事件につながることをいっているわけではないので。 気にいったらそういうことばを使ってくれればいいやという気分。

二点だけ最後に。 戦車が使われる陸上戦という状況は、どう考えても理解できない。 そうなるまでの過程をきりはなして、夢のような現実主義で10億円を正当化する論理があったら教えてほしい。 
もうひとつ。知り合った高遠さんの名誉のためにいいたい。 彼女は、イラク側からもサポートされて、もどってくるまできわめて綿密な計画のもとに動いていた。現地の経験も深い人である。それは、決して単純な特攻的行動ではなかった。だがそんなことはマスコミは知っていても報道しない。そして、慎重な計画にもとずいた行動をゲリラが突破したのは、アルジェとまったく同じである。 そして、もしこれ幸いとそういう論調に政府がのっていたとしたら、反対するものをたたくというやり方において、実に政府のやりかたは卑怯ではないか。 そういうやり方にはいかりを禁じ得ない。 ちなみに、彼女が運んだ荷物のひとつがアメリカの劣化ウラン弾にやられて発病した子供たちへの医薬品である。 彼女はイラク戦争の実態をレポートしようとした。そんなことをされてはこまるという勢力がいたことをキチンとみとめることが現実主義というものだろう。 

下品かな・・・猫跨ぎ

外野にいようと思ったが、殆ど私への発言なので黙るわけにもいくまい。
ものがたりの話は繰り返しだなあ。ストーリーをナレーションと言いかえて如何ほど理解が深まるか頭の悪い私にはさっぱり判らぬ。トートロジーじゃないか。失礼ながら出された事例も自明の話ばかり。私みたいなのみ込みの悪い人間もいるのだからバージョンをかえて説明して欲しい。

何だか今までの話がどっと出て来たなあ。全部読んでいたんだねえ。
外交と軍事力は表裏一体とはちと踏み込んだ発言。私は軍事力は外交の一つの有力な柱といったのかな。平和の道筋を希求しなければ駄目じゃないかはその通り。しかし軍事力をもたないと、その発言は有効性をはなはだしく減じると前から言っている。
私は国際関係をプレートテクトニクスになぞらえて考えている。一見静かに見える地平面も内部では多くのプレートが押し合いへし合いをやっている。軍事力、経済力、云々。
平和平和と叫んで、凹んでいっていいのかと思っている。そうじゃないというなら、認識の違いと言うしかない。
戦車一台10億、老人ホームを差し置いて、は古典的言辞だね。両方大事だというしかないじゃないか。個別には無駄が当然あるだろう。それは修正することは言うまでもないが。
戦車がアナクロかどうかは簡単には判断できない。軍事は究極の現実主義だから色んな事を想定しているのだろう。人民解放軍は天安門で人民を轢いたが、さすがにそれはあるまいが。
むかし自衛隊は解散しろ、その金を社会保障費へと言っていたのがいた。さすがにそれは無くなった。時空の中で複雑に入り組んだ構造物が現代社会。それぞれがレーゾンデートルをもつ。財界、軍事産業の思うつぼという見方は私はとらないね。

企業戦士は戦争をしていたのか。戦争の意味は違うが、危険地帯で最大限の注意を払って仕事してきたのだろう。企業戦士といって気に障るかな。戦死だったと思うね。北アフリカはいま、戦国時代に突入したのかも知れない。総引き揚げも選択肢だろうな。

マスコミはなぜバッシングしたのか。政府はその空気に合わせたのだろう。そんなところだ、行動原理は。帰ってくる算段なしに飛び込むことは余り頭の良い行動ではあるまい。子供じゃないんだから。こういう意見は下品かな。

パート2補足・・・・逸徳

朝の頭の体操になってきた。 まあいいや。「ものがたり」について補足。ものがたりはstoryではなくnarrativeというらしい。 つまり「語る(narration)もの」であるわけで、その人が語るものがその人のものがたりである。そういうわけで主観的真実のあつまりということになる。 ドンキホーテのものがたりは、ドンキホーテがかたり、したがって地平線の風車が巨人であるというのは、ドンキホーテにとっては主観的真実である。 でわれわれの日常会話もしばしばこの主観的真実をぶつけあう。 ちなみに政治というやつはこの主観的真実を客観的真実といいくるめることのようにみえる。 主観的真実はまさに主観的で、ものごとの一面しかあらわしていない。 そういうことを考えていると、どうしても無口になる。 声だかになにかをいいながら、どこかでその限界を自覚しているので、謙虚にならざるを得ない。これがおいらの紳士的であることのゆえんである。 
 ついでにいうと、不幸な人は不幸なものがたりを語る。だが、それもまた主観的真実なのだから、実はものがたりは修正可能なのである。 不幸な物語の中から見落としてきた幸せな事実を掘り起こして、物語を読み直すのである。いわゆる心理療法の基本的原理のひとつがこれであろう。さらにまた、この中から見えてくること。現実が言葉を生むというよりも言葉が現実をつくってしまうという面がある。 これはこわい。たとえばAはならずものだという言説を繰り返していると、Aを取り巻く現実はAにならずものになることを要求し、期待どおりAはならずものになるのである。 国際関係にも同じようなことはいえないか。

 いわゆる現実主義について。どうもこのことばはきらいだ。 理由その一。70年前に敗北をだきしめた日本人は、現実主義の向こうに、巨大な犠牲を下敷きにして、それを乗り越える希望をもとめさがそうとしたのではなかったか。 まだ70年しかたっていないのだ。そんなにあっさりとそういうものをすてていいのか。 
 理由その2  外交と軍事は表裏一体という現実主義。 これ非常にあやしい。 ちなみに軍事力は否定しない。 だが、外交に代表される、平和へのすじみちを探求する理想をもたない、現実主義にもとずいた軍事力は危険である。イメージとしては、国際平和維持活動に積極的に出ていこうとするスエーデンのような例を想像する。 ちなみに自衛隊法を改正しろとか、尖閣に自衛隊をおくれという単細胞のような議論は、自民党の中にはいっぱいあるようだ。 そういうやつらは、最前線に出て、イラクあたりで後ろから二三発撃たれる経験をしてくるといい。 だいたいその現実主義が、軍事をもてあそび、戦争になってしまうことはなかったのか。
 理由その3 どの程度の軍事力を持つかということは、まさに現実主義の問題の典型だろう。 だが、ではなぜ自衛隊に10億円の戦車が必要なのか。 その戦車が、戦車として機能するというときは、国内で陸上戦がたたかわれるときであり、そうなれば日本はおしまいである。 あれはおもちゃだ。つかわれないおもちゃである。 冷静な現実主義でもなんでもない。 アナクロニズムと軍事産業が結託したさるしばいである。 だが、ばかなやつがおもちゃをもつと必ず使ってみたくなる。それがこわい。
 要するに、現実主義ということばをいう政治家をみていると、なーんも考えないばかが抜き身の刀をふりまわしているようにみえてしょうがないのである。 ばかがはものをもつとこわいのだ。
ついでにいうと、軍事は科学だというやつがいる。 ではいったい、どういう計算で現在の自衛隊の規模が算出されたのか。そういう議論は聞いたことがない。基盤的防衛力整備計画??
あれガラガラポンで適当に財界のかおみながらつくったんでないの??  おいらとしては平和主義の軍事専門家が出てきて、国民にわかるようにたとえば自衛隊を半減してもやれる(あるいはやれない)ということを論証してほしいのだが、そういう人はいない。 そして、今日も老人ホームひとつぶんの金をまきちらし、最新型戦車がはしる。 その老人ホームの高齢者たちにその戦車がどういう意味があるかを説明してくれるような、礼儀正しい現実主義者にあってみたいものだ。

  今回のアルジェリアの事件について。痛ましく、犠牲者の冥福を祈りたいのは、おいらもまったく同感である。 でもさ、企業戦士ということばがあるでしょ。なんだか変だなあ。あれ戦士かね。つまり彼らは戦争していたのか。 そうではないだろうに。 なんとなく死者を傷つけるような気がしてしまう。 
 だがもうひとつ感じていること。 マスコミ、あるいは日本人の品のなさである。 どういうことか。かって、イラクで三人の日本人ボランティアがゲリラに誘拐されたことがあった。 その時のマスコミのバッシングはひどかった。ほんとに品がなかった。機会があって、三人のひとりである高遠さんという女性を静岡に何度か招いて、高校生に講演をしてもらったことがある。 彼女はイラクでアメリカの攻撃で傷ついた子供たちの支援活動を展開していたのである。 彼女はマスコミバッシングの中で精神を病み半年ちかく家にとじこもらねばならなかった。しかしイラク支援の彼女の行動はアメリカを支持した小泉政権からみれば、許されないことであったのだろう。 官房長官の冷たいコメントをおぼえている。彼女の行為とアルジェリアの技術者たちの行為、いずれも現地のひとたちのための行為であったことは同じであろうに。 悪い想像をする。 もし高遠さんが殺されていたら、どうなっただろうか。 あの時のマスコミの論調はおそらく自業自得ということばが主調になっただろう。 一方で、国家に哀悼の意を表される死、片方で国家にみすてられる死、そういうことになったのではないか。 あの時日本政府は、高遠さんたちに救援の飛行機代を請求した。欧米のマスコミ論調は、三人は日本のほこりだろうにということだったのに。

日本人が、どんどん下品になっている。 もう知らん。
 


2013年1月23日水曜日

論は佳境に・・・猫跨ぎ

  脳の機能を持ち出すまでもなく、思考は言語中枢で行われているのだろうし、言語論は沢山あるし、あまり詳しくないが、殊更、今更の感じがするがねえ。それとものがたりの関連が、言わんとするところが判ったような判らんような。核心的なある感じを言っているのだろうが、できれば何時か普遍化して欲しいね。
むかし、中国という国はない、ただ広大な土地があるだけだと豪語した陸軍軍人だったか右翼だったがいたらしい。冗談はともかく、ただどうかね、別に中国全体を俎板にあげても仕方ない。そういう論なら、この日本だって一語では言えまい。思考停止にならず、どこかの切り口という事になるのではないか。
まあこれはどうでもいいが、さて日本共産党論か。やれやれ、あなたちゃんと最後まで続けなさいよ。こちらはしばらくは外野に回ろう。

で、パート2・・・・・逸徳

「ものがたり」という言葉について。そりゃあ確かに沢山説明すれば、別に必要なことばではないだろう。ただ、おいらからすれば、そのたくさんの説明が一言で集約されているように思うので、好きなのである。というよりは、ひとは「言葉」で世界を理解するという側面がある。 ある言葉によって、この世界の一面を切り取り、照射することで、世界は今まで気が付かなかったような様相を示すのである。それはおそらくことばの本来的機能かもしれない。で、おいらとしてはこの言葉によってある一面がすっきりとわかる気がするのである。ま、どうでもいいか。好みの問題かな。

さて、お二方の議論の感想を書きかけたままであった。 まず、褌子氏。 共産党が、戦後70年の歴史の中でおそらくもっとも良心的実践者のよりどころであったことは、認めたい。だれが何といっても、それは認める。 ただしだ、ここで気になっていることがある。 たとえば最近の官邸前のデモのような市民運動の高まりのなかで、なんで「既成政党は排除しよう」というような市民からの声が出て来るのだろうか。革新の既成政党というひとくくりの言い方には問題があるのは百も承知だが、しかし、それは深刻な問題提起でもあると思うのである。党派性の問題か。あるいは過激派のような集団とくそもミソもいっしょにされた誤解か。 また、たとえば公明党の支持者層であるが、これ本当なら共産党の支持者層になるはずのものでなかったか。また、あるいは原水禁運動の分裂である。 これは日本の革新市民運動の大衆的ひろがりに対して致命的打撃だった。 これを党はどう評価総括しているのか。 そういうわけでなんだかよく分析しきれなくて、感想のレベルで申し訳ないのだが、褌子氏のいままでの発言の99.9%はまったく同感するのだが、それが広がらないのはなぜかと考え、小市民的プチブルのおいらはたちどまってしまうのである。
 お師匠の中国論について。「アメリカ」についても同じようなことがいえるのだが、そもそも「中国」とよぱれる国家の中核となる実態はあるのだろうかという気がすることがある。みんなが中国を論じているのだが、対象が複雑怪奇あいまいにして巨大なので、どうも一面しかいっていないように思ってしまう。 だから、中国のある面をみて「これが中国」といわれると、とたんに別の面をも連想してしまい、それだけじゃ一面的と感じてしまうのである。 中国の最近の国際関係における行動については、お師匠の見方に同感する面もあるが、同時にたとえば、褌子氏が実践している中国残留孤児にかかわるドラマもたしかにもうひとつの中国だろうし、おいらの幼児体験のような日本人から感じる中国のイメージ(それは簡単にいえば、借りがあるといういうイメージで、だからこそおいらは娘に中国語を専攻させ、日中関係の進展に貢献させたいと思ったが、全然だめだった。親の心子知らずの典型)である。 中国はひとことでいえば泥沼のようなものなのかもしれない。要するになんでもその中にはあるのである。 したがってひとつの視点だけ強調するのはややついていけなくなる。 ああ、ここで次の用ができた。また書く。パート2おわり。

ものがたり論・・・猫跨ぎ

  まあ、怒った振りをしている、が正確なところだね。閑人の大いなる娯楽ではないか。
以前から貴兄は「ものがたり」を多用されるが、失礼ながらいまいち格別必要なtermとも思われぬが。個個の人生観、社会観、価値観はそれぞれバラエティがあるのは当然のことではないか。それぞれの経験のありように大きく依存する。個個の経験のほかに、勿論その時代のあまねく共通の観念はあり、不可避的に影響を受けることも付け加えておこう。その影響の受け方も多様だ。多様な意見が衝突し、切り結び、また影響を与え合う。離合集散する。それが人の世だろう。個々がそれぞれの立場、考えで人生をわたっていく―それがものがたりというならその通りだろうが、改めてStoryと名付ける意味合いがよく判らない。
科学的じゃないと大上段に振り下ろす程のことでもあるまい。科学は或る理想空間であって、それは人間が住まう処とちと違う。人生の諸場面で「正しい」とは科学的に「正しい」とは全然意味合いが違う。
  中国の認識が小生と大いに違うというのでどう違うかと思いきや、話が幼児体験に移って、そっちのものがたりに行ってしまった。話を分けてほしいね。歴史を遡るのは重要だが、今のありようも大事だ。あえて中国の立場に立てば、近代の蹂躙された歴史からまだ本来の姿に戻っていないということだろう。その辺の基本認識がよく判らない。何れにせよ今の秩序と言うものがあり、周辺諸国はそれを前提に生きている。いまのやり方は一方的で極めて乱暴だ。だからイスラエルを連想させると言ったのだ。強大な国力を身につけたのだから穏やかにやって貰いたいものだ。
 若者に夢を語る部分はその通りではないか。それを否定する印象を与えたとすれば、はなはだ心外だ。

ちと横合いから・・・・逸徳

年を取ると短気になるということはよく言われるが、ほんとかね。 おいらの実感では、年を取るほど気が長くなって、あくせくしなくなるのだが。 とにかく怒るというのは、からだには悪いし、むしろ怒っている人をみると好奇心がわいてきて、この怒りはどうしておこっているのか、と人間観察したくなる。とにかくある種の防衛反応なのだろうし、絶対的な正当性に支えられた怒りなんて、実はあんまりない。そういうわけで、この10年くらい怒った記憶がないのだ。 怒られそうになったら、さっさと撤退する。ガソリンの前でマッチをすって爆発したら、ガソリンが悪いのではない、マッチすったやつがばかなのである。

ひとはものがたりを生きている。ほんとにそう思う。そういったら、前に何いってんだかよくわからんと、お師匠にいわれたなあ。ものがたりとは、一言でいえば、その人の過去にその人が体験した諸事実の中で一番重要と思われる主観的事実を時系列にそってならべたものである。したがって、同じような時空間を体験してきても、その瞬間にその人が感じている主観的事実、その中でもその人にもっともかかわりのあった主観的事実はみんな違うのだから、結果としてものがたりはひとによってみんな違う。当然のことだが。 そしてものがたりは重要なことだが、客観的真実をかたっているわけではない。(つまり科学の世界の話ではない。) ついでにいうと、ツルネーゲフの小品「ハムレットとドンキホーテ」は、高校の国語の教科書にも使われた傑作なのだが、ものがたり論の立場から読むと非常に面白い。 ハムレットというものがたりとドンキホーテというものがたり。 で、もしもふたりがであったとしたらどうなるのだろう。はっきりしているのはハムレットはドンキホーテを批判できないし、ドンキホーテもハムレットを攻撃はできないだろうということである。主観的なもののぶつかりあいだからな。

お師匠と褌子の議論、非常に面白いのだが、論争はおいらからみると一種のものがたりの食い違いにみえる面がある。 もちろんおいらたちの物語は、同時代を生きてきたものとして相当の部分が一致しているのは当然だが、くいちがいがあるのはあたり前だろう。たとえば中国の評価についていうと、お師匠とおいらはやはり相当ちがう。国際情勢や中国論の議論の出発点におけるおいらのものがたりの光景は何かというと、満州帝国の高級官僚として中国侵略の日本帝国主義の手先になり、戦犯になるかもしれないものを地下に潜行してかえってきたおやじであり、静岡大空襲のさなかにおふくろの背中におぶさって炎の中を逃げたおいらの人生最初の記憶である。そして、たくさん死んで何もなくなった時、ジョンダワーがいったように日本人は敗北をだきしめたのではなかったか。それは、同時においらにとっては「先生、天皇って何? 国の象徴ってどういうこと?」と聞いた小学校4年のおいらに「学校のバッジみたいなものだよ」と教えてくれた先生、それは鮮明な記憶だったが、そのような戦後民主主義教育のかがやきだった。 おいらはそのかがやきの子であることにひそかな誇りをもっている。 つまりあの時、日本人は、敗北をだきしめながら一種の夢を見ようとしていたのかもしれない。そしてその夢は深く日本人の血液の中に沈潜した。おいらもまたその夢からさめてはいないのかもしれない。

 だが、夢は夢である。戦後70年のあゆみは夢をすてて、現実論が拡大するすじみちでもあった。それは一面では、われわれにはある種の敗北でもある。老人の役割は、若者に対して厳しい現実を教えることだという人がいる。しかしほんとにそうだろうか。若者はわれわれ以上に厳しい現実に直面しているのである。 そうではない。老人の役割は、厳しい現実を超えて、希望の歌をかたることではないのか。しかし希望を語る老人がいなくなった。夢とは現実から遊離した空想だが、現実に立脚して夢をかたるとき、それは希望になる。それこそが老人の役割なのだが、そういう人が少なくなった。 愚痴と文句の老人はみっともない。そういうのは墓場にもっていきたい。

 お二人の議論を聞いていての感想をのべたいが、通院の時間になった。また続きを書く。とりあえずパート1おわり。
 

2013年1月22日火曜日

近況報告・・・褌子

しずり雪とはいい季語だね。
180度反対でも議論のテーブルにつけるのはいいことだ。
年明けからいろんな相談事が押し寄せてきて忙しいが、やることが山積しているのはありがたいことかも知れない。
橋梁工事の強度不足、三階建て○○住宅の耐震、サーキット場の騒音、官制団体に巣くうヤクザ・・。
いま横山秀夫『64』を読んでいる。究極の警察小説だとか。おもしろい。ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』も買ってしまった。そうそう村上春樹『小澤征爾と音楽について話そう』も千葉の三省堂で衝動買いしました。これもって2月はじめに湯河原温泉に行くことにした。いやそのまえに上野の通い路でいっぱい飲まねばならない。当日は越後の冷や酒でいきたい。ああ待ち遠しい。

しづり雪・・・猫跨ぎ

あたりまえと思っていることが180度あっちの方を向いているから、こういうことになる。いつまで経っても全然納得していない。まあ、仕方がないんじゃないか。遠慮して黙ってないで言いたい事を言えばいい。年とって短気はお互い様だ。健康に気をつけよう。

夜来の雨で日陰の雪もあらかた融けた。
 いま遠き星の爆発しづり雪(正木ゆう子)

ちょっと休む・・・褌子

ちょっと疲れた。用事がこみいってきたのでちょっと休んでまた書くことにする。一番関心のある話題なので。
中華思想台頭の気配は感ずる。体制を整えてから、平和外交をやるべきじゃないかは、むろんその通りだが。
ところで年のせいか最近短気になって怒りっぽくなっているので自省している。「気違い」なんて嫌な言葉は書いた覚えもないし、つつしみたいと私は思っている。
アルジェの実情も次第に明らかになるだろう。犠牲になって企業戦士たちの冥福を祈りたい。

あたり前田のクラッカー・・・猫跨ぎ

  中国に不安なものを感じるね。最近とみに。イスラエルを連想する。数千年前俺たちの王国がここにあった。神との契約により与えられた土地だ。お前達は出て行けとパレスチナ人を追い出す。中華民族はここまでむかし版図があった。(それも朝貢していた事を支配と言いかえる手前勝手な中華思想だ)それは十全に回復していない、後からワラワラと来て居座った奴はさっさと出て行け、という論理だ。始末の悪いことに、中国国内の矛盾、不満のはけ口にそれを使っている様がみえる。この尊敬すべき民族は巨大な幻想のなかにとんでもない国家になってしまった。困ったことだ。
自衛隊の軍艦を派遣しろ、鉄砲を撃ちまくれ、核武装しろって誰が言ったのか。馬鹿馬鹿しい単純化はいい加減にしなさい。外交、外交というが軍事力は外交の重要な一部分だ。それが世界の常識だ。恫喝されたら反撃する用意があるという実力をもつ、それで均衡が保たれるのは悲しいながら現実なんだ。平和、平和と叫んでも立派だが憐れみを買うだけだよ。当たり前の国家になれといっていうだけだ。ふりちんで民間人を外国に行かせる危険にさらすなと。だから情報戦にも遅まきながら参画しなければなるまい。これすら反対するどこの国の回し者かというのがいる。
体制を整えてから、平和外交をやるべきじゃないか。ごくごく当たり前のことを言っているにすぎない。
良い俳句は作るのに、このことではお前は気違いじゃないか、か。参ったね。ここで人格を疑われるとは思わなかった(笑)。
体罰についてもなにか筋違いの事をいっているが、なにを読んでいるのか。

体罰批判には共感したが  ・・褌子

    猫跨ぎさんが隣国の大国が帝国主義化していると警鐘乱打することはおおいに結構。だから日本もしっかり武装せよには賛同できない。安倍とか石破の論理で日本国民のいのちを守ることができるとは思えない。やったらやり返せは一部の体育会系論理に通じる。  
   体罰批判で桑田を評価したところでは猫跨ぎさんに共感するものが大いにある。体育会系がすべて単細胞かどうかはわからない。そんなことはないのではないか。本来スポーツは高度な頭脳なしには成り立たないはずだから。橋本市長の介入に大阪の教育委員会が屈服し、肝心の生徒達がおきざりにされてしまったようにみえるのは残念。桜宮高校は体育科入試を中止、生徒達が怒っている。体罰容認発言をしてきた一政治家が、体罰で自殺をだした体育科は廃止だと教育現場に乱暴に介入している。危険だな。政治から、教育や宗教は分離するのが、かつて戦争突入を阻止できなかった日本の最大の教訓だったはずだ。

おやおや  ・・・褌子

   戦争や人殺しを好きな人間がいるかいないかは、私はわからない。私は、イラク派兵を今も認めていない。イラク派兵自衛隊員が戦死者をださずにすんだのは、日本国憲法の枠にはめられて戦闘行為にでられなかったからだと、当の自衛隊の指揮官が撤退後に(彼は自民党の参院議員になったが)言明していることだ。
  危急に瀕した海外邦人を救うのに武装自衛隊を緊急派遣という乱暴なことはやめにしたい。在日の中国人や韓国人が日本人に袋だたきされたから、中国軍や韓国軍が救援にきたらたまらない。むろん恫喝に屈して中国に頭なでられて属国になるそんな平和はありえない。ちっとも結構なことじゃあない。とにかく未来永劫一衣帯水のお隣の国なんだから何とかかんとか子々孫々平和共存していくしかないではないか。ほかにどんな道がある。
  中国軍に対抗して日米同盟を基軸にまた日本も軍事大国になって対抗せよということか。そうでないと日本は一路中国の属国の道を歩むということか。大日本帝国もむかし中国を恫喝して失敗したが、こんどは中国の恫喝に屈するな、中国軍に負けるな!ではまさに武力信仰、武力幻想だ。けっきょく武力衝突になるな。長いこと人類は戦争ばかりしてきたのは事実だから国の戸締まりはしっかりせよというのはこれはよくわかるんだが。かつての米ソの核軍拡競争といっしょで、このでんでいくと日本の未来、アジアの未来、いや人類の未来は非常に暗いではないか。
  良い子でいたいというわけではない。戦争だけはさけるために軍拡競争でなく知恵をしぼりたいということだ。  
  そんなことにならぬように国の憲法と政治と外交があるんだ。相手のあることは石原慎太郎式にはいかぬのだ。日中の経済的互恵関係はもう引き返せないくらい深化しているんだ。アメリカご機嫌伺いの日本外交でなく、周辺諸国から尊敬される国づくりをすることだ。中国人と日本人が草の根の交流をすることも大事。わたしもささやかながらいろいろ直接交流やってる。平和ぼけだの共同幻想だのと高みの見物のおしゃべりよりも、自分が日本と中国の平和のために現実に何ができるかだ。
  むろん政府に都合のわるい言論を弾圧する中国の一党独裁体制がいつまでも続くということは決してありえないだろう。
  二千万人ものアジア人を殺傷したあげく、せっかく戦争放棄・武力不保持という人類の理想を体現した日本国憲法を今日いま、日本人は現にもっているんだから、これを活かす方法も真剣に考えてみたい。活かさない手はない。
  「まあ、いつまで良い子ぶっていられるかだな。属国になって頭撫でられ、そして平和になる。結構な話じゃないか。」…秀逸な俳句をつくるひとの言葉とは思えません。猫跨ぎさんは中国というと親の仇にあったみたいになるのが不思議ですね。

2013年1月21日月曜日

頭撫でられ・・・猫跨ぎ

イラク派兵は認めたわけだ。相当の変容だね。
まあ、いつまで良い子ぶっていられるかだな。戦争や人殺しを好きな人間が一体どこにいるのかね。誰かさんの傘の内にいたから平和でやってこれたのだろう。中国が恫喝をする。それに黙っておとなしくしていればいつか、属国になって頭撫でられ、そして平和になる。結構な話じゃないか。

武力信仰という幻想・・・褌子

 日本政府が日本人が危急の時に断固として助けに行くべきである。幸田君という青年がイラクにのこのこ旅行にでかけてテロ組織に捕まったとき小泉首相は「自己責任だ」といって見殺しにして処刑された。外交で手を尽くして助けるべきを助けず、アメリカ軍と一緒に自衛隊派遣を強行して元来親日的だった中東、アラブ諸国の信用を失ないつつある。戦後日本の貯金が底をついてきたという感じ。(こんどの日揮の事件の背景はまだわからぬことが多い。安倍内閣もすばやく外交的に動いたと思うが政府軍のほうの作戦があまりに急すぎた)
 しかし、イラク派遣自衛隊が、日本国憲法の枠にしばられて水道や道路建設など民生援助に徹して一切の戦闘行動にでなかったから一人の自衛隊員も戦死せず、イラク人も一人も殺さずに撤退にこぎつけた。アメリカ軍はイラクとアフガンですでに数千人の戦死者をだしている。日本人が他国で危急のたんびに武装した自衛隊を派遣していたら戦争になって殺し合いになるのではないか。だいたい戦争はそんなふうにして起きることが多い。
 政府が真っ先に飛んでいって八方手をつくして外交で助けるのだ。それが当たり前。平和憲法もっている国だからこそ説得力もあるし国際的な支援もえやすい。
 現に戦後一貫して日本は、戦争を放棄した国ですよと高々に宣言して友好的に日本人は海外で活躍してきた。アメリカ人は自国政府の政策で年中、民間人が人質になって殺害されるうきめにあっている。
  目には目を式の古くさい武力幻想はやめたほうが結局安全なのではないか。武力信仰にとらわれて平和憲法を活かせず自分の手足を縛って、それは一体誰の、また何のためか。全く不思議な武力信仰という幻想というしかない。
  中国が軍事大国になっているから、日本も国防軍つくって核兵器もって(石原前都知事がいつでも核武装できるように原発維持をとなえている)、ミサイルもって米軍と組んでどこへでも攻めていける・・・このみちは北朝鮮とまったく同レベルかそれ以下。
  ・・・自衛隊は東日本大震災でも大活躍したので今、東北の人びとは絶大な信頼をよせている。災害と他国の侵略から国民のいのちと財産、国土を守るに徹することによって定着してきた自衛隊が、集団的自衛権などといって米軍と組んで海外へでていくのは日本の対外的信用をなしくずすものだ。とくに東アジアにおいて日本の生きる道は平和憲法を武器に平和外交に徹するしかない。そのくらい日本・中国・韓国・アメリカの関係は抜き差しできぬほど深い経済的補完関係にある。尖閣問題での中国進出日本企業への暴動事件はそのことを立証した。

不思議な幻想・・・猫跨ぎ

  そういう認識は全然持たないね。世界中で活動している日本人が危急の時に日本国が助けに行くのが当たり前の感覚だ。自分の手足を縛って平和憲法を遵守して、それは一体誰の、また何のためだ。全く不思議な幻想に囚われているというしかない。

RE:企業戦士・・・褌子

   テロとの戦闘でまきこまれ殉職した日揮の社員に哀悼の意を心からささげたい。
   長い間欧米に植民地支配されてきたアフリカや中近東諸国では、日本人だけは別枠で親日感情があった。有色人種ながら高い技術をもち欧米資本主義国と対等にわたりあっている尊敬できる極東の平和な国というイメージだった。ところが、アメリカなどのイラク侵攻に小泉内閣が自衛隊を派遣したあたりから、なんだ日本もアメリカの手下なのか…という評価に急速に変わってきているという。
   さっそく自民党の幹事長がテロ組織と戦う自衛隊をつくって海外派遣できるように法整備を考えたいといいだした。
   日本は長年の平和憲法の遺産を使い果たそうとしているように私にはおもえる。
   
   

企業戦士・・・猫跨ぎ

アルジェリアの石油プラントで武装勢力が制圧されたようだ。そして日本人技術者が十人近く殺害されたのは間違いないのだろう。
日揮は日本の石油化学工業とは極めて縁が深い。実際に工場設備を造るのは彼等で、石油化学会社はそれを受け取って生産活動を開始する。日本のように産業が成熟したところでは大きな仕事は余りない。新興国に仕事を展開するのは当然の成り行き。中東、アフリカで欧米の会社の独壇場だった市場に風穴を開けて進出した先駆けだった。日本の技術立国を考える上で重要な分野だ。仕事場が世界の動乱のさなかの最前線になってしまった。
まさに企業戦士の余りに残酷な戦死というしかない。真面目で実直な技術者たちが可哀相で涙を禁じ得ない。

2013年1月20日日曜日

日向の国

大分でありません。宮崎です

本音の言葉・・・猫跨ぎ

「よだきい」は面白いね。古語辞典をひくと、よだけし(弥猛し)①いかめしい②おっくうである。大儀である。と載っている。もともとは、いよいよすごい、という語意か。
私の祖母が困ったときに「うたてや」と呟いていたことを思い出す。これも古語辞典では、うたてし ①いやである②気の毒である、とある。祖母は富山県生まれ。いずれも古い言葉がそのまま使われている例だろう。
「よだきい」も「うたて」も、困った、いやだという気分の言葉で、まあ気持の本音の部分の表現だろう。この言葉でなければしっくりと伝わらないということで、ずっと使われてきたのではないか。

なお、やのあさってに相当するのが、大分にないとはちょっと解せないな。もっと標本を増やしてみてはいかがか。

2013年1月19日土曜日

よだきい・・・ 褌子

九州の熊さんの証言は貴重である。
佐渡とおなじく「しあさって」の次の言葉がないのである。必要がないからだ。
あずましくない=落ち着かないねえuncomfortableと否定形で使われていたんだね。
なるほど、それに気付かず「あずましい」は「不愉快だ。楽しくない」みたいに思い込んでいた。
よだきい!ははやりそうだ。雰囲気でているよ。さらにおもしろい日向弁を紹介してください。

ひとつ報告し忘れ    九州の熊

宮崎の鵬翔高校が高校サッカー日本一に! 宮崎県はスポーツ後進国で高校野球の全国優勝を勝ち取っていない数少ない県のひとつ。サッカーで溜飲を下げた思い。やった~!!

方言のはなし    九州の熊

みなさんの投稿のテンポがはやすぎて乗り遅れの感があるけど・・。
明明後日(やなあさって)のことを当地ではなんというか。こたえは”そんなことを表現することばはありません”です。(こたえになっていないかな) 九州人は日ごろゆったり生活しているのでそんな先の先のことを話題にする必要はあまりないから、ということではないかなぁ。 ”あずましい”なつかしいことばだなぁ。学生時代家庭教師にいっていた中学生の母親は函館出身の品のよい肝っ玉かあさん、家に上がってかしこまっていると”そんな正座なんかしていたらあずましくないっしょ”っていわれたのを思い出す。このことばは否定形で使われることが多かったような気がします。”じょっぴんかる”これもよく使っていた。おやじから”おい、ひろし、玄関じょっぴんかったか”ってよくいわれたものだ。
当地で頻繁に使われる方言に”よだきい”というのがある。これもいまでは準全国区でいきわたっていると思うけど。面倒だ、いやだ、嫌いだ、さけて通りたい、等幅広いニュアンスでつかわれる。使い慣れるとまことに便利なことば。なにか誘われて気乗りしないときは”おっだぁよだきいわい(わたしはやめておくよ、ゴメン)”となる。ホロホロ会のなかでこのことばがはやってくれないかなぁ。ん!よだきいとな?しゃぁないなぁ。

2013年1月18日金曜日

アルジェリア・・・猫跨ぎ

  アルジェリアのガスプラント建設現場でのテロ掃討作戦の全容がなかなか明らかにされない。恐らく制圧が終了していないのだろう。複雑なパイプやタンクを挟んでの銃撃戦が続いているのだと思う。
  関連して思い出すのは、中世の抗争で神社仏閣の多くがなぜあれほど焼失したかだ。百済寺の坊さんに教えられ成る程と思った。建物の柱や小部屋に敵が隠れてゲリラ戦となると何時までも制圧できず、戦が終わらない。だから攻める側は、躊躇することなく建物に火を放つ。火攻めで一兵残らず追い出す。それで丸焼け、そして都は灰燼に帰すと言うことらしい。いささか不謹慎だが、ガスプラントのゲリラ戦を想像した。

2013年1月17日木曜日

大島渚監督・・・猫跨ぎ

大島渚監督が亡くなった。「日本の夜と霧」を思い出す。安保闘争さなかの学生運動がテーマだった。分派の抗争。スパイ事件で自殺に追いこまれた学生。その死体を見て嘔吐を起こす者。場所が恵迪さながらの学生寮。理解ある温厚な教授のことを「人がいいだけで無能な男だ」と吐き捨てる者。吹き上げる衝動と情欲ないまぜの部分。色々な断片が思い出される。それにしても左翼運動の匕首のようなストイックさが今となっては夢みたいだ。

命のきらめき・・・褌子

命のきらめきに対する感性の敏感さの反映…なるほど。うらやましい。
ところで今年こそは逸徳さんと小笠原行きを実現したい。太平洋の絶海の孤島でたった一週間でいい。朝起きたら朝風呂にゆっくりつかって、ひがなぼんやり酒を飲み本を読み海をみたり空をみたり昼寝したり風にふかれて散歩したり、そうゆふものにわたしはなりたい。そうすると逸徳さんのように命のきらめきに対する感性の敏感さがむくむくと回復してくるのだ。がんばるぞ。

いったい何をいいたいの・・・・・逸徳

何でおいらの出番かよくわからん。 今日も選挙のビラをまきに農村地帯を4時間もあるいてきてくたびれはてたことろ。  助平であることは悪いことで゛はない。性的ポテンシャルの高さこそ老化防止の第一歩であり、命のきらめきに対する感性の敏感さの反映なのだからね。 臨終のベッドの上からそっと若い看護婦さんのおしりに手を伸ばすというのが、わが理想的死に方であるのだが・・・・・・まてよ、いったいなんの話だっけ。

逸徳さんの出番だ・・褌子

そうそう。逸徳さんがでてくるぞ。アムール川こと黒竜江の中洲のダマンスキー島こと珍宝島の領土争いでロシアと中国が仲直りした。珍宝島だってさ。イタリアは男か女か? 男に決まっている。長靴の足の付け根にヴェニスがあるもんとか、いよいよ逸徳さんの出番だね。

ちんぷんかん・・・猫跨ぎ

ちんぷんかんぷんを珍糞漢糞と書くのは、全くの当て字。日本語辞典によれば、儒者の用いた漢語をひやかして言ったとも、外国人のことばの口真似ともいう。何を言っているのか判らないこと。江戸時代の言葉か。
とんちんかんはどうか。頓珍漢と書くのも全くの当て字で、鍛冶屋の相槌を打つ音が交互にそろわないさまから。
ちちんぷいぷいはどうか。「ちちんぷいぷい御世の御宝」幼児が転んだりして体を痛めたときに、痛むところをさすりながらすかしなだめること。「智仁武勇は御世の御宝」という説がある。
こんな話は限りないな。そのうちにあっちの方に話が行くのもお定まりで。

2013年1月16日水曜日

珍糞漢糞・・・褌子

あずましいがcomfortableの意味だったとは、意外や意外です。
以前にも書いたかも知れないが、一番、東京語と遠い方言は鹿児島弁だそうです。
吉村昭『深海の使者』にでてくるが、昭和20年になって日本が降伏まぎわのドイツの駐在日本大使とどうしても連絡をとりたいのだが、暗号が連合軍に解読されていてどうにもならない。ところが日本大使館に鹿児島出身者がいるということがわかり、東京とベルリンで鹿児島弁でしゃべったら、連合軍誇る諜報機関もちんぷんかんぷんだったそうです。
  ところで、ちんぷんかんぷん=珍糞漢糞っておもしろい言葉だなあ。

あずましい・・・猫跨ぎ

  矢張りねえ。両方とも×だね。「あずましい」は、聞けば殆どそういう意味に解釈される。多分、「貧しい」という語感にどうしても引っ張られ、マイナスイメージになるのだろう。正解は、満足した、気持がよいという意味。comfortableということ。正装で外出し、帰ったおばさんが着替えて、膝をのばして、「ウチがいちばん、あずましい」というふうに使う。「じょっぴんかる」(じょっぴんがる、ではない)は北海道以外ではまず聞かない。これは、錠をする、鍵をかけるという意味。施錠する時のガチャリという音から来ているのだろうね。面白い言葉だ。 
  北海道は出身地によりモザイク状に方言が分布しているというが、何せそれ丸出しではお互いに意志の疎通ができないのでどうしても薄まって、標準語的な感じが強くなる。ただ東北が近いし渡った人数も多かったから、基本的には東北弁のニュアンスが底に流れているね。「あずましい」も津軽にルーツがある。

道産子弁のなりたちは・・・褌子

   あづましい・・は体調不良とか、あんまりいい話ではないよ、とかいう意味ではなかったか。札幌の兄貴の嫁さんが旭川のひとで、たまに使っていたな。じょっぴんがる? きいたことねえな。佐渡では、恥ずかしいを「しょうしねえ」、みっともないを「よんどこねえ」 といったが、じょっぴんがるは「恥ずかしい、やめてけれ」という意味だと推察するがいかが。
   道産子弁は、内地人の集合体がそれぞれ伊達町では仙台弁をしゃべり、広島町では広島弁というように、郷里の言葉をしゃべりながら、だんだん融合し合ってできたのかね。リラの君のご先祖様は富山県だと江別のお姉様からおききしたが、道東釧路に住んで幾星霜、透き通るような鈴をころがすような清く美しい道産子弁であった。
   あの狭い佐渡のなかにも海の漁師言葉と山村の農家言葉とはぜんぜん違うのだ。さらに佐渡金山のあった相川町周辺では江戸の町人言葉と武家言葉が残っているし、北前船の寄港した小木町には上方の芸者言葉がいまも残っているから驚く。わが家のある小佐渡山脈ふもとの順徳天皇や日野資朝卿、京極為兼さんのあたりはいまも京の公家言葉が残っているせいか、小生も家の中では「麿は~」なんてついでちゃうから三つ子の魂というか蝶よ花よの育ちだけは消そうと思っても消せないものだ。
  いやあ方言ってほんとに面白いねえ!
   
                          

やのあさって・・・猫跨ぎ

  明日(あす)、明後日(あさて、あさって)のasは夜明けを表す語幹らしい。「て」は、「重ねる」のような意味かな。「やのあさって」は、前述のように弥明後日と書くが、明後日の次の日か、その次の日かはこれからは判然としない。長野県人にも聞いたが、どちらでも使うねといっていた。全国的にごちゃごちゃになっているのではないか。「しあさって」の「し」は何となく「次」を意味するような気がするがどうか。「やなさって」は、訛りというか、単純化の形だろうね。
繭玉を佐渡で「めだまさし」というのは面白い。中部地方、関東、東北の風習とか。養蚕の安全を祈ってがルーツ。事典に繭玉、繭団子、メーダマというとあるから、めだまさしは目玉挿しではなく繭玉挿しということだろう。
「しばれる」、「はんかくさい」はまあ全国区になった感があるが、「あずましい」、「じょっぴんかる」の意味は判るかな。

「やなさって」  ・・褌子

  寒鴉やのあさってに来るといふ
   仁兵衛句から方言に関する重大な発見がつづいている。
   きのうからずっと佐渡島では「あさって」は使うが「しあさって」も「やのさって」「やのあさって」も使わんかった、一体なんて言ったんだろうと考え続けていた。繭玉も何て言ったんだろう? 猫跨ぎさん紹介の繭玉写真をみて「めだまさし」といっていたことをひょいと思い出した。さらに「あした→あさって→しあさって→やなあさって」と連記した逸徳さんの静岡方言をみて、そうだ! 佐渡島では、「あした→あさって→やなさって」と言っていたことを思い出したのである。しあさって=明明後日が「やなさって」であって、その次は佐渡ではない。ここでも静岡とずれていて省略もしているね。佐渡人は純でシンプル。
   北海道は内地人の集まりだから、私はつかった記憶がないが佐渡から渡道したひとは「やのあさって」をちょいととまどいながらも「はんかくさい」とか「しばれる」などと一緒に使い出したことだろう。江戸っ子の仁ちゃんもいつのまにやら道産子の仲間入りをしているわけだが、福島いわきでは明明後日は何と? 熊さん延岡では?
   ・・・・
   松本清張『砂の器』
   殺された被害者がトリスバーで飲んでいて東北弁をつかい、相手の若い男が「カメダは今も相変わらずでしょうね?」と被害者にたしかに言っていたというバーの女給の記憶、たったこれだけの証言で今西刑事がこつこつ執念深く犯人捜しをする。
   今西はカメダが人名の亀田でなく、秋田県に羽後亀田という地名があることをふと発見して、秋田まで捜査にいくのだが、からぶり。しかし、ついに東北弁いわゆるズーズー弁が、東北と正反対の西日本の島根県出雲地方の一部でも使われていることを発見する。さらに出雲地方に亀嵩(かめだけ)という地名があることを探しあてるのである。だが、亀嵩へ行っても何のてがかりもなかった・・・・
   いったいに日本海側の寒いところは、語尾ははっきり発音しない。私の生まれた故郷の部落名は「井内=いない」というところだが「いねぇ」と発音している。バーのホステスが隅っこに座っている客のぼそぼそ声の亀嵩(かめだけ)を「かめだ」と聞こえたとしても不思議でない。
   『砂の器』は昭和36年発表。映画化され、先年テレビになったが原作の味にはかなわない。ホステスを女給と書きトリスバーとよぶのも懐かしい。仁ちゃんと桑園寮でトリスは飲んだがサントリーホワイトは舐めた記憶もない。角瓶は拝んだこともなく、ダルマは高嶺の花だった。

2013年1月15日火曜日

体罰・・・猫跨ぎ

  体罰が問題になっている。アウトドア派ではなかったので、実体験はないからあまり確たる事はいえないが、根は深いね。体育会系人物に見られる共通の匂いがある。礼儀正しく爽やかな印象はいいとして、上下関係の秩序に無条件に従うとか、仲間意識が強い反面、他者への想像力が欠如する、ものの見方が一方的で、まあ、はっきり言って単細胞。
こういうことと体罰がくっついている感じがする。それは今の社会のなかにはっきり存在する何かでもある。論理を飛び跳ねることを諒とする感覚だ。元巨人の桑田が明確に体罰を批判していたのには刮目した。彼は偉い。
褌子氏が黒沢映画の紹介をしていたが、あのなかで「用心棒」の一シーンを思い出す。
三船演ずる浪人が、敵方の屋敷に味方と思わせてふらりと現れ、人数がある程度になったところで、いきなり抜刀、全部やっつけるというシーン。これを見た或る中国人が、「これだこれだ、これが日本人なんだ」といったという。超論理の不気味さだろう。

そうそう忘れないうちに・・・・逸徳

やのあさってについての話は面白かった。 資料的な意味で静岡の場合をもうしあげておく。 「あした」「あさって」「しあさって」「やなあさって」である。  こちらでは「やの」ではなく「やな」になる。なまりかな。面白いなあ。 北海道とちがうんだ。

『城下の人』   褌子

    繭玉はなつかしい。佐渡では「めだまさし」といったとおもうが、枝に餅を小さく丸めてくっつけた。左義長のころまで神棚を飾っていた。おカイコ様を飼っていた頃からの農家の習わしらしいね。日本書紀に養蚕の話がのっているからかなり古い風習かもしれない。
   昨日の雪は千葉県では数年ぶり。十センチ以上も積もった。
   昨日はいちにち読書三昧。『城下の人―石光真清の手記』を一日で読み終えた。熊本の士族で明治元年の生まれ、西南戦争の熊本城攻防戦を子どもの目でくわしく描写している。さらに陸軍のエリート将校になってロシア皇太子を巡査が襲った大津事件を体験、日清戦争とそれにつづく台湾「征討」の従軍記をたんたんと綴る。家族、親戚関係の悩みも正直に記されていて明治の士族の一家の雰囲気がただよっていて実に面白く読んだ。薩長土肥の肥は肥前で、肥後熊本は新政府の出世仲間からははずされている。
  樋口一葉が貧乏のどん底で「たけくらべ」をつづっていたころ。思春期のころのもうひとつの明治日本。
  先日紹介した会津人柴五郎の遺書をまとめて出版した石光真人は石光真清の息子である。『城下の人』も父が秘かに書き綴ってあったものを死後、息子が発見して昭和18年に出版されたものらしい。
  日清戦争で妙に自信がついて急に背伸びして日露戦争勝利で天まで舞い上がり、一路アジア侵略に猛進した祖国日本への批判が、この手記出版にはこめられているように思った。

2013年1月14日月曜日

やのあさって・・・猫跨ぎ

そうそう「やのあさって」は東京と北海道では一日ずれている。弥明後日と書いて、弥とは幾重にも重なるという意味とか。いよいよ、ますますということ。余り使わないね。
繭玉は先日の初句会では東京の人たちは?てな顔をしていたね。仙台出身者が判ってくれたが。実はこの前の遠野旅行でモデル民家に下がっているのを見て実に懐かしかった。写真をネットで見つけて添付した。このように神棚の近くに取り付ける。大人は頭を撫でられるというわけ。東北以北の風習かな。

追記:外は大雪だ。昼前から雪に変わって、そのうちに霙になるだろうと思っていたら、牡丹雪の勢いが止まらない。電車もとまっているらしい。現在16時40分。

函館通信197・・・句評・・・仁兵衛

 「やのあさって」は私としては「しあさって」の次の日として自然に使ってきた。広辞苑を引いたら東日本と東京の使い方が出ていた。しあさっては3日後やのあさっては4日後として区別して使っていたのだと改めて気づかされた。
 さて、猫跨ぎさんの句を楽しみましょう。

 ・縄文の末裔として海鼠噛む ・・・ 海鼠のこりこり感を縄文人と共有している楽しさが一杯に伝わってくる。特選。
 ・ふるさとを凍らせ来たる悪寒かな ・・・ 風邪を引いたときに苫小牧の寒さと悪さ?が同時に夢にでも出て来たのかな。
 ・繭玉に頭撫でられ離郷かな ・・・ 離郷という言葉に興味を引かれたが繭玉の記憶が全く無いので理解しかねている。
 ・明日あると信じるかたち冬帽子 ・・・ 中七が特に優れていると感じ準特選にした。抽象と冬帽子の具象がマッチしている所も上手さだと思う。
 ・着ぶくれて心たいらに暮らすかな ・・・ 逆に平凡に暮らす事の難しさを示してくれてる様だ。
 ・伊勢丹の袋を提げて寒の中 ・・・ どうも私には三越の包装紙のほうがインパクトが強くてね。
 ・全集の埃の上の寒さかな ・・・ 棄てるに捨てきらない全集が並んでいる光景が浮びます。断シャリへ!

猫跨ぎ句をあじはふ・・・褌子

   きのうはうららかな山歩きだったが、きょうは朝から年末以来何十日ぶりかの雨だ。東京は雪だという。大雪の日に大事件がおきるんだ。赤穂浪士討ち入り。水戸浪士桜田門外の変。そして226事件。対するに逸徳さんの小さい微笑ましい内緒ばなし、いやあ平和っていいねえ。御馳走様です。
猫跨ぎさんの句を鑑賞した。
・全集の埃の上の寒さかな
   埃と寒さはまことに相性がいい。
   全集とは何だろうね。レーニン全集でないことだけは確かなようだが。
   漱石全集かも知れないな。いや鴎外かも。埃がたまっているのだとすると本居宣長全集、いや滝沢馬琴全集、などと詮索する楽しさがある。書斎でなくて古本屋の景かも
・伊勢丹の袋を提げて寒の中
   伊勢丹の袋だとするとどっかの和服姿の初老の上品な奥様かもしれない。
   こういうとりすました金持ちの奥様が、街頭で震災カンパなどしているのをみると心和む
・ふるさとを凍らせ来たる悪寒かな
   なんとなく、鎌倉を驚かしたる余寒かな、を想起した。
   ことしの北海道は寒いらしい。
・冬枯や背表紙割れし大言海
   そうか、背表紙がわれているほど使い込んでいる『大言海』か。
   うちの『大言海』は、40年も茶の間の飾り物化していて新品同様でお恥ずかしい。
   春の雷辞書の天金濁りをり という猫跨ぎ氏の名句を思い出した。
・冬ざれや女はいつも荷物提げ
   年末風景だね。女はみんな頬を赤くしてゴム長に角巻すがた。
   ちらちら雪が舞っている。
・縄文の末裔として海鼠噛む
   特選 こういう句が大好き。なんか嬉しい。生きていて好かったと思う句
・夕ぐれのねむたき巫女の四日かな
   そうだね。喧噪の正月三が日すぎて、巫女さんのやれやれ感がでている。
   準特選
・繭玉に頭撫でられ離郷かな
   正月休みもあっというまに済んだ。また会社へ会社へと民族移動
・明日あると信じるかたち冬帽子
   あったかそうな毛糸の冬帽子だ。いい景だね
・着ぶくれて心たいらに暮らすかな
   安心立命の心境だ。うらやましい。

2013年1月13日日曜日

年末年始十句・・・猫跨ぎ

逸徳さん、「六郷自然観察ニュース」を配信して下さい。
町内の小体な呑み屋か。いいね、我が家の近くにそんなのがあればと想像する。しかし4時から7時半までか。よく商売が成り立つな。どこかの囲われものの世を忍ぶ仮の姿じゃないか。まあ、恐妻ぶるのが一つの愉しみとは思うが、後ろめたいことがなければ別段こそこそすることもあるまいに。

年末年始の十句
・全集の埃の上の寒さかな
・伊勢丹の袋を提げて寒の中
・ふるさとを凍らせ来たる悪寒かな
・冬枯や背表紙割れし大言海
・冬ざれや女はいつも荷物提げ
・縄文の末裔として海鼠噛む
・夕ぐれのねむたき巫女の四日かな
・繭玉に頭撫でられ離郷かな
・明日あると信じるかたち冬帽子
・着ぶくれて心たいらに暮らすかな

水仙咲いていました・・・褌子

仁ちゃん句の
・ 真冬日や古希の日通り過ぎてゆく
   日通りとは??と思ったが、猫跨ぎさんの句評で 古稀の日 通り過ぎてゆく    だとわかった。本当に頭が硬くなったのなあ。
・ 寒鴉やのあさってに来るといふ
   北海道は、明明後日を「やのあさって」ということをはじめて知りましたね。
   なるほど、また利口になっちゃった
―――――きょう、房総の南の鋸南町の水仙をみに山道を歩いた。昨年より遅くて三分咲きというところ。ロウバイは満開、木瓜も咲いているし菜の花も咲いている。フキノトウはまだ小さいがいくつかとった。ミカンがどこの家にもなっているが誰も収穫するひとがいない。人骨山という三百㍍くらいの山に登ったら富士山がくっきりとみえた。 山道の農家の入り口で風船唐綿=フウセントウワタという奇妙な植物にであった。帰って植物辞典をひくとガガイモ科の多年草で熱帯アメリカ原産アスクレピアスの一種とある。真っ赤なアブラムシがびっしり風船唐綿にたかるので有名らしい。犬のふぐりにブツブツ黒い毛が生えているような風船がぶらさがっていて何でこんな植物が観賞用になるのかね。【写真】
 朝の9時から5時間歩いて一万八千歩。ぐったりするほど疲れたがビールがうまい。

冬季仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

今年の北海道の冬は大変らしいね。寒いし雪も多い。こちらで寒い寒いと言ってもたかが知れているが、そう思いつつ、矢張り寒いと言ってしまう。

・ 真冬日や古希の日通り過ぎてゆく
真冬日に古希の日が通り過ぎてゆく、か。70歳なんて考えもしなかったなあ、本当に。
・ 寒鴉やのあさってに来るといふ
そうね、この辺では「しあさって」というが、北海道は「やのあさって」。とぼけた俳諧味。
・ B型の血管浮び雪女郎
なぜB型なのか、なぜ血管が浮かんでいるのか、考えても詮無いこと。血管が浮かんでるのが自分なのか、雪女郎なのかがはっきりしないが、まあ仁ワールドということで。
・ 日脚伸ぶ物の怪二つ消えにけり
引き続き仁ワールド。
・ 雪しまき叩くと直るラジオかな
実験室で具合のおかしい機器を叩いて直して、「物理療法」といって笑っていたことがなつかしい。真空管からトランジスタに、半導体になって、様変わりしてしまったな。我々の子供には通用しない世界。昭和が匂い立って来る。
・ さりげなくする春寒のおもてなし
春寒という季感は北海道ではどうなんだろうとしばらく考えてみた。余寒よりもっと春めいた頃ね。北海道では余寒からいきなり春本番になる、みたいな。
・ 煙突の昭和の煤や冬雀
煙突掃除屋さんというのが居て、真っ黒になって仕事していた。今なら3Kなんていうんだろうが、当時はなにか威厳があったな。冬雀を配したのがいい。
・ しばれるや回る台座の黒電話
この前も確か黒電話があったけれどまだ身近にあるのかな。昭和だね。
・ 黒猫のぬっと顔出す炬燵かな
この前千葉で、岩合光昭の猫の写真展があった。猫は猫で人間を観察しているね。賢い動物だ。
・ 中継所つぎつぎ倒れ鳥帰る
暴風雪で次々に倒れているのだろうか。白鳥の帰還は未だだろうね。何か心象性を感じ特選。

2013年1月12日土曜日

もうすぐ立春だ・・・褌子

静岡や千葉でも寒い日がつづくんだから、函館は別格官弊大社並みか(古くさい表現だな)
・ 真冬日や古希の日通り過ぎてゆく
日通りとはどういうものか知らないが何となく通じます。
もう古稀だもんなあ…という思いがにじみでております
・ 寒鴉やのあさってに来るといふ
寒鴉、やのあさって? 寒鴉や、のあさって?
ひとえにまきて首にかける数珠
・ B型の血管浮び雪女郎
面白い!。準特選級。血管と雪女郎の間に微妙な二物衝撃がおきている。雪女の薄く透けた静脈血管。じつにぞくぞくするほど色っぽい。雪女と言えば、黒沢映画の「夢」だ。怖かったなあ。でも彼女たちはお日様にはめっぽう 弱いんだ
・ 日脚伸ぶ物の怪二つ消えにけり
雪女郎の次は物の怪か。日脚伸ぶとはいい季語だねえ。春を待望する気持ちがでている。
・ 雪しまき叩くと直るラジオかな
特選 雪しまき…わたしの郷里佐渡島も昔はよく吹雪いた。あの頃をおもいだすよ。
ラジオにも雑音がよくはいったし停電もあった。昭和23年ごろまでわが家は石油ランプだったことかすかにおぼえている。ランプのホヤを手ぬぐいで磨くのが子どもの仕事。
・ さりげなくする春寒のおもてなし
春寒というとすでに春になった気分があるなあ。いい句だ。
なんとなくあくがれている隣家の奥さんがきたので、何食わぬ顔してさりげなくお茶をたてて落雁などだしておもてなしをしているんだね。こちとらもおよばれしたい
・ 煙突の昭和の煤や冬雀
準特選。古くさく垢抜けしないレトロなセピア色の味わいがじつにいい佳句
・ しばれるや回る台座の黒電話
こういう黒電話も珍しくなりましたなあ。しばれる、懐かしい道産子弁
・ 黒猫のぬっと顔出す炬燵かな
よくある光景だ。
・ 中継所つぎつぎ倒れ鳥帰る
地震ありましたか 鳥帰る…やっぱり春がきている気配あり。わがやのロウバイは一輪だけ黄色く咲いた。山茱萸の花はまだ蕾だが。

函館通信196・・・真冬日・・・仁兵衛

 本当に寒いよ!真冬日が10日以上も続いている。運動不足になり体の動きも悪くなってしょうがない。歩いて転んで怪我したらという恐怖観念がやって来て更に運動不足を助長してしまうんだ。
 俳句でもと思うのだが今年は正月気分も無く外にも僅かしか出ないものだから視界が狭くなってしまっているようだ。
 これは遺憾と無茶苦茶に俳句をでっち上げたのを十句今年の初めとして見て下さい。

・ 真冬日や古希の日通り過ぎてゆく
・ 寒鴉やのあさってに来るといふ
・ B型の血管浮び雪女郎
・ 日脚伸ぶ物の怪二つ消えにけり
・ 雪しまき叩くと直るラジオかな
・ さりげなくする春寒のおもてなし
・ 煙突の昭和の煤や冬雀
・ しばれるや回る台座の黒電話
・ 黒猫のぬっと顔出す炬燵かな
・ 中継所つぎつぎ倒れ鳥帰る

おめでとうございます。近況報告・・・・逸徳

いやあ寒い。 寒いなんていったら仁ちゃんに怒られるか。 でも、やっぱり寒い。 で、最近、町内に4時にはじめて7時半に閉めるという面白い居酒屋をみつけた。おかみと仲良くなって時々いくことにした。これ、男の隠れ家。 奥さんにはないしょで、1.2本飲んで(安い。1500円以下) 知らん顔して家に帰り、夕飯を食う。調子がよければそこでもう一本。そうでないときは「健康のために今日は断酒」とかなんとかいい、「あらおとうさん えらいわねえ」などといわれて、静かに微笑んでいる。 この飲み屋、最後の聖地。絶対いわない。
 朝、雑炊にこっており、近くの中華料理の店の中国人シェフのつくる中華がゆが大変美味なので、これの味を再現するべく研究中。 だいぶいい味をだせるようになった。 雑炊の具で種々試したが、結局「ふとねぎ しいたけ 納豆」の三品にたどりついた。 お試しあれ。 とにかくうまいものを食いたいなら、自分でつくるのが一番ええ。
 閑話休題 一年くらい前から、科学少年団のからみで、「六郷自然観察ニュース」というのを、月1回配信している。 内容は天文に関するもので、「今月の星空ニュース」という感じである。ただし、書いているのはおいらではなく、近くにすんでいる天文の専門家である。(だから信用できる?!) で、星空は国内はどこでも大体同じだろうと思うので、ホロホロ会でご希望の方がいたら送信アドレスなどお知らせいただければ、配信リストにいれます。お代は特別サービスで無料にしておきます。
 さて、当地は浜岡原発から20キロ地点で、脱原発の市民組織をたちあげ活動してきたが、実は今月が市議会市長選挙である。田舎の猿芝居みたいなものかと思っていたら、ここにきて急きょ、脱原発の女性市長候補が立つことになった。そこで、我々の組織とは政策協定をかわして応援することになった。 といっても、何していいんだかよくわからん。 まあ、半径10キロメートル以内の民主主義の追求ということでいこうと思う。 東京方面の猿芝居はもういいから。


 

映画・・・褌子

去年の東北旅行の前に読み始めた『火焔―北の燿星アテルイ』は、作者高橋克彦の熱すぎる語り口に疲れて上巻だけで中断している。きのうNHKで『アテルイ伝』がはじまた。面白く見たが、原作でできてしまった頭のなかのイメージとどうも違う。
 今晩はフジテレビで『カラマーゾフの兄弟』の現代日本人版をやるという。ふーむ、あの哲学的な饒舌がえんえんと続く19世紀ロシアの父殺し事件をテーマにした大作をどう描こうとするのか。私は原作は短気なもんで最後まで読み通せず投げ出したままだ。『罪と罰』は原作を最後まで読んだが(原作といっても米川正夫訳)、イギリス映画でみた『罪と罰』は退屈な出来。高利貸しの欲深老婆を殺そうとするラスコリニコフの内面の葛藤が描き切れてない。原作文学と映画の関係はむつかしい。
  黒澤明はドストエフスキー『白痴』を映画化したが、原作も読んでない私には映画『白痴』は難解だった。若き久我美子や原節子、そして三船敏郎、森雅之らがでてくる。『乱』はリア王、『蜘蛛の巣城』はマクベスなどシェークスピア作品からとっている。。『乱』は失敗作だと私もおもった。
  傑作中の傑作『羅生門』はむろん芥川の「藪の中」だが、あの世を呼び出すイタコみたいな女が恐ろしかった。羅生門に捨てられた赤ん坊を育てることを決心する青年僧に救われる。応仁の乱で打ち毀された羅生門にはよく雨が降っていたなあ。『七人の侍』もものすごい雨、雨、土砂降りだった。どろんこになっての死闘。『用心棒』と『椿三十郎』は風だ。風で埃が舞い上がる。いやあ映画って本当にいいねえ

アテルイ・・・褌子

  ↑上の発言と重複しているが削除できない。削除はこわい。全部にまちがってチェックをいれちゃうと全部ぜーんぶ消失してしまうんだ。

2013年1月10日木曜日

類語辞典・・・猫跨ぎ

  類語辞典というのは御説のように、パラパラ見てる時は実に面白い。ところが具体的な目的があって特定の語の類語をあたると、これがまた当たり前の月並みな言葉ばかりなんだなあ。隔靴掻痒。不思議だ。実用には意外に威力を発揮しない。
 助平で思い出したが、「アメリカ俗語辞典」というのがある。研究社の英和辞典だが、例えばfuck you というののしり言葉があるが、その項を見ると、あほこくな・あほんだれ・うせろ・顔洗ってこい・どあほ・なめるな・ばかったれ・このばいた・おまえのかあちゃんでべそ・・・・これはごく一部。英和辞典というより立派な国語辞典。アノ種の言葉を引くと卑猥な訳語がページをまたがって満載だ。当欄に紹介しかねる。明日、本屋に走るだろうが、もう古書店にしかないので念のため。

三浦しをん・・・褌子

三浦しをんさんのおやじさんはそういう有名な方なのですか。
三浦しをんははじめて読んだがまだ四十代だが力量のある作家ですね。ぜんぜん知らずに、しをん、なんて女みたいな名前の男性作家だと思って違和感なく読んでいたら、途中から女性作家だと気付いた。伊集院静は女かとおもっていたら男性だというし白川静博士はこれはもう男に間違いない。
   きょう、蔵書する辞典のつまらん自慢みたいなこと書いてしまったので、『新潮日本語漢字辞典』と『現代類語大辞典』をしげしげとページをめくって読んでみた。特に講談社の『現代類語大辞典』はまったく新しいタイプの国語辞典であると再認識した。いままでの国語辞典は全部「アイウエオ順」に見出し語と下に語釈が並んでいるが、この類語辞典は最初に見出し語だけをまずアイウエオ順」でさっとさがして、そこから指定するページに飛ぶのである。たとえば「感銘」とひいて指定ページに飛ぶと「感動」「感激」「感じ入る」「ぐっと来る」などの類語が数限りなく並んでいて簡潔な説明と用例がでている。読んでいて面白い。俳句などやるひとは非常に役立つのではないだろうか。また「助平」とひけばまあまあこちらが顔が紅くなるくらいいろんな類語がでてきて逸徳さんなら「日本語の海は広く深いなあ」などと大喜びしそう。最初に見出し語をひいて、指定するページに飛ぶのがすこし面倒だから、従来型の国語辞書に慣れてしまった人には向かないが、文章をあれやこれやと推敲したい人には重宝な国語辞典である。いやー!日本語はじつに広く深いなあ!

三浦父子・・・猫跨ぎ

  三浦しをんのおやじさんは古事記研究で有名な三浦佑之氏。この前もセミナーを聞いてきた。彼によると日本海を海岸づたいに北上してきた文明のルートがあり、ところどころ内陸に入り込んで、例えば諏訪地方の風習とか、この前行った遠野のオシラサマ伝説などに痕跡を認めるという、まあ仮説だが気宇壮大で面白い。
  はて、いつから俳句やらないことになったのかな。ならば持つ必要もあるまいが。

大歳時記・・・褌子

   「俳句大歳時記」「新日本大歳時記」どっちもかんべんしてくれ。俳句つくんないのにこんなもの買って!と女房に怒られそう。しかし、三浦しをん『舟を編む』は面白かった。

新秩序・・・猫跨ぎ

  中国は中華民族の圏域が犯されたまままだ充分に回復していないと繰り返し言っている。その観点から東アジアの秩序を見直すべきというのが行動の背景にある。西沙、南沙諸島でベトナムやフィリピンを蹴散らして構わないという態度もそれ。尖閣もその一環だ。そういう中国の姿勢を諒とするなら別だが、そうでないなら日中友好もそう簡単ではない。高句麗は古代中国の一地方政権だったと言ったり、中印国境でインドとまた揉め始めた。残念ながら新帝国主義の時代に入ってしまったというしかない。
  大修館書店の「日本語シソーラス」はカシオの電子辞書に入っている。時々引くけれど、ずばり成る程と小膝を叩いたためしがない。意外に使えないなあという感じ。褌子氏の蔵書は感心するが、ここに角川の「俳句大歳時記」とか講談社の「新日本大歳時記」などが無いのは淋しいね。

三浦しをん『舟を編む』・・・褌子

   中国情勢は非常に関心があります。
  わたしも一応チャイナウオッチャーのつもりで注視している。人口も国土も巨大すぎるから、群盲像を…の中国評も多いらしい。中国と朝鮮半島と日本が安定成熟した関係に早くなってほしいものだ。未来永劫子々孫々までおつきあいする民族同士だ。いちどほろほろ会で北京やソウルの古書店街でも散歩したいね。
  三浦しをん『舟を編む』を読んだ。大部の国語事典『大渡海』という辞書づくりの話。
  辞書づくりの楽屋裏がのぞけて、さらに当世の若者恋愛風俗もでてきて実に面白い小説。
  私も大学入学の年に北大前の古本屋で『広辞苑』、三省堂『漢和中辞典』を買い、さらに三十才過ぎに富山房『大言海』を買っていらい辞書には関心がないわけではない。いぜんにも書いたが岩波国語辞典第一版の誤植も発見したくらい。数年前には猫跨ぎさんにすすめられてか新潮社『日本語漢字辞典』を衝動買いしたし、講談社『現代大類語辞典』も買ってしまった。
北京では『康煕字典』を買ったし、いまは大修館書店『日本語シソーラス』がほしい、いや白川静『字統』『字訓』『字通』がさきに欲しい、いや復刻版の『渡辺温博士校注・康煕字典』(講談社創立百周年記念出版)にしようか…などと財布と相談をしているが資金不足本棚不足で見込み薄。
  むろん小学館『日本国語大辞典』と大修館『大漢和辞典』は大きな図書館で恐懼感激してご開帳ご拝観するだけだが。
  パソコンには「広辞苑」や「角川類語辞典」「マイペディア」がはいっている。電子辞書ワードタンクには三省堂『大辞林』が入っているし、「世界大百科事典」のCD版も人からもらったのだがたまに重宝している。それなのにやはり紙の辞典・字典・事典を並べてないと落ち着かない。もっとも紙の平凡社「世界大百科事典」は引っ越しの時に捨ててしまった。当時二十万円以上したがほとんど引いた記憶がない。「ブリタニカ」並べていた人も奥さんに捨てろ捨てろといわれていると苦笑していた。そういえば中川先生は自宅の机辺にフランスのラルース大百科事典を並べていたね。
  他人からのもらいものだが植物好きの私が一番重宝しているのは小学館『万有百科大事典』十九巻の『植物』これは便利だね。北隆館『原色牧野植物大図巻』は大枚はたいたのに一度も引いたことがない。くだらん自慢話になったごめん

2013年1月9日水曜日

中国事情・・・猫跨ぎ

  それとなく中国の様子をネットで見ているが、あれ?と思うことが頻繁に続いている。去年年末、寧波市で大規模な反対デモが起きた。当地には中国有数の石油化学工場があるが、そこがPET原料のパラキシレン増設計画を発表した。ところが環境問題への何の説明もない、発ガン性の恐れがあるではないか、という抗議がたちまち大きくなり近隣地区も巻き込んだ反対運動に膨れあがったというのである。ついに計画の一時中止、再検討を余儀なくされた。こんなことは今までなかった。これまでの野放しの環境汚染への怒りであろうが、背景に今までものごとを勝手に進めてきた独裁権力への反感が透けて見える。
  今年になって、広州市では、週刊紙「南方週末」の記事が当局の指示で削除、差し替えられた問題で、同紙記者の一部が七日、抗議のストライキを始めた。共産党宣伝部によって厳しく管理される中国メディアが、当局側と激しく対立するのは極めて異例。広州市にある同紙本社ビル周辺には市民数百人が集まり、「言論の自由を」と書いた紙などを手に、同紙を支持している。これが更に拡大する様相を帯びてきたが、当然当局は黙認するわけもない。命がけの抗議だが余程これまでの検閲が腹に据えかねているということだろう。内実はアプリオリの権力独占への根本的な異議申し立てなのだ。 
  何らかの抗議活動は全土で一年に18万件起きているというが、最近はこの件数発表を止めてしまった。中国の社会で大きな地辷りが起きている。しかし、この政権にとって思想や信条の自由化などそもそもあり得ない。それは彼等にとって権力の座から転落を意味するからだ。天安門事件では、権力が危うくなった時、人民解放軍を使って銃口を国民に向けることを見せつけた。事件再来は彼等の繰り返したくない悪夢だが、やるときはやるのだろう。

2013年1月8日火曜日

函館通信198・・・会津・・・仁兵衛

 会津が出てきたので懐かしさが先に立ってわなわなしている。
 クレハには会津工業高校出身者が多い。同い年で仕事の仲間にも水泳とスキーの上手い会津っぽがいた。優秀な技術者だったが酒が好きで強く五十三才で脳溢血で逝ってしまった。親類が猪苗代国際スキー場で民宿をやっていたので冬には随分お世話になった。
 彼曰く、高校の修学旅行まで海を見たことがなかった。猪苗代湖より海は大きくは無いと思っていたと。それがいわきの海を前にしてこれがアメリカまで繋がっているのかと感心したそうだ。戊辰戦争に負けて多くの会津人が津軽や北海道に移住させられ厳しい生活を余儀なくされたそうだが太平洋戦争が終るまで会津の娘は絶対に薩長には嫁に出さないと固く守っていたとも聞いている。
 会津といっても会津若松は本当に米どころで酒が旨いが雪は2メートルまではなかなか達しない。しかし少し山に入ると3~5メートルの雪が毎年の事になる。浜通りのいわきとは雲泥の差だ。まあそんな事からも今回の会津女性の生き方のひとつをドラマから見てみたいと思っている。

2013年1月7日月曜日

re:若干の思い出・・・褌子

    猫跨ぎ家は小澤征爾家と細いつながりがあるんだね。
  昨日の晩、NHKの大河ドラマ『八重の桜』をみた。会津藩の悲劇からはじまるものがたりだ。
  会津藩の物語には早乙女貢『会津士魂』という大作があるが、私は読んだことがない。司馬遼太郎『覇王の家』も会津由来の小説だ。
  先日、石光真人『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(中公新書)のことを猫跨ぎさんの句評によせて少しふれた。この新書版には四十年ぶりに出会ったので懐かしくなって神田の古本屋で百円で買ってしまったのだ。
  まだ私が日本曹達という会社にいた29才のころ、大熊さんという会津出身の定年間際のおじさんに借りて読んで深い印象を残した。
  この大熊さんは、徳川秀忠の息子保科正之を藩祖とする葵の御紋の会津藩が薩摩のイモ侍どもになんであんなひどい目にあわされるんだと年中悲憤慷慨しており、私がお気持ちわかりますと適当に相づちうって宴会では酌していたのですっかり気にいれられてしまった。ご先祖が会津士族だったらしい。退職してからも会津に遊びに来いと毎年、年賀状がきていたが、とうとう行かずに終わった。生きていればとっくに百歳こえているから、鬼籍に入っていることだろう。もう一度会えるものなら銘酒「会津誉」で一献かたむけたかったなあといまになって懐古している。

若干の思い出・・・猫跨ぎ

  小澤征爾について若干の思い出話。兄の小澤俊夫さんはドイツ文学者でのちにグリム童話や民話研究で知られた人。仙台の大学でドイツ語教師をしていたおり、北海道旅行の途中に教え子である姉を訪ねて我が家に来たことがあった。たしか小生、中学二年の時で、英語をちょっと教えて貰った記憶がある。真っ赤なシャツを着ていたのを思い出す。
  満州で父親は歯科医だったが、同時に民族主義者で活発に活動していたらしい。板垣征四郎、石原完爾とは縁が深い訳だ。何かの抗争あとか、太腿にナイフで刺された傷跡があったという。
俊夫氏は大学でコーラス部の顧問をしており、あるとき、まだ無名だった小澤征爾氏が来て、指揮をしてくれたらしい。兄とは全然ちがう指揮、指導に一同感服したとか。

征爾と春樹・・・・褌子

村上春樹の「小澤征爾さんと音楽について話をする」とは豪華な本だね。読んでみたい。
村上春樹は有名すぎて全く読んだことがない。近所の青年に「ノルウエーの森」も読んでないんですか?」とかいわれている。村上は原発はだめですと発言している。村上は中国の青年にも人気ナンバーワンの作家だそうだ。
小澤征爾の征爾は板垣征四郎と石原完爾の名前から満鉄時代のおやじさんが一字づつとって命名したものだそうだ。
小澤征爾についてはそんなことしか知らないが、テレビでみても実にいい顔しているね。小沢の芸術があの顔をつくったのか。
旧満州からの引き揚げ者には山田洋次とか森繁久弥とか多士済々。過酷な引き揚げ体験が彼らの人生観にも影響しているのだろう。

2013年1月6日日曜日

音楽の本・・・猫跨ぎ

  音楽の本で去年読んで面白かったのは、「小澤征爾さんと音楽について話をする」(小澤征爾・村上春樹;新潮社)。対談集だが、村上春樹が理解しやすく一貫性を持たせ書き下ろしている。小澤征爾は活字の人ではないので、これまで音楽のことについての著作はないはず。村上春樹の玄人顔負けの音楽通には舌を巻くが、それにしても巧みに話を引き出していると感心する。カラヤンやバースタインなどへの師事の様子、思い出話、名だたる演奏家との交流、世界各地の交響楽団との演奏活動などが語られ、実に興味深い。
  印象に残ったのは、演奏会の前にスコア(楽譜)を微に入り細にわたって徹底的に読む作業を行っていると言うことだ。音楽を理解するには材料はそれしかないわけだから当たり前かもしれないが。勿論それは全部頭に入るわけだから、我々の想像を越えているのではあるが。幾つか協奏曲、交響曲について詳しく語られる―とはいえ、こちらは何となく判ると言うしかないが。
それから、この人の何というかニコニコと屈託なく相手とうち解ける、すぐ旧知の間柄になってしまうような人柄だろうね。これもまあ天才的だ。とはいえ、N響との相克はあまり詳しく語られていない。

2013年1月5日土曜日

音楽と文学・・・褌子

  正月も終わった。
  城山三郎の短編集『硫黄島に死す』を読んだ。
 城山三郎は海軍の少年兵として17才で敗戦を迎えた。
 すぐれた短編の数々に、少年兵達が毎日のように上官に殴られながら祖国の勝利を信じて空腹に耐えながら訓練に励む姿が描かれている。14才の少年兵がグラマンに襲われて死んでいく姿に思わず涙してしまった。
 うちの孫も14才だ。
 城山三郎は、第一次安倍内閣の教育基本法改悪、個人情報法保護法などが言論統制、軍国教育への道につながると訴えながら亡くなったが、憲法九条改定までもくろむ現安倍内閣に対して城山が生きていたら激しく警鐘乱打することだろう。
 ―――――話はかわるが「しんぶん赤旗」で作曲家の池辺晋一郎と作家の高樹のぶ子が音楽と文学の関係について新春対談している。私は九州の熊さんと違って音楽に関する造詣はゼロなんだが以下のくだりが面白いと思った。
・・・・
  高樹「私は音楽と文学にすごく共通項を感じていて、でも音楽の素晴らしさを文学で表すのはとても難しいです」
  池辺「音楽は抽象的ですものね」
  高樹「私は、音楽の3要素であるメロディとハーモニーとリズムを小説に置き換えていくんです。メロディは小説のストーリー、ハーモニーはテーマ、リズムというのは文章なんですね。文章が音楽的かどうかというのが、私にとってはすごく大事なことなんです」
  池辺「僕はハーモニーというのは、文学作品の登場人物の関係だという気もします。人物の相関図が緊密だったり疎遠だったり、ググッと集約されたり…」
  高樹「ああ、そうかもしれない」
  池辺「僕は作曲を学んでいる学生に、無責任な音を書くなと言うんです。音も小説や戯曲の人物と同じで、ストーリーの中でちゃんと動かしてやらないといけないんですね」…
 …音楽の三要素の意味もよくわかっていない自分だが、何となく今年は高樹のぶ子の作品『マルセル』など読んでみたくなった。

2013年1月2日水曜日

明けて二日・・・猫跨ぎ

  明けましておめでとうございます。穏やかな三が日。息子一家が大晦日から来訪中だったが、子供から大人まで風邪引きが順繰りにきてたらしく、昨日は朝から息子本人が寝込んでしまった。いやはや。それでも孫を連れて近くの小さな香取神社に初詣。子供の家庭内運動会もそれなりの正月風景。一行も今日午前、慌ただしく帰途に。そしていつもの日常が戻った。
  Evernoteねえ。そういうものがあるんだね。何処からでもアクセス自由で、容量大、低料金。そんなものがあればとは漠然と思っていたが、実現するもんだねえ。今となっては特に必要としないが、現役の人たちは魅力的だろうね。しかし秘密保持の点はどうか。そんなことを気にする向きは、ま、やらんだろうが。
しかし褌子氏はこういうものに鼻が利くね。その昔、ipodのはしりの頃か、電車の中で柄にもなくイヤホンを耳にしていたが。そういえば熊野旅行の際、携帯型のキーボードを出して何やら打ち込んでいたが、あれその後どうなったかな。見るからにすぐ廃れそうなツールと見たけど。つまり全部、iphoneに集約されたのかな。
めまぐるしい時の流れをdog yearと言っていたが、そんな言葉も古いねえ。
 とにかく世の中変化が速い。全部個別的、各論的に機能化して、アバウトな考えは置いて行かれる。政治もそれが良しとされるが、何やら危なっかしいなあ。
今年は古書や古典に親しみながら、俳句などぼそぼそと作っていこう。まあそんなとこだね。そうだ、連句をやるつもり。これは目標の一つだ。

Evernote・・・褌子

おめでとうございます。
2013年になった。
今年の初発言である。
きのう元日は年越しの年賀状書きで寝坊したので、今朝は孫たちと2日目の日の出をみてきた。九十九里浜のかなた水平線に少し雲があって六時五十分ごろに太陽がでてきた。
ITに関する年頭の抱負だが、今年はEvernoteというものをつかってみたいと思っている。もう使っている人いたらよろしくご指導を。
自分のパソコン、携帯、カメラ映像など全ての情報がインターネット上の Evernoteに保存される。それをいつでもどこからでも瞬時に検索で取り出せるのである。むろん、Horohorokaiの過去ログもでてくる。つまり、あれ?どこにしまったんだろう?、たしかこんなことがあったがどうしても思い出せないということがなくなる。えーとえーと、あのひとの名前なんだっけ、が無くなるのだ。激しく忘却のかなたに消え去ってゆく記憶の完璧な再生機(おおげさな!)。まだ使ってないけど便利そう。
もっとも、もともと記憶してないもの、保存してないものはとりだせない。そりゃあ当たり前だ。Evernoteもみることをわすれたらもうだめね。おーい!おれのフンドシどこだっけ…なんてのはEvernoteでも無理なのはいうまでもない。(いやフンドシをしまうとき写真撮ってEvernoteにおくっておけば大丈夫かも)
追記:
たとえば切り抜きしておきたいような新聞記事「アイヌ民族のルーツわかる」があったとする。携帯でパチリと撮影しEvernoteに送ると、自動的に写真画像の活字をスキャンして、テキスト化してくれる。後日、どのパソコンでも携帯でもインターネットにつながっていればアイヌとかルーツと打ち込んで検索すれば、その記事が瞬時にでてくるというわけ。読書案内欄とか電気器具の取扱説明書とか、過去の年賀状や名刺、同級生の名簿、時刻表、行きたい温泉パンフとか映画チラシとかパチリとやってEvernoteに送っておくと後で便利そうだなあ。