年を取ると短気になるということはよく言われるが、ほんとかね。 おいらの実感では、年を取るほど気が長くなって、あくせくしなくなるのだが。 とにかく怒るというのは、からだには悪いし、むしろ怒っている人をみると好奇心がわいてきて、この怒りはどうしておこっているのか、と人間観察したくなる。とにかくある種の防衛反応なのだろうし、絶対的な正当性に支えられた怒りなんて、実はあんまりない。そういうわけで、この10年くらい怒った記憶がないのだ。 怒られそうになったら、さっさと撤退する。ガソリンの前でマッチをすって爆発したら、ガソリンが悪いのではない、マッチすったやつがばかなのである。
ひとはものがたりを生きている。ほんとにそう思う。そういったら、前に何いってんだかよくわからんと、お師匠にいわれたなあ。ものがたりとは、一言でいえば、その人の過去にその人が体験した諸事実の中で一番重要と思われる主観的事実を時系列にそってならべたものである。したがって、同じような時空間を体験してきても、その瞬間にその人が感じている主観的事実、その中でもその人にもっともかかわりのあった主観的事実はみんな違うのだから、結果としてものがたりはひとによってみんな違う。当然のことだが。 そしてものがたりは重要なことだが、客観的真実をかたっているわけではない。(つまり科学の世界の話ではない。) ついでにいうと、ツルネーゲフの小品「ハムレットとドンキホーテ」は、高校の国語の教科書にも使われた傑作なのだが、ものがたり論の立場から読むと非常に面白い。 ハムレットというものがたりとドンキホーテというものがたり。 で、もしもふたりがであったとしたらどうなるのだろう。はっきりしているのはハムレットはドンキホーテを批判できないし、ドンキホーテもハムレットを攻撃はできないだろうということである。主観的なもののぶつかりあいだからな。
お師匠と褌子の議論、非常に面白いのだが、論争はおいらからみると一種のものがたりの食い違いにみえる面がある。 もちろんおいらたちの物語は、同時代を生きてきたものとして相当の部分が一致しているのは当然だが、くいちがいがあるのはあたり前だろう。たとえば中国の評価についていうと、お師匠とおいらはやはり相当ちがう。国際情勢や中国論の議論の出発点におけるおいらのものがたりの光景は何かというと、満州帝国の高級官僚として中国侵略の日本帝国主義の手先になり、戦犯になるかもしれないものを地下に潜行してかえってきたおやじであり、静岡大空襲のさなかにおふくろの背中におぶさって炎の中を逃げたおいらの人生最初の記憶である。そして、たくさん死んで何もなくなった時、ジョンダワーがいったように日本人は敗北をだきしめたのではなかったか。それは、同時においらにとっては「先生、天皇って何? 国の象徴ってどういうこと?」と聞いた小学校4年のおいらに「学校のバッジみたいなものだよ」と教えてくれた先生、それは鮮明な記憶だったが、そのような戦後民主主義教育のかがやきだった。 おいらはそのかがやきの子であることにひそかな誇りをもっている。 つまりあの時、日本人は、敗北をだきしめながら一種の夢を見ようとしていたのかもしれない。そしてその夢は深く日本人の血液の中に沈潜した。おいらもまたその夢からさめてはいないのかもしれない。
だが、夢は夢である。戦後70年のあゆみは夢をすてて、現実論が拡大するすじみちでもあった。それは一面では、われわれにはある種の敗北でもある。老人の役割は、若者に対して厳しい現実を教えることだという人がいる。しかしほんとにそうだろうか。若者はわれわれ以上に厳しい現実に直面しているのである。 そうではない。老人の役割は、厳しい現実を超えて、希望の歌をかたることではないのか。しかし希望を語る老人がいなくなった。夢とは現実から遊離した空想だが、現実に立脚して夢をかたるとき、それは希望になる。それこそが老人の役割なのだが、そういう人が少なくなった。 愚痴と文句の老人はみっともない。そういうのは墓場にもっていきたい。
お二人の議論を聞いていての感想をのべたいが、通院の時間になった。また続きを書く。とりあえずパート1おわり。
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