2013年1月23日水曜日

ものがたり論・・・猫跨ぎ

  まあ、怒った振りをしている、が正確なところだね。閑人の大いなる娯楽ではないか。
以前から貴兄は「ものがたり」を多用されるが、失礼ながらいまいち格別必要なtermとも思われぬが。個個の人生観、社会観、価値観はそれぞれバラエティがあるのは当然のことではないか。それぞれの経験のありように大きく依存する。個個の経験のほかに、勿論その時代のあまねく共通の観念はあり、不可避的に影響を受けることも付け加えておこう。その影響の受け方も多様だ。多様な意見が衝突し、切り結び、また影響を与え合う。離合集散する。それが人の世だろう。個々がそれぞれの立場、考えで人生をわたっていく―それがものがたりというならその通りだろうが、改めてStoryと名付ける意味合いがよく判らない。
科学的じゃないと大上段に振り下ろす程のことでもあるまい。科学は或る理想空間であって、それは人間が住まう処とちと違う。人生の諸場面で「正しい」とは科学的に「正しい」とは全然意味合いが違う。
  中国の認識が小生と大いに違うというのでどう違うかと思いきや、話が幼児体験に移って、そっちのものがたりに行ってしまった。話を分けてほしいね。歴史を遡るのは重要だが、今のありようも大事だ。あえて中国の立場に立てば、近代の蹂躙された歴史からまだ本来の姿に戻っていないということだろう。その辺の基本認識がよく判らない。何れにせよ今の秩序と言うものがあり、周辺諸国はそれを前提に生きている。いまのやり方は一方的で極めて乱暴だ。だからイスラエルを連想させると言ったのだ。強大な国力を身につけたのだから穏やかにやって貰いたいものだ。
 若者に夢を語る部分はその通りではないか。それを否定する印象を与えたとすれば、はなはだ心外だ。

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