2013年1月8日火曜日

函館通信198・・・会津・・・仁兵衛

 会津が出てきたので懐かしさが先に立ってわなわなしている。
 クレハには会津工業高校出身者が多い。同い年で仕事の仲間にも水泳とスキーの上手い会津っぽがいた。優秀な技術者だったが酒が好きで強く五十三才で脳溢血で逝ってしまった。親類が猪苗代国際スキー場で民宿をやっていたので冬には随分お世話になった。
 彼曰く、高校の修学旅行まで海を見たことがなかった。猪苗代湖より海は大きくは無いと思っていたと。それがいわきの海を前にしてこれがアメリカまで繋がっているのかと感心したそうだ。戊辰戦争に負けて多くの会津人が津軽や北海道に移住させられ厳しい生活を余儀なくされたそうだが太平洋戦争が終るまで会津の娘は絶対に薩長には嫁に出さないと固く守っていたとも聞いている。
 会津といっても会津若松は本当に米どころで酒が旨いが雪は2メートルまではなかなか達しない。しかし少し山に入ると3~5メートルの雪が毎年の事になる。浜通りのいわきとは雲泥の差だ。まあそんな事からも今回の会津女性の生き方のひとつをドラマから見てみたいと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿