奥能登といえば松本清張『ゼロの焦点』
前任地での仕事の引継ぎに行って来るといったまま新婚一週間で失踪した夫、鵜原憲一のゆくえを求めて北陸の灰色の空の下を尋ね歩く禎子。ようやく手がかりを掴んだ時、“自殺”として処理されていた夫の姓は曾根であった! 夫の陰の生活がわかるにつれ ..
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金沢生まれといえば泉鏡花。
『高野聖』
飛騨から信州に抜ける深山幽谷の間道。ここでおきた怪異な体験。
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いま壬申の乱を描いた黒岩重吾『天の川の太陽』を読んでいる。
663年、百済救援の倭軍が白村江で新羅と唐の連合軍に大敗し、天智天皇(中大兄皇子)と大海人皇子の兄弟の間に起こる軋轢が壬申の乱(672年)という古代日本最大の内乱を誘発していく。(新羅の王女を母とする桓武天皇が平安遷都をなしとげ、坂上田村麻呂が蝦夷の長アテルイを降伏させたのは壬申の乱より130年後のあとのこと)
こういうのを読んでいるとまた飛鳥に行きたくなった。百済人が大挙して亡命してきた近江でもよい。百済寺の巨大な草鞋を思い出す。百済寺のはるか西方に百済の古都扶余、白馬江の河口白村江がある。
太宰府ちかくの水城も白村江敗北のあと大唐の来襲をおそれて大和朝廷がつくったもの。いまもその遺構が残っている。
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