2013年1月7日月曜日

re:若干の思い出・・・褌子

    猫跨ぎ家は小澤征爾家と細いつながりがあるんだね。
  昨日の晩、NHKの大河ドラマ『八重の桜』をみた。会津藩の悲劇からはじまるものがたりだ。
  会津藩の物語には早乙女貢『会津士魂』という大作があるが、私は読んだことがない。司馬遼太郎『覇王の家』も会津由来の小説だ。
  先日、石光真人『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』(中公新書)のことを猫跨ぎさんの句評によせて少しふれた。この新書版には四十年ぶりに出会ったので懐かしくなって神田の古本屋で百円で買ってしまったのだ。
  まだ私が日本曹達という会社にいた29才のころ、大熊さんという会津出身の定年間際のおじさんに借りて読んで深い印象を残した。
  この大熊さんは、徳川秀忠の息子保科正之を藩祖とする葵の御紋の会津藩が薩摩のイモ侍どもになんであんなひどい目にあわされるんだと年中悲憤慷慨しており、私がお気持ちわかりますと適当に相づちうって宴会では酌していたのですっかり気にいれられてしまった。ご先祖が会津士族だったらしい。退職してからも会津に遊びに来いと毎年、年賀状がきていたが、とうとう行かずに終わった。生きていればとっくに百歳こえているから、鬼籍に入っていることだろう。もう一度会えるものなら銘酒「会津誉」で一献かたむけたかったなあといまになって懐古している。

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