パナソニックの巨大赤字にも驚いたが、産業の米と言われた半導体まで沈没してしまった。80年代、我世の春とばかり世界を席巻していたのにと・・・、20年ぐらいの期間でこの凋落、平家物語の現代版を見ている感がする。かって、幸之助さんが「蛇口を捻ると水が出るような」という大量生産、大量消費の時代ではなくなってきているのに、相変わらず先代のやり方を踏襲してきたツケともいえる。
所で、80年前後、利口でも半導体事業に進出し大阪に工場を作ったことを思い出す。半導体ビジネスは工場をフルに稼動しないと儲からないだけに、自社用のカスタムLSIだけでは赤字が積もるだけだった。他社に売り込もうとしても大手家電メーカーのLSIには足元にも及ばず、四苦八苦していた時に、大阪のおもちゃ屋の任天堂なる会社がゲーム機用の半導体を作って欲しいと来た。大手の半導体メーカーは「花札の任天堂」かといって馬鹿にして相手にしてくれなかったという。利口でも当時の経営陣は「花札屋」がと言っていたが、少しでも工場が稼動すればと、それがその後のファミコンゲーム機として世界的ヒット商品になり、お陰で利口の半導体事業もフル操業になり、赤字から脱皮した。その後は大手の半導体メーカーも任天堂に日参したと言う。
新しい独創的なもの作る会社とは、大会社の技術者や企画マンなんかではなく、この任天堂やソニーの前身である、東京何とか会社で見るようにそのときの大手からは下位と見られ、蔑視された会社から生み出されるものかもしれない。
今日は本当は「ここに生きる」という熊さん出演の映画を見て、その後は「ここで今飲んでいる」と言う名目で褌子さんと楽しく歓談しようと思っていた。が、この大雪で酒を飲んで滑ってひっくり返ってもと思い断念した。褌子さんには悪い事をしてしまったが、これは天災というべきなのか、それとも危機管理に対する私の過剰安全意識と言うべきものだろうか???
2012年2月29日水曜日
2012年2月28日火曜日
re:記憶・・・ 褌子
サッポロビールの直売レストランが狸小路にありました。くみ取りのバキュームカーみたいなので真駒内からほやほやのまだ湯気の出ているナマを運んできた。。
これを蓋付き陶器で講座の真駒内スキーの帰りに飲んだ。うまかったなあ。凍っていた道でたしか星川さんという二講座の事務の女性のひとがスキーかついでいてころんだ。シクラメンの小鉢をかかえて逸徳さんが抜け駆け見舞いにいったが不調に終わったのは、このスキーでなく小樽天狗山のスキーで窈子さんが骨折したときだ。五本さん、大邦さん、西原さん、熊さんで無意根山にもスキーにいった。五本さんとふたりでおにぎり分けあって食べたなあ。
勉強したことはみんな忘れたのにどうでもいいことだけ覚えている。記憶って不思議だね。
右上の写真は中国十大寺のひとつ隆興寺の山門。このなかに紅衛兵に打ち首になった贋造仁王様がたくさん鎮座している。
これを蓋付き陶器で講座の真駒内スキーの帰りに飲んだ。うまかったなあ。凍っていた道でたしか星川さんという二講座の事務の女性のひとがスキーかついでいてころんだ。シクラメンの小鉢をかかえて逸徳さんが抜け駆け見舞いにいったが不調に終わったのは、このスキーでなく小樽天狗山のスキーで窈子さんが骨折したときだ。五本さん、大邦さん、西原さん、熊さんで無意根山にもスキーにいった。五本さんとふたりでおにぎり分けあって食べたなあ。
勉強したことはみんな忘れたのにどうでもいいことだけ覚えている。記憶って不思議だね。
右上の写真は中国十大寺のひとつ隆興寺の山門。このなかに紅衛兵に打ち首になった贋造仁王様がたくさん鎮座している。
記憶・・・猫跨ぎ
文化大革命にはインテリがころりと騙されたのが特徴だった。マスコミも正面切って批判していたのは極めて限られる。その最中、私の限られた体験で言うと、サッポロビールの広報誌に名前は失念したが、内情を暴いた批判記事を連載していた人がいた。へえと感心した記憶がある。後年一冊の文庫本になって出たから、評価する人はいたわけだ。ビール会社の広報誌も馬鹿に出来ない。
また懐旧談・・・ 褌子
猫跨ぎさんの猫が食欲改善し快方に向かうことを期待したい。
あんたら、君ら、貴方たち とか十把一絡げにひとを呼ぶ猫跨ぎさんのクセに気がついた。こっちもこういう事には頓着しないクセの持ち主。みないろんなクセがあるから面白いのだ。
10年くらい前の話だが、沙飛という日中戦争時の写真家の調査で中国にいったとき、保定というまちで隆興寺という中国十大寺のひとつに寄った。
煉瓦づくりの立派な山門のなかに十数メートルの閻魔様みたいな木造が両側にたくさん並んでいて、入来者をにらんでいる。日本の寺の仁王に相当するのかと、古い寺だからこれも由緒ある閻魔様なんだろうなあと眺めていたら、ガイドの張さんが私の耳に「ぜんぶ偽物です」とつぶやくのである。文革時に紅衛兵が閻魔様に綱をつけて引きづり出して打ち首、焼殺したので、これは模造品だという。大昔のホコリをかぶっているようにみえるがホコリも偽物か…と苦笑した。
当時の毛沢東にそそのかされて造反有理などと中国全土の文化財を破壊し武闘に発展した。これをまねして日本では全共闘があばれまわったが、あんな文化破壊運動をこれぞ革命だと若者たちに喝采を送った人たちも罪深い。
じつをいうと中川先生も当初、勘違いして文革に期待していたふしがあった。わたしは就職していたが、文革の正体を暴露する日本共産党などの文献をよく速達で送ったものだ。
あんたら、君ら、貴方たち とか十把一絡げにひとを呼ぶ猫跨ぎさんのクセに気がついた。こっちもこういう事には頓着しないクセの持ち主。みないろんなクセがあるから面白いのだ。
10年くらい前の話だが、沙飛という日中戦争時の写真家の調査で中国にいったとき、保定というまちで隆興寺という中国十大寺のひとつに寄った。
煉瓦づくりの立派な山門のなかに十数メートルの閻魔様みたいな木造が両側にたくさん並んでいて、入来者をにらんでいる。日本の寺の仁王に相当するのかと、古い寺だからこれも由緒ある閻魔様なんだろうなあと眺めていたら、ガイドの張さんが私の耳に「ぜんぶ偽物です」とつぶやくのである。文革時に紅衛兵が閻魔様に綱をつけて引きづり出して打ち首、焼殺したので、これは模造品だという。大昔のホコリをかぶっているようにみえるがホコリも偽物か…と苦笑した。
当時の毛沢東にそそのかされて造反有理などと中国全土の文化財を破壊し武闘に発展した。これをまねして日本では全共闘があばれまわったが、あんな文化破壊運動をこれぞ革命だと若者たちに喝采を送った人たちも罪深い。
じつをいうと中川先生も当初、勘違いして文革に期待していたふしがあった。わたしは就職していたが、文革の正体を暴露する日本共産党などの文献をよく速達で送ったものだ。
2012年2月27日月曜日
猫はいま・・・猫跨ぎ
猫は相変わらずで、偏食甚だしいがとりわけ寝込んでいる訳でもなく普通にしている。私が寝ていると布団の胸の上に来て我が顔をじっと見下ろしている。
まなうらに我が顔収め猫逝けり
などとならぬようにしてほしいものだ。
社会の下層の人々を記述した文学作品についてだが、万葉集には防人の別離を悲しむ歌を収録した東歌が有名。途中で行き倒れになった防人(実に多かったらしい)を悼む歌も多い。8世紀の続日本紀に、度重なる遷都に徴発されて、民衆が疲弊するのが尋常でないさまを記述している。これは官撰国史である。だから権力者がまったく無神経であった訳でもない。歴史の発展のしからしむところ次第に目覚めたと言っても、ずっと後年でも、明治政府はアイヌを「土人」と括って、土地を取り上げ漁業を奪った。子供の頃の西部劇ではインディアンは未開で野蛮でどうしようもない連中で、ジョンウェインなどはバンバン撃ち殺していた。所謂人扱いしたのは60年代からでないか。人権思想なんてあてにならない。
源氏物語に農民の苦労が出てこないといっても、谷崎の小説に出てこないのとどう違うのかな。時代が下ると文学も多様化、緻密化しいつまでも万葉の骨太の文学では満足しなくなる。色々ありで、個別に愉しんだほうが良いに決まっている。
文革さかんなころ中国の「人民中国」誌に、古代中国の出土した美術品の写真が掲載されていて、そのキャプションに「腐りきった権力者どもの愛用したもの」とあり、笑ってしまった。いつもいきり立っているのかいあんたらは、と思った。それはそれ、これはこれだろうが。
まなうらに我が顔収め猫逝けり
などとならぬようにしてほしいものだ。
社会の下層の人々を記述した文学作品についてだが、万葉集には防人の別離を悲しむ歌を収録した東歌が有名。途中で行き倒れになった防人(実に多かったらしい)を悼む歌も多い。8世紀の続日本紀に、度重なる遷都に徴発されて、民衆が疲弊するのが尋常でないさまを記述している。これは官撰国史である。だから権力者がまったく無神経であった訳でもない。歴史の発展のしからしむところ次第に目覚めたと言っても、ずっと後年でも、明治政府はアイヌを「土人」と括って、土地を取り上げ漁業を奪った。子供の頃の西部劇ではインディアンは未開で野蛮でどうしようもない連中で、ジョンウェインなどはバンバン撃ち殺していた。所謂人扱いしたのは60年代からでないか。人権思想なんてあてにならない。
源氏物語に農民の苦労が出てこないといっても、谷崎の小説に出てこないのとどう違うのかな。時代が下ると文学も多様化、緻密化しいつまでも万葉の骨太の文学では満足しなくなる。色々ありで、個別に愉しんだほうが良いに決まっている。
文革さかんなころ中国の「人民中国」誌に、古代中国の出土した美術品の写真が掲載されていて、そのキャプションに「腐りきった権力者どもの愛用したもの」とあり、笑ってしまった。いつもいきり立っているのかいあんたらは、と思った。それはそれ、これはこれだろうが。
『父の肖像』・・・・褌子
歴史的な文学、口承文学にでも現実に生きていた民衆の生活というものがどういう形で投影されてくるようになったのか、その歴史的な過程に興味をもっただけ、そんなに難しい話ではない。
いま読んでいる辻井喬『父の肖像』――これは面白い本だね。平家や源氏の世界よりもはるかに生々しくて面白い。
いぜん、成田書道美術館で文学講座みたいなものがあって、辻井喬の話をききにいったことがある。三四年まえのことだが猫跨ぎさんにもそのときばったり会ったことを覚えている。
辻井喬は「司馬遼太郎の『坂の上の雲』や海音寺潮五郎『西郷隆盛』などは面白い物語だが、あれは文学ではないと思う。私は文学といわれるものを書いてみたい」と講演したのが私には興味深く記憶に残った。
あのように講演したのは、平成19年に『父の肖像』を書きおえた直後だったのではないか。
すぐれた小説家は自分の父親堤康次郎のことをこんな風に観察して書けるものなのか。
いま読んでいる辻井喬『父の肖像』――これは面白い本だね。平家や源氏の世界よりもはるかに生々しくて面白い。
いぜん、成田書道美術館で文学講座みたいなものがあって、辻井喬の話をききにいったことがある。三四年まえのことだが猫跨ぎさんにもそのときばったり会ったことを覚えている。
辻井喬は「司馬遼太郎の『坂の上の雲』や海音寺潮五郎『西郷隆盛』などは面白い物語だが、あれは文学ではないと思う。私は文学といわれるものを書いてみたい」と講演したのが私には興味深く記憶に残った。
あのように講演したのは、平成19年に『父の肖像』を書きおえた直後だったのではないか。
すぐれた小説家は自分の父親堤康次郎のことをこんな風に観察して書けるものなのか。
あのねえ・・・・逸徳
いっていることはよくわかるが、それは豚に羽根がないから飛べない。ゆえに豚はだめであるといったような論理展開だぜ。平家物語の世界は、褌子氏のいうような作品が生まれるわけがない歴史的、時代的段階というか状況ではないかい。 平家物語はそういうものを描こうとしていないし、むしろ読み取るとしたら貴族社会から武家への歴史的転換の段階の物語ではないか。思い出したことがあるのは、アメリカが開拓されて、新世界の原住民の存在がヨーロッパに知られたころ、まじめにローマ教会は、あれは人間の部類にはいるかどうかという議論をしていたことがある。今考えると、バカみたいな話だが、人間の認識がそういう段階であったことの反映だろう。したがって現代から、それをけしからんといってもしょうがない。平家物語の面白いのは、「まろは何とかでおじゃる」などといっていた、貴族がぶっこわされて、武家というほぼ農民に近いがさつな連中が権力を争奪していくプロセスの物語ではないか。これも一種の革命の話なのだ。 この物語の作者はいない。琵琶法師たちが、民衆との交流の中から育てていったものだろう。ことほどさように歴史的転換期には物語が生まれるのである。 それにさ。やっぱり日本語がいい。
それを楽しんだほうがいいと思うよ。
。
それを楽しんだほうがいいと思うよ。
。
RE:平家物語・・・・褌子
平家物語を読んで(吉村昭の現代語訳版だが)感じたのは、民百姓のたの字もでてこないこと。「世間のひとはあざけり笑った…」などは出てくるがこれは京雀であって、貴族や武士を喰わせている農民ではない。それどころか夜襲にそなえて暗いなあと「大松明」といってそこらの農民の家に放火をしてまわっているが、慚愧の表現はまったくない。
(もっとも吉川英治の「新平家物語」では狂言回しのように京のまちの「町民」の老夫婦が源平の栄枯盛衰を眺めているが作者の創作だろう)
日本書紀は麻の衣服作りや養蚕の話がでてくるのに注目して読んだし、万葉集にも防人に徴兵された農民の姿がたくさんでてくる。
ところが源氏物語にも枕草子にも貴族社会の花鳥風月と色恋沙汰ばかりで、毎日喰わせてもらっている農民の話はでてこない(と思う)。律令制体制で農民は文字通り奴隷で人間ではなかったということだろう。
近代文学になると森鴎外「山椒大夫」にはそんな風景がでてくる。
手塚治虫の「火の鳥」は古代が奴隷制社会だったことをふまえて長大な物語をすすめている。
今昔物語や浦島太郎、桃太郎のように農民漁民たちが生き生きと文学に登場するのはいつごろからか。農民のなかから勃興する武士団が成立する封建時代にはむろん登場することになる。
映画では「七人の侍」も「雨月物語」もともに戦国時代のはなしだ。
(もっとも吉川英治の「新平家物語」では狂言回しのように京のまちの「町民」の老夫婦が源平の栄枯盛衰を眺めているが作者の創作だろう)
日本書紀は麻の衣服作りや養蚕の話がでてくるのに注目して読んだし、万葉集にも防人に徴兵された農民の姿がたくさんでてくる。
ところが源氏物語にも枕草子にも貴族社会の花鳥風月と色恋沙汰ばかりで、毎日喰わせてもらっている農民の話はでてこない(と思う)。律令制体制で農民は文字通り奴隷で人間ではなかったということだろう。
近代文学になると森鴎外「山椒大夫」にはそんな風景がでてくる。
手塚治虫の「火の鳥」は古代が奴隷制社会だったことをふまえて長大な物語をすすめている。
今昔物語や浦島太郎、桃太郎のように農民漁民たちが生き生きと文学に登場するのはいつごろからか。農民のなかから勃興する武士団が成立する封建時代にはむろん登場することになる。
映画では「七人の侍」も「雨月物語」もともに戦国時代のはなしだ。
平家物語・・・・逸徳
お師匠。16歳の愛猫とは、またすごい高齢ではありませぬか。お見舞い申し上げます。おそらくそこまで生きていると、自分が猫という自覚がなくなるかもしれず、まあご心配とは思いますが、面倒みてあげてください。
平家物語か。懐かしいなあ。高校時代の古典の授業で、一番感動した作品です。源氏物語なんか、全然面白くなかった。テストのとき、問題が配られて、出題されている古典作品の原文の最後を見ると、出典が出ているのだが、最初にそこを見て源氏物語とでていると、とたんに戦闘意欲がなえてしまい、やる気がなくなったのを覚えている。何がいいんだか、今でも面白くない。まあ、王様ははだかだ、と叫んだ少年の気分で。何がいいんだっと叫んでおこう。
平家物語である。まず、高校生のおいらでも感動したのはそのリズム感ある日本語の美しさだった。和漢混交文というのかな、リズムがあるので非常に覚えやすく、福原落ちなんかすぐ暗記できてしまった。「昨日は東関のふもとにくつばみをならべて十万余騎、今日は西海の波に艫綱をといて七千余人・・・・」ではじまる名文はどなたもご記憶がおありではないか。こういう日本語を生み出したのは、日本の誇りと、ひそかにその当時純朴な愛国少年は、心の中で思ったのである。
さらに、もうひとつあげたいのが色彩的表現の豊かさだ。那須の与一の場面なんか、色を再現してみるとまさに総天然色(古いっ)・・・・ いつか一度、本物の琵琶法師の語る平家物語を聞いてみたい。平家はいい。あれはいい。とにかく今でも胸ときめくぐらいすき。
で、この数日やや暖かくなった。梅が満開。
ここでクイズ いはめ
た
これなんと読むか。答え 「梅は咲いたか」(右めは左いた下」・・・・おそまつ。
先日、長崎であった友人から長崎名物の角煮まんじゅうが送られてきた。うむ、もつべきものは友。それもものくれる友といったのは、枕草子だったかなあ。よろこんで、さっそくチンしてひとつたべたら、そんなにすぐたべないでもと家人にぐちぐちいわれた。うるせえ、そんなに先はながくないんだ。今のうちにうまいものくってなにがわるい、と心の中でつぶやきながら食べた。長崎は静岡より5度ぐらい寒い。こんな漢詩を思い出だした。ああ、桜はまだかいな。
「聞くならく 彼の地未だ 雪深しと せめて君におくる 江南一枝の春」
平家物語か。懐かしいなあ。高校時代の古典の授業で、一番感動した作品です。源氏物語なんか、全然面白くなかった。テストのとき、問題が配られて、出題されている古典作品の原文の最後を見ると、出典が出ているのだが、最初にそこを見て源氏物語とでていると、とたんに戦闘意欲がなえてしまい、やる気がなくなったのを覚えている。何がいいんだか、今でも面白くない。まあ、王様ははだかだ、と叫んだ少年の気分で。何がいいんだっと叫んでおこう。
平家物語である。まず、高校生のおいらでも感動したのはそのリズム感ある日本語の美しさだった。和漢混交文というのかな、リズムがあるので非常に覚えやすく、福原落ちなんかすぐ暗記できてしまった。「昨日は東関のふもとにくつばみをならべて十万余騎、今日は西海の波に艫綱をといて七千余人・・・・」ではじまる名文はどなたもご記憶がおありではないか。こういう日本語を生み出したのは、日本の誇りと、ひそかにその当時純朴な愛国少年は、心の中で思ったのである。
さらに、もうひとつあげたいのが色彩的表現の豊かさだ。那須の与一の場面なんか、色を再現してみるとまさに総天然色(古いっ)・・・・ いつか一度、本物の琵琶法師の語る平家物語を聞いてみたい。平家はいい。あれはいい。とにかく今でも胸ときめくぐらいすき。
で、この数日やや暖かくなった。梅が満開。
ここでクイズ いはめ
た
これなんと読むか。答え 「梅は咲いたか」(右めは左いた下」・・・・おそまつ。
先日、長崎であった友人から長崎名物の角煮まんじゅうが送られてきた。うむ、もつべきものは友。それもものくれる友といったのは、枕草子だったかなあ。よろこんで、さっそくチンしてひとつたべたら、そんなにすぐたべないでもと家人にぐちぐちいわれた。うるせえ、そんなに先はながくないんだ。今のうちにうまいものくってなにがわるい、と心の中でつぶやきながら食べた。長崎は静岡より5度ぐらい寒い。こんな漢詩を思い出だした。ああ、桜はまだかいな。
「聞くならく 彼の地未だ 雪深しと せめて君におくる 江南一枝の春」
2012年2月25日土曜日
RE:昼酒は適度に・・・褌子
昼酒は適度に と貴重なご忠告ありがとうございます。
だんだん本音で言いにくいことをずばり忠告をして下さる人がまわりから減ってきた。
感謝せねばならない。
しかし温泉につかって朝から飲む酒ほどうまいものはないし、人があくせく仕事をしているときに昼から飲む酒ほど愉快な ものはない。内気な性格なもんで、ふだん遠慮していえないことも書けないことも、酒を飲むと出来るようになるのは不思議だね。 Wine in, truth out. というがどうしてだろう
だんだん本音で言いにくいことをずばり忠告をして下さる人がまわりから減ってきた。
感謝せねばならない。
しかし温泉につかって朝から飲む酒ほどうまいものはないし、人があくせく仕事をしているときに昼から飲む酒ほど愉快な ものはない。内気な性格なもんで、ふだん遠慮していえないことも書けないことも、酒を飲むと出来るようになるのは不思議だね。 Wine in, truth out. というがどうしてだろう
2012年2月24日金曜日
昼酒は適度に・・・猫跨ぎ
いささか忙殺されていた。これでも色々あるのだ。その上、御歳16歳の猫がさっぱり食わなくなった。このままでは死ぬので病院にいくは、猫餌をあの手この手のこの頃。思いついてさっき息子の土産の仙台笹蒲鉾を千切って与えると珍しそうに食べる。おお愁眉を開いたか。さて明日になるとどうかな。
熊さんの映画は当日別件でだめ。ひる日なたから酒はまあ適度がよろしかろう。
相変わらず難しい話を提起されたが、いずれまた。
熊さんの映画は当日別件でだめ。ひる日なたから酒はまあ適度がよろしかろう。
相変わらず難しい話を提起されたが、いずれまた。
平家物語・・・・褌子
『吉村昭の平家物語』を読んだ。原典で読むには英語も古文も全く非力で『古事記』も『日本書紀』も福永武彦の現代語訳で安直にすませている。
『平家物語』原本が生まれたのは鎌倉幕府成立のあと1200年代前半らしい。盛者必衰の仏教的因果応報で全篇が貫かれていて優れた叙事詩的雰囲気がある。作者はよほど清盛が嫌いらしく、頼朝にも猜疑心が強いと手厳しい。むろん義経びいきで日本人の判官贔屓(ほうがんびいき)がここからはじまった。
仏の教えがすたれたとする「末法」は日本では1052年(永承7)に入ったとされるので、壇ノ浦での平家滅亡1185年はまさに末法思想の体現ということになる。
こういう仏教的無常観は八世紀はじめの古事記や日本書紀にはありようがない。あまり読んだことがないが、5世紀から8世紀の古代律令制盛期の万葉集にもないはず。
平安中期の源氏物語や枕草子はまさに貴族的「もののあわれ」の世界で仏教的無常観はまだ色濃くないのではないか。(ちゃんと読んだことないからこれも推量だが)
ところが平家滅亡から二十数年しかたっていない鎌倉初期の方丈記(1212)となると例の「ゆくかわのみずは」からはじまり全篇、仏教的無常観で貫かれている。時代的にもこのあとから『平家物語』が作者不詳だがだんだんと完成されていったとされている。
いっぽう、徒然草は、方丈記の百年後の1311年に生まれた。頼朝の鎌倉幕府成立後、承久の乱で北條氏が天皇中心の貴族社会を実力で打倒するなど、まさに武家による封建時代確立の時期である。徒然草には思索的随想、するどい現実社会の見聞などが、「つれづれなるままに」に記され、随筆文学の傑作といわれている。ここには末法思想も仏教的輪廻思想も影をひそめていると思うがどうであろうか。
「なんでも恥ずかしからず人のまえで発表すればいいのだ。そうするといつのまにやらそれなりに上達するのだ」という兼好法師の至言を力にこんな知ったかぶりを書いてしまったが。至言を紹介して下さった猫跨ぎさんならここいらへんも詳しそうなのでご教示いただければありがたい。
『平家物語』原本が生まれたのは鎌倉幕府成立のあと1200年代前半らしい。盛者必衰の仏教的因果応報で全篇が貫かれていて優れた叙事詩的雰囲気がある。作者はよほど清盛が嫌いらしく、頼朝にも猜疑心が強いと手厳しい。むろん義経びいきで日本人の判官贔屓(ほうがんびいき)がここからはじまった。
仏の教えがすたれたとする「末法」は日本では1052年(永承7)に入ったとされるので、壇ノ浦での平家滅亡1185年はまさに末法思想の体現ということになる。
こういう仏教的無常観は八世紀はじめの古事記や日本書紀にはありようがない。あまり読んだことがないが、5世紀から8世紀の古代律令制盛期の万葉集にもないはず。
平安中期の源氏物語や枕草子はまさに貴族的「もののあわれ」の世界で仏教的無常観はまだ色濃くないのではないか。(ちゃんと読んだことないからこれも推量だが)
ところが平家滅亡から二十数年しかたっていない鎌倉初期の方丈記(1212)となると例の「ゆくかわのみずは」からはじまり全篇、仏教的無常観で貫かれている。時代的にもこのあとから『平家物語』が作者不詳だがだんだんと完成されていったとされている。
いっぽう、徒然草は、方丈記の百年後の1311年に生まれた。頼朝の鎌倉幕府成立後、承久の乱で北條氏が天皇中心の貴族社会を実力で打倒するなど、まさに武家による封建時代確立の時期である。徒然草には思索的随想、するどい現実社会の見聞などが、「つれづれなるままに」に記され、随筆文学の傑作といわれている。ここには末法思想も仏教的輪廻思想も影をひそめていると思うがどうであろうか。
「なんでも恥ずかしからず人のまえで発表すればいいのだ。そうするといつのまにやらそれなりに上達するのだ」という兼好法師の至言を力にこんな知ったかぶりを書いてしまったが。至言を紹介して下さった猫跨ぎさんならここいらへんも詳しそうなのでご教示いただければありがたい。
2012年2月23日木曜日
熊さん出演の映画『ここに生きる』・・・・褌子
2月29日(水)午後3時から九州の熊さん出演(主演ではなさそうだが)の映画『ここに生きる』の鑑賞会を中野ゼロホールで行う。最寄り駅JR中央線中野駅南口徒歩8分。
なお、国兼さんのたっての希望で映画鑑賞後の飲み会が、映画合評会の名目で開催されるのでご都合のつく人は午後2時45分頃、中野ゼロホールの玄関に集合されたし。ああ楽しみだね
もうひとつ、津波で壊滅した宮城県の牡鹿半島(おしかはんとう)に4月24~27日に三泊四日でいってきます。新宿jからバスがでています。養殖ワカメ収穫の最盛期はすぎているのでお手伝いよりも、あっちこっち女川原発などを見て回るほうが中心になるかもしれない。希望者がいたら連絡を待つ。
なお、国兼さんのたっての希望で映画鑑賞後の飲み会が、映画合評会の名目で開催されるのでご都合のつく人は午後2時45分頃、中野ゼロホールの玄関に集合されたし。ああ楽しみだね
もうひとつ、津波で壊滅した宮城県の牡鹿半島(おしかはんとう)に4月24~27日に三泊四日でいってきます。新宿jからバスがでています。養殖ワカメ収穫の最盛期はすぎているのでお手伝いよりも、あっちこっち女川原発などを見て回るほうが中心になるかもしれない。希望者がいたら連絡を待つ。
2012年2月21日火曜日
きょうはいい天気だが・・・・褌子
きょうは三月上旬といういい天気になった。
テレビは妻子を殺害された光市の本村さんの「こんな犯罪がおきたときに私たちはみな敗北したんです」という発言を伝えている。
さらに、NHKテレビは埼玉で親子三人の餓死事件を詳細に報道。天皇夫妻はこのニュースをみているだろうか。
さて、天皇制や中川先生の思い出などは、こたつに寝転んではとても書けないので、すこし息抜きしたい。
『銃・病原菌・鉄』にすこし倦いたので古本屋で『吉村昭の平家物語』、辻井喬『父の肖像』(西武の総帥の父を赤裸々に描いた)、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』『少将滋幹の母』、城山三郎『硫黄島に死す』など買ってきた。中学生になった孫には手塚治虫『ブラックジャック』全13巻も。
山田風太郎『人間臨終図巻』全三巻も買ってしまった。
古今東西の有名人数百人の臨終模様と、ひととなりを例の博覧強記ぶりで書いている。第一番目が一五才で死んだ八百屋お七。次が大石主税、アンネフランク、森蘭丸、藤村操、天草四郎、山口二矢、ジャンヌダルクとつづく。三巻目のおわりが天海僧都、平櫛田中、大西良慶、いちばん最後が121才の泉重千代。
むろん、南方熊楠、諸橋轍次もでてくるが、牧野富太郎のところは、自著『牧野日本植物図鑑』の巻頭には、著者の応諾をえずして本書の図を使用する不徳破廉恥の無学漢は姓名を公表する…と激しい「警告」がのっているという。小生が昭和57年に買った『原色牧野植物大図鑑』の彩色について博士の遺族からクレームがついたという事件は、この烈々たる警告文に由来していたのか。ビールビンびんのような大男根の持ち主で精力絶倫だったと余計なことも書いてある。牧野富太郎博士は写真では小柄の風貌を想起するのでビールびん大には吹き出してしまった。呼吸停止からなお一〇分間心臓が動いていたという。
『人間臨終図巻』のあとがきに山田風太郎は「書物の性質上、とりあげた人物の臨終に実際に立ち合われた方々の文章を多く引用ないし参考にせざるを得ませんでした」と記して関係者に深く謝意を表している。
博士のもちものはビールびんのようであったとわざわざ誰が書き残したのかな。これには遺族からクレームがでてないから事実だったのだろう。
テレビは妻子を殺害された光市の本村さんの「こんな犯罪がおきたときに私たちはみな敗北したんです」という発言を伝えている。
さらに、NHKテレビは埼玉で親子三人の餓死事件を詳細に報道。天皇夫妻はこのニュースをみているだろうか。
さて、天皇制や中川先生の思い出などは、こたつに寝転んではとても書けないので、すこし息抜きしたい。
『銃・病原菌・鉄』にすこし倦いたので古本屋で『吉村昭の平家物語』、辻井喬『父の肖像』(西武の総帥の父を赤裸々に描いた)、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』『少将滋幹の母』、城山三郎『硫黄島に死す』など買ってきた。中学生になった孫には手塚治虫『ブラックジャック』全13巻も。
山田風太郎『人間臨終図巻』全三巻も買ってしまった。
古今東西の有名人数百人の臨終模様と、ひととなりを例の博覧強記ぶりで書いている。第一番目が一五才で死んだ八百屋お七。次が大石主税、アンネフランク、森蘭丸、藤村操、天草四郎、山口二矢、ジャンヌダルクとつづく。三巻目のおわりが天海僧都、平櫛田中、大西良慶、いちばん最後が121才の泉重千代。
むろん、南方熊楠、諸橋轍次もでてくるが、牧野富太郎のところは、自著『牧野日本植物図鑑』の巻頭には、著者の応諾をえずして本書の図を使用する不徳破廉恥の無学漢は姓名を公表する…と激しい「警告」がのっているという。小生が昭和57年に買った『原色牧野植物大図鑑』の彩色について博士の遺族からクレームがついたという事件は、この烈々たる警告文に由来していたのか。ビールビンびんのような大男根の持ち主で精力絶倫だったと余計なことも書いてある。牧野富太郎博士は写真では小柄の風貌を想起するのでビールびん大には吹き出してしまった。呼吸停止からなお一〇分間心臓が動いていたという。
『人間臨終図巻』のあとがきに山田風太郎は「書物の性質上、とりあげた人物の臨終に実際に立ち合われた方々の文章を多く引用ないし参考にせざるを得ませんでした」と記して関係者に深く謝意を表している。
博士のもちものはビールびんのようであったとわざわざ誰が書き残したのかな。これには遺族からクレームがでてないから事実だったのだろう。
2012年2月20日月曜日
止める前のひと言・・・猫跨ぎ
止めると言いながら何だが、ちょっと追記しよう。世の中不磨大典なんてない。その通りだね。天皇制は貴方達(君らは偉そうだから止める)にとって最も核心的なアイテムだと思う。戦前さんざん酷い目にあわされたからね。そして本来の主義主張からして象徴だろうが天皇制は最も認めにくいものなんだろう。何故2004年引っ込めたのかね、天皇制打倒を。続けた方がよほど尊敬に値するのに。天皇制支持が世論の80%以上であったし、この現実は当分変わるまいという認識だろう。それで一応象徴天皇制は認める、ただし将来の国民の意識の成長を待って廃絶するという、実に現実妥協というか生煮えというかよく判らんユルイ方針に転じた。この二重構造は何かを失わせ、何かが潜行したな。これは私の実感。
だからというわけでないが、天皇の大きな報道をみると本能的に反発するのではないか。ほかの有名人の似たような報道を見ていちいち胸くそ悪い思いをしているわけではあるまい。
中川先生の文章はケネディ暗殺の時のものだね。そうそう、そういう主張を貴方達からも随分聞いた。しかし格調高いね。教え子を諭す文章は今の教授連には書けまい。あの頃先生ははっきり言って教条的だったという印象がある。何人かとそういう話をしたことを思い出す。あのあと、中国の変容、ソ連、東欧の崩壊、冷戦の終結があった。そう、世界はどんどん変わってゆく。先生には或る正しい歴史観に乗っているという確信があったんだな、あのころ。色々思い出すよ。
だからというわけでないが、天皇の大きな報道をみると本能的に反発するのではないか。ほかの有名人の似たような報道を見ていちいち胸くそ悪い思いをしているわけではあるまい。
中川先生の文章はケネディ暗殺の時のものだね。そうそう、そういう主張を貴方達からも随分聞いた。しかし格調高いね。教え子を諭す文章は今の教授連には書けまい。あの頃先生ははっきり言って教条的だったという印象がある。何人かとそういう話をしたことを思い出す。あのあと、中国の変容、ソ連、東欧の崩壊、冷戦の終結があった。そう、世界はどんどん変わってゆく。先生には或る正しい歴史観に乗っているという確信があったんだな、あのころ。色々思い出すよ。
2012年2月19日日曜日
re:もう止めよう・・・褌子
どんどん変化し発展する現実社会を追いかけて、「君ら」の綱領の現状認識も深化発展せざるを得ないのだ。この世に不磨の大典なんてものあるわけない。不動・不変なものなんてない。不変なのは人間は親を選べないが、生まれたら皆平等であるべきだくらいか。
中川先生は本当にえらいなあ、あの若さでこんなことを書いていた。
古市先生が三回読んで先生の正体がわかりました、といわれたと苦笑していたが、「あの文は僕の決意表明なんだ」といっていたから格好いいのは当たり前。人間食うに困らなくなって名誉も地位もついてくると「人類の通弊におちいるから…」といっていた。
もうこの件はやめてもいいが、天皇制の問題は繰り返し出てくると思う。
けっきょく、今の現状を認めるのかどうかという問題にいきつくから。
中川先生は本当にえらいなあ、あの若さでこんなことを書いていた。
古市先生が三回読んで先生の正体がわかりました、といわれたと苦笑していたが、「あの文は僕の決意表明なんだ」といっていたから格好いいのは当たり前。人間食うに困らなくなって名誉も地位もついてくると「人類の通弊におちいるから…」といっていた。
もうこの件はやめてもいいが、天皇制の問題は繰り返し出てくると思う。
けっきょく、今の現状を認めるのかどうかという問題にいきつくから。
もう止めよう・・・猫跨ぎ
まあ2004年の綱領からはその通りだね。それまでは君主制は廃止されるべきと言っていた。だから2004年(ついこの前だ)あっけにとられた記憶がある。ちょっとご都合主義じゃありませんか。
またまた中川先生の言葉を後生大事に出すこともないのでは。一種の文献主義の匂いがするね。あの頃先生も若かった。筆に辷りが感じられる。格好が良すぎる。もうこの件は止めようや。他の人が迷惑する。私も多少言い過ぎた。
またまた中川先生の言葉を後生大事に出すこともないのでは。一種の文献主義の匂いがするね。あの頃先生も若かった。筆に辷りが感じられる。格好が良すぎる。もうこの件は止めようや。他の人が迷惑する。私も多少言い過ぎた。
象徴天皇制・・・褌子
「あまり時間がないのだ。お互いに」という発言に衝撃をうけた。
そうか、もうあまり時間がないのか。参ったねえ。
さて、天皇制は歴史的に生成したものだから、象徴天皇制に進化し、将来はさらに進化していずれ社会に不要なものになり、消滅していくんだろうと私自身は確信している。まったく世界の君主制も残り少なくなった。この世に未来永劫つづくものなんてひとつもない。社会も自然も。資本主義しかり。加速膨張宇宙しかり。
現天皇であれ、近所のおじいさんであれ、お年寄りが最高の医療をうけて元気に長生きするのはおめでたい。
天皇も人間であり、日本人であるなら最高の治療を受けて当然だ。どうじに日本中のお年寄りがみんな最高の治療を受けられるような社会にしたいものだ、ということ。
私は平成天皇をテレビなどでみると、人間は親を選ぶことができないんだなとつくづく思う。彼は運命を甘受しているようにみえる。
いい人だね。いい人には長生きしてほしいが天皇職は激務、気の毒だ。やっぱり人間無視のひどいシステムだと思う。だから心臓が負担加重になったんだ。
しかし、私が朝から怒っているのは、天皇制に怒っているのでは全くない。NHKの愚劣なトップニュースが不愉快なのだ。(もちろん愉快なひとがいてもかまわないが、私は不愉快だということ)
もう一度書くと、朝のトップニュースで
「皇后様が天皇陛下にお身体をお大事にして下さい、とおっしゃると天皇陛下は皇后様のお手をおとりになって、ありがとうとお応えになられました…」なんて当たり前のことをわざわざ全国にくりかえし報道することかと言っているんだ(麗しい夫婦愛だと喜ぶひとがいてもかまわないが、私はなんかおかしいぞと思ったということ)
10年連続で自殺者が3万人超えたが特にお年寄りの自殺が増えているとか、保険証もらえなくて病院にいけないお年寄りが何万人もいますとか、東北の仮設住宅でも老老介護で老夫婦が疲れ果てているとか、日本社会で実際に起きていることをきちんと報道してほしいということ。
むかし、中川先生が書いていたのを思い出した。
―――――理学部の学生が学問を愛すると同じく人間を愛するならば、夫を殺された大統領夫人をもっともあわれむという誤りを犯すべきではない。一女性の苦悩に同情するとするならば、同じ時に炭坑の爆発で夫を失った多数の婦人にも同等の同情を注ぐべきである。もしも生活経済上の打撃に同情するならば、炭坑の犠牲者の方に遙かに深刻な同情を注ぐべきである。さらに政治的不正に対する社会正義の立場からの評価というもっとも「人間的」な立場に立つならば、諸君は「狂人日記」の魯迅の立場に全身の重みをかけるべきである―――――
さて「君ら」などと十把一絡げにされちゃったが、
「君ら」が、ひょっとして日本共産党をさすのだとしたら見当違い。日本共産党は、現在も将来も天皇制を廃止するとは全くいってない。戦前は、天皇主権。天皇制が日本人すべての生殺与奪の権を握っていたから廃止を主張したが、いまは象徴天皇制の時代だ。
日本共産党綱領は日本国憲法をまるごと厳守するといっている。つまり象徴天皇制をまるごと厳守するということ。将来は、主権者である日本国民が判断してきめることになるだろうということ。一党一派が判断して決めることでは決してない。
「君ら」ではなく私自身はといえば、天皇一家がごくふつうの庶民的な日本人の家庭になれたらいいのにと、いつも思っている。
そうか、もうあまり時間がないのか。参ったねえ。
さて、天皇制は歴史的に生成したものだから、象徴天皇制に進化し、将来はさらに進化していずれ社会に不要なものになり、消滅していくんだろうと私自身は確信している。まったく世界の君主制も残り少なくなった。この世に未来永劫つづくものなんてひとつもない。社会も自然も。資本主義しかり。加速膨張宇宙しかり。
現天皇であれ、近所のおじいさんであれ、お年寄りが最高の医療をうけて元気に長生きするのはおめでたい。
天皇も人間であり、日本人であるなら最高の治療を受けて当然だ。どうじに日本中のお年寄りがみんな最高の治療を受けられるような社会にしたいものだ、ということ。
私は平成天皇をテレビなどでみると、人間は親を選ぶことができないんだなとつくづく思う。彼は運命を甘受しているようにみえる。
いい人だね。いい人には長生きしてほしいが天皇職は激務、気の毒だ。やっぱり人間無視のひどいシステムだと思う。だから心臓が負担加重になったんだ。
しかし、私が朝から怒っているのは、天皇制に怒っているのでは全くない。NHKの愚劣なトップニュースが不愉快なのだ。(もちろん愉快なひとがいてもかまわないが、私は不愉快だということ)
もう一度書くと、朝のトップニュースで
「皇后様が天皇陛下にお身体をお大事にして下さい、とおっしゃると天皇陛下は皇后様のお手をおとりになって、ありがとうとお応えになられました…」なんて当たり前のことをわざわざ全国にくりかえし報道することかと言っているんだ(麗しい夫婦愛だと喜ぶひとがいてもかまわないが、私はなんかおかしいぞと思ったということ)
10年連続で自殺者が3万人超えたが特にお年寄りの自殺が増えているとか、保険証もらえなくて病院にいけないお年寄りが何万人もいますとか、東北の仮設住宅でも老老介護で老夫婦が疲れ果てているとか、日本社会で実際に起きていることをきちんと報道してほしいということ。
むかし、中川先生が書いていたのを思い出した。
―――――理学部の学生が学問を愛すると同じく人間を愛するならば、夫を殺された大統領夫人をもっともあわれむという誤りを犯すべきではない。一女性の苦悩に同情するとするならば、同じ時に炭坑の爆発で夫を失った多数の婦人にも同等の同情を注ぐべきである。もしも生活経済上の打撃に同情するならば、炭坑の犠牲者の方に遙かに深刻な同情を注ぐべきである。さらに政治的不正に対する社会正義の立場からの評価というもっとも「人間的」な立場に立つならば、諸君は「狂人日記」の魯迅の立場に全身の重みをかけるべきである―――――
さて「君ら」などと十把一絡げにされちゃったが、
「君ら」が、ひょっとして日本共産党をさすのだとしたら見当違い。日本共産党は、現在も将来も天皇制を廃止するとは全くいってない。戦前は、天皇主権。天皇制が日本人すべての生殺与奪の権を握っていたから廃止を主張したが、いまは象徴天皇制の時代だ。
日本共産党綱領は日本国憲法をまるごと厳守するといっている。つまり象徴天皇制をまるごと厳守するということ。将来は、主権者である日本国民が判断してきめることになるだろうということ。一党一派が判断して決めることでは決してない。
「君ら」ではなく私自身はといえば、天皇一家がごくふつうの庶民的な日本人の家庭になれたらいいのにと、いつも思っている。
時間がない・・・猫跨ぎ
あのね難しい言葉で一括りにすることは、反って混乱させる。なんでもかでも一つのバケツに放り込んで一緒に議論するから訳が分からなくなる。生活困窮者の話、消費税の話、資本主義の中の下品な金持ちの話、それぞれ分類しきちんと議論しようや。
現憲法下で象徴天皇がいる。彼が最高の技術スタッフ心臓手術をした。皇后、娘が見舞いをした。そのことが今の社会で如何なる瑕疵があるのか。さしあたり無いんだ。当たり前の話じゃないか。
象徴天皇制が不満ならその見地から議論してはどうか。持って回った言い方はもう止めよう。もう余り時間がないんだ、お互いに。
現憲法下で象徴天皇がいる。彼が最高の技術スタッフ心臓手術をした。皇后、娘が見舞いをした。そのことが今の社会で如何なる瑕疵があるのか。さしあたり無いんだ。当たり前の話じゃないか。
象徴天皇制が不満ならその見地から議論してはどうか。持って回った言い方はもう止めよう。もう余り時間がないんだ、お互いに。
そこでおいらも一言・・・・ 逸徳
天皇制の問題か。考えてみると10代のころからずうっとこの問題とは、つきあわされてきたような気がする。 いま感じていること。 哲学?的なエリアの問題と政治的エリアの問題の混同がおこっているのではないかなあ。 政治とは、せんじつめれば集団の意思決定の技術にすぎないといっていい側面がある。それは、となり近所のごみ掃除の分担から始まって、どのような国家の体系をとるかという問題の一つである天皇制の問題にいたる。だが、せんじつめればこれもひとつの技術的な問題に過ぎない。要は現在の日本人が、天皇制というシステムを採用しているに過ぎないのであって、そこに現状を超越した論理的正当性があるというわけではない。 で、おいらもそれを現在の日本人の一人として認めている。だが、それでもなお何とも気持ちの悪い、落ち着きのなさを感じてしまうのだ。それをかりに哲学的?エリアの問題だとしよう。
ついさっきアンナハーレントの次のことばにぶつかった。(だからここに書いてみたいと思ったのかもしれない)かの女はいう。「わたしたち一人ひとりは、世界でたった一つの「始まり」である。だからそこに、ひとの尊厳(自由の根拠)が示されている 」 ・・・・ だれもが、独自の存在であるという彼女の言葉のさきに、おいらは、誠実でこころ優しいあの老夫婦の存在を思いうかべてしまう。今、天皇として生きることの不幸。それを想像することと、政治的な一種の劇場としての天皇制を是認していることは別に矛盾はしない。 そして、だれもが独自の存在であり、そこにひとの尊厳の根拠があるという言葉のさきに、たとえば新自由主義の犠牲となって国保も払えない一組の母子家庭の悲惨さを想像し、それをもたらしたものに対する、人間的な怒りをもつのもまた当然であるだろう。そしてその怒りを、政治的次元に昇華しようとするとき、イデオロギーの問題が出てくるのだろう。しかしながら、おいらには天皇も、この母子も同じような不幸に向かい合っているような気がする。
ともあれこういう居心地の悪さゆえに、たとえば天皇が勲章くれるといったって、おいらももらう気はない(まあ余計な心配だが。冗談)
で、もしわれわれの怒りのエネルギーを配分するのが、対象の不正義の度合いによるとしたら、お師匠。ちと、怒りのエネルギーの配分が違うような気がする。確かに、20世紀の革命運動の流れの中で、革新の側には「啓蒙すべき無知蒙昧な人民大衆」という意識があったことは間違いない。原水禁運動の顛末なんかみているとそれを感じる。 だがね、それよりも桁違いの大きさで、民衆を駒としてとりあつかい、さんざんやりたいようにやってきた連中に、そのやってすることに比例した量で、人間的怒りをぶつけるべきだと思うがどうか。でないと不公平だ。政治もまたその視点からはじまってほしいのだ。だから、250兆をこえる内部留保を認め、それも資本主義だから・・・というやつなんかからみたら、革新の傲慢さなんか、かわいいものではないか。(余談 しかしなんでこんなに日本の金持ちは品がなくなったんだろうなあ)
まあ、もっともどうでもいいか。残りすくない人生だ。みんな仲良くやるべえ。今夜の酒の肴はなににしようかな。
ついさっきアンナハーレントの次のことばにぶつかった。(だからここに書いてみたいと思ったのかもしれない)かの女はいう。「わたしたち一人ひとりは、世界でたった一つの「始まり」である。だからそこに、ひとの尊厳(自由の根拠)が示されている 」 ・・・・ だれもが、独自の存在であるという彼女の言葉のさきに、おいらは、誠実でこころ優しいあの老夫婦の存在を思いうかべてしまう。今、天皇として生きることの不幸。それを想像することと、政治的な一種の劇場としての天皇制を是認していることは別に矛盾はしない。 そして、だれもが独自の存在であり、そこにひとの尊厳の根拠があるという言葉のさきに、たとえば新自由主義の犠牲となって国保も払えない一組の母子家庭の悲惨さを想像し、それをもたらしたものに対する、人間的な怒りをもつのもまた当然であるだろう。そしてその怒りを、政治的次元に昇華しようとするとき、イデオロギーの問題が出てくるのだろう。しかしながら、おいらには天皇も、この母子も同じような不幸に向かい合っているような気がする。
ともあれこういう居心地の悪さゆえに、たとえば天皇が勲章くれるといったって、おいらももらう気はない(まあ余計な心配だが。冗談)
で、もしわれわれの怒りのエネルギーを配分するのが、対象の不正義の度合いによるとしたら、お師匠。ちと、怒りのエネルギーの配分が違うような気がする。確かに、20世紀の革命運動の流れの中で、革新の側には「啓蒙すべき無知蒙昧な人民大衆」という意識があったことは間違いない。原水禁運動の顛末なんかみているとそれを感じる。 だがね、それよりも桁違いの大きさで、民衆を駒としてとりあつかい、さんざんやりたいようにやってきた連中に、そのやってすることに比例した量で、人間的怒りをぶつけるべきだと思うがどうか。でないと不公平だ。政治もまたその視点からはじまってほしいのだ。だから、250兆をこえる内部留保を認め、それも資本主義だから・・・というやつなんかからみたら、革新の傲慢さなんか、かわいいものではないか。(余談 しかしなんでこんなに日本の金持ちは品がなくなったんだろうなあ)
まあ、もっともどうでもいいか。残りすくない人生だ。みんな仲良くやるべえ。今夜の酒の肴はなににしようかな。
こちらも不機嫌だ・・・猫跨ぎ
下らんコメントに不機嫌。何故口汚くののしるのか。象徴天皇として戴いているわけだ。それに特別の関心と最高の治療を与えて何故いけないか。君らが天皇制について極めて曖昧な態度であることは先刻承知だが。今許容するが、将来的には天皇制廃止するという。国民の大方が目覚め気付きを待つという、「人民」を見下した相も変わらぬ思考法だ。曖昧なことをいわず今から天皇制反対の態度を鮮明にすればいいじゃないか。
あさから不機嫌・・・・褌子
きょうはいい天気だが朝から機嫌が悪い。
NHKニュースのトップで、天皇の手術がうまくいったと重大ニュースあつかい。
「皇后様が天皇陛下にお身体をお大事にして下さい、とおっしゃると天皇陛下は皇后様のお手をおとりになって、ありがとうとお応えになられました…」が気にくわない。そんなことはどこの夫婦だってやっているわい。
世の中には貧乏で国保税がはらえず、保険証がなくて医者にいけないひとがごまんといるのだ。例の無籍のKさんだって、保険証がないために、解離性健忘症の診断書代、1万500円はまだ私がたてかえたままなんだ。
こういうニュース原稿を書かせるNHK幹部の民を見下げた卑しい根性がまことに下劣。
私は本音は天皇制廃止なんだが、いまの天皇夫妻の人柄にはたいへん好感をもっている。
明仁さん美智子さんは夫婦相和して日本国憲法をたてにとってマスコミ各社の報道姿勢に抗議すべし。
「私たちは、国民の税金で最高の医療をうけられたことを感謝している。国民全員が私たちと同じように最高の医療をうけられるような日本になってほしい。国保も払えない母子家庭の生活費から10%の消費税をとるなんてやめてほしい」と。
NHKニュースのトップで、天皇の手術がうまくいったと重大ニュースあつかい。
「皇后様が天皇陛下にお身体をお大事にして下さい、とおっしゃると天皇陛下は皇后様のお手をおとりになって、ありがとうとお応えになられました…」が気にくわない。そんなことはどこの夫婦だってやっているわい。
世の中には貧乏で国保税がはらえず、保険証がなくて医者にいけないひとがごまんといるのだ。例の無籍のKさんだって、保険証がないために、解離性健忘症の診断書代、1万500円はまだ私がたてかえたままなんだ。
こういうニュース原稿を書かせるNHK幹部の民を見下げた卑しい根性がまことに下劣。
私は本音は天皇制廃止なんだが、いまの天皇夫妻の人柄にはたいへん好感をもっている。
明仁さん美智子さんは夫婦相和して日本国憲法をたてにとってマスコミ各社の報道姿勢に抗議すべし。
「私たちは、国民の税金で最高の医療をうけられたことを感謝している。国民全員が私たちと同じように最高の医療をうけられるような日本になってほしい。国保も払えない母子家庭の生活費から10%の消費税をとるなんてやめてほしい」と。
2012年2月18日土曜日
映画『裸の島』・・・・褌子
きのう『一枚のハガキ』をみたことを書いたが、新藤兼人監督の代表作はわたしは『裸の島』(1960)だと思っている。
この映画は札幌のクラーク会館でみた。
舞台は瀬戸内海の小島。『一枚のハガキ』の農地とおなじように水がない。住み着いた一家でイモをつくるだけ。音羽信子演ずる貧農のお嫁さんが隣の島まで水をもらいにいって苦闘する姿を無声のまま、えんえんと白黒カメラが追いつづける。子供も医者にみせられずに死なせてしまい、水桶をひっくり返してお嫁さんが炎天下の地面に突っ伏して啜り泣く場面があったが、私も涙がでてしまった。
『裸の島』をとったのが縁で新藤監督と音羽信子は結婚し数々の名作をうみだしてゆく。
新藤兼人は広島の山間部の大地主の息子だった。保証人になった親のせいで一家は破産し離散した。水がない山地の貧農がどんなに苦労したかを彼はいつも弱者によせるたぐいまれな温かい目でじっとみつめていたのだ。それに自分だけが生き残ってしまったという辛い戦争体験と広島の被爆者の姿をずっと直視してきた。日本の良心ともいえる監督に白寿もこえて長生きして欲しい。
この映画は札幌のクラーク会館でみた。
舞台は瀬戸内海の小島。『一枚のハガキ』の農地とおなじように水がない。住み着いた一家でイモをつくるだけ。音羽信子演ずる貧農のお嫁さんが隣の島まで水をもらいにいって苦闘する姿を無声のまま、えんえんと白黒カメラが追いつづける。子供も医者にみせられずに死なせてしまい、水桶をひっくり返してお嫁さんが炎天下の地面に突っ伏して啜り泣く場面があったが、私も涙がでてしまった。
『裸の島』をとったのが縁で新藤監督と音羽信子は結婚し数々の名作をうみだしてゆく。
新藤兼人は広島の山間部の大地主の息子だった。保証人になった親のせいで一家は破産し離散した。水がない山地の貧農がどんなに苦労したかを彼はいつも弱者によせるたぐいまれな温かい目でじっとみつめていたのだ。それに自分だけが生き残ってしまったという辛い戦争体験と広島の被爆者の姿をずっと直視してきた。日本の良心ともいえる監督に白寿もこえて長生きして欲しい。
2012年2月17日金曜日
牧野富太郎記念館・・・・褌子
牧野富太郎博士の記念館が、生まれ故郷の高知だけでなく、八王子の都立大(首都大学と今は言うらしいが)にもあるんですね。知らなかった。
節電については興味があります。太陽光パネルを屋根に乗せようかと迷っている。
節電については興味があります。太陽光パネルを屋根に乗せようかと迷っている。
節電・・・国兼
昨年の3/11以降の計画停電で湯たんぽが大いに役立ったことを思い出す。カミサンと夕食時にローソクの下で、足を温めあったことを・・・。電気がこないと、かくなるものかとしみじみと痛感したときでもあった。
昨年の12月に、知人の家で節電の話が出、その家では東電からの通知に書いてある第三段階(300Kw月以上)を越えないようにと冷蔵庫2台を1台にし、それ以下の電気使用量にしたという。我が家では親父からの躾で節電には心掛けしている家だと思っていたが、帰っから調べて見ると、我が家でも10数年前購入の時々異音を発する古い冷蔵庫と冷凍庫があり両者あわせると100Kw月を越えている。驚いたね!!!第三段階の基本料金は第1、第2段階より高く、今までこんなことも知らずに東電の電気を気ままに使っていたのかと思うと、我ながら恥ずかしい気持ちである。
早速、節電型冷蔵庫を購入し、冷凍庫を処分し、更に年中つけっぱなしの電気ポットを止めて魔法瓶にした。今月の東電からの通知を見て、また驚いた。昨年の同時期は400Kw月が240Kw月である。金額にすると1万円が5千円以下になった(第3段階が無くなったことが大きい)。大いなる節電効果である。皆さんも節電には心掛けよう。一石二鳥である!!!
話代わるが、牧野富太郎博士のこと、以前書いたかどうか忘れたが、十数年前に八王子市に新たなキャンパスを作った都立大学との産学コラボで、光ディスクの講義を数回やった際に牧野記念館を案内されたことがある。東大を定年になった牧野教授の膨大な植物採取資料を東大ももてあまし、東京都に寄付したが、東京都も困り結局都立大へと。私が訪れた時には、牧野博士が戦前に集めた樺太や千島列島の植物等々膨大な資料(一つ一つが新聞紙に挟まれていたが、新聞紙と言うのは植物保存には優れものなのだろう)の整理中であった。あれからどうなったのか、もう整理も終わったことと思う。一度、記念館を訪問したいと思っている。
昨年の12月に、知人の家で節電の話が出、その家では東電からの通知に書いてある第三段階(300Kw月以上)を越えないようにと冷蔵庫2台を1台にし、それ以下の電気使用量にしたという。我が家では親父からの躾で節電には心掛けしている家だと思っていたが、帰っから調べて見ると、我が家でも10数年前購入の時々異音を発する古い冷蔵庫と冷凍庫があり両者あわせると100Kw月を越えている。驚いたね!!!第三段階の基本料金は第1、第2段階より高く、今までこんなことも知らずに東電の電気を気ままに使っていたのかと思うと、我ながら恥ずかしい気持ちである。
早速、節電型冷蔵庫を購入し、冷凍庫を処分し、更に年中つけっぱなしの電気ポットを止めて魔法瓶にした。今月の東電からの通知を見て、また驚いた。昨年の同時期は400Kw月が240Kw月である。金額にすると1万円が5千円以下になった(第3段階が無くなったことが大きい)。大いなる節電効果である。皆さんも節電には心掛けよう。一石二鳥である!!!
話代わるが、牧野富太郎博士のこと、以前書いたかどうか忘れたが、十数年前に八王子市に新たなキャンパスを作った都立大学との産学コラボで、光ディスクの講義を数回やった際に牧野記念館を案内されたことがある。東大を定年になった牧野教授の膨大な植物採取資料を東大ももてあまし、東京都に寄付したが、東京都も困り結局都立大へと。私が訪れた時には、牧野博士が戦前に集めた樺太や千島列島の植物等々膨大な資料(一つ一つが新聞紙に挟まれていたが、新聞紙と言うのは植物保存には優れものなのだろう)の整理中であった。あれからどうなったのか、もう整理も終わったことと思う。一度、記念館を訪問したいと思っている。
『一枚のはがき』・・・褌子
目ざむるや湯婆わずかに暖き
子規の実にいい句だね。明け方ちかくの湯湯婆はまさにこういう感じだ。
さて今日、九九才の新藤兼人監督の映画『一枚のはがき』をみた。
戦死した長男の嫁が弟と結婚するが弟も戦死、義父母もあとを追って死ぬ。子どももいない貧農の嫁さんひとりが残されたが、戦後、村のボスが妾になれといいよる…。この長男宛に嫁さんから届いたハガキを預かっていた生き残りの戦友が届けるというあらすじ。
青年が200万人も戦死したのだから、こういう話は戦後いくらでもあったのだそうだ。
自分が小学二三年のころだと思うが、近所の家の相談をうけた親父がお袋と困った困ったと寝床でひそひそ相談しているのを耳にしてしまったことがある。親がめずらしく秘密めいた話をしているので記憶に残った。
戦争がすんで四五年たっても、長男が戦地から帰ってこないので、戦死したにちがいないと、長男の嫁を次男と結婚させて子供も生まれたのに、長男がシベリア抑留から復員してきたというのである。困り果てた親が、近所のうちの親父に相談にきたのだ。
親父の裁断は、農家の後継ぎの長男が帰ってきた以上、次男坊が出て行くべきだというもので、次男の子供を長男夫婦の子として育てることにした…。
―――――この子供も、今はもう60才を過ぎている。母親も義父もとっくに死んで、こんどは農家に来る嫁さんがみつからなくてまだ独身のひとりぐらし。
最近、私がたまに郷里に帰ると、まだ結婚してない彼に道端でであうことがあって特に話をすることがなくて困ることがある。
それにしても兄弟ふたりを次々と夫にせざるをえなかったこの農家の嫁さんの気持ちがいかばかりだったのか――映画『一枚のはがき』をみて、私ははじめて思い至った。
子規の実にいい句だね。明け方ちかくの湯湯婆はまさにこういう感じだ。
さて今日、九九才の新藤兼人監督の映画『一枚のはがき』をみた。
戦死した長男の嫁が弟と結婚するが弟も戦死、義父母もあとを追って死ぬ。子どももいない貧農の嫁さんひとりが残されたが、戦後、村のボスが妾になれといいよる…。この長男宛に嫁さんから届いたハガキを預かっていた生き残りの戦友が届けるというあらすじ。
青年が200万人も戦死したのだから、こういう話は戦後いくらでもあったのだそうだ。
自分が小学二三年のころだと思うが、近所の家の相談をうけた親父がお袋と困った困ったと寝床でひそひそ相談しているのを耳にしてしまったことがある。親がめずらしく秘密めいた話をしているので記憶に残った。
戦争がすんで四五年たっても、長男が戦地から帰ってこないので、戦死したにちがいないと、長男の嫁を次男と結婚させて子供も生まれたのに、長男がシベリア抑留から復員してきたというのである。困り果てた親が、近所のうちの親父に相談にきたのだ。
親父の裁断は、農家の後継ぎの長男が帰ってきた以上、次男坊が出て行くべきだというもので、次男の子供を長男夫婦の子として育てることにした…。
―――――この子供も、今はもう60才を過ぎている。母親も義父もとっくに死んで、こんどは農家に来る嫁さんがみつからなくてまだ独身のひとりぐらし。
最近、私がたまに郷里に帰ると、まだ結婚してない彼に道端でであうことがあって特に話をすることがなくて困ることがある。
それにしても兄弟ふたりを次々と夫にせざるをえなかったこの農家の嫁さんの気持ちがいかばかりだったのか――映画『一枚のはがき』をみて、私ははじめて思い至った。
湯湯婆の夢・・・猫跨ぎ
湯湯婆か。数年前小生もやったが、まあワンシーズンだね。面倒くさくて飽きる。
大体、例句が良くない。
・みたくなき夢ばかりみる湯婆かな 久保田万太郎
肝心の夢見が良くないとね。
・目ざむるや湯婆わずかに暖き 子規
くらいでいいのでは。
夢をこわして申し訳ない。まあ継続を祈る。奥方によろしく。
追記:樹脂はポリプロ。湯を扱う安い家庭用品は大体ポリプロ製だ。
大体、例句が良くない。
・みたくなき夢ばかりみる湯婆かな 久保田万太郎
肝心の夢見が良くないとね。
・目ざむるや湯婆わずかに暖き 子規
くらいでいいのでは。
夢をこわして申し訳ない。まあ継続を祈る。奥方によろしく。
追記:樹脂はポリプロ。湯を扱う安い家庭用品は大体ポリプロ製だ。
湯湯婆(ゆたんぽ)・・・・褌子
そうそう。うちは「相思相愛らしい」なんてものではない、火傷しそうな熱愛なんだ。
このブログは全世界の少年少女が愛読しているので、正しい愛のメソッドについて真実だけを書かねばならない。
「死ぬほど愛している」とか「君のためなら死んでもいい」とか心にもないこと嘘言ってもだめ。
ほんのちょっとの行動。ささやかな目立たない行為なのだ。男は黙ってサッポロビールなのだ。
まず黙ってカインズホームで980円の湯たんぽを買ってくる。あとはヤカンと水2リットル、ガス代少々10分くらいでわく。
湯たんぽに満杯に熱湯をいれて密栓、一緒についてきた袋にいれてヒモを結んでサイの布団のなかに何気なく入れておくだけ。どういうわけか、冷え性のサイは夫より1時間くらい遅く寝るが、ことしは寒い日がつづくので費用対効果抜群。
このたった980円、毎日10分の温かいこころがけで夫婦円満、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛、無病息災。
どういうわけか国兼家のまねをして夫はサイより1時間くらいゆっくり起きて、この湯たんぽのお湯でH2Oの熱容量の大いさに感謝しながら顔を洗う。まことにこころよい人肌温の湯加減。ここで一句ひねるがでてこない。
いちど自分の方の湯たんぽが袋からはみ出して左足首に火傷をした。まさに火傷しそうな熱愛だね。ぽかぽかしているといい夢もみる。
国兼さん、いまの湯たんぽの樹脂はありゃあ何ですかね。熱湯でもびくともしない安くて優れもの。
みたくなき夢ばかりみる湯湯婆かな 久保田万太郎
このブログは全世界の少年少女が愛読しているので、正しい愛のメソッドについて真実だけを書かねばならない。
「死ぬほど愛している」とか「君のためなら死んでもいい」とか心にもないこと嘘言ってもだめ。
ほんのちょっとの行動。ささやかな目立たない行為なのだ。男は黙ってサッポロビールなのだ。
まず黙ってカインズホームで980円の湯たんぽを買ってくる。あとはヤカンと水2リットル、ガス代少々10分くらいでわく。
湯たんぽに満杯に熱湯をいれて密栓、一緒についてきた袋にいれてヒモを結んでサイの布団のなかに何気なく入れておくだけ。どういうわけか、冷え性のサイは夫より1時間くらい遅く寝るが、ことしは寒い日がつづくので費用対効果抜群。
このたった980円、毎日10分の温かいこころがけで夫婦円満、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛、無病息災。
どういうわけか国兼家のまねをして夫はサイより1時間くらいゆっくり起きて、この湯たんぽのお湯でH2Oの熱容量の大いさに感謝しながら顔を洗う。まことにこころよい人肌温の湯加減。ここで一句ひねるがでてこない。
いちど自分の方の湯たんぽが袋からはみ出して左足首に火傷をした。まさに火傷しそうな熱愛だね。ぽかぽかしているといい夢もみる。
国兼さん、いまの湯たんぽの樹脂はありゃあ何ですかね。熱湯でもびくともしない安くて優れもの。
みたくなき夢ばかりみる湯湯婆かな 久保田万太郎
2012年2月16日木曜日
厚い図鑑・・・猫跨ぎ
旅行先で厚い図鑑を買うのはどうもヘキなようだなあ。奥方はれすぺくとしたというか、これは牧野富太郎に似た変わり者かとしょっくを受け、早まったかとれぐれっとした―こともないか。相思相愛らしいからね。
・春の雷辞書の天金濁りをり
今、或るカルチャー教室の帰り。お茶の水大の先生が呟いていたが、院生まではまだいいが、学部生になると、日本語の常識が通じないことがあってアレの連続という。彼女の見立てでは、携帯が普及し出したのがその分かれ目じゃないか、と。要するに子供時代の活字離れが決定的になった頃と重なるのでは、と。便利を追いかけているうちに文化の底が掘り崩されている・・・は言い過ぎか。昔、イスラエルでは子供のテレビ視聴を制限していると聞いた記憶がある。画像を幼い頭に無制限に入れる事への危惧とか。いまはどうか知らないが。
・春の雷辞書の天金濁りをり
今、或るカルチャー教室の帰り。お茶の水大の先生が呟いていたが、院生まではまだいいが、学部生になると、日本語の常識が通じないことがあってアレの連続という。彼女の見立てでは、携帯が普及し出したのがその分かれ目じゃないか、と。要するに子供時代の活字離れが決定的になった頃と重なるのでは、と。便利を追いかけているうちに文化の底が掘り崩されている・・・は言い過ぎか。昔、イスラエルでは子供のテレビ視聴を制限していると聞いた記憶がある。画像を幼い頭に無制限に入れる事への危惧とか。いまはどうか知らないが。
2012年2月15日水曜日
諸橋轍次記念館も・・・・褌子
サイの里が高知県の田舎なので、牧野富太郎記念館に行きました。高知市の五台山という山の上にある。まわりが牧野記念植物園になっていていいところだ。そこでばーんと参万五千円也で買ったのが『原色牧野植物大図鑑』(北隆館)。これがでたときに彩色について牧野博士の遺族からクレームがでたいわく付きの図鑑だ。こういうものに三膳飯をやめても惜しみなく財布をはたく夫をサイは、困惑とれすぺくとの眼。高知といえば寺田寅彦も土佐人だ。
そんなわけで牧野富太郎記念館にはhorohorokaiでわざわざ行きたくないが、私の郷里新潟の漢学の里、諸橋轍次記念館 (新潟県南蒲原郡下田村役場)にはぜひ行きたいと思っている。大漢和辞典の天金を(大修館書店25巻)を図書館でなく諸橋記念館で拝みたい。新潟市には会津八一記念館もあるがここも行ったことがない。
さていぜん和歌山高野山や那智大社にいったが南方熊楠記念館にも訪ねたら面白かっただろう。粘菌とか妙なものを驚くべき粘着力で研究した日本人離れした巨人らしい。こういう粘質の変人が俳句などやるとどんな作風になるのかな。
牧野・南方が日本の二大変人とははじめて知った。
きのう、函館の仁ちゃんに寒中見舞の電話をした。
千葉も曇天の今朝とつぜん、あられが降った。また寒くなりそう。
冴え返る音や霰の十粒程 子規
そんなわけで牧野富太郎記念館にはhorohorokaiでわざわざ行きたくないが、私の郷里新潟の漢学の里、諸橋轍次記念館 (新潟県南蒲原郡下田村役場)にはぜひ行きたいと思っている。大漢和辞典の天金を(大修館書店25巻)を図書館でなく諸橋記念館で拝みたい。新潟市には会津八一記念館もあるがここも行ったことがない。
さていぜん和歌山高野山や那智大社にいったが南方熊楠記念館にも訪ねたら面白かっただろう。粘菌とか妙なものを驚くべき粘着力で研究した日本人離れした巨人らしい。こういう粘質の変人が俳句などやるとどんな作風になるのかな。
牧野・南方が日本の二大変人とははじめて知った。
きのう、函館の仁ちゃんに寒中見舞の電話をした。
千葉も曇天の今朝とつぜん、あられが降った。また寒くなりそう。
冴え返る音や霰の十粒程 子規
超変わり者・・・猫跨ぎ
牧野富太郎はちょっと例外だね。酒屋の息子で本人が希望すれば幾らでも高等教育は受けられたのに、何せ好きな植物のことしかしない。二十代でそこそこの業績を挙げていたという。東大に来た頃はもう研究者として認められていたらしい。とにかく、超ががつく変わり者。組織人じゃないから、煙たがれれたこともあったろうが。だけどこういう人物を長年にわたり植物学教室に居ることを認めた東大も懐が深いと言うべきじゃないか。随分後になって理学博士となったが、これも周りがとにかく格好がつかないから取ってくださいということらしい。 南方熊楠という変わり者と双璧だ。そうだ、高知の牧野富太郎植物園に行ってみたいね。
夜半に目がさめると・・・ 褌子
四十九日や三回忌を迎えられた方にお悔やみを申し上げます。
長い歴史をへて今に残る仏教思想はそれぞれ人間感情に即したいわれがあるのだろう。わたしは家をたてるときに風水の本をよんでみたが長年の人間の知恵があることを知った。バレンタインデーはどうでもよいが、いい慣習は孫子にも伝えて大事にしたい。
白川静については中公文庫『漢字百話』しか読んだことないのでよく知らないが、東大や京大などの官学と全く関係のないひとで、京都の立命館を苦学して卒業し中学の教員もしていたという。そのひとが漢字研究に関して大きな業績を残したのだから、官学系のひとたちの僻みや嫉視がよくわかる。京大中国文学の高名な先生方もずいぶん白川先生を見下していたそうだ。
有名なのは牧野富太郎。高知出身の小学卒でたしか東大の用務員(昔風にいうと小使いさん?)をしていたというから、東京帝大の植物学の教授連が面白かろうわけがない。 (そういえばアインシュタインもスイスの特許局の職員だったが、欧米よりもこういう話は土地にしがみつく農耕民族のアジア的な貧しさからくる封建的官僚崇拝というか儒教的科挙的太政官政治??に淵源をもつというか韓国、中国の猛烈な受験地獄のはなしをきくともう…まとまらん、逸徳さんすっきりと短くたのむ)
考古学のようにこつこつ野山を歩くことから始まる実証的な学問では、こういう事例は枚挙にいとまがない。(反対に東北考古学研究所の副理事長の捏造事件のようなこともたまに起こる。佐倉の歴史民族博物館の考古学展示場に反省文がでていて面白い。うわさによると今だに一番学閥と身分差別が激しいのが学校と警察だそうだ。やっぱりね。教育と治安。まことに前近代、アジア的。中川先生も東大のなかの身分差別の臭気から北の空気を吸いに逃げ出してきたようなことをいっていたが、どこも似たようなものだったのではないか)
こういう学者の世界のドロドロを描いたら松本清張の右に出るものがない。清張自身、長男で大勢の家族をかかえて大変な苦学をしたひとなのでそれが全部、作品世界に生きている。
私事だが30才で化学会社をやめて畑違いの零細業者の運動にはいったとたん、給料は半分以下になったが何かまわりの空気がとてもすっきりした記憶がある。以来、一応なんとか三膳飯まで食って無事に生き延びてこられたのだから、女房に毎晩平身低頭して感謝しなければならない。むろん郷里で長男で農家を継いだ兄貴夫婦にも。
さいきん、夜半に目がさめると、家の事情で大学進学をあきらめた高校の同級生、修学旅行にも行けなかった中学の同級生を思い出す。年のせいかも
長い歴史をへて今に残る仏教思想はそれぞれ人間感情に即したいわれがあるのだろう。わたしは家をたてるときに風水の本をよんでみたが長年の人間の知恵があることを知った。バレンタインデーはどうでもよいが、いい慣習は孫子にも伝えて大事にしたい。
白川静については中公文庫『漢字百話』しか読んだことないのでよく知らないが、東大や京大などの官学と全く関係のないひとで、京都の立命館を苦学して卒業し中学の教員もしていたという。そのひとが漢字研究に関して大きな業績を残したのだから、官学系のひとたちの僻みや嫉視がよくわかる。京大中国文学の高名な先生方もずいぶん白川先生を見下していたそうだ。
有名なのは牧野富太郎。高知出身の小学卒でたしか東大の用務員(昔風にいうと小使いさん?)をしていたというから、東京帝大の植物学の教授連が面白かろうわけがない。 (そういえばアインシュタインもスイスの特許局の職員だったが、欧米よりもこういう話は土地にしがみつく農耕民族のアジア的な貧しさからくる封建的官僚崇拝というか儒教的科挙的太政官政治??に淵源をもつというか韓国、中国の猛烈な受験地獄のはなしをきくともう…まとまらん、逸徳さんすっきりと短くたのむ)
考古学のようにこつこつ野山を歩くことから始まる実証的な学問では、こういう事例は枚挙にいとまがない。(反対に東北考古学研究所の副理事長の捏造事件のようなこともたまに起こる。佐倉の歴史民族博物館の考古学展示場に反省文がでていて面白い。うわさによると今だに一番学閥と身分差別が激しいのが学校と警察だそうだ。やっぱりね。教育と治安。まことに前近代、アジア的。中川先生も東大のなかの身分差別の臭気から北の空気を吸いに逃げ出してきたようなことをいっていたが、どこも似たようなものだったのではないか)
こういう学者の世界のドロドロを描いたら松本清張の右に出るものがない。清張自身、長男で大勢の家族をかかえて大変な苦学をしたひとなのでそれが全部、作品世界に生きている。
私事だが30才で化学会社をやめて畑違いの零細業者の運動にはいったとたん、給料は半分以下になったが何かまわりの空気がとてもすっきりした記憶がある。以来、一応なんとか三膳飯まで食って無事に生き延びてこられたのだから、女房に毎晩平身低頭して感謝しなければならない。むろん郷里で長男で農家を継いだ兄貴夫婦にも。
さいきん、夜半に目がさめると、家の事情で大学進学をあきらめた高校の同級生、修学旅行にも行けなかった中学の同級生を思い出す。年のせいかも
2012年2月14日火曜日
四十九日と三周忌 ・・・猫跨ぎ
申し遅れたが仁ちゃんのお母さんの四十九日だったとか。柳生氏のお母さんも同じ感じと思う。改めてお悔やみ申し上げます。
先年私も経験したが、この四十九日はよく考えられている。仏教の僧の言うには、故人はまだこの世とあの世の定まらぬ処におり、この日を境に、はっきりとあの世に行くという。そして残されたものはようやく日常に戻っていく。49日というインターバルが、過不足なく、実に実感に添っていると当時思ったものだ。かくいう私は先週、妻の三回忌(二年目)だった。時はどんどん経って行く。
先年私も経験したが、この四十九日はよく考えられている。仏教の僧の言うには、故人はまだこの世とあの世の定まらぬ処におり、この日を境に、はっきりとあの世に行くという。そして残されたものはようやく日常に戻っていく。49日というインターバルが、過不足なく、実に実感に添っていると当時思ったものだ。かくいう私は先週、妻の三回忌(二年目)だった。時はどんどん経って行く。
トンチンカン・・・猫跨ぎ
そうだね。北朝鮮認識については多くのトンチンカンな事柄があった。世論に影響を与えるそれなりの立場で北を擁護して「陰謀を企む連中」を叱っていた面々が、今は口を拭って知らん顔をしている。まあこの問題に限らないが。それにしても学者の看板を掲げ、税金で飯を食べていた以上はなあ。あなたの徹底的に考え抜かれた果ての「真理」とは何だったんだ。一度友好国の北朝鮮に行って収容所で臭い飯を戴いて、反省の機会をもらってはどうか。それが無理なら、「私の頭の中の、ここの配線が狂っておりまして」位の懺悔はあっていいのじゃないか。
考えて見れば、「平和勢力と戦争勢力」に代表される二元論がこの世界を覆っていたな。その亡霊にみな捕らわれていたんだ。まだまだ棚卸しは終わっていない。
考えて見れば、「平和勢力と戦争勢力」に代表される二元論がこの世界を覆っていたな。その亡霊にみな捕らわれていたんだ。まだまだ棚卸しは終わっていない。
そうそう懐かしい・・・ 褌子
こういう現象は象牙の塔だけでなく政治の世界でもおきる。和田春樹先生だけでなく社民党の土井たか子先生も北朝鮮が拉致なんかするわけない、陰謀だとする論説を、社民党のホームページにずっと載せていたよ。
学者もいろいろ・・・猫跨ぎ
白川静がまだ無名の少壮学者だったころ、岩波新書で『漢字』を出した。すると藤堂明保が、岩波ともあろうものが、どこの馬の骨ともわからん奴にこんな本を書かせてけしからんと怒ったという。東大、京大を中心とする官学以外は眼中にもないということか。そういう藤堂明保が中国の文化大革命に猛烈に肩入れしていたのはよく記憶している。文革沈静化とともに急速に存在感を無くしていったね。自分の中の文革を失念していたわけだ。
似た話では、和田春樹という東大教授がいた。徹底した北朝鮮擁護派で、拉致問題はすべて反北鮮勢力の陰謀だと言っていた。今は影も形もない。象牙の塔にいて結局何も判っていなかったということだ。
似た話では、和田春樹という東大教授がいた。徹底した北朝鮮擁護派で、拉致問題はすべて反北鮮勢力の陰謀だと言っていた。今は影も形もない。象牙の塔にいて結局何も判っていなかったということだ。
藤堂先生とはなつかしい・・・褌子
なるほど。猫跨ぎさんはなんでも詳しいね。
早速インターネットで調べると、
『常用漢字コアイメージ辞典』の著者加納喜光は、白川漢字学を徹底批判していた藤堂明保先生の直弟子だとわかる。
藤堂明保とは懐かしい名前だ。(余談だが三重きっての名家藤堂家の出身とか。南禅寺の山門は藤堂藩主が寄贈した)
全共闘のシンパで東大の先生だったが、東大辞めたあとはよくマスコミにでて、中国の文革を礼賛していたのを記憶する。 藤堂明保の学問的業績とは何も関係ないが、彼が天まで持ち上げていた全共闘運動(文革も)はどうなったか。
大学解体を叫んでいた全共闘は四分五裂し、革マルや中核派などの百名を超える凄惨な殺しあいに発展する。永田洋子(窈子さんでなくてよかったねえ逸徳さん)の連合赤軍事件、浅間山荘事件、北朝鮮に逃げていったよど号事件(日本に帰りたいと騒いでいるとか)もみな全共闘運動のなれの果てだ。
全共闘のなかでも変わり身のはやい連中は、打倒を叫んでいた霞ヶ関や大企業にさっさと潜り込んで出世した。いまの朝日新聞など大手マスコミの役員クラスにはかつての全共闘の出身者が多いんだ、警察庁の幹部にまでなったのもいて今は優雅な年金生活を満喫していると週刊誌で読んだことがある。
早速インターネットで調べると、
『常用漢字コアイメージ辞典』の著者加納喜光は、白川漢字学を徹底批判していた藤堂明保先生の直弟子だとわかる。
藤堂明保とは懐かしい名前だ。(余談だが三重きっての名家藤堂家の出身とか。南禅寺の山門は藤堂藩主が寄贈した)
全共闘のシンパで東大の先生だったが、東大辞めたあとはよくマスコミにでて、中国の文革を礼賛していたのを記憶する。 藤堂明保の学問的業績とは何も関係ないが、彼が天まで持ち上げていた全共闘運動(文革も)はどうなったか。
大学解体を叫んでいた全共闘は四分五裂し、革マルや中核派などの百名を超える凄惨な殺しあいに発展する。永田洋子(窈子さんでなくてよかったねえ逸徳さん)の連合赤軍事件、浅間山荘事件、北朝鮮に逃げていったよど号事件(日本に帰りたいと騒いでいるとか)もみな全共闘運動のなれの果てだ。
全共闘のなかでも変わり身のはやい連中は、打倒を叫んでいた霞ヶ関や大企業にさっさと潜り込んで出世した。いまの朝日新聞など大手マスコミの役員クラスにはかつての全共闘の出身者が多いんだ、警察庁の幹部にまでなったのもいて今は優雅な年金生活を満喫していると週刊誌で読んだことがある。
2012年2月13日月曜日
荒星と歳時記・・・猫跨ぎ
そうですか、函館も今年はすごいんだ。歳時記も淵源をたどれば、京付近の気象が元だから、ゆるいものなんだ。「しづり雪」なんて枝に積もった雪が滑り落ちるなんて風情は、北海道から見ると何をママゴト言っているんだ、だね。
荒星だけれど、角川文庫、ハルキ文庫、講談社文庫いずれの文庫版の歳時記にも載っているよ。私は日常的にはハルキ文庫のを使っていて特に支障はない。
一冊の携帯版として角川の「必携季寄せ」というのがある。吟行に持っていくが、これにも荒星は載っている。
確認に使うのは大部だけれど角川書店の「角川大歳時記」。これは写真など一切無いが、お薦め。講談社の「新日本大歳時記」は写真入りの豪華版。俳句をたしなむ人以外にも購読者を意識したのだろうけれど見て楽しいが、使用勝手はよくない。
「常用漢字コアイメージ辞典」 という本。白川静学への批判の書らしいね。白川氏がこてんぱにやっつけた東大の藤堂明保の流れらしい。代理戦争か。しかし両者の学問は本場の中国でどういう評価をされているのだろう。白川さんだって日本でも孤峰的存在。本当の評価はこれからじゃないのか。
荒星だけれど、角川文庫、ハルキ文庫、講談社文庫いずれの文庫版の歳時記にも載っているよ。私は日常的にはハルキ文庫のを使っていて特に支障はない。
一冊の携帯版として角川の「必携季寄せ」というのがある。吟行に持っていくが、これにも荒星は載っている。
確認に使うのは大部だけれど角川書店の「角川大歳時記」。これは写真など一切無いが、お薦め。講談社の「新日本大歳時記」は写真入りの豪華版。俳句をたしなむ人以外にも購読者を意識したのだろうけれど見て楽しいが、使用勝手はよくない。
「常用漢字コアイメージ辞典」 という本。白川静学への批判の書らしいね。白川氏がこてんぱにやっつけた東大の藤堂明保の流れらしい。代理戦争か。しかし両者の学問は本場の中国でどういう評価をされているのだろう。白川さんだって日本でも孤峰的存在。本当の評価はこれからじゃないのか。
函館通信171・・・双清・・・仁兵衛
「荒星」は日本大歳時記の冬の星の傍題にあります。
「双清」は広辞苑に「(画題)梅に水仙を配して描くもの。」とある通り人の名前ではありません。
11階建てのマンションの屋上屋根に大きな雪庇が出来てしまいました。自車から5台離れた車が落ちてきた雪と氷で後部ガラス・車体部が無残にやられてしまいました。まだこの雪害は起こりそうなので車を移動しようとしています。
今年は立春過ぎても雪と寒さの凄さにまいってしまっつています。昨日も四十九日の法要をやったのですが昼間から吹雪いて吹雪いて車での移動に苦労をし、東京から来た息子は飛行機が飛ばずもう一寸で帰れなくなる所でした。
こんな雪と寒さへの怨念があって「雪の束」も寒さの中の進水式も見ていたのかもしれません。
「双清」は広辞苑に「(画題)梅に水仙を配して描くもの。」とある通り人の名前ではありません。
11階建てのマンションの屋上屋根に大きな雪庇が出来てしまいました。自車から5台離れた車が落ちてきた雪と氷で後部ガラス・車体部が無残にやられてしまいました。まだこの雪害は起こりそうなので車を移動しようとしています。
今年は立春過ぎても雪と寒さの凄さにまいってしまっつています。昨日も四十九日の法要をやったのですが昼間から吹雪いて吹雪いて車での移動に苦労をし、東京から来た息子は飛行機が飛ばずもう一寸で帰れなくなる所でした。
こんな雪と寒さへの怨念があって「雪の束」も寒さの中の進水式も見ていたのかもしれません。
2012年2月12日日曜日
荒星 つづき ・・・ 褌子
荒星は広辞苑にはないが、大辞林にでていました。荒星=木枯らしの吹く夜の星。
ところ角川学芸出版の「俳句歳時記」の冬の項には、でてないね。
寒星、凍星、寒昴、寒オリオン、寒北斗、冬北斗、冬銀河などはでているが荒星がない。
水原秋桜子『現代俳句歳時記』にもない。
インターネットでひくとありましたね。
冬星(ふゆぼし)、寒星(かんぼし)、凍星(いてぼし)、荒星(あらぼし)、冬銀河(ふゆぎんが)、冬星座(ふゆせいざ)、星冴ゆる(ほしさゆる)、冬の太白(ふゆのたいはく)、冬北斗 、寒北斗(かんほくと)
やっぱり歳時記は安物ではなく、大枚はたいて『日本大歳時記』を買わないとだめか。
きょうの新聞の書評によれば『常用漢字コアイメージ辞典』加納喜光著(中央公論社5040円)というものが出版されたそうだ。評者の山崎正和氏によれば、漢字が根源的には、(象形文字ではなく)音声を伴うイメージの形象化を基本とする文字だったという主張のもとに、とりわけ模写図形説の代表者である白川静を根本的に否定する漢字辞典だというから興味がある。
漢字はものの形を抽象化した図形だという世間の常識を打破するという、面白い漢字辞典がでたものだ。書店でみてみたい。
ところ角川学芸出版の「俳句歳時記」の冬の項には、でてないね。
寒星、凍星、寒昴、寒オリオン、寒北斗、冬北斗、冬銀河などはでているが荒星がない。
水原秋桜子『現代俳句歳時記』にもない。
インターネットでひくとありましたね。
冬星(ふゆぼし)、寒星(かんぼし)、凍星(いてぼし)、荒星(あらぼし)、冬銀河(ふゆぎんが)、冬星座(ふゆせいざ)、星冴ゆる(ほしさゆる)、冬の太白(ふゆのたいはく)、冬北斗 、寒北斗(かんほくと)
やっぱり歳時記は安物ではなく、大枚はたいて『日本大歳時記』を買わないとだめか。
きょうの新聞の書評によれば『常用漢字コアイメージ辞典』加納喜光著(中央公論社5040円)というものが出版されたそうだ。評者の山崎正和氏によれば、漢字が根源的には、(象形文字ではなく)音声を伴うイメージの形象化を基本とする文字だったという主張のもとに、とりわけ模写図形説の代表者である白川静を根本的に否定する漢字辞典だというから興味がある。
漢字はものの形を抽象化した図形だという世間の常識を打破するという、面白い漢字辞典がでたものだ。書店でみてみたい。
早春の仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
・ 雁風呂や湯加減風に聞いてみる
雁風呂は僻遠の浜辺へ思いを馳せる季語。作者は家の風呂に浸かりながら、外の風音にふと思いを致したのだろうか。
・ 支え綱春まで断ちて進水す
春まで断ちて、が今一意味不明。建造中の船が春までには進水するだろうという意味かな。
・ サッチモのマウスピースや梅一輪
サッチモのトランペットのマウスピース自体よく判らない。特別仕様だったとか。
・ 水の春湿布斜めに貼られけり
・ ポンポン船北窓開く気配かな
春の息吹の二句か。
患部に張られた湿布薬が部位のせいでちょっと斜めになっている。水の春のやや浮き立つ感じと響き合う(かな)。
このポンポン船はやはり函館港。春の息吹となって北窓を叩いたということか。
・ ゼムクリップ挟み損ねて雪の束
・ 地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
この二句。降参です。雪の束とは。雪像溶けてとは雪まみれの乗客が乗り込んできた風景かとも。なら、雪像はいささか大袈裟かな。
・ 横丁の煙草屋まで来て春一番
煙草屋まで来て、春一番に遭遇。いつもの日常に感じた春の訪れか。
雁風呂は僻遠の浜辺へ思いを馳せる季語。作者は家の風呂に浸かりながら、外の風音にふと思いを致したのだろうか。
・ 支え綱春まで断ちて進水す
春まで断ちて、が今一意味不明。建造中の船が春までには進水するだろうという意味かな。
・ サッチモのマウスピースや梅一輪
サッチモのトランペットのマウスピース自体よく判らない。特別仕様だったとか。
・ 水の春湿布斜めに貼られけり
・ ポンポン船北窓開く気配かな
春の息吹の二句か。
患部に張られた湿布薬が部位のせいでちょっと斜めになっている。水の春のやや浮き立つ感じと響き合う(かな)。
このポンポン船はやはり函館港。春の息吹となって北窓を叩いたということか。
・ ゼムクリップ挟み損ねて雪の束
・ 地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
この二句。降参です。雪の束とは。雪像溶けてとは雪まみれの乗客が乗り込んできた風景かとも。なら、雪像はいささか大袈裟かな。
・ 横丁の煙草屋まで来て春一番
煙草屋まで来て、春一番に遭遇。いつもの日常に感じた春の訪れか。
2012年2月11日土曜日
雁風呂・・・・褌子
猫跨ぎ句の荒星にはまいった。国語辞典になくても部厚い歳時記にあるのか。日本語は深いな。はいわかりました。
さて、仁句鑑賞
・雁風呂や湯加減風に聞いてみる
風にきいてみるとは風雅でいい句だな。こういう風呂のお湯はなめらかでやわらかく清らかで芯からあたたまるにちがいない。
特選。
雁風呂について角川歳時記を引くと
「青森県外ケ浜では、春に雁が帰ったあと、海岸の木片を拾い風呂をたてて雁の供養をする習わしがあった。雁は、秋に渡ってくる時海上で羽を休めるための木片をくわえてくるといい、春に帰る時その木片を拾って行くという。残された木片は帰れずに死んだ雁の数ということになり、その雁を供養して村人は風呂を焚くのである」とある。
雁風呂という味わい深い季語を知った。こういうやさしい雁供養をする日本人のひとりに生まれた幸せを思う。
歳時記をひくとこういう例句もあった 雁供養砂の埋れ木焚き添へぬ 新谷ひろ
・支え綱春まで断ちて進水す
進水式を春まで延ばした?
・サッチモのマウスピースや梅一輪
さっても面白き俳句かな
・臥龍梅古き瘡蓋落しけり
梅の古木の樹皮はまさにカサブタのようだ。尾道にも臥龍松がありました。
・水の春湿布斜めに貼られけり
春の水といわずに水の春とひっくり返した。カサブタの次は湿布だな
・双清の軸に響きて猫の恋
双清がわたしにはわからんが有名な書家なんだろうか。季語は、猫の恋、春だし。
楓橋夜泊の軸あわす、と、むかし仁ちゃんが詠んだがあれは寒山寺の張継の詩だったが
・地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
たぶん札幌の雪祭りだな
・ポンポン船北窓開く気配かな
どこかね。隅田川か。
・横丁の煙草屋まで来て春一番
春一番が近くまで来た。横町のたばこ屋が庶民的で俳句的な愛嬌があるなあ。
さて、仁句鑑賞
・雁風呂や湯加減風に聞いてみる
風にきいてみるとは風雅でいい句だな。こういう風呂のお湯はなめらかでやわらかく清らかで芯からあたたまるにちがいない。
特選。
雁風呂について角川歳時記を引くと
「青森県外ケ浜では、春に雁が帰ったあと、海岸の木片を拾い風呂をたてて雁の供養をする習わしがあった。雁は、秋に渡ってくる時海上で羽を休めるための木片をくわえてくるといい、春に帰る時その木片を拾って行くという。残された木片は帰れずに死んだ雁の数ということになり、その雁を供養して村人は風呂を焚くのである」とある。
雁風呂という味わい深い季語を知った。こういうやさしい雁供養をする日本人のひとりに生まれた幸せを思う。
歳時記をひくとこういう例句もあった 雁供養砂の埋れ木焚き添へぬ 新谷ひろ
・支え綱春まで断ちて進水す
進水式を春まで延ばした?
・サッチモのマウスピースや梅一輪
さっても面白き俳句かな
・臥龍梅古き瘡蓋落しけり
梅の古木の樹皮はまさにカサブタのようだ。尾道にも臥龍松がありました。
・水の春湿布斜めに貼られけり
春の水といわずに水の春とひっくり返した。カサブタの次は湿布だな
・双清の軸に響きて猫の恋
双清がわたしにはわからんが有名な書家なんだろうか。季語は、猫の恋、春だし。
楓橋夜泊の軸あわす、と、むかし仁ちゃんが詠んだがあれは寒山寺の張継の詩だったが
・地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
たぶん札幌の雪祭りだな
・ポンポン船北窓開く気配かな
どこかね。隅田川か。
・横丁の煙草屋まで来て春一番
春一番が近くまで来た。横町のたばこ屋が庶民的で俳句的な愛嬌があるなあ。
函館通信170・・・吹雪・・・仁兵衛
北海道では岩見沢がひどい雪害になっているが函館もここ二三日短い周期の吹雪になっている。それに加えて真冬日の寒さが長く続いている。大変体には良くない。外に出たくないし、運動不足になるし悪循環におちいっている。新潟の雪の深さ、北海道の寒さ、沖縄南西諸島の青い海、なんと日本は自然の地域格差があるものなのだろう!あー!
だから俳句の受け止め方の違いもそんな所に影響されることも有りそうだ。と思いながら猫跨ぎさんの句を鑑賞した。
・歴史画のなかの未来図花八つ手・・・函館にも花八つ手はあるのだろうが探すのが大変。しかし句としては八つ手の花の向こうに暖かい未来が見えてくるようで時期としてぴったりはまった句に感じた。
・つけつけと女もの言ふ冬の浜・・・私もつけつけを広辞苑で引き直し成程と感心させられた。函館にはぴったり特選。
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く・・・取り合わせが雄大かつ大胆で面白い。
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠・・・海鼠の呟きが聞こえてきそうなのが面白い。下五のリズムが一寸悪いなと感じた。
そして拙句十句宜しくお願い致します。
・ 雁風呂や湯加減風に聞いてみる
・ 支え綱春まで断ちて進水す
・ サッチモのマウスピースや梅一輪
・ 臥龍梅古き瘡蓋落しけり
・ 水の春湿布斜めに貼られけり
・ 双清の軸に響きて猫の恋
・ ゼムクリップ挟み損ねて雪の束
・ 地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
・ ポンポン船北窓開く気配かな
・ 横丁の煙草屋まで来て春一番
だから俳句の受け止め方の違いもそんな所に影響されることも有りそうだ。と思いながら猫跨ぎさんの句を鑑賞した。
・歴史画のなかの未来図花八つ手・・・函館にも花八つ手はあるのだろうが探すのが大変。しかし句としては八つ手の花の向こうに暖かい未来が見えてくるようで時期としてぴったりはまった句に感じた。
・つけつけと女もの言ふ冬の浜・・・私もつけつけを広辞苑で引き直し成程と感心させられた。函館にはぴったり特選。
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く・・・取り合わせが雄大かつ大胆で面白い。
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠・・・海鼠の呟きが聞こえてきそうなのが面白い。下五のリズムが一寸悪いなと感じた。
そして拙句十句宜しくお願い致します。
・ 雁風呂や湯加減風に聞いてみる
・ 支え綱春まで断ちて進水す
・ サッチモのマウスピースや梅一輪
・ 臥龍梅古き瘡蓋落しけり
・ 水の春湿布斜めに貼られけり
・ 双清の軸に響きて猫の恋
・ ゼムクリップ挟み損ねて雪の束
・ 地下鉄に雪像溶けて乗りにけり
・ ポンポン船北窓開く気配かな
・ 横丁の煙草屋まで来て春一番
さみしさ・・・猫跨ぎ
駅で無機的に流される「人身事故」の連絡。そうね、一つ一つがどんな悲劇を背負っているのか。
「つけつけ」を知らない人がいたな。「づけづけ」と同じでしょと言われたたりして。勿論違う。
荒星:俳句を読んでいて、語彙が一般辞書にない場合、歳時記にある場合が多い。荒星(あらぼし)は、冬の星の傍題として、どんな歳時記にものっている。木枯らし吹きすさぶ夜に瞬く冬の星のこと。ね、だから歳時記を見なければ。
強霜の句は、津波の被災地に機械の一部が打ち上げられていたと聞いたので。途方もない力だった。その鉄塊に霜が真っ白に降りている風景。
さみしさとさびしさは違う。北海道の親戚の老婆は明らかに使い分けていたね。
「つけつけ」を知らない人がいたな。「づけづけ」と同じでしょと言われたたりして。勿論違う。
荒星:俳句を読んでいて、語彙が一般辞書にない場合、歳時記にある場合が多い。荒星(あらぼし)は、冬の星の傍題として、どんな歳時記にものっている。木枯らし吹きすさぶ夜に瞬く冬の星のこと。ね、だから歳時記を見なければ。
強霜の句は、津波の被災地に機械の一部が打ち上げられていたと聞いたので。途方もない力だった。その鉄塊に霜が真っ白に降りている風景。
さみしさとさびしさは違う。北海道の親戚の老婆は明らかに使い分けていたね。
2012年2月10日金曜日
猫跨ぎ句を鑑賞・・・・褌子
寒いがやはり立春を過ぎると、空の色も空気もなにかちがうと感じた。
・「人身事故」に鉄の匂ひや雪催
ほんとうに雪催に救われた。
鉄の匂い、血の匂いまでしてくる。
人身事故とのアナウンスに誰も何にも感じなくなった電車内。
こんなとき、「幸福な家庭はどこも似ているが、不幸な家庭は一軒一軒みなちがう」というトルストイの言葉が頭に浮かぶ。
・歴史画のなかの未来図花八つ手
歴史画のなかの未来図とはどういう図か知らないが、花八つ出が一句をひきたてた。花八つ出、なんとなく艶っぽい季語だ。
・根昆布のほのかに甘き寒夜かな
準特選。暖かい昆布茶すすれば何もゆうことなし
・パンに蜜拡げ大寒の底にゐる
特選。寒さ。底。パン。蜜。葡萄酒もあるにちがいない
・つけつけと女もの言ふ冬の浜
甲高い早口の漁師の女房か。冬の潮風にのってうるさい声が遠くまできこえてくる。
不思議、浜の景がみえてくる。単刀直入の俳句の世界がこころよい。和歌だとこういう情景をこんなふうにはいえない。
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く
宇宙膨張はハッブルが1929年(世界恐慌の年)に発見したが、なんとその膨張が加速していることが証明されたのはつい最近。宇宙の加速膨張がどんどんすすめば将来、宇宙は引き裂かれることになる。われらの住まう宇宙はじつに大変なことになっている。
・・・などと思い悩んでもしょうがない。のんびり餅を焼いていると、プーッと餅が加速膨張し、爆発しビッククランチ。旨そうだ
・荒星のひとつも入れてドライ・ジン
荒星をなんと読むのか。
久しぶりに「逆引き広辞苑」で星が下に来る言葉を探しまわったがわからない。
・強霜や流され来たる鉄塊に
つよしも、と読むんだね。木塊が沈み鉄塊が流される? いや、川面を流れてきたい霜の薄い氷塊が鉄塊にぶつかったんだと解した
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠
さみしさでもさびしさでも大差なかろうが、がぜん海鼠をもってきて物語性がでてきた
暗い海のなかでもの言わぬ海鼠はさみしいのか、さびしいのか。海鼠は冬の季語なんだね
・寒雷や胸中深く折れしもの
暗雲垂れ籠め家のなかは暗い
冬の雷が鬱々とした胸中に鳴る。神はいるのかいないのか。「光を。もっと光を」と苦悩するドストエフスキーのこめかみに突如稲妻。
・「人身事故」に鉄の匂ひや雪催
ほんとうに雪催に救われた。
鉄の匂い、血の匂いまでしてくる。
人身事故とのアナウンスに誰も何にも感じなくなった電車内。
こんなとき、「幸福な家庭はどこも似ているが、不幸な家庭は一軒一軒みなちがう」というトルストイの言葉が頭に浮かぶ。
・歴史画のなかの未来図花八つ手
歴史画のなかの未来図とはどういう図か知らないが、花八つ出が一句をひきたてた。花八つ出、なんとなく艶っぽい季語だ。
・根昆布のほのかに甘き寒夜かな
準特選。暖かい昆布茶すすれば何もゆうことなし
・パンに蜜拡げ大寒の底にゐる
特選。寒さ。底。パン。蜜。葡萄酒もあるにちがいない
・つけつけと女もの言ふ冬の浜
甲高い早口の漁師の女房か。冬の潮風にのってうるさい声が遠くまできこえてくる。
不思議、浜の景がみえてくる。単刀直入の俳句の世界がこころよい。和歌だとこういう情景をこんなふうにはいえない。
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く
宇宙膨張はハッブルが1929年(世界恐慌の年)に発見したが、なんとその膨張が加速していることが証明されたのはつい最近。宇宙の加速膨張がどんどんすすめば将来、宇宙は引き裂かれることになる。われらの住まう宇宙はじつに大変なことになっている。
・・・などと思い悩んでもしょうがない。のんびり餅を焼いていると、プーッと餅が加速膨張し、爆発しビッククランチ。旨そうだ
・荒星のひとつも入れてドライ・ジン
荒星をなんと読むのか。
久しぶりに「逆引き広辞苑」で星が下に来る言葉を探しまわったがわからない。
・強霜や流され来たる鉄塊に
つよしも、と読むんだね。木塊が沈み鉄塊が流される? いや、川面を流れてきたい霜の薄い氷塊が鉄塊にぶつかったんだと解した
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠
さみしさでもさびしさでも大差なかろうが、がぜん海鼠をもってきて物語性がでてきた
暗い海のなかでもの言わぬ海鼠はさみしいのか、さびしいのか。海鼠は冬の季語なんだね
・寒雷や胸中深く折れしもの
暗雲垂れ籠め家のなかは暗い
冬の雷が鬱々とした胸中に鳴る。神はいるのかいないのか。「光を。もっと光を」と苦悩するドストエフスキーのこめかみに突如稲妻。
最近の十句・・・猫跨ぎ
寒いが、この前の雨で季節がちょっと動いた感じがあるね。
恒例の最近の十句
・「人身事故」に鉄の匂ひや雪催
・歴史画のなかの未来図花八つ手
・根昆布のほのかに甘き寒夜かな
・パンに蜜拡げ大寒の底にゐる
・つけつけと女もの言ふ冬の浜
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く
・荒星のひとつも入れてドライ・ジン
・強霜や流され来たる鉄塊に
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠
・寒雷や胸中深く折れしもの
恒例の最近の十句
・「人身事故」に鉄の匂ひや雪催
・歴史画のなかの未来図花八つ手
・根昆布のほのかに甘き寒夜かな
・パンに蜜拡げ大寒の底にゐる
・つけつけと女もの言ふ冬の浜
・開闢以来宇宙膨張餅を焼く
・荒星のひとつも入れてドライ・ジン
・強霜や流され来たる鉄塊に
・さみしさとさびしさは違ふと海鼠
・寒雷や胸中深く折れしもの
2012年2月9日木曜日
めおと美談・・・褌子
さすが師匠。奥方はとるものもとりあえず佐世保でなく、裸一貫で鎮海にかけつけた、といいたいのだ。うるわしい夫婦愛。めおとはこうでなくちゃいかん。女房にも美談としてこんこんといいきかせよう。
逸徳教諭は品よく短く要点書いてね。カツオ=ずばり◎◎◎なんて初なボクにはいくらなんでも。やんわり「主婦の友」とか、◎◎◎◎なんていわずにさわやかに「女性自身」とか麗しくぼかすやまとごころがほしい。そうすると想像力が無限に働くと、小説の神様志賀直哉も「暗夜行路」で書いていた。
思春期の高校生にも古稀のじいさんにもわかるように大きな字でやさしく短く。
逸徳教諭は品よく短く要点書いてね。カツオ=ずばり◎◎◎なんて初なボクにはいくらなんでも。やんわり「主婦の友」とか、◎◎◎◎なんていわずにさわやかに「女性自身」とか麗しくぼかすやまとごころがほしい。そうすると想像力が無限に働くと、小説の神様志賀直哉も「暗夜行路」で書いていた。
思春期の高校生にも古稀のじいさんにもわかるように大きな字でやさしく短く。
おかげで・・・猫跨ぎ
君達ね、日本文化の来し方行く末を考えていたら、油断も隙もないな。昔の小話。朝鮮に鎮海という軍港があった。或る将校がそこを出立し、佐世保に行く旨、家へ電報を打ったそうな。「鎮立った 佐世に来い」。何を勘違いしたか奥方が顔を赤らめたという、明らかにメイキング見え見えの話。おかげで、下らんことを思い出したではないか。
イタリアは男か女か・・・・褌子
イタリア半島は男か女か。むろん男だ。ベニスが長靴の根もとにある。
井上ひさし『ボローニア紀行』を読んで記憶に残っているのは冒頭のこの二行だけ。逸徳教諭は喜びそうだが、ボクは恥ずかしかった…
国兼博士によれば、「ちょんまげ」は韓国語でイタリア半島の付け根にぶらさがっているものらしいから、ソウル美人にうっかりまちがえてチョンソン料理を「チョンマゲいちにんまえ」なんて注文しないように気をつけたい。
フィレンツエで「マグロのカルパッチョ」を「カツオのカルパッチョ」なんてイタリア娘に間違っても言ってはいかん。もちろん大和撫子に「デザートはフルーツ◎◎◎お願いね」なんていわないように、お互い言葉がもつれる年になったので紳士たるもの気をつけよう。
井上ひさし『ボローニア紀行』を読んで記憶に残っているのは冒頭のこの二行だけ。逸徳教諭は喜びそうだが、ボクは恥ずかしかった…
国兼博士によれば、「ちょんまげ」は韓国語でイタリア半島の付け根にぶらさがっているものらしいから、ソウル美人にうっかりまちがえてチョンソン料理を「チョンマゲいちにんまえ」なんて注文しないように気をつけたい。
フィレンツエで「マグロのカルパッチョ」を「カツオのカルパッチョ」なんてイタリア娘に間違っても言ってはいかん。もちろん大和撫子に「デザートはフルーツ◎◎◎お願いね」なんていわないように、お互い言葉がもつれる年になったので紳士たるもの気をつけよう。
こういうおもしろい話はすぐのる・・・・逸徳
実はこのブログで、最初にそういう話をしたのは、本人はおぼえていないだろうが、まぎれもなくお師匠である。ああいう俳句を作り、時にむつかしいことをいうお師匠のイメージとの落差がすげー面白かった。
エロマンガ高校か、現場でやったらすげーバカにされたかもしれん。なぜかというと、男子校ならともかく、現在の共学校では生徒相手にイロモノネタはほとんど不可能で、男子だけなら話はちがうと思うが、とにかく冗談ひとつがセクハラにならんように気をつかい、電車の中で読む週刊誌まで、勤務校の街からはずれるまでは注意しているぐらいなのだ。現実には、性的ポテンシャルのものすごく高い年代にもかかわらず、集団になると、信じられないくらい「たてまえとしての清潔さ」が要求される。したがって最近続発している教員の性的事件なんか、非常によくわかる。そういうエネルギーをぐっと抑えこんでいるところへきて、管理体制が強化され教師の主体性が奪われれば、自分の仕事に誇りを見出しにくくなる。したがって「昇華」がおこりにくくなる。だからでどこを失ったエネルギーは非行にむいてしまう。これ、山内仮説。性的エネルギーはフロイトのいうリビドーというやつだが、これが昇華作用で別の面に転化すると、おおきな仕事をするやつが出てくる。したがって、男はエッチな方がおおものになるのだ、という話を男女混合クラスでやったが、これくらいが限界で、しかもこれをまじめーな顔してやるから面白くもなんともないことになる。
で、知人の御嬢さんがイタリアに音楽留学した。彼女まことに和食が好きで、向こうでも自分でごはんみそしるの生活を実践したという。その得意メニューがおすましで、ちゃんと鰹節をもっていって、けずってだしをとっていたそうな。で、あるとき向こうで友達になったイタリア人を招待して夕食をごちそうした。おすましの味が大好評で、「このスープはどうやってつくるのか」と聞かれた。説明より実物をということで、鰹節をみせて「これをナイフでけずって、熱湯にいれてスープの素をつくる。日本人はみんなこれをつかう」といったそうな。興味を持ったイタリアの友人が、これは日本ではなんというかと聞くので「かつおぶしだ。生のやつをほしてつくっている」と答えたら、相手は真っ青になって卒倒したそうな。 落ち。かつおという発音はイタリヤ語で男性器をさします。この話すごく好きだがもとても生徒の前ではやれなかった。
エロマンガ高校か、現場でやったらすげーバカにされたかもしれん。なぜかというと、男子校ならともかく、現在の共学校では生徒相手にイロモノネタはほとんど不可能で、男子だけなら話はちがうと思うが、とにかく冗談ひとつがセクハラにならんように気をつかい、電車の中で読む週刊誌まで、勤務校の街からはずれるまでは注意しているぐらいなのだ。現実には、性的ポテンシャルのものすごく高い年代にもかかわらず、集団になると、信じられないくらい「たてまえとしての清潔さ」が要求される。したがって最近続発している教員の性的事件なんか、非常によくわかる。そういうエネルギーをぐっと抑えこんでいるところへきて、管理体制が強化され教師の主体性が奪われれば、自分の仕事に誇りを見出しにくくなる。したがって「昇華」がおこりにくくなる。だからでどこを失ったエネルギーは非行にむいてしまう。これ、山内仮説。性的エネルギーはフロイトのいうリビドーというやつだが、これが昇華作用で別の面に転化すると、おおきな仕事をするやつが出てくる。したがって、男はエッチな方がおおものになるのだ、という話を男女混合クラスでやったが、これくらいが限界で、しかもこれをまじめーな顔してやるから面白くもなんともないことになる。
で、知人の御嬢さんがイタリアに音楽留学した。彼女まことに和食が好きで、向こうでも自分でごはんみそしるの生活を実践したという。その得意メニューがおすましで、ちゃんと鰹節をもっていって、けずってだしをとっていたそうな。で、あるとき向こうで友達になったイタリア人を招待して夕食をごちそうした。おすましの味が大好評で、「このスープはどうやってつくるのか」と聞かれた。説明より実物をということで、鰹節をみせて「これをナイフでけずって、熱湯にいれてスープの素をつくる。日本人はみんなこれをつかう」といったそうな。興味を持ったイタリアの友人が、これは日本ではなんというかと聞くので「かつおぶしだ。生のやつをほしてつくっている」と答えたら、相手は真っ青になって卒倒したそうな。 落ち。かつおという発音はイタリヤ語で男性器をさします。この話すごく好きだがもとても生徒の前ではやれなかった。
GUNS,GERMS,AND STEEL ・・・褌子
佐渡震度5とテレビがいうので、田舎に電話してみたが、大したことないという。屋根の雪がゴーといっせいに落ちてきたので初めは地震とは思わなかったそうだ。昼間だったら落雪の下敷きになったひとも多かった。それよりも大雪で年寄りは本当に困っているといっていた。千葉はこんなに天気がいいのになあ。
佐渡の実家の近所にも無住の家が増えている。あと五十年後に日本人口八千三百万、四割が65才以上と発表されている。いがいと落ち着いた日本になっているかもしれないと思うのは幻想か。郷里の実家も集落の家々もすべて廃屋になっている光景を想像するのはさみしいが。いやそうとも限らないかもしれない。
それよりも、本屋さんがどんどんつぶれているのはさみしい。町なかの本屋はとっくになくなってしまった。電車のなかではみんな携帯ピコピコやっている。やはり日本は文化亡国へ向かっているのか…
『銃・病原菌・鉄――一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』を読み出した。むろん和訳本だが。
とくに興味があるのは、宗教よりも民族の言語の発生。天にまで届くバベルの塔をつくりはじめた人間の傲慢をこらしめるため、神はたくさんの言語をつくり、人間を混乱させたと旧約聖書創世記はいうが。
旧約聖書はヘブライ語(ユダヤ人の言語)、新約聖書はギリシア語で書いてある。アルファベットを発明したフェニキア人は海洋民族だったが紀元前はるか前に忽然ときえたというが何処へ消えたのか。かつてのフェニキアの地がいまアサドによる大量虐殺がつづいているレバノン山脈西のシリアの地。そのさらに西南にイスラエルがある。ここらへんははじめにロゴスありきの土地なんだ。行ってみたい。
ロゴスといえば、メルビル『白鯨』の冒頭「語源」の章に、「巨いなるうを=鯨」を13カ国語で表記している。最初はむろんヘブライ語だがうちのPCでは無理、次のギリシア語も面倒。次のラテン語はCETUS。次がアングロ・サクスン語になっていてWHCELでCとEがくっついて一文字になっている。8番目アイスランド語とイギリス語はともにWHALE。最後13番目のエロマンゴア語はPEHEE-NUEE-NUEE・・・・こういうこと書くのは無意味なのでやめにしようと思ったが、エロマンゴア語の訳注(新潮文庫上巻427ページ)を読んで一驚。
エロマンゴア語=正しくはエロマンガ語(Eromanga)。エロマンガ語を話すEromanga島は南太平洋ニュー・ヘブリデス群島中の一島。住民はカナカ族、現在仏英共同統治下にある。
―――――と訳注にある。「正しくは」と書いている訳者田中西二郎先生の困惑ぶりがおもしろい。女性の訳者だともっと困るだろうなあ。こういうところの高校生は◎◎◎◎◎高校卒か。ちょっと困るなあ。逸徳教諭の御見解をおうかがいしたい。ヘブリデスも語感がよくない。
(こういう話は、猫跨ぎさんが紹介していた記憶がある)
佐渡の実家の近所にも無住の家が増えている。あと五十年後に日本人口八千三百万、四割が65才以上と発表されている。いがいと落ち着いた日本になっているかもしれないと思うのは幻想か。郷里の実家も集落の家々もすべて廃屋になっている光景を想像するのはさみしいが。いやそうとも限らないかもしれない。
それよりも、本屋さんがどんどんつぶれているのはさみしい。町なかの本屋はとっくになくなってしまった。電車のなかではみんな携帯ピコピコやっている。やはり日本は文化亡国へ向かっているのか…
『銃・病原菌・鉄――一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』を読み出した。むろん和訳本だが。
とくに興味があるのは、宗教よりも民族の言語の発生。天にまで届くバベルの塔をつくりはじめた人間の傲慢をこらしめるため、神はたくさんの言語をつくり、人間を混乱させたと旧約聖書創世記はいうが。
旧約聖書はヘブライ語(ユダヤ人の言語)、新約聖書はギリシア語で書いてある。アルファベットを発明したフェニキア人は海洋民族だったが紀元前はるか前に忽然ときえたというが何処へ消えたのか。かつてのフェニキアの地がいまアサドによる大量虐殺がつづいているレバノン山脈西のシリアの地。そのさらに西南にイスラエルがある。ここらへんははじめにロゴスありきの土地なんだ。行ってみたい。
ロゴスといえば、メルビル『白鯨』の冒頭「語源」の章に、「巨いなるうを=鯨」を13カ国語で表記している。最初はむろんヘブライ語だがうちのPCでは無理、次のギリシア語も面倒。次のラテン語はCETUS。次がアングロ・サクスン語になっていてWHCELでCとEがくっついて一文字になっている。8番目アイスランド語とイギリス語はともにWHALE。最後13番目のエロマンゴア語はPEHEE-NUEE-NUEE・・・・こういうこと書くのは無意味なのでやめにしようと思ったが、エロマンゴア語の訳注(新潮文庫上巻427ページ)を読んで一驚。
エロマンゴア語=正しくはエロマンガ語(Eromanga)。エロマンガ語を話すEromanga島は南太平洋ニュー・ヘブリデス群島中の一島。住民はカナカ族、現在仏英共同統治下にある。
―――――と訳注にある。「正しくは」と書いている訳者田中西二郎先生の困惑ぶりがおもしろい。女性の訳者だともっと困るだろうなあ。こういうところの高校生は◎◎◎◎◎高校卒か。ちょっと困るなあ。逸徳教諭の御見解をおうかがいしたい。ヘブリデスも語感がよくない。
(こういう話は、猫跨ぎさんが紹介していた記憶がある)
2012年2月8日水曜日
ありゃ ・・・猫跨ぎ
何と言うことだ。神保町の古書街から或る本屋が消えた。「日本特価書籍」。新刊本を一割引で売っている誠に稀有な店だった。固い本と辞書ばかり。詳しくは知らないが再販価格制度の枠外で運営出来ていたのだろう。この前久し振りに行くと、何の特徴も無い普通の古書店になっていた。数十年、行くと必ず寄った店だったのに。
基本的には出版不況のあおりらしい。一定の売り上げを確保しないと維持できないのだろう。真面目な書籍の出版の危機はひたひたと迫っている。下らん電子端末の下らん情報の洪水でこの国は滅んでしまう。意外に早いかもね。
基本的には出版不況のあおりらしい。一定の売り上げを確保しないと維持できないのだろう。真面目な書籍の出版の危機はひたひたと迫っている。下らん電子端末の下らん情報の洪水でこの国は滅んでしまう。意外に早いかもね。
銃・病原菌・鉄・・・・褌子
結局、春の読書は、遅疑逡巡したあげく古くさい本はやめて
『銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎』を読むことにした。
著者のジャレド・メイスン・ダイアモンド(Jared Mason Diamond)は、アメリカの進化生物学者、生理学者、生物地理学者、ノンフィクション作家なんだそうだ。
現在、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ニューギニアを中心とする長年のフィールドワークでも知られている。地球上で人間の進む道がたとえばマヤ人とスペイン人のようにかくも異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学などの豊富な知識を駆使して説き明かす。
面白そう。
『銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎』を読むことにした。
著者のジャレド・メイスン・ダイアモンド(Jared Mason Diamond)は、アメリカの進化生物学者、生理学者、生物地理学者、ノンフィクション作家なんだそうだ。
現在、カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。ニューギニアを中心とする長年のフィールドワークでも知られている。地球上で人間の進む道がたとえばマヤ人とスペイン人のようにかくも異なったのはなぜか、という壮大な謎を、生物学、言語学などの豊富な知識を駆使して説き明かす。
面白そう。
2012年2月7日火曜日
作品と作者・・・・褌子
エルサレムに行ってくる。いずれそのうちに。
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地が狭いところに隣り合わせにひしめいていて、じつに面白いところだそうだ。
行ってきた牧師さんにきいたら、日本人だというと安全で歓迎されるという。
『暗夜行路』は面白くなかったが、大山に登る最終章がよかった。高校時代くらいに仲代達也と山本富士子が演ずる映画をみた記憶がよみがえった。
春の読書。つぎはメルヴィル『白鯨 モビィ・ディック』にしようとしたが、アメリカ南北戦争前夜の作品で神の不在を論じたドストエフスキー『大審問官』に影響された思想小説だとか訳者解説にえんえん小難しく書いてある。しょっぱなにWhaleを10カ国語で書き並べてあったりするので面倒くさくなった。最近、読む前に解説をよんでしまう悪い癖がついた。恥ずかしい。
そこでショーロホフ『静かなるドン』にした。――のだが、全三巻のうち二巻だけしか本棚にみあたらない。これも訳者解説などをついつい読んでいると、ショーロホフ(1905-1984)は若くしてあまりに有名な『静かなるドン』を書き上げ、ソ連の国民的英雄になった。スターリンの粛清下でも無実の罪で逮捕された銃殺寸前の人々をずいぶん救ったという。
ところが大戦が終わり、スターリン批判後にはすっかり体制派に変質し、『収容所群島』のソルジェニーツィンなどを逆に批判する側にまわっていたというから驚く。とくに60年代にノーベル文学賞もらって夫婦で世界中を講演などしてちやほやされて歩いているうちにソ連官僚体制の宣伝に熱心になってきたという。
『怒りの葡萄』のスタインベックもノーベル文学賞もらって駄目になった。ベトナム戦争ではベトナムの農民を爆撃する米軍機にのって戦意高揚の従軍記を書くほど精神的に落ちぶれた。人間としとって生活安泰、有名になって勲章なんかもらうと駄目になるひと多いんだね。われらは勲章もらえそうなひといないから大丈夫か
猫跨ぎさんが紹介していて知ったのだが、ノーベル文学賞を断ったのはサルトルだけだという。サルトルはえらいな。
しかしノーベル賞をこんなに大騒ぎして国中で有り難がるのは日本的現象だそうだ。明治維新後の脱亜入欧の延長線上の西洋崇拝かもしれない。
えらいといえば松川事件にとりくんだ作家広津和郎も人間が立派だったらしい。
いま劇団民芸が広津和郎を描いた『静かな落日』を新宿紀伊國屋ホールでやっているので観に行く。
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地が狭いところに隣り合わせにひしめいていて、じつに面白いところだそうだ。
行ってきた牧師さんにきいたら、日本人だというと安全で歓迎されるという。
『暗夜行路』は面白くなかったが、大山に登る最終章がよかった。高校時代くらいに仲代達也と山本富士子が演ずる映画をみた記憶がよみがえった。
春の読書。つぎはメルヴィル『白鯨 モビィ・ディック』にしようとしたが、アメリカ南北戦争前夜の作品で神の不在を論じたドストエフスキー『大審問官』に影響された思想小説だとか訳者解説にえんえん小難しく書いてある。しょっぱなにWhaleを10カ国語で書き並べてあったりするので面倒くさくなった。最近、読む前に解説をよんでしまう悪い癖がついた。恥ずかしい。
そこでショーロホフ『静かなるドン』にした。――のだが、全三巻のうち二巻だけしか本棚にみあたらない。これも訳者解説などをついつい読んでいると、ショーロホフ(1905-1984)は若くしてあまりに有名な『静かなるドン』を書き上げ、ソ連の国民的英雄になった。スターリンの粛清下でも無実の罪で逮捕された銃殺寸前の人々をずいぶん救ったという。
ところが大戦が終わり、スターリン批判後にはすっかり体制派に変質し、『収容所群島』のソルジェニーツィンなどを逆に批判する側にまわっていたというから驚く。とくに60年代にノーベル文学賞もらって夫婦で世界中を講演などしてちやほやされて歩いているうちにソ連官僚体制の宣伝に熱心になってきたという。
『怒りの葡萄』のスタインベックもノーベル文学賞もらって駄目になった。ベトナム戦争ではベトナムの農民を爆撃する米軍機にのって戦意高揚の従軍記を書くほど精神的に落ちぶれた。人間としとって生活安泰、有名になって勲章なんかもらうと駄目になるひと多いんだね。われらは勲章もらえそうなひといないから大丈夫か
猫跨ぎさんが紹介していて知ったのだが、ノーベル文学賞を断ったのはサルトルだけだという。サルトルはえらいな。
しかしノーベル賞をこんなに大騒ぎして国中で有り難がるのは日本的現象だそうだ。明治維新後の脱亜入欧の延長線上の西洋崇拝かもしれない。
えらいといえば松川事件にとりくんだ作家広津和郎も人間が立派だったらしい。
いま劇団民芸が広津和郎を描いた『静かな落日』を新宿紀伊國屋ホールでやっているので観に行く。
2012年2月6日月曜日
続・宗教・・・猫跨ぎ
ところで葬式仏教と馬鹿にするむきもあるが、彼等は決して教義を押しつけない。そのかわり或る枠組みを提供する。その中に、逝った人を思うのもよし、先祖を敬うのもよし、世の平安を希求するもよし、魂の救済を求めるのもよし。何をどう詰め込むかは各人の自由裁量にまかされる。我々凡人はこういう枠組みを必要としているのではないかと最近考えている。
注)写真は自由が丘風景。本文と何の関係もない。
Re:二種類の宗教・・・ 褌子
逸徳氏の宗教観を面白く読んでいる。とくに以下のくだりに共感する。
―――――本来の宗教は、人間のもつ根源的な存在の不安(としか言いようがないのだが)に対して、さまざまな手段でその不安にこたえる道を探ろうとする営みの総体である。
まったくそう思う。
反面、日本のはなしだが、逸徳さんはいわゆる葬式仏教をkotenparーにくさしている。
が、ひとりの人間が死んで世間的にけじめをつけるにはああいう儀式もあってもいいのではないか。香典もいい習慣だ。どんな貧乏人でも香典でとりあえず葬式はできる。もときくんの映画『送り人』もよかった。(あれは山形の注蓮寺ちかくで撮影したとか)
金持ちから法外な戒名代をまきあげて、坊さんが外車で芸者つれて歓楽街にくりだす…金は天下のまわりもの、内需拡大に貢献大いに結構。豪勢な葬式、豪華な墓でしもじもから搾った金を派手に散財、大金持ちも虚栄心満足。葬儀屋で働く労働者も石屋も仏壇屋も仕出し屋も助かる。
なまくら坊主ばかりとは限らない。小さなお寺さんは維持するのに本当に苦労している。教会も信者がふえなくて大変らしい。神社仏閣は大いなる芸術遺産だ。おいらもお寺でもっと賽銭投げたらどうか。(猛烈な跡目争奪戦に勝ち抜いた京都あたりの有名な寺の坊主はだいたい遊び上手が多いらしい。信州善光寺については迫真の内情告発を境内ちかくの旅館社長からきいて面白かったな。あれでは創価学会に負けるわけだ)
まあ無理に二つの宗教なんて分断しなくてもいいのではないか。人間は三膳飯を食ったり、僻み嫉妬吹聴自慢、地獄転落怖いと急に偽善家になったり正直者になったり忙しくしているうちにお迎えがくる。
こういうのは、創価学会の蓄財、腐敗、権力欲に比べたら何にも問題がない赤子のような話。
この「エセ宗教団体」の資産は10兆円をはるかにこえるという。不況にあえぐマスコミに巨大広告をだして支配。国政もそうだ。司法、警察、外交関係にもエリート学会員を長年おくりだし、恐るべき「総体革命」がすすんでいる。
宗教法人への非課税を悪用して貧乏人を洗脳して金をまきあげてきた。わたしは善良な学会員のサラ金相談などに年中のっているのでそのひどい実態に心底怒っている。
ウソだと思ったら元公明党の書記長、委員長だった矢野絢也氏の『黒革の手帳』(講談社)などを読むといい。事実を経験したものにしか絶対こんなことは書けない生命の危機に脅かされながらの迫真の告白。
―――――本来の宗教は、人間のもつ根源的な存在の不安(としか言いようがないのだが)に対して、さまざまな手段でその不安にこたえる道を探ろうとする営みの総体である。
まったくそう思う。
反面、日本のはなしだが、逸徳さんはいわゆる葬式仏教をkotenparーにくさしている。
が、ひとりの人間が死んで世間的にけじめをつけるにはああいう儀式もあってもいいのではないか。香典もいい習慣だ。どんな貧乏人でも香典でとりあえず葬式はできる。もときくんの映画『送り人』もよかった。(あれは山形の注蓮寺ちかくで撮影したとか)
金持ちから法外な戒名代をまきあげて、坊さんが外車で芸者つれて歓楽街にくりだす…金は天下のまわりもの、内需拡大に貢献大いに結構。豪勢な葬式、豪華な墓でしもじもから搾った金を派手に散財、大金持ちも虚栄心満足。葬儀屋で働く労働者も石屋も仏壇屋も仕出し屋も助かる。
なまくら坊主ばかりとは限らない。小さなお寺さんは維持するのに本当に苦労している。教会も信者がふえなくて大変らしい。神社仏閣は大いなる芸術遺産だ。おいらもお寺でもっと賽銭投げたらどうか。(猛烈な跡目争奪戦に勝ち抜いた京都あたりの有名な寺の坊主はだいたい遊び上手が多いらしい。信州善光寺については迫真の内情告発を境内ちかくの旅館社長からきいて面白かったな。あれでは創価学会に負けるわけだ)
まあ無理に二つの宗教なんて分断しなくてもいいのではないか。人間は三膳飯を食ったり、僻み嫉妬吹聴自慢、地獄転落怖いと急に偽善家になったり正直者になったり忙しくしているうちにお迎えがくる。
こういうのは、創価学会の蓄財、腐敗、権力欲に比べたら何にも問題がない赤子のような話。
この「エセ宗教団体」の資産は10兆円をはるかにこえるという。不況にあえぐマスコミに巨大広告をだして支配。国政もそうだ。司法、警察、外交関係にもエリート学会員を長年おくりだし、恐るべき「総体革命」がすすんでいる。
宗教法人への非課税を悪用して貧乏人を洗脳して金をまきあげてきた。わたしは善良な学会員のサラ金相談などに年中のっているのでそのひどい実態に心底怒っている。
ウソだと思ったら元公明党の書記長、委員長だった矢野絢也氏の『黒革の手帳』(講談社)などを読むといい。事実を経験したものにしか絶対こんなことは書けない生命の危機に脅かされながらの迫真の告白。
2012年2月5日日曜日
二種類の宗教・・・・逸徳
ちと面白いと思うので。 おいらの考えでは、宗教という言葉で指示されるものには明らかに二種類あるという気がしているのである。 ひとつは「」つきのいわゆる宗教と称しているもので、これはおいらの感覚からいうとホントは宗教とはよびたくない。ある種の妄想、あるいは盲信にもとづいた社会儀式をつかさどる装置に過ぎない。いわゆる、葬式宗教は典型であろう。はらう金額で、戒名の位がちがうというのはとても宗教の名に値しない。今に自然消滅するだろうな。もっともそれで安心する人がいるというかもしれないが、それは一種の軽蔑すべきペテンではないか。あるいは宗教がひとつの社会的権威として、人間の精神状況に影響を与え、あるいは支配するのも宗教とはいいたくない。たとえばローマカトリックの法王を頂点としたピラミッド構造は一種の精神的な社会的権力に過ぎない。あるいは精神的暴力装置といってもいいか。宗教にあのような壮大な伽藍、神殿はどうして必要なのか。そこがわからん。だいたい、カソリックは異教徒を人とみとめないで、異教徒の首でサッカーやるような残虐さを発揮している。だから中東の騒乱の背景のひとつである、イスラムとキリスト教徒の対立は、あれ妄想のけんかに過ぎないのだ。それをえんえんとやっていたのであって、この辺のことは手塚治虫の「アドルフにつぐ」で見事に描かれている。 人間Aが神と宗教の名において人間Bの存在を否定した瞬間それはもはや神でも宗教でもない。
たしかハイゼンベルグ(ただしあのハイゼンベルグでなく、その弟らしいが)が、宗教の共通の特徴として四つのことをあげている。宗教とは何か。ひとつは経典があること。二番目に神殿、三番目に教団の存在、最後に神官がいることである。そしてそれが発達して一種の社会的な装置にまで進化してしまったのが今の宗教ではないか。でもこれ本当に宗教だろうか。
本来の宗教とおいらが感じているのは、人間のもつ根源的な存在の不安(としか言いようがないのだが)に対して、さまざまな手段でその不安にこたえる道を探ろうとする営みの総体である。神の存在を考えるのは、そのような試みのひとつにすぎない。神という言葉を考えなくても宗教は成立しえる。原始仏教なんかにはそういう面があったと思うし、禅宗なんて、所与のものとしての神は考えていないのではないか。 したがって、アインシュタインが自らを「宗教的無神論者」と定義したのはまことによくわかるのである。そして、こういう真摯な営みとしての宗教は、絶滅危惧種だという気がするのだ。
たしかハイゼンベルグ(ただしあのハイゼンベルグでなく、その弟らしいが)が、宗教の共通の特徴として四つのことをあげている。宗教とは何か。ひとつは経典があること。二番目に神殿、三番目に教団の存在、最後に神官がいることである。そしてそれが発達して一種の社会的な装置にまで進化してしまったのが今の宗教ではないか。でもこれ本当に宗教だろうか。
本来の宗教とおいらが感じているのは、人間のもつ根源的な存在の不安(としか言いようがないのだが)に対して、さまざまな手段でその不安にこたえる道を探ろうとする営みの総体である。神の存在を考えるのは、そのような試みのひとつにすぎない。神という言葉を考えなくても宗教は成立しえる。原始仏教なんかにはそういう面があったと思うし、禅宗なんて、所与のものとしての神は考えていないのではないか。 したがって、アインシュタインが自らを「宗教的無神論者」と定義したのはまことによくわかるのである。そして、こういう真摯な営みとしての宗教は、絶滅危惧種だという気がするのだ。
2012年2月4日土曜日
藪から棒なⅢ・・・褌子
トルストイを愛読したレーニンが、ドストエフスキーには批判的だったわけを、革命と言語系の問題でたった七行でずばり解明したのは本邦初ではないか。たぶん。おそらく。猫跨ぎ氏は露文を専攻すべきであった。
ドストエフスキーの闇は深い。「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて何ともうんざりした。英文で『罪と罰』を読むのももうやめにしたい。山田風太郎のほうが百倍も面白い。
BSテレビで映画『戦争と平和』を三晩かけてみた。1812年、フランス侵入軍にモスクワまで占領されながら最後に冬将軍の加勢をえて勝利するロシア。トルストイの祖国ロシアへの愛国心がほとばしりでている。
フランス革命をへたナポレオン軍とたたかうロシア軍の将校はみな貴族出身。「ロシアは敗戦続きで、兵を補充するために農民まで狩り出している」というくだりがあった。ロシアの農奴解放は1861年。農奴解放をへたあとの日露戦争でも帝政末期のロシア軍と明治維新をへた国民国家の日本軍とはちがう軍隊だったのだ。
・・・などと思って、志賀直哉『暗夜行路』を読んでいたが、主人公時任健作も友人達も華族階級につらなる若者たちなんだと気づいた。女中、下男がいて、年中芸者遊びをしていて生活のにおいがしない。志賀直哉の祖父も相馬藩の家令だったせいか、父は明治のころにドイツ官費留学、直哉は学習院をでている。
『暗夜行路』にもでてくる事実なのだが、直哉が女中(小説の設定では祖父の妾。自分は祖父の子という設定だがこれは事実ではない)との結婚を決意したら一家をあげて大騒ぎになって諦めさせられている。父が足尾銅山鉱毒事件をおこした古河市兵衛に肩入れしたことから、父との不和を決定的にするなど直哉はだんだん自らの階級のもっている臭気を憎悪するようになって社会変革に関心をふかめていう。
ここらへんは、津軽の大地主の家に生まれた出自を軽蔑し嫌悪する太宰治に似ているな。いっぽう漱石は東京の没落名主の家に生まれたが、根っからの江戸っ子。帝大から英国留学しても友人子規と交流し、諧謔と庶民の文芸俳句を楽しんだ。漱石は高等遊民と自らを卑下しつつも、華族と金持ち階級を心底嫌って軽蔑している。(歌会始で皇族も俳句をやる時代がくるといいね)
そんな漱石を直哉はうらやましく思い、心から尊敬していた。さらに後年、直哉をしたう小林多喜二を自宅に招いたり、激励の手紙を何度も書いている。小林多喜二が昭和8年2月20日に29才で築地署で虐殺された事を知った直哉は「あの青年の思い、ものになるべし」と日記に書いた。(『暗夜行路』のはなしの筋は私には退屈きわまる“私小説”なのだが、こんな観点から読んでいると多少面白い。ついでにいうと太宰治は戦後日本共産党に入党もしている)
日本は敗戦による大日本帝国崩壊まで、皇族・貴族・士族がいて「平民」がいて、被差別部落民がいた。大地主も資本家も高額納税者となると公侯伯子男の末席につらなり爵位をえた彼らの子弟は徴兵からも逃れることができた。
われわれが生まれたころ、つい一昨日の日本はそんな社会だったのだ。
多喜二忌やまだある築地警察署
ドストエフスキーの闇は深い。「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて何ともうんざりした。英文で『罪と罰』を読むのももうやめにしたい。山田風太郎のほうが百倍も面白い。
BSテレビで映画『戦争と平和』を三晩かけてみた。1812年、フランス侵入軍にモスクワまで占領されながら最後に冬将軍の加勢をえて勝利するロシア。トルストイの祖国ロシアへの愛国心がほとばしりでている。
フランス革命をへたナポレオン軍とたたかうロシア軍の将校はみな貴族出身。「ロシアは敗戦続きで、兵を補充するために農民まで狩り出している」というくだりがあった。ロシアの農奴解放は1861年。農奴解放をへたあとの日露戦争でも帝政末期のロシア軍と明治維新をへた国民国家の日本軍とはちがう軍隊だったのだ。
・・・などと思って、志賀直哉『暗夜行路』を読んでいたが、主人公時任健作も友人達も華族階級につらなる若者たちなんだと気づいた。女中、下男がいて、年中芸者遊びをしていて生活のにおいがしない。志賀直哉の祖父も相馬藩の家令だったせいか、父は明治のころにドイツ官費留学、直哉は学習院をでている。
『暗夜行路』にもでてくる事実なのだが、直哉が女中(小説の設定では祖父の妾。自分は祖父の子という設定だがこれは事実ではない)との結婚を決意したら一家をあげて大騒ぎになって諦めさせられている。父が足尾銅山鉱毒事件をおこした古河市兵衛に肩入れしたことから、父との不和を決定的にするなど直哉はだんだん自らの階級のもっている臭気を憎悪するようになって社会変革に関心をふかめていう。
ここらへんは、津軽の大地主の家に生まれた出自を軽蔑し嫌悪する太宰治に似ているな。いっぽう漱石は東京の没落名主の家に生まれたが、根っからの江戸っ子。帝大から英国留学しても友人子規と交流し、諧謔と庶民の文芸俳句を楽しんだ。漱石は高等遊民と自らを卑下しつつも、華族と金持ち階級を心底嫌って軽蔑している。(歌会始で皇族も俳句をやる時代がくるといいね)
そんな漱石を直哉はうらやましく思い、心から尊敬していた。さらに後年、直哉をしたう小林多喜二を自宅に招いたり、激励の手紙を何度も書いている。小林多喜二が昭和8年2月20日に29才で築地署で虐殺された事を知った直哉は「あの青年の思い、ものになるべし」と日記に書いた。(『暗夜行路』のはなしの筋は私には退屈きわまる“私小説”なのだが、こんな観点から読んでいると多少面白い。ついでにいうと太宰治は戦後日本共産党に入党もしている)
日本は敗戦による大日本帝国崩壊まで、皇族・貴族・士族がいて「平民」がいて、被差別部落民がいた。大地主も資本家も高額納税者となると公侯伯子男の末席につらなり爵位をえた彼らの子弟は徴兵からも逃れることができた。
われわれが生まれたころ、つい一昨日の日本はそんな社会だったのだ。
多喜二忌やまだある築地警察署
棒から藪なⅡ・・・猫跨ぎ
レーニンがトルストイを好み、ドストエフスキーを嫌ったのは、勿論なんの予備知識を持ち合わせていないが、勝手なことを言うが、ドストエフスキーにある魂の深淵みたいなものへの視座が容認できなかったのではないか。有り体にいえば、革命は言語系の最たるものだ。全部明確にされねばならないところがある。暗闇は困るのだろう。そんなところじゃないか。(勿論トルストイにもあるけれども、ドストエフスキーは底知れぬところがある)
棒から藪な ・・・猫跨ぎ
垂れるから涎が垂れるを想像するのか。キリストの山上の垂訓を想像してもらいたいね。長年の教壇生活で皆に教えるというのが習い生になっているのは勿論だが、敢えて講釈を垂れるといったのは、貴方には全体に投網を掛けるというか、取り仕切るというか、難しくいえば帰納的というよりやや演繹的に傾くところがある。それを言ったので、決しておちょくってるなんてことはない。
宗教を絶滅危惧種というのは如何。個人的な呟きならともかく、現代の世界の諸情勢をちらりと見るだけで、それはまともな判断ではない。思うに何か個人的な嫌なことがあったのではないかい。
言語系というのは、こうして議論している事が言語系そのもの。いわく言い難いというのも言語系にやや引っ掛かっていて、意識下の、そうダークマターみたいなものか。
緻密に理論化する事柄が言語系そのものだからねえ。実は現代詩を読んでいてそんなことを最近よく考える。現代詩は意識下を探っているところがある。それを言語化すると、一見妙な表現になる。逸徳氏のいう演劇の世界にもそれは身近なものだろう。
宗教はそこへ思いを致さねばならぬ最たるものだろう。
bush from stick ではなく stick from bush だろうに。語順も勉強の内。待てよ、bush from stickはシュールでいいね。これはこれでいけるか。
宗教を絶滅危惧種というのは如何。個人的な呟きならともかく、現代の世界の諸情勢をちらりと見るだけで、それはまともな判断ではない。思うに何か個人的な嫌なことがあったのではないかい。
言語系というのは、こうして議論している事が言語系そのもの。いわく言い難いというのも言語系にやや引っ掛かっていて、意識下の、そうダークマターみたいなものか。
緻密に理論化する事柄が言語系そのものだからねえ。実は現代詩を読んでいてそんなことを最近よく考える。現代詩は意識下を探っているところがある。それを言語化すると、一見妙な表現になる。逸徳氏のいう演劇の世界にもそれは身近なものだろう。
宗教はそこへ思いを致さねばならぬ最たるものだろう。
bush from stick ではなく stick from bush だろうに。語順も勉強の内。待てよ、bush from stickはシュールでいいね。これはこれでいけるか。
言語系・・・・褌子
国兼さんが一番長生きするという逸徳説に同感だ。
皇寿(111才)をこえて、氏は「忍さんありがとう。ぼくは君と会えて幸せだった」と百才すぎても輝くばかりに美しい奥様の手をにぎって元気よく来世にお旅立ちになるんだろうなあ。弥栄めでたしめでたし。デスマスク作成係の小林さんは大変だね。
Bush from stick(藪から棒)の青年の質問は、自分はドストエフスキーが好きで「ゴーゴリ、ドストエフスキー、およびゴーリキー」という本を読んでいる。トルストイを愛読したレーニンがドストエフスキーを批判したと書いてあるが、先輩、なぜでしょうか?というもので、いっぺんに上野でのこころよい酒の酔いがさめてしまった。
言語系では説明できないことがあるというのは、人智では計り知れないことがあるのだと解すれば、そのとおりだ。宇宙のすみっこで生まれ進化してきた人間の脳が、進化しつつある宇宙全体を完全に理解するということは不可能だ。(そこに哲学や宗教の役割があるのかもしれない。だから、科学の名のもとに、政治が宗教を弾圧するのはとんでもない間違いだということだ)
が、「はじめにロゴスありき」という言葉があるように哲学も宗教もすべて結局は言葉で説明しているから面白い。言葉をつかわないと表現し伝わらない。芸術は?
科学がさらに進化し、言語がさらに進化し、宇宙全体への人類の言語的理解が限りなく進んでも、いっそう未知のものがふえてくるのかもしれない。宇宙の94%がダークマター、ダークエネルギーでまだ正体不明なんだ。しかしそういうモノがあることだけはわかった。
―――――おや、猫さん徳さんとまたすれちがってしまった
皇寿(111才)をこえて、氏は「忍さんありがとう。ぼくは君と会えて幸せだった」と百才すぎても輝くばかりに美しい奥様の手をにぎって元気よく来世にお旅立ちになるんだろうなあ。弥栄めでたしめでたし。デスマスク作成係の小林さんは大変だね。
Bush from stick(藪から棒)の青年の質問は、自分はドストエフスキーが好きで「ゴーゴリ、ドストエフスキー、およびゴーリキー」という本を読んでいる。トルストイを愛読したレーニンがドストエフスキーを批判したと書いてあるが、先輩、なぜでしょうか?というもので、いっぺんに上野でのこころよい酒の酔いがさめてしまった。
言語系では説明できないことがあるというのは、人智では計り知れないことがあるのだと解すれば、そのとおりだ。宇宙のすみっこで生まれ進化してきた人間の脳が、進化しつつある宇宙全体を完全に理解するということは不可能だ。(そこに哲学や宗教の役割があるのかもしれない。だから、科学の名のもとに、政治が宗教を弾圧するのはとんでもない間違いだということだ)
が、「はじめにロゴスありき」という言葉があるように哲学も宗教もすべて結局は言葉で説明しているから面白い。言葉をつかわないと表現し伝わらない。芸術は?
科学がさらに進化し、言語がさらに進化し、宇宙全体への人類の言語的理解が限りなく進んでも、いっそう未知のものがふえてくるのかもしれない。宇宙の94%がダークマター、ダークエネルギーでまだ正体不明なんだ。しかしそういうモノがあることだけはわかった。
―――――おや、猫さん徳さんとまたすれちがってしまった
2012年2月3日金曜日
おもしろい・・・・逸徳
みんなユニークで、たのしそうでもあるなあ。しかし、国兼さんが一番優雅にみえる。この人長生きしそうである。後を頼む。お師匠から「講釈を垂れるにつきる」というお言葉をいただいたが、これ褒められたのかなあ、おちょくられたのかなあ。よくわからん。とにかく「たれる」という言葉は、あまり語感がよろしくない。よだれがたれるとか、ぼけて小便をたれながすとか、肯定的イメージがない。うーむ、まあ勝手に褒められたと解釈しておこう。変なこといったらおこられそうだから。
閑話休題。言語系の限界という表現はまことに妙を得て同感である。この数年感じているのは、人間は身体でものを考えるということである。いくら言葉をかさねても体が裏切って別のメッセージをだすことはよくあることだ。で、この言葉と身体のずれがまことに面白い。ぞくぞくする。で、身体言語の向こうに見えてくるのはもっと生々しい人間の生き様である。演劇はこのずれを操作して、素材としてうまく使うのである。別にこれは講釈ではない。日本文化にも多く古い例がある。たとえば「目は口ほどにものをいい」とか「いやよいやよはすきだってことよ」というのはまさにこの世界だろうさ。
で、宗教である。宗教という言葉には二種類あるのではないか。師匠が指摘する前段の部分は「」カッコつきの宗教であって、本来的な宗教とは全く違う、もっとドロドロして政治的で、うんざりするものだ。それに対して、本来の言葉のもっとも正統的な意味における宗教がある。お師匠の後半に出てくるような宗教である。これもはや絶滅危惧種。レッドカードにはいる。だから宗教についての言説が、どっちの意味で「宗教」という言葉をつかっているかということは厳密に見分けたいと思う。もっともたちの悪いやつは、これをわざと混同させて、そこから相手を攻撃する場合がある。やだなあ。まあそういうのは「弱い犬ほどよくほえる」たぐいなのだろうなあ。ともかく、宗教はむつかしい。最近はこわくってあまり発言できなくなってきた。
閑話休題。言語系の限界という表現はまことに妙を得て同感である。この数年感じているのは、人間は身体でものを考えるということである。いくら言葉をかさねても体が裏切って別のメッセージをだすことはよくあることだ。で、この言葉と身体のずれがまことに面白い。ぞくぞくする。で、身体言語の向こうに見えてくるのはもっと生々しい人間の生き様である。演劇はこのずれを操作して、素材としてうまく使うのである。別にこれは講釈ではない。日本文化にも多く古い例がある。たとえば「目は口ほどにものをいい」とか「いやよいやよはすきだってことよ」というのはまさにこの世界だろうさ。
で、宗教である。宗教という言葉には二種類あるのではないか。師匠が指摘する前段の部分は「」カッコつきの宗教であって、本来的な宗教とは全く違う、もっとドロドロして政治的で、うんざりするものだ。それに対して、本来の言葉のもっとも正統的な意味における宗教がある。お師匠の後半に出てくるような宗教である。これもはや絶滅危惧種。レッドカードにはいる。だから宗教についての言説が、どっちの意味で「宗教」という言葉をつかっているかということは厳密に見分けたいと思う。もっともたちの悪いやつは、これをわざと混同させて、そこから相手を攻撃する場合がある。やだなあ。まあそういうのは「弱い犬ほどよくほえる」たぐいなのだろうなあ。ともかく、宗教はむつかしい。最近はこわくってあまり発言できなくなってきた。
藪からStickな・・・猫跨ぎ
薮からStickに難しい話をするもんだね。ほんの一部のコメント:
ロシア正教会が皇帝側に立って人民を弾圧した、だから宗教というものはけしからんというのは本質からそれた議論だ。宗教も信者を増やし組織化され世俗的な権威を持つとそれなりの力学は働くのだろう。王権と政治的な駈け引きをするのは自然だと思う。
しかしキリストにとってローマカトリック教会やギリシア正教会(ロシア正教会)など知ったことではない。親鸞にとって東本願寺派も西本願寺派も知ったことではないのと同じ。
宗教の本質はそういう政治的事象ではなく、人間の精神に深く食い込んでいるということだろう。この辺の議論になると万巻を要するのだろうから止めるが、こういう事を最近考えている。
「ぜんぶ言語系にいれないと思想じゃない。しかも体系にしないと思想じゃないという強迫観念が現代人にある。その言語系が肥大化しているのは間違いない。」「江戸の言語感は身体性を伴っていた。それが茶道になったり、武道になったり、・・・・」ここの思想を宗教といいかえてもいい。言葉で全部説明できないものは劣位で検討に値しないものだとういう観念をそろそろ反省をしてもいい頃だ。宗教は迷妄にして迷信という、エセ科学主義の傲慢さといいかえてもいいか。まあそんなこともこの際考慮すべきだろう。
ロシア正教会が皇帝側に立って人民を弾圧した、だから宗教というものはけしからんというのは本質からそれた議論だ。宗教も信者を増やし組織化され世俗的な権威を持つとそれなりの力学は働くのだろう。王権と政治的な駈け引きをするのは自然だと思う。
しかしキリストにとってローマカトリック教会やギリシア正教会(ロシア正教会)など知ったことではない。親鸞にとって東本願寺派も西本願寺派も知ったことではないのと同じ。
宗教の本質はそういう政治的事象ではなく、人間の精神に深く食い込んでいるということだろう。この辺の議論になると万巻を要するのだろうから止めるが、こういう事を最近考えている。
「ぜんぶ言語系にいれないと思想じゃない。しかも体系にしないと思想じゃないという強迫観念が現代人にある。その言語系が肥大化しているのは間違いない。」「江戸の言語感は身体性を伴っていた。それが茶道になったり、武道になったり、・・・・」ここの思想を宗教といいかえてもいい。言葉で全部説明できないものは劣位で検討に値しないものだとういう観念をそろそろ反省をしてもいい頃だ。宗教は迷妄にして迷信という、エセ科学主義の傲慢さといいかえてもいいか。まあそんなこともこの際考慮すべきだろう。
ある青年との対話「宗教と政治」・・・褌子
うつ病に悩んで長いこと休職しているM君という30代の青年から手紙をもらった。以下は私の返事である。
M君のお手紙拝見しました。
レーニンとロシア文学の巨匠達―――非常に興味のあるテーマです。
山のように関連文献がでていそうですが、そういうものは無視して今後、ときどきこのテーマでまったくの素人論議ですが思うところを書いてみたいと思います。
レーニンがドストエフスキーをどのように批判したのか私はあまり知りませんが、鍵は宗教だとおもいます。キエフ公国のウラジミールが国教化したロシア正教の歴史と関係があると思います。
ロシアツアーリズムの官僚体制を批判したゴーリキーの『外套』『鼻』そしてツルゲーネフ『ルージン』、トルストイ、ドストエフスキーの諸作品(ドストエフスキーはわたしは残念ながら「カラマーゾフの兄弟」以外は読んでいませんが)、さらにゴーリキーの『母』へと続くとまさにロシアの民主主義から社会主義思想への発展の歴史となっていますね。
・・・・・
しかし、人類の進歩と発展の偉大な思想をうけついだはずのロシア革命が74年であまりに惨めな破綻をしたのはなぜか。 レーニンが偉大な革命家であっても理論上の重大な誤りもおかし、そのことがスターリンに連なるソ連体制に暗い影をおとし、ついには崩壊に至ったことも、今はきちんと解明されていますので、そのことも勉強してみたいとちょうど思っていたところでした。
(M君が感激したという俳優座があの私にとっては難解だった『カラマーゾフの兄弟』をどんなふうに演劇化したのか興味があるところですが残念ながら観に行けそうにもありません)。
ロシア資本主義勃興期、近代の人間の難問と苦悩を一身に担った大いなる思索者ドストエフスキーをいちばん読みこんだ日本の映画監督は黒沢明で『白痴』が有名です。
M君はエイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』をご覧になったことがありますか。
この映画に当時のロシア正教がロシア皇帝にとって最大の同盟者であったことをしめす象徴的な場面があります。ウジ虫がわいた肉片を食わされるなど虐げられぱなしの水兵(労働者や農民層の出身)たちがついに戦艦内で反乱をおこして、ロシア皇帝にだけ忠誠を誓う貴族出身の艦長たち将校たちに刃向かう場面です。
追いつめられた艦長たちの後ろからロシア正教の聖職者が十字架をもってあらわれ、反乱水兵たちを「神に逆らうのか」とののしるのです。
まさしく当時、ロシア近代化の阻害者としてのロシア正教会だったのです。
ドストエフスキーもトルストイも人間解放における神の問題について苦悩し、これをバネに呻吟しながらたくさんの作品を書いたのだといわれています。
しかし、ロシア革命後、ソ連共産党は宗教の負の面だけをみて、はげしくロシア正教会を弾圧しました。
ソ連共産党の最後のゴルバチョフ書記長はそのことを謝罪し、ソ連崩壊後、ロシア正教会は新たな装いで復活しています。
民衆のこころのよりどころとなる宗教心までを政治が弾圧するのは全くまちがっています。(信教の自由は思想信条の自由とともに基本的人権のいちばんの基礎ですから)
いま住んでいる地上から戦争や差別、貧困を一掃する目的で、神を信じるものも信じないものも協力協同することは素晴らしいことだとおもいます。
天国の問題については世界観がちがっても、さし迫った平和や暮らしなど今生きている地上の切実な問題で解決のために団結しようということです。
またこの問題でM君とおおいに議論し勉強しあいたいとおもいます。お手紙をお待ちしています。
M君のお手紙拝見しました。
レーニンとロシア文学の巨匠達―――非常に興味のあるテーマです。
山のように関連文献がでていそうですが、そういうものは無視して今後、ときどきこのテーマでまったくの素人論議ですが思うところを書いてみたいと思います。
レーニンがドストエフスキーをどのように批判したのか私はあまり知りませんが、鍵は宗教だとおもいます。キエフ公国のウラジミールが国教化したロシア正教の歴史と関係があると思います。
ロシアツアーリズムの官僚体制を批判したゴーリキーの『外套』『鼻』そしてツルゲーネフ『ルージン』、トルストイ、ドストエフスキーの諸作品(ドストエフスキーはわたしは残念ながら「カラマーゾフの兄弟」以外は読んでいませんが)、さらにゴーリキーの『母』へと続くとまさにロシアの民主主義から社会主義思想への発展の歴史となっていますね。
・・・・・
しかし、人類の進歩と発展の偉大な思想をうけついだはずのロシア革命が74年であまりに惨めな破綻をしたのはなぜか。 レーニンが偉大な革命家であっても理論上の重大な誤りもおかし、そのことがスターリンに連なるソ連体制に暗い影をおとし、ついには崩壊に至ったことも、今はきちんと解明されていますので、そのことも勉強してみたいとちょうど思っていたところでした。
(M君が感激したという俳優座があの私にとっては難解だった『カラマーゾフの兄弟』をどんなふうに演劇化したのか興味があるところですが残念ながら観に行けそうにもありません)。
ロシア資本主義勃興期、近代の人間の難問と苦悩を一身に担った大いなる思索者ドストエフスキーをいちばん読みこんだ日本の映画監督は黒沢明で『白痴』が有名です。
M君はエイゼンシュタイン監督の『戦艦ポチョムキン』をご覧になったことがありますか。
この映画に当時のロシア正教がロシア皇帝にとって最大の同盟者であったことをしめす象徴的な場面があります。ウジ虫がわいた肉片を食わされるなど虐げられぱなしの水兵(労働者や農民層の出身)たちがついに戦艦内で反乱をおこして、ロシア皇帝にだけ忠誠を誓う貴族出身の艦長たち将校たちに刃向かう場面です。
追いつめられた艦長たちの後ろからロシア正教の聖職者が十字架をもってあらわれ、反乱水兵たちを「神に逆らうのか」とののしるのです。
まさしく当時、ロシア近代化の阻害者としてのロシア正教会だったのです。
ドストエフスキーもトルストイも人間解放における神の問題について苦悩し、これをバネに呻吟しながらたくさんの作品を書いたのだといわれています。
しかし、ロシア革命後、ソ連共産党は宗教の負の面だけをみて、はげしくロシア正教会を弾圧しました。
ソ連共産党の最後のゴルバチョフ書記長はそのことを謝罪し、ソ連崩壊後、ロシア正教会は新たな装いで復活しています。
民衆のこころのよりどころとなる宗教心までを政治が弾圧するのは全くまちがっています。(信教の自由は思想信条の自由とともに基本的人権のいちばんの基礎ですから)
いま住んでいる地上から戦争や差別、貧困を一掃する目的で、神を信じるものも信じないものも協力協同することは素晴らしいことだとおもいます。
天国の問題については世界観がちがっても、さし迫った平和や暮らしなど今生きている地上の切実な問題で解決のために団結しようということです。
またこの問題でM君とおおいに議論し勉強しあいたいとおもいます。お手紙をお待ちしています。
2012年2月2日木曜日
いいねえ・・・猫跨ぎ
色々とバラエティに富んだ活動のそれぞれが見えてきて感慨深いね。職業の枠から外れた今が、それぞれの特性がいちばん素直に顕れているのだろうと思う。今後とも元気で行きたいものだ。
熊さんが3月の「こうもり」公演での終演で涙を流すだろうという予感は、この一年に万感の思いを、ということでもあるのだろう。よかったね。
逸徳氏は実にところを得たということか。矢張り人前で講釈を垂れるということに尽きるのだなあ、貴方は。大所高所から嫌み無く述べるというのは難しい。私のように短気なの駄目だ。
ところで褌子氏のKさんは決着を迎えそうなのか。孤児院出身の両親の子供ということで。しかし、前にもいったが貴方は善意が自然に顕れるんだなあ。尊敬してますよ。奥方はそこに惚れたのだろう。そんな人に◎◎◎小説を薦めたのは悪かった・・・でもないぞ。ここへきて人格を複雑に、奥行き深くせねばならない。鞄の中からちらりと件のペーパーバックが顔を覗かせて、いやあ、色々とねえなんぞ呟けば、一段と尊敬の念で見つめられるというものだ。
熊さんが3月の「こうもり」公演での終演で涙を流すだろうという予感は、この一年に万感の思いを、ということでもあるのだろう。よかったね。
逸徳氏は実にところを得たということか。矢張り人前で講釈を垂れるということに尽きるのだなあ、貴方は。大所高所から嫌み無く述べるというのは難しい。私のように短気なの駄目だ。
ところで褌子氏のKさんは決着を迎えそうなのか。孤児院出身の両親の子供ということで。しかし、前にもいったが貴方は善意が自然に顕れるんだなあ。尊敬してますよ。奥方はそこに惚れたのだろう。そんな人に◎◎◎小説を薦めたのは悪かった・・・でもないぞ。ここへきて人格を複雑に、奥行き深くせねばならない。鞄の中からちらりと件のペーパーバックが顔を覗かせて、いやあ、色々とねえなんぞ呟けば、一段と尊敬の念で見つめられるというものだ。
快哉を叫ぶ・・・・褌子
国兼さん。2月29日(水)午後3時から熊さん出演の『ここに生きる』を中野ゼロホールで鑑賞しましょう。そのあと、『ここで飲む』をやりましょう。あ~楽しみだ。
これからの人生は「イヤなことはやらない」「やりたいことだけやる」でいきたい。
通い路では某君の英語能力を高めようと一同、四苦八苦。猫跨ぎさんがしきりに英文◎◎◎小説を読めと経験をすすめてくださったが、そんな恐ろしいこと内気で小心な某君がやれるわけないではないか。
猫跨ぎさんの利口カメラがよほど優れものなのか、↓の写真、皆内面豊かなアジア的ないい顔しているね。「死ぬときが人生のてっぺん」でいけば、皆ほれぼれするようなデスマスクを小林さんに陶板に焼いてもらえそう。小林さん祈る長命。
顔だけはゼッタイごまかせないんだ。小蔵ひでをさんもボクもこれ以上、女好きのする彫りの深い風貌になったらドウショウ。
昨晩、逸徳さんに電話したところだが、うれしいことがあった。
無籍のKさんについに地裁から私の自宅を本籍にすることを許可するという就籍審決書が届いたのだ。
今朝、二人で市役所の戸籍係に届けたところだ。皇居のある千代田区千代田一丁目一番地にしようかと思ったがふざけすぎて地裁の印象をそこねてはと、わが家にした。
Kさんは記憶が自分の名前と保土ヶ谷にいたという以外に何もないので途方にくれていたが、逸徳さんのアドバイスで解離性健忘症という医師の診断書を地裁に提出してから進展した。さらに地裁の照会で保土ヶ谷小学に同姓同名のKなる学童がいたという学籍簿がみつかった。そこに記載されている住所地ふきん(住所表示もまったく変わっている)を二人で昨夏炎天下一日中さがしまわった。横浜大空襲で被災した地域で、戦後しばらくその住所地に孤児院があったということを突きとめたときには、ついにやった!と快哉をさけんだものだ。
。
これからの人生は「イヤなことはやらない」「やりたいことだけやる」でいきたい。
通い路では某君の英語能力を高めようと一同、四苦八苦。猫跨ぎさんがしきりに英文◎◎◎小説を読めと経験をすすめてくださったが、そんな恐ろしいこと内気で小心な某君がやれるわけないではないか。
猫跨ぎさんの利口カメラがよほど優れものなのか、↓の写真、皆内面豊かなアジア的ないい顔しているね。「死ぬときが人生のてっぺん」でいけば、皆ほれぼれするようなデスマスクを小林さんに陶板に焼いてもらえそう。小林さん祈る長命。
顔だけはゼッタイごまかせないんだ。小蔵ひでをさんもボクもこれ以上、女好きのする彫りの深い風貌になったらドウショウ。
昨晩、逸徳さんに電話したところだが、うれしいことがあった。
無籍のKさんについに地裁から私の自宅を本籍にすることを許可するという就籍審決書が届いたのだ。
今朝、二人で市役所の戸籍係に届けたところだ。皇居のある千代田区千代田一丁目一番地にしようかと思ったがふざけすぎて地裁の印象をそこねてはと、わが家にした。
Kさんは記憶が自分の名前と保土ヶ谷にいたという以外に何もないので途方にくれていたが、逸徳さんのアドバイスで解離性健忘症という医師の診断書を地裁に提出してから進展した。さらに地裁の照会で保土ヶ谷小学に同姓同名のKなる学童がいたという学籍簿がみつかった。そこに記載されている住所地ふきん(住所表示もまったく変わっている)を二人で昨夏炎天下一日中さがしまわった。横浜大空襲で被災した地域で、戦後しばらくその住所地に孤児院があったということを突きとめたときには、ついにやった!と快哉をさけんだものだ。
。
旬の味・・・国兼
ホロホロ新年会の写真、70年近い人生を凛として生きてきたこの男たちの顔、顔、このごろの政治屋や最近出現の某防衛相や局長のピンボケの歪んだ顔とはまるで異なる。実に優れものの面構えだ!!!
5人で1升5合近くの日本酒を飲み、楽しい会話を・・・。褌子さんの英文レターに話の花が咲いたが、でも直ぐインドのお友達からimprove・・ wellとの返メール、良かったですね!! でも、褌子さんのアノ英文メールを見てimproveと言うとそれ以前に送った英文レターはインド人も目を白黒させながら読んでいたのではと・・?
話代わるが、熊さん出演の2月29日、「中野ZERO」での「ここに生きる」は是非鑑賞したいと思っている。4年前だったか、南房総での五本さんを偲んでの集いで熊さんが歌った「千の風に乗って」が忘れられない。秋川某氏が歌っているのではと聞き違いするほどだった。褌子さんも行くらしいので鑑賞後二人で「ここに今生きている」と題して大いに日本酒を飲みながら批評をしようと。
また話代わるが、「きくかわ科学少年団」をネットで検索したところ、一昨日、褌子さんがホロホロブログに投稿した文章が出ていて驚いたネ。そこには山内一徳さん主催云々という表記のところを見ると、子供たちに説明している写真が載っていたね。当たり前の現象を分かりやすく説明することは大変なことだと思う。これからも是非継続して欲しい優れものだと思う。以前、褌子さんから「核磁気共鳴装置」の原理を一般の人にも分かる説明をと言われ弱ったことがある。お手上げだった。
思えば、俳句に、歌に、読書にそしてボランテァにとほろほろ会の仲間は、今が「旬」とばかりに活躍している姿は私にとっても大いなる刺激である。更に、いい面構えの男になりたいものだ。旬といえば一昨日、庭に芽を出した蕗のとうの酢味噌和えを食べた。苦みばしった春遠からじの味であった。
5人で1升5合近くの日本酒を飲み、楽しい会話を・・・。褌子さんの英文レターに話の花が咲いたが、でも直ぐインドのお友達からimprove・・ wellとの返メール、良かったですね!! でも、褌子さんのアノ英文メールを見てimproveと言うとそれ以前に送った英文レターはインド人も目を白黒させながら読んでいたのではと・・?
話代わるが、熊さん出演の2月29日、「中野ZERO」での「ここに生きる」は是非鑑賞したいと思っている。4年前だったか、南房総での五本さんを偲んでの集いで熊さんが歌った「千の風に乗って」が忘れられない。秋川某氏が歌っているのではと聞き違いするほどだった。褌子さんも行くらしいので鑑賞後二人で「ここに今生きている」と題して大いに日本酒を飲みながら批評をしようと。
また話代わるが、「きくかわ科学少年団」をネットで検索したところ、一昨日、褌子さんがホロホロブログに投稿した文章が出ていて驚いたネ。そこには山内一徳さん主催云々という表記のところを見ると、子供たちに説明している写真が載っていたね。当たり前の現象を分かりやすく説明することは大変なことだと思う。これからも是非継続して欲しい優れものだと思う。以前、褌子さんから「核磁気共鳴装置」の原理を一般の人にも分かる説明をと言われ弱ったことがある。お手上げだった。
思えば、俳句に、歌に、読書にそしてボランテァにとほろほろ会の仲間は、今が「旬」とばかりに活躍している姿は私にとっても大いなる刺激である。更に、いい面構えの男になりたいものだ。旬といえば一昨日、庭に芽を出した蕗のとうの酢味噌和えを食べた。苦みばしった春遠からじの味であった。
2012年2月1日水曜日
アジア的な・・・猫跨ぎ
ということで、上野へ。着くと小林氏が褌子レターを添削している。ということで自然、Konshi's English のことが大半となった。大分ダシにさせてもらって、他に何を話したのかさっぱり覚えていない。そうか。4月6日の例会の件ね。
すると明けて今日、なんとCongratulations!を貰ったとある。なるほどなあ。海より深いアジア的寛容の心に感謝せねばなるまい。それはそうと、ともかく素の形が結局良かったということかな。Yes, will can ! と鼻息が荒くなるかな。触らぬ神に、という気もする今日この頃。
びっくりした・・・逸徳
ホロホロブログをあけたら、えらい写真が出ているではないか。文章を読んでわかった。褌子氏はよっぱらって投稿したな。実は「きくがわ科学少年団」で検索してもごく一部しか出ない。正しい検索の手順をおくったが、そこは全部ぶっとばしている。バーコードで読めるような方法をやった記憶がない。これは受信側で勝手にやれるのではないか? まあ、全国の科学教育関係者との交流を目的にネットに紹介しているので、自由に見てもらっていいのだが、自分の写真はちとはずかしい。
で、褌子氏は東北にボランティアにいくそうであるが、その意気やよし。しかし、仕事を間違えたり、腰が痛くなったりして他のボランティアのせわになったりして、息も絶え絶えで遺棄されないように。年寄の氷河期ということもあります。ご注意ご自愛のほど。
なおご希望の方は携帯メールをお送りいただければ、天文ニュースを配信しております。
しかし熊さん素晴らしいなあ。創造活動というのは脳を活性化させて、精神が自由であることを保証しますよ。合唱もそうだけど、舞台というのは不思議な魅力がある。勝負は最後に緞帳が下りるときである。すぐ拍手が来るのは成功した舞台とはいえない。感動すると拍手におくれが生じるのである。一瞬の間があいて、ぱらぱらと拍手が起こり、それからどっと来ると「ああ勝った。やった!」という感覚におそわれる。つまり観客の心をひっかんだのである。
マルセルパニョールという人が書いた「笑いについて」という本がある。舞台関係者にはよく知られた名著なのだが、その中にこういう問題が出てくる。「サーカスのテントの中で、満員の観客が、舞台の上で繰り広げられる貧相なピエロのなんとなくあわれでものがなしいが、滑稽な演技を見て、大爆笑しているとする。このとき、そのテントの中でもっとも哄笑しているのはだれか」 もちろん答えは、ピエロである。ピエロは自分を素材にして、演技をくりひろげながら、その時観客全員の心を、それこそ手のひらの上で自由にころがしているのである。そのように観客の心をつかんだと感じる瞬間を一度あじわうと、舞台は麻薬になる。やめられなくなるのだ。この麻薬、くまさんも中毒していると見た。で、やりすぎるととんでもないところで失敗したりする。そこで「舞台には魔物が住んでいる」という言い方もある。とにかく、針一本落ちてもわかるような非日常的緊張感が必要で、これも「麻薬」のひとつの要因である。細かいことに気をつかう。たとえば、観客には見えないような舞台装置の裏側まで作ってしまったりする。こういうのを舞台では「神は細部に宿る」などといいます。ああ、オペラ「こうもり」見に行きたいなあ。公演成功をお祈りします。
で、褌子氏は東北にボランティアにいくそうであるが、その意気やよし。しかし、仕事を間違えたり、腰が痛くなったりして他のボランティアのせわになったりして、息も絶え絶えで遺棄されないように。年寄の氷河期ということもあります。ご注意ご自愛のほど。
なおご希望の方は携帯メールをお送りいただければ、天文ニュースを配信しております。
しかし熊さん素晴らしいなあ。創造活動というのは脳を活性化させて、精神が自由であることを保証しますよ。合唱もそうだけど、舞台というのは不思議な魅力がある。勝負は最後に緞帳が下りるときである。すぐ拍手が来るのは成功した舞台とはいえない。感動すると拍手におくれが生じるのである。一瞬の間があいて、ぱらぱらと拍手が起こり、それからどっと来ると「ああ勝った。やった!」という感覚におそわれる。つまり観客の心をひっかんだのである。
マルセルパニョールという人が書いた「笑いについて」という本がある。舞台関係者にはよく知られた名著なのだが、その中にこういう問題が出てくる。「サーカスのテントの中で、満員の観客が、舞台の上で繰り広げられる貧相なピエロのなんとなくあわれでものがなしいが、滑稽な演技を見て、大爆笑しているとする。このとき、そのテントの中でもっとも哄笑しているのはだれか」 もちろん答えは、ピエロである。ピエロは自分を素材にして、演技をくりひろげながら、その時観客全員の心を、それこそ手のひらの上で自由にころがしているのである。そのように観客の心をつかんだと感じる瞬間を一度あじわうと、舞台は麻薬になる。やめられなくなるのだ。この麻薬、くまさんも中毒していると見た。で、やりすぎるととんでもないところで失敗したりする。そこで「舞台には魔物が住んでいる」という言い方もある。とにかく、針一本落ちてもわかるような非日常的緊張感が必要で、これも「麻薬」のひとつの要因である。細かいことに気をつかう。たとえば、観客には見えないような舞台装置の裏側まで作ってしまったりする。こういうのを舞台では「神は細部に宿る」などといいます。ああ、オペラ「こうもり」見に行きたいなあ。公演成功をお祈りします。
誠に美味であった。・・・・褌子
今晩の酒は近来まれにみる美味であった。やはり飯も酒も「上質なモノをたしなむ」程度がよろしい。暴飲暴食だけはつつしんでほしい。
小蔵ひでをさんが企画してくださる4月6日(金)の東京下町散歩も楽しみだ。
酔眼でパソコンを開くとインドのイッテイ教授から私が先日最初に送ってしまったbrokenメールにもう返事がきていた。
You have improved your English well. Congratulations! とあるから、私の英語上達ぶりに目をみはっているのだろう。今晩、小林さんに「通い路」でなおしてもらった英文も送ったら、目をまわすにちがいない。
逸徳さんからもいつもの長い文章の簡潔なメールがきている。
「きくかわ科学少年団」の紹介で、HPを観てほしいと書いている。彼の地域に根をはったすばらしい活躍ぶりが手にとるようにわかる。21世紀の日本の基礎科学の土台をつくっているのだ。
わたしの女房も地域の小学生たちを集めて公民館で「科学実験教室」をやっているが、逸徳さんは女房のこの方面の師匠である。
「きくかわ科学少年団」とパソコンにうてばインターネットで直ちに検索できるし、バーコードリーダーで携帯でもよめるようになっているなど心憎い親切ぶり。
逸徳さんは寡黙にして慎み深い性格なので、かわりにこのブログですでに世界に公開されている逸徳さんの勇姿の一枚だけを転載させていただく。
小蔵ひでをさんが企画してくださる4月6日(金)の東京下町散歩も楽しみだ。
酔眼でパソコンを開くとインドのイッテイ教授から私が先日最初に送ってしまったbrokenメールにもう返事がきていた。
You have improved your English well. Congratulations! とあるから、私の英語上達ぶりに目をみはっているのだろう。今晩、小林さんに「通い路」でなおしてもらった英文も送ったら、目をまわすにちがいない。
逸徳さんからもいつもの長い文章の簡潔なメールがきている。
「きくかわ科学少年団」の紹介で、HPを観てほしいと書いている。彼の地域に根をはったすばらしい活躍ぶりが手にとるようにわかる。21世紀の日本の基礎科学の土台をつくっているのだ。
わたしの女房も地域の小学生たちを集めて公民館で「科学実験教室」をやっているが、逸徳さんは女房のこの方面の師匠である。
「きくかわ科学少年団」とパソコンにうてばインターネットで直ちに検索できるし、バーコードリーダーで携帯でもよめるようになっているなど心憎い親切ぶり。
逸徳さんは寡黙にして慎み深い性格なので、かわりにこのブログですでに世界に公開されている逸徳さんの勇姿の一枚だけを転載させていただく。
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