2012年2月1日水曜日

びっくりした・・・逸徳

ホロホロブログをあけたら、えらい写真が出ているではないか。文章を読んでわかった。褌子氏はよっぱらって投稿したな。実は「きくがわ科学少年団」で検索してもごく一部しか出ない。正しい検索の手順をおくったが、そこは全部ぶっとばしている。バーコードで読めるような方法をやった記憶がない。これは受信側で勝手にやれるのではないか? まあ、全国の科学教育関係者との交流を目的にネットに紹介しているので、自由に見てもらっていいのだが、自分の写真はちとはずかしい。
 で、褌子氏は東北にボランティアにいくそうであるが、その意気やよし。しかし、仕事を間違えたり、腰が痛くなったりして他のボランティアのせわになったりして、息も絶え絶えで遺棄されないように。年寄の氷河期ということもあります。ご注意ご自愛のほど。
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しかし熊さん素晴らしいなあ。創造活動というのは脳を活性化させて、精神が自由であることを保証しますよ。合唱もそうだけど、舞台というのは不思議な魅力がある。勝負は最後に緞帳が下りるときである。すぐ拍手が来るのは成功した舞台とはいえない。感動すると拍手におくれが生じるのである。一瞬の間があいて、ぱらぱらと拍手が起こり、それからどっと来ると「ああ勝った。やった!」という感覚におそわれる。つまり観客の心をひっかんだのである。
 マルセルパニョールという人が書いた「笑いについて」という本がある。舞台関係者にはよく知られた名著なのだが、その中にこういう問題が出てくる。「サーカスのテントの中で、満員の観客が、舞台の上で繰り広げられる貧相なピエロのなんとなくあわれでものがなしいが、滑稽な演技を見て、大爆笑しているとする。このとき、そのテントの中でもっとも哄笑しているのはだれか」 もちろん答えは、ピエロである。ピエロは自分を素材にして、演技をくりひろげながら、その時観客全員の心を、それこそ手のひらの上で自由にころがしているのである。そのように観客の心をつかんだと感じる瞬間を一度あじわうと、舞台は麻薬になる。やめられなくなるのだ。この麻薬、くまさんも中毒していると見た。で、やりすぎるととんでもないところで失敗したりする。そこで「舞台には魔物が住んでいる」という言い方もある。とにかく、針一本落ちてもわかるような非日常的緊張感が必要で、これも「麻薬」のひとつの要因である。細かいことに気をつかう。たとえば、観客には見えないような舞台装置の裏側まで作ってしまったりする。こういうのを舞台では「神は細部に宿る」などといいます。ああ、オペラ「こうもり」見に行きたいなあ。公演成功をお祈りします。

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