2012年2月3日金曜日

藪からStickな・・・猫跨ぎ

薮からStickに難しい話をするもんだね。ほんの一部のコメント:
  ロシア正教会が皇帝側に立って人民を弾圧した、だから宗教というものはけしからんというのは本質からそれた議論だ。宗教も信者を増やし組織化され世俗的な権威を持つとそれなりの力学は働くのだろう。王権と政治的な駈け引きをするのは自然だと思う。
しかしキリストにとってローマカトリック教会やギリシア正教会(ロシア正教会)など知ったことではない。親鸞にとって東本願寺派も西本願寺派も知ったことではないのと同じ。
宗教の本質はそういう政治的事象ではなく、人間の精神に深く食い込んでいるということだろう。この辺の議論になると万巻を要するのだろうから止めるが、こういう事を最近考えている。
 「ぜんぶ言語系にいれないと思想じゃない。しかも体系にしないと思想じゃないという強迫観念が現代人にある。その言語系が肥大化しているのは間違いない。」「江戸の言語感は身体性を伴っていた。それが茶道になったり、武道になったり、・・・・」ここの思想を宗教といいかえてもいい。言葉で全部説明できないものは劣位で検討に値しないものだとういう観念をそろそろ反省をしてもいい頃だ。宗教は迷妄にして迷信という、エセ科学主義の傲慢さといいかえてもいいか。まあそんなこともこの際考慮すべきだろう。

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