いっていることはよくわかるが、それは豚に羽根がないから飛べない。ゆえに豚はだめであるといったような論理展開だぜ。平家物語の世界は、褌子氏のいうような作品が生まれるわけがない歴史的、時代的段階というか状況ではないかい。 平家物語はそういうものを描こうとしていないし、むしろ読み取るとしたら貴族社会から武家への歴史的転換の段階の物語ではないか。思い出したことがあるのは、アメリカが開拓されて、新世界の原住民の存在がヨーロッパに知られたころ、まじめにローマ教会は、あれは人間の部類にはいるかどうかという議論をしていたことがある。今考えると、バカみたいな話だが、人間の認識がそういう段階であったことの反映だろう。したがって現代から、それをけしからんといってもしょうがない。平家物語の面白いのは、「まろは何とかでおじゃる」などといっていた、貴族がぶっこわされて、武家というほぼ農民に近いがさつな連中が権力を争奪していくプロセスの物語ではないか。これも一種の革命の話なのだ。 この物語の作者はいない。琵琶法師たちが、民衆との交流の中から育てていったものだろう。ことほどさように歴史的転換期には物語が生まれるのである。 それにさ。やっぱり日本語がいい。
それを楽しんだほうがいいと思うよ。
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