四十九日や三回忌を迎えられた方にお悔やみを申し上げます。
長い歴史をへて今に残る仏教思想はそれぞれ人間感情に即したいわれがあるのだろう。わたしは家をたてるときに風水の本をよんでみたが長年の人間の知恵があることを知った。バレンタインデーはどうでもよいが、いい慣習は孫子にも伝えて大事にしたい。
白川静については中公文庫『漢字百話』しか読んだことないのでよく知らないが、東大や京大などの官学と全く関係のないひとで、京都の立命館を苦学して卒業し中学の教員もしていたという。そのひとが漢字研究に関して大きな業績を残したのだから、官学系のひとたちの僻みや嫉視がよくわかる。京大中国文学の高名な先生方もずいぶん白川先生を見下していたそうだ。
有名なのは牧野富太郎。高知出身の小学卒でたしか東大の用務員(昔風にいうと小使いさん?)をしていたというから、東京帝大の植物学の教授連が面白かろうわけがない。 (そういえばアインシュタインもスイスの特許局の職員だったが、欧米よりもこういう話は土地にしがみつく農耕民族のアジア的な貧しさからくる封建的官僚崇拝というか儒教的科挙的太政官政治??に淵源をもつというか韓国、中国の猛烈な受験地獄のはなしをきくともう…まとまらん、逸徳さんすっきりと短くたのむ)
考古学のようにこつこつ野山を歩くことから始まる実証的な学問では、こういう事例は枚挙にいとまがない。(反対に東北考古学研究所の副理事長の捏造事件のようなこともたまに起こる。佐倉の歴史民族博物館の考古学展示場に反省文がでていて面白い。うわさによると今だに一番学閥と身分差別が激しいのが学校と警察だそうだ。やっぱりね。教育と治安。まことに前近代、アジア的。中川先生も東大のなかの身分差別の臭気から北の空気を吸いに逃げ出してきたようなことをいっていたが、どこも似たようなものだったのではないか)
こういう学者の世界のドロドロを描いたら松本清張の右に出るものがない。清張自身、長男で大勢の家族をかかえて大変な苦学をしたひとなのでそれが全部、作品世界に生きている。
私事だが30才で化学会社をやめて畑違いの零細業者の運動にはいったとたん、給料は半分以下になったが何かまわりの空気がとてもすっきりした記憶がある。以来、一応なんとか三膳飯まで食って無事に生き延びてこられたのだから、女房に毎晩平身低頭して感謝しなければならない。むろん郷里で長男で農家を継いだ兄貴夫婦にも。
さいきん、夜半に目がさめると、家の事情で大学進学をあきらめた高校の同級生、修学旅行にも行けなかった中学の同級生を思い出す。年のせいかも
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