逸徳氏の宗教観を面白く読んでいる。とくに以下のくだりに共感する。
―――――本来の宗教は、人間のもつ根源的な存在の不安(としか言いようがないのだが)に対して、さまざまな手段でその不安にこたえる道を探ろうとする営みの総体である。
まったくそう思う。
反面、日本のはなしだが、逸徳さんはいわゆる葬式仏教をkotenparーにくさしている。
が、ひとりの人間が死んで世間的にけじめをつけるにはああいう儀式もあってもいいのではないか。香典もいい習慣だ。どんな貧乏人でも香典でとりあえず葬式はできる。もときくんの映画『送り人』もよかった。(あれは山形の注蓮寺ちかくで撮影したとか)
金持ちから法外な戒名代をまきあげて、坊さんが外車で芸者つれて歓楽街にくりだす…金は天下のまわりもの、内需拡大に貢献大いに結構。豪勢な葬式、豪華な墓でしもじもから搾った金を派手に散財、大金持ちも虚栄心満足。葬儀屋で働く労働者も石屋も仏壇屋も仕出し屋も助かる。
なまくら坊主ばかりとは限らない。小さなお寺さんは維持するのに本当に苦労している。教会も信者がふえなくて大変らしい。神社仏閣は大いなる芸術遺産だ。おいらもお寺でもっと賽銭投げたらどうか。(猛烈な跡目争奪戦に勝ち抜いた京都あたりの有名な寺の坊主はだいたい遊び上手が多いらしい。信州善光寺については迫真の内情告発を境内ちかくの旅館社長からきいて面白かったな。あれでは創価学会に負けるわけだ)
まあ無理に二つの宗教なんて分断しなくてもいいのではないか。人間は三膳飯を食ったり、僻み嫉妬吹聴自慢、地獄転落怖いと急に偽善家になったり正直者になったり忙しくしているうちにお迎えがくる。
こういうのは、創価学会の蓄財、腐敗、権力欲に比べたら何にも問題がない赤子のような話。
この「エセ宗教団体」の資産は10兆円をはるかにこえるという。不況にあえぐマスコミに巨大広告をだして支配。国政もそうだ。司法、警察、外交関係にもエリート学会員を長年おくりだし、恐るべき「総体革命」がすすんでいる。
宗教法人への非課税を悪用して貧乏人を洗脳して金をまきあげてきた。わたしは善良な学会員のサラ金相談などに年中のっているのでそのひどい実態に心底怒っている。
ウソだと思ったら元公明党の書記長、委員長だった矢野絢也氏の『黒革の手帳』(講談社)などを読むといい。事実を経験したものにしか絶対こんなことは書けない生命の危機に脅かされながらの迫真の告白。
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