2012年2月27日月曜日

RE:平家物語・・・・褌子

  平家物語を読んで(吉村昭の現代語訳版だが)感じたのは、民百姓のたの字もでてこないこと。「世間のひとはあざけり笑った…」などは出てくるがこれは京雀であって、貴族や武士を喰わせている農民ではない。それどころか夜襲にそなえて暗いなあと「大松明」といってそこらの農民の家に放火をしてまわっているが、慚愧の表現はまったくない。
  (もっとも吉川英治の「新平家物語」では狂言回しのように京のまちの「町民」の老夫婦が源平の栄枯盛衰を眺めているが作者の創作だろう)
  日本書紀は麻の衣服作りや養蚕の話がでてくるのに注目して読んだし、万葉集にも防人に徴兵された農民の姿がたくさんでてくる。
  ところが源氏物語にも枕草子にも貴族社会の花鳥風月と色恋沙汰ばかりで、毎日喰わせてもらっている農民の話はでてこない(と思う)。律令制体制で農民は文字通り奴隷で人間ではなかったということだろう。
  近代文学になると森鴎外「山椒大夫」にはそんな風景がでてくる。
  手塚治虫の「火の鳥」は古代が奴隷制社会だったことをふまえて長大な物語をすすめている。
  今昔物語や浦島太郎、桃太郎のように農民漁民たちが生き生きと文学に登場するのはいつごろからか。農民のなかから勃興する武士団が成立する封建時代にはむろん登場することになる。
  映画では「七人の侍」も「雨月物語」もともに戦国時代のはなしだ。

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