歴史的な文学、口承文学にでも現実に生きていた民衆の生活というものがどういう形で投影されてくるようになったのか、その歴史的な過程に興味をもっただけ、そんなに難しい話ではない。
いま読んでいる辻井喬『父の肖像』――これは面白い本だね。平家や源氏の世界よりもはるかに生々しくて面白い。
いぜん、成田書道美術館で文学講座みたいなものがあって、辻井喬の話をききにいったことがある。三四年まえのことだが猫跨ぎさんにもそのときばったり会ったことを覚えている。
辻井喬は「司馬遼太郎の『坂の上の雲』や海音寺潮五郎『西郷隆盛』などは面白い物語だが、あれは文学ではないと思う。私は文学といわれるものを書いてみたい」と講演したのが私には興味深く記憶に残った。
あのように講演したのは、平成19年に『父の肖像』を書きおえた直後だったのではないか。
すぐれた小説家は自分の父親堤康次郎のことをこんな風に観察して書けるものなのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿