『吉村昭の平家物語』を読んだ。原典で読むには英語も古文も全く非力で『古事記』も『日本書紀』も福永武彦の現代語訳で安直にすませている。
『平家物語』原本が生まれたのは鎌倉幕府成立のあと1200年代前半らしい。盛者必衰の仏教的因果応報で全篇が貫かれていて優れた叙事詩的雰囲気がある。作者はよほど清盛が嫌いらしく、頼朝にも猜疑心が強いと手厳しい。むろん義経びいきで日本人の判官贔屓(ほうがんびいき)がここからはじまった。
仏の教えがすたれたとする「末法」は日本では1052年(永承7)に入ったとされるので、壇ノ浦での平家滅亡1185年はまさに末法思想の体現ということになる。
こういう仏教的無常観は八世紀はじめの古事記や日本書紀にはありようがない。あまり読んだことがないが、5世紀から8世紀の古代律令制盛期の万葉集にもないはず。
平安中期の源氏物語や枕草子はまさに貴族的「もののあわれ」の世界で仏教的無常観はまだ色濃くないのではないか。(ちゃんと読んだことないからこれも推量だが)
ところが平家滅亡から二十数年しかたっていない鎌倉初期の方丈記(1212)となると例の「ゆくかわのみずは」からはじまり全篇、仏教的無常観で貫かれている。時代的にもこのあとから『平家物語』が作者不詳だがだんだんと完成されていったとされている。
いっぽう、徒然草は、方丈記の百年後の1311年に生まれた。頼朝の鎌倉幕府成立後、承久の乱で北條氏が天皇中心の貴族社会を実力で打倒するなど、まさに武家による封建時代確立の時期である。徒然草には思索的随想、するどい現実社会の見聞などが、「つれづれなるままに」に記され、随筆文学の傑作といわれている。ここには末法思想も仏教的輪廻思想も影をひそめていると思うがどうであろうか。
「なんでも恥ずかしからず人のまえで発表すればいいのだ。そうするといつのまにやらそれなりに上達するのだ」という兼好法師の至言を力にこんな知ったかぶりを書いてしまったが。至言を紹介して下さった猫跨ぎさんならここいらへんも詳しそうなのでご教示いただければありがたい。
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