2012年2月4日土曜日

棒から藪なⅡ・・・猫跨ぎ

レーニンがトルストイを好み、ドストエフスキーを嫌ったのは、勿論なんの予備知識を持ち合わせていないが、勝手なことを言うが、ドストエフスキーにある魂の深淵みたいなものへの視座が容認できなかったのではないか。有り体にいえば、革命は言語系の最たるものだ。全部明確にされねばならないところがある。暗闇は困るのだろう。そんなところじゃないか。(勿論トルストイにもあるけれども、ドストエフスキーは底知れぬところがある)

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