猫は相変わらずで、偏食甚だしいがとりわけ寝込んでいる訳でもなく普通にしている。私が寝ていると布団の胸の上に来て我が顔をじっと見下ろしている。
まなうらに我が顔収め猫逝けり
などとならぬようにしてほしいものだ。
社会の下層の人々を記述した文学作品についてだが、万葉集には防人の別離を悲しむ歌を収録した東歌が有名。途中で行き倒れになった防人(実に多かったらしい)を悼む歌も多い。8世紀の続日本紀に、度重なる遷都に徴発されて、民衆が疲弊するのが尋常でないさまを記述している。これは官撰国史である。だから権力者がまったく無神経であった訳でもない。歴史の発展のしからしむところ次第に目覚めたと言っても、ずっと後年でも、明治政府はアイヌを「土人」と括って、土地を取り上げ漁業を奪った。子供の頃の西部劇ではインディアンは未開で野蛮でどうしようもない連中で、ジョンウェインなどはバンバン撃ち殺していた。所謂人扱いしたのは60年代からでないか。人権思想なんてあてにならない。
源氏物語に農民の苦労が出てこないといっても、谷崎の小説に出てこないのとどう違うのかな。時代が下ると文学も多様化、緻密化しいつまでも万葉の骨太の文学では満足しなくなる。色々ありで、個別に愉しんだほうが良いに決まっている。
文革さかんなころ中国の「人民中国」誌に、古代中国の出土した美術品の写真が掲載されていて、そのキャプションに「腐りきった権力者どもの愛用したもの」とあり、笑ってしまった。いつもいきり立っているのかいあんたらは、と思った。それはそれ、これはこれだろうが。
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