目ざむるや湯婆わずかに暖き
子規の実にいい句だね。明け方ちかくの湯湯婆はまさにこういう感じだ。
さて今日、九九才の新藤兼人監督の映画『一枚のはがき』をみた。
戦死した長男の嫁が弟と結婚するが弟も戦死、義父母もあとを追って死ぬ。子どももいない貧農の嫁さんひとりが残されたが、戦後、村のボスが妾になれといいよる…。この長男宛に嫁さんから届いたハガキを預かっていた生き残りの戦友が届けるというあらすじ。
青年が200万人も戦死したのだから、こういう話は戦後いくらでもあったのだそうだ。
自分が小学二三年のころだと思うが、近所の家の相談をうけた親父がお袋と困った困ったと寝床でひそひそ相談しているのを耳にしてしまったことがある。親がめずらしく秘密めいた話をしているので記憶に残った。
戦争がすんで四五年たっても、長男が戦地から帰ってこないので、戦死したにちがいないと、長男の嫁を次男と結婚させて子供も生まれたのに、長男がシベリア抑留から復員してきたというのである。困り果てた親が、近所のうちの親父に相談にきたのだ。
親父の裁断は、農家の後継ぎの長男が帰ってきた以上、次男坊が出て行くべきだというもので、次男の子供を長男夫婦の子として育てることにした…。
―――――この子供も、今はもう60才を過ぎている。母親も義父もとっくに死んで、こんどは農家に来る嫁さんがみつからなくてまだ独身のひとりぐらし。
最近、私がたまに郷里に帰ると、まだ結婚してない彼に道端でであうことがあって特に話をすることがなくて困ることがある。
それにしても兄弟ふたりを次々と夫にせざるをえなかったこの農家の嫁さんの気持ちがいかばかりだったのか――映画『一枚のはがき』をみて、私ははじめて思い至った。
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