なるほど。猫跨ぎさんはなんでも詳しいね。
早速インターネットで調べると、
『常用漢字コアイメージ辞典』の著者加納喜光は、白川漢字学を徹底批判していた藤堂明保先生の直弟子だとわかる。
藤堂明保とは懐かしい名前だ。(余談だが三重きっての名家藤堂家の出身とか。南禅寺の山門は藤堂藩主が寄贈した)
全共闘のシンパで東大の先生だったが、東大辞めたあとはよくマスコミにでて、中国の文革を礼賛していたのを記憶する。 藤堂明保の学問的業績とは何も関係ないが、彼が天まで持ち上げていた全共闘運動(文革も)はどうなったか。
大学解体を叫んでいた全共闘は四分五裂し、革マルや中核派などの百名を超える凄惨な殺しあいに発展する。永田洋子(窈子さんでなくてよかったねえ逸徳さん)の連合赤軍事件、浅間山荘事件、北朝鮮に逃げていったよど号事件(日本に帰りたいと騒いでいるとか)もみな全共闘運動のなれの果てだ。
全共闘のなかでも変わり身のはやい連中は、打倒を叫んでいた霞ヶ関や大企業にさっさと潜り込んで出世した。いまの朝日新聞など大手マスコミの役員クラスにはかつての全共闘の出身者が多いんだ、警察庁の幹部にまでなったのもいて今は優雅な年金生活を満喫していると週刊誌で読んだことがある。
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