2014年7月1日火曜日

4~6月の読書     ・・・褌子

  7月になった。秘密保護法につづいて、こんどは集団的自衛権の閣議決定を今日するという。いやな時代になりそうだ。きょうは一日、国会周辺、官邸前の抗議行動に参加しよう。
 さて、4~6月に読んだ本を忘れないうちにメモしておこう。
 石川達三『蒼氓』 ブラジル移民のはなし。昭和10年の第一回芥川賞を太宰治や高見順をおさえて、『蒼氓』が受賞した。石川達三はわかいころ、勤評闘争あつかった『人間の壁』を読んだことを覚えている。あとは南京攻略部隊の『生きている兵隊』中国人虐殺のリアルな描写がある。『金環食』『傷だらけの山河』は映画で見た。読んだことないが『青春の蹉跌』とか『結婚の生態』『四十八才の抵抗』とかこの著者は実にネーミングがうまい。
 念願のショーホロフ『静かなドン』は長い長い大河小説なので読んだり中断したり、まだ三分の一くらいか。無理して読むことないなあ…なんて思いながら寝床でだらだらと読んでいるが何故が投げ出しかねる魅力がある。
 知り合いの山形県人から藤沢周平の作品風景を訪ねる旅に行こうとさそわれた。先年、鶴岡の藤沢周平記念館に行ったことを思い出した。すすめられて『又蔵の火』『春秋山伏記』『海鳴り』を読んだ。『海鳴り』は老境にかかった商人のはなしで商売の苦労、家族とのぎくしゃくなどけっこう身につまされる。
 清張は『十万分の一の偶然』『死の発送』『時間の習俗』『屈折回路』いずれおとらぬ面白さ。清張ワールド。たいして村上春樹は一冊も読んだことない。どうも食指がうごかない。むろん食わず嫌いであろう。逸徳さんは春樹ワールドがどうしたこうしたと去年柳生さんの弟の美深にいったときにしきりにいっていたが…。猫跨ぎさんに紹介された小澤征爾と村上春樹の音楽対談はなんとか読んだがあまり記憶に残らない。
 清張だが『犯罪広告』『歯止め』『微笑の儀式』『生けるパスカル』『骨壺の風景』など「黒の様式」の短編集などはあっというまに読める。わたしは『理外の理』がみょうに印象に残ったが、女房は『金のかかりすぎた縁談』がおもしろかったといっていた。ふーん。読むのは二回目だが、出世作『西郷札』『ある小倉日記伝』はやはり傑作だと思う。西郷札はテレビにもなった。たしか前田吟、
 大岡昇平『長い旅』
 津村節子『紅梅』
 シュリーマン『古代への情熱』  
 作者の名前は忘れたが『ベルリン陥落1945』
ローレンスなんとかの『宇宙誕生の前には何があったか』は勢いこんで読み始めたがすこし読んで投げ出した。翻訳がよくないと思った。妙にひねった文章。村山斉『宇宙になぜ我々は存在するのか』のほうがずっとわかりやすい。
 いちばん感動したのは茨木のり子『歌のこころに生きたひとびと――与謝野晶子・高村光太郎・山之口貘・金子光晴』かもしれない。
 みた映画は『ミツバチの大地』『世界最果ての通学路』
 むかし読んだ吉村昭『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』のなかに、プチャーチン提督のディアナ号が難破し、伊豆の戸田で新造船してロシアに送り返す話がでてくる。戸田(へだ)の港の突端につきだした松林のなかの古い記念館(深海生物博物館といっしょになっている)を6月はじめに訪ねたのも有意義であった。かつてロシア大使も訪れて日露友好の博物館になっている。戸田は日本の西洋式造船技術発祥の地なのである。
千葉の御宿海岸にも難破したメキシコ商船を地元漁民が救済した記念碑がたっている。
 たしか和歌山にもオスマントルコの軍艦が熊野灘で難波したときに漁民が命がけで海に飛び込んで乗員を助けた記念碑がたっていたと思う。
 日本庶民の美質がでている。
 アメリカの戦争に自衛隊をだして闘わせるという安倍首相式のやりかたでは日本人はこれから海外旅行でも思わぬ危難に遭うことがあるのではないか。ばかのことをする首相だ。得意満面の貌もどんどん下劣になってきたように思うが。
・・・・・
 いま読み出したのが林芙美子『放浪記』 観たことないが森光子の芝居で有名だが原作の味はまた別。桜島にいったら芙美子の銅像がたっていたな。
  あとは『物語 史記』(山崎純一訳編)も。史記のなかの一番しられた話は李陵。中島敦『李陵』は傑作なので未読のかたにはぜひすすめたい。(中勘助『銀の匙』とかよかったなあ)
  司馬遼太郎のペンネームは司馬遷にはるかに遠いという意味だそうだ。
  古事記も日本書紀も現代語訳でごく安直にすませることにした。


自衛隊・・・猫跨ぎ

自衛隊は世界有数の軍隊であることは論をまたない。軍隊が仕事のない若者の取り敢えずの行き先だったのは、古今東西を問わないだろう。有体に言って何処の国でも失業率を下げるのに大いに貢献しているのも事実だろう。難しい事言わなくても常識では。
そういう社会は悪い、変えようという議論はこの際、措いておく。百年河清を待つ話だから。
安部、竹中が格差社会を招来して、結果として自衛隊を強化して、さあ、戦争しようというのは、ちょっと牽強付会ということではないか。

昨今の集団的自衛権は違憲であるとの論を聞く度に、そしてこれが蟻の一穴だという論者の話を聞く度に、この自衛隊の存在をどう考えているのか何時も不思議に思う。もはや、象の一穴があいているのではないか。もうぼろぼろになっている憲法の違反を言い立てているのは不思議な光景に思えるが。自衛隊違憲論から総ざらえの議論をやって欲しいものだ。

2014年6月30日月曜日

新自由主義的徴兵制    ・・・褌子

    ■ 新自由主義的徴兵制=経済的徴兵制ともいう ■
  ベトナム戦争のあとアメリカは徴兵制を廃止。選択的徴兵制とか試行錯誤をかさねながら今はいちおう志願制によって膨大なアメリカ軍をなんとか維持している。(できれば日本など同盟国の青年に肩代わりしてもらいたいと念願しながら。げんに米韓同盟のもとベトナム派遣の韓国軍は五千人戦死)
 要するに新自由主義の経済政策で極端な貧富の差をつくりだせば、食い詰めた貧困家庭の青年たちが軍隊に自然と集まってくるというのである。とはいってもイラク戦争で三千人もの米兵が戦死したので、兵隊集めに苦労している様は、マイケルムーア監督『シッコ』にもくわしい。(イラク派遣の五万人の米兵のなかに上下院議員の子弟はひとりもいないではないか!と、ただひとりブッシュの戦争に反対し続けた女性下院議員がいましたね)
 日本の自衛隊はむろん志願制であるが、私には新自由主義的徴兵制がすでにしかれているように思えてならない。小泉・竹中コンビによって格差社会がつくりだされ安倍政権によって、さらに貧しい青年たちが大量に政策的につくりだされている。自衛隊にはいれば飯がくえる、免許など資格もとれる、いちおう公務員らしいから親も安心してくれるかもしれない・・・。
 千葉の幕張メッセで「にこにこ超会議」というのが五月にあって、わたしもみに行った。平均年齢20才くらいの数万人もの若者たちで熱気むんむん。
 私の目をひいたのは共産党の出店ブースの百メートルくらい離れたところに、自衛隊と在日米軍が若者たちをいっぱい集めていたことである。大きな戦闘ヘリがあって、陸上、海上、航空自衛隊の制服を着てはカッコいい現役自衛隊員と肩を組んでキャアキャアと楽しく写真をとっているのである。息子さん娘さんにどうぞとわたしにも美麗な入隊勧誘パンフをくれた。
 そうか、戦時体制はこんなふうに、ニコニコしながらやってくるんだなあ。

2014年6月24日火曜日

北海道もようやく・・・猫跨ぎ

函館もようやく、春というか夏というか、一緒にやって来たらしいですね。北海道はこの時期、四季の分類が相応しくないね。

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに・・・「中七の表現がどうもしっくりこない。函館港でも今は烏賊の夜釣り盛ん。」
これは、作句の言葉選びを、まるで夜の海から何かを釣り上げるような感覚を言ったつもり。当たりを待って暗い海を見つめている・・・
・麦秋や屈んで参る去来墳・・・「向井去来は蕉門十哲の一人。墓も小さく質素に作られているのだろう。」
この前、京都へ行った折、落柿舎を訪ねた。その近くにこじんまりした墓所があって、去来の墓がある。実に小さい。膳所の義仲寺の芭蕉墓も小さい。いや、まことにこうありたいものだ。昨今の句碑の立派で馬鹿でかいこと。
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り・・・「中七の「枇杷の実あかり」の表現が新鮮に感じた。真夜中の葬式の帰りと一寸くどさも感じたが余程大切な人だったのだろう。枇杷は北海道では御目に掛れないのが残念。準特選。」
「枇杷の実あかり」は小生の発見(笑)でちょっと自慢だが、葬帰りと言うなら、「真夜中の」は言わずもがなか。ここは変えたいね。我が家の前にある枇杷の木。鈴生りだった。
・蜜豆やSPレコードすぐ終り・・・「蜜豆とSPレコードとの取り合わせ絶妙。と同時に下五の止めが句全体によく効いていると感じた。特選。」
SPレコードを手回し蓄音機で聞いていたのはついこの前のような気がする。レコードのカバーがおもむきがあったなあ。
しかしレコードはあっという間に消えたね。CDは音質がどうも、というマニアの声もなつかしい。映画もいまはフィルムではなく、弁当箱みたいな記録素子を映写機に嵌め込むだけらしい。

函館通信239・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 やっといい気候になって来た。函館にも夏競馬がやって来た。パドックに行きたいのだが馬券を買うのにだいぶ歩かねばならない。自信が無くネット購入で我慢せざるを得ない。
 さて、猫跨ぎさんの十句楽しく鑑賞させて戴きました。

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに・・・中七の表現がどうもしっくりこない。函館港でも今は烏賊の夜釣り盛ん。
・苺つぶして漂泊のこころあり・・・最近苺をつぶして練乳をかけて食べる事をしていない。つぶす事に何か特別な思い入れがあるのかな。
・祭笛神馬は巫女に逆らはず・・・競走馬と異なり神馬はおとなしく躾けられているね。
・麦秋や屈んで参る去来墳・・・向井去来は蕉門十哲の一人。墓も小さく質素に作られているのだろう。
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り・・・中七の「枇杷の実あかり」の表現が新鮮に感じた。真夜中の葬式の帰りと一寸くどさも感じたが余程大切な人だったのだろう。枇杷は北海道では御目に掛れないのが残念。準特選。
・蜜豆やSPレコードすぐ終り・・・蜜豆とSPレコードとの取り合わせ絶妙。と同時に下五の止めが句全体によく効いていると感じた。特選。
・寺山忌タオルにくるむモデルガン・・・寺山修司、競馬の好きな多能な人だったな。中七・下五が秘められた能力の発現をしようとする一部なのかな。怖さもあるな。
・もう六月さあどうすると言はれても・・・「もう六月」感じる人と「まだ六月」と感じる人の両方が居る様に思うが私はまだ後者に近い。ユーモアがあって好きな句だ。準特選。
・アマリリスのリリスの辺り媚びてゐる・・・アマリリスは最近殆ど観ていない。熱帯性植物のどぎつさは常に何かを誘っているようだ。
・ワールドカップ流砂のごとく人流れ・・・首都圏等の馬鹿騒ぎをTVで観るが人口の少ない所では人の流れも無し。新聞だけが変にうるさい。

2014年6月22日日曜日

H26。6月度投句・・・猫跨ぎ

  一昨日、池袋駅を通ったが、サッカー日本代表チームのグッズコーナーで店員が大声で客を呼んでいた。通行人は素通りするばかり。熱は一気に冷めたね。これがあるから恐ろしい。当て込んでいた関係者は大変だ。
  大体、世界ランクで44位とかなんだろう。それで上位のコートジボワールに勝つのが当然みたいな煽り立てはどうだ。こちらが必死なら、相手も必死だ。どれだけサッカー歴があるのか知らないが、判ったような分析屋がぺらぺらとよく喋る。訳知りの戦犯探しの喧噪がこのあと当分続きそうだ。

ということで
六月度の近作十句

・夜釣人言葉を釣り上げるやうに
・苺つぶして漂泊のこころあり
・祭笛神馬は巫女に逆らはず
・麦秋や屈んで参る去来墳
・真夜中の枇杷の実あかり葬帰り
・蜜豆やSPレコードすぐ終り
・寺山忌タオルにくるむモデルガン
・もう六月さあどうすると言はれても
・アマリリスのリリスの辺り媚びてゐる
・ワールドカップ流砂のごとく人流れ

祭りの終焉・・・国兼

半年前頃は、羽生だ浅田と騒ぎ、かわいそうに女子ジャンプの高梨さんは期待外れで無視されて・・・・。何かお祭りが無いと一日が過ごせない民族性のためか、今度は本田だ、香川だ岡崎だと、ベスト16だ、優勝だと大太鼓を打ち鳴らしていたが、もう数日でこのお祭りも終わりそうだね!!!これからは、いつものように、自称評論家諸君が寄ってたかって、第1級戦犯は誰とか、作戦がどうのこうのと・・・。不思議なことにまだ終わっていないにもかかわらず、日本サッカー協会の理事なる人物がザック監督の采配に口出しに行くらしい。4年間任せたのであれば、信頼して最後まで任せるという度量がほしいものだ。

 話代わって、今日の天声人語に偶然か、茨木のり子さんのことが書かれていた。記者もおそらく世田谷の文学館を訪れたのであろう。
 私がこの詩人を知ったのは、定年後に朝日に記載された「惜別」の記事である。「このたび私はこの世をおさらばすることになりました云々。この手紙は生前に記した云々と・・・・」。こういうのも良いかなと、私もしておこうかなと思い名前を見たら茨木のり子と。詩人の関係者が彼女の死後朝日に送ったようである。
その昔に天声人語で彼女の詩集「倚りかからず」を取り上げたところ本屋に注文が殺到したらしい。そのような縁があったらしい。
 今日の記事には彼女の「私が一番きれいだったとき」その時は敗戦前後の19歳のときで、とても不幸せな時と・・・もう一つが「平和」という詩で、「男がなよなよして、女が溌剌になる・・・・」、なよなよした男に愛想を尽かし、勇ましそうに見える男に世を託し、やがては女子供が巻き込まれる世の中へと。

2014年6月19日木曜日

茨木のり子展・・・猫跨ぎ

  茨木のり子展は今月29日まで開催中だね。私は先月行ってきた。
現代の女性詩人のなかで最も人気のある一人か。最近特に。「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」の詩句が有名だが、これは勿論自分を叱咤した言葉。
掲示されていた次の下りが率直でいい。「あらゆる仕事 すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと…」。こういう直截な表出は詩という形式なればこそか。俳句と比べてだが。この詩人のイメージはひと言で言えば、「澄明」。庶民の上質な感性そのもののような気がする。
  会場の最後に天井からレースのカーテンで仕切られたコーナーがあって、何かと思わせるが、先立たれた夫、三浦安信とのプライベートに関するもの。文書箱に生前公開されなかった十篇以上の作品が残されていた。それらも一部分陳列されている。「セクス」で始まる赤裸々なものもあって、思わずどきりとする。死後の公表は応諾していたとか。凜としたイメージがこの詩人の印象だが、これらも含めて、この詩人の全体像として記憶されるのだろう。これらの詩篇については、最近出た岩波文庫の詩集に収録されている。  
女性詩人に美人が多いとは私の持論であるが、茨木のり子さんもまた論を待たない。もう一度行こうと思っていたが、ちょっと無理かな。

茨木のり子     ・・・褌子

 茨木のり子展を世田谷文学館でみてきた。
 「感受性くらい」や「倚りかからず」など茨木のり子の詩は、テキトウに生きてきた私のような人間をときにしゃんとさせてくれる効用がある。
 与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴というタイプのまったく違う詩人4人を茨木のり子が描き出した『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)を読んだ。
 高村光太郎を紹介する章の一節、『日本人の「典型」』のところが、戦争をする国へとすすむ現今の政治や世情を考えるととくに印象的。
 青春時代からもちこたえてきた、光太郎の芸術の先覚者としての、知識人としての精神活動は、智恵子の死(昭和13年)を境に、くずれ去ったようにみえます。―――と茨木は書いて、天皇あやうし!陛下をまもれ!と叫ぶ詩「真珠湾の日」を3年後に発表するまでの光太郎というか当時の日本人の心境を次のように述べている。
――― 光太郎の心の荒廃に、しのびよってきたのは、なんと、かつてあれほどきらった父、光雲に代表された、下町の庶民感覚だったのです。
 しんせつで、心あたたかく、おせっかいでもあり、権威に弱く、他人の暮らしのすみずみまで知りたがり、義理人情でバランスをとり、事があれば、よく考えもせず「やっちまえ!」と叫ぶ、むかしながらの日本人の心のふるさとへ――こういう里帰りの心を、「日本への回帰」と呼びますが、日本人は、どんなにモダンな人でも、老年に近づくと、こういう現象があらわれてくることが多いのです。(中略)
 光太郎も六十代になって、例外ではありませんでした。.父や母や祖父たちの遠いなつかしい亡霊にひきよせられるようにあともどりして、折りしもはじまった太平洋戦争に、「日清」「日露」の戦争に熱狂した先祖たちとおなじように、夢中になっていったのです。
 
��写真は、友人だった詩人谷川俊太郎が撮影したもの。茨木のり子の魅力的な風貌をはじめて知った)

2014年6月15日日曜日

こむらがえり その他いろいろ      九州の熊

こむら返りにはストレッチが効くよ わたしは毎朝食事前に、背伸び、ふくらはぎからアキレス腱のかけての引き伸ばし、股関節の延伸、背中の後ろ反い、くびのまえ倒し、うしろ倒し、首回転をやる 約10分かかる でも爽快だね すっきりめが覚める めしがうまい あまり永生きするつもりはない 召されたら素直にそれを受け入れる、と思っているがそれでも健康寿命へのこだわりは結構あるね

ワールドカップサッカーがうるさい・・か でもAKB48選挙よりはいいのでjは NHKが全国ニュースで話題にしたのにはおどろいた

柔道 剣道 居合道 相撲道・・ 「道」がつく格闘技は勝ち負けだけではない”勝負の美”がある 柔道や相撲は外国人がその「こころ」の部分を蹴散らして勝ち負けにこだわった その結果柔道も相撲もいろんな問題が噴出した とわたしはみている そういう見方からするとサッカーのようなスポーツは日本人に向いていない? 残念ながらサッカーは一次リーグ敗退だね


H26.6月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  ファンには申し訳ないが、サッカーがうるさい。テレビ、ラジオ、新聞、ネット、バカ騒ぎだ。いい加減にして欲しい。
さて、今年はホトトギスが良く啼く。夜中も啼いている。六月仁句鑑賞。

��.老鶯や送られて来た手沢本
手沢本とは前の持ち主の触った跡の付いた本のこと。想像するに、親類もしくは友人が亡くなり、遺族から送呈されたものか。共通の或る思い出があるのだろう。準特選。
��.蝦夷梅雨や強がり言った医師の前
蝦夷梅雨か。前からある言葉なのかな。「いやあ、このところ快調です」。ただでさえ鬱陶しい天気、そう言ってしまうね。
��.験担ぐ弟と居る木下闇
どういう状況かな。験担ぎはあまりしない方だね。ホテルは相変わらず、4のつく部屋番号はない。何時になったらこの馬鹿な習慣はなくなるのかな。しかし、担ぐ人は、切実だ、とすれば、無くならないか。木下闇で怪談でも聞かされたか。
��.卯の花やそろそろおむつ取れる頃
そう、うちの孫もその年頃。電話で「ウン、トイレ行かないの」と威張っていたが。
��.時の日のこむら返りの痛さかな
最近はあまり無くなった。返りそうな瞬間があって、咄嗟に足の指を引っ張って対処すれば、何とかなる。時の日か。何か思い起こさせるのかな。
��.万緑や古式泳法演じ切る
深山の渓谷の、流れの緩やかなところかな。昔の思い出だろう。
��.短夜や暴き切れない血圧計
暴くとは。血圧計には何の責任もない。あらぬ数値を出す当方の側の問題か。
��.ラジオネーム宇宙人と書きソーダ水
ラジオ番組に投稿しているらしいね。
��.室内の手摺伝わり夏の月
急に話が現実的になってきた。この前満月だったね。
10.宇宙まで途中下車なし蝸牛
蝸牛を己に見立てている。天上まで何の障害もなく行きたい、行くつもりだということか。特選。

2014年6月13日金曜日

函館通信238・・・蝦夷梅雨・・・仁兵衛

国兼さん、御帰りなさい。まだまだあっちへ行くには早過ぎますよ。兎に角お互いに言葉が交わせる位置に留まっていましょうや。
それにしても函館はこの一週間曇りー霧ー小雨ー大雨ーかみなりと梅雨の真っただ中にあります。道内全体も似た様な状況ですので北海道もいよいよ梅雨が定着しつつあるようです。しかも御しとやかな雨ならともかくいたる所でゲリラ豪雨を呈し暴れまくっています。
こんな蝦夷梅雨の中での十句宜しくご鑑賞下さい。

��.老鶯や送られて来た手沢本
��.蝦夷梅雨や強がり言った医師の前
��.験担ぐ弟と居る木下闇
��.卯の花やそろそろおむつ取れる頃
��.時の日のこむら返りの痛さかな
��.万緑や古式泳法演じ切る
��.短夜や暴き切れない血圧計
��.ラジオネーム宇宙人と書きソーダ水
��.室内の手摺伝わり夏の月
10.宇宙まで途中下車なし蝸牛


2014年6月10日火曜日

1ヶ月後の身体状況…国兼

退院してから1ヶ月過ぎた。心臓周辺の違和感も生じることなく、以前と変わったことといえば、脈拍が50~60と10ぐらい減ったことと、夜中に一度ぐらいトイレに起きることである。新たに飲んでいる血管膨張の薬と関係しているのかもしれないが、熟睡の途上で目が覚めるというのは、あまりいい気持ではない。
 タバコを止め、早寝早起きのせいか以前に比べ朝飯は特に美味しく感じる。でも、この1ヶ月の間で何回かタバコを吹かしている夢を見た。1度なんかは、慌ててもみ消していた。夢の中でも喫煙は駄目だというマインドコントロールが作用しているのかと・・・。後どのぐらいすると吹っ切れることやら??

 話代わって、 最近の中国のこと、かって1周遅れの帝国主義をアジアにおいて行った日本、更に1周遅れの武を南シナ海で用いようとしている中国、眠れる獅子が牙をむきだしてきた感じである。日本には過去の歴史を、歴史をと叫んでいる割には歴史を学んでいないのではと・・・。武に金をつぎ込み、2千年を越えるはるか昔の秦時代の焚書坑儒のような中華のノスタルジアに帰るよりも、孔子や孟子のような「礼の世界」や、或いは杜甫や白居易のごとき「文の世界」や世界を幸せにするような「サイエンスの世界」でと思う。  中国の動きに待っていましたと言わんばかりにわが日本のボンボンも集団的自衛権をと、嫌な、きな臭い様相を示しつつある。

 ともあれ、ひでをさんの書かれていた「愉快な出会いと、まだまだ人生楽しいものだと」、私も運良くこの世に戻ったからには楽しまなくてはと思う。そう、「リラ忌」も忘れてはいけない!!ホロホロ会の毎年の旅も忘れてはいけないのだ!
 ところで、青木は何をしているやら????


2014年6月9日月曜日

孫文と滔天・・・猫跨ぎ

  しばらくご無沙汰していた。北陸の芭蕉の足跡を辿り、ついでに京都をあちこち歩き回ってきた。この辺の話はいずれまた。
  褌子氏のどこかへ書いた記事の転載かな。いろいろと活躍の舞台が広いのに感心。記載の事実は全く知らなかった。知っている人は余りいないのではないか。明治末期から大正にかけての中国の革命前夜の胎動のころか。魯迅の「藤野先生」を思い出す。そんな民間人が沢山いたのだろう。孫文と言えば、宮崎滔天という破天荒な人物を想起せねばなるまい。二人は同士のごとく激しく極東を動き回った。巨像がゆっくり倒壊していくような清末期。新しいアジアの夜明けを信じて熱烈に支持し行動する空気が当時あった。一種ロマン主義がまだ生きていた時代の話だ。その後、日本は日露戦争の美酒に酔いしれて、対支二十一箇条の要求などの愚策へ落ち込んでゆくのだが。
  今はどうだ。自由資本主義の市場原理のみが世界を席巻している。動きがやたら速く、それ以外のどんな主義主張も掻き消されて見えない。アセアンの会議で、中国の何とかいう副参謀総長は「南シナ海は二千年来、中国の支配下にある」と豪語したらしい。ベトナムやフィリピンはそのころ腰簑をつけていたのではないかと言わんばかりだ。
孫文の夢といかにかけ離れていることか。いや周恩来だってこの傲岸不遜には激怒したに違いない。

2014年6月7日土曜日

投稿    ・・・・褌子

    千葉大学医学部の辛亥革命赤十字隊記念碑
                沙飛研究日本の会世話人 西沢昭裕
 1912年(大正元年)といえば沙飛が広州に生まれた年だが、この1912年が辛亥革命によってアジアで初めての共和国が中国に成立した年であることはいうまでもない。
 1911年、辛亥の年に孫文ひきいる中華革命党が武昌に挙兵すると清朝政府軍とのあいだに内戦がおこった。当時、アジアでいち早く近代化をなしとげたかにみえる日本には中国からも大勢の留学生がきていたが、清朝末期の腐敗と列強諸国の侵略に心を痛めていた。武昌蜂起をきいて祖国の革命戦争にはせ参じようという気運が中国人留学生のあいだに大きくなった。
 その先陣をになったのが千葉医学専門学校(現千葉大医学部)の中国人留学生30名の国民革命軍赤十字部隊としての派遣だといわれている。
 私は千葉県の市原市に住んでいるが、自宅から車で20分ほどの千葉市亥鼻の台地に千葉大学医学部がある。千葉医専、千葉医大の伝統をうけつぐ古びた医学部本館の玄関脇に、「辛亥革命赤十字隊記念碑」があるというので訪ねた。
 記念碑は赤十字隊派遣のちょうど一年後の1912年11月9日建立とある。100年の風雪でかなり摩耗してか私には中国語の碑文が読み取れないが、刻印された30名の留学生の姓名のあとに「中華民国留学生千葉医学専門学校学生同建」とある。そばにていねいな説明板がたっている。この説明文は2009年に千葉大学元学長の故井出源四郎名誉教授が医学部創設135周年にあたり書かれたと記されている。
 井出源四郎先生の説明文によれば、祖国の革命戦争に参加したいという留学生30名の懇請をうけて、当時の荻生録造学長が留学生たちの休学と祖国の戦陣より帰還のあとは必ず復学させるという認可を文部省、外務省からとりつけたとある。
 派遣が決定となり急きょ、日本赤十字千葉支部の協力もえて、戦時医学を学んだ派遣赤十字学生隊に教職員や学友たちがカンパをつのり壮行費用や医療器具や医薬品を寄贈、1911年11月9日に数百人の教職員学生が千葉駅の壮行会を催して見送った。同年秋から翌12年にかけての革命戦争の末、孫文を臨時大総統として中華民国樹立が宣言されて、赤十字隊は全員復学を果たすことができたのである。
 「この壮挙は千葉大学医学部史の宝であり、日中の間に何が起ころうとも、(中略)貴重な日中友好の絆は決して断ち切ってはならないと確信し決意するものである」と井出先生は結ばれていて感慨深い。

【付記】
 仙台医専を中退して東京で文学活動をはじめた魯迅は1909年に帰国している。救国抗日運動への参加を決意した沙飛が魯迅最期の姿を上海でカメラにおさめたのは1936年。
 辛亥革命で成立したばかりの中華民国は袁世凱らの軍閥の裏切りによって共和政体が崩壊。1919年に中国国民党を結成して国民革命をすすめる孫文も1925年に志半ばに倒れる。 沙飛はその翌26年7月に国民革命軍の通信兵として北方の軍閥政府を打倒する北伐戦争に参加する。国民革命の根拠地となった広州で生まれた沙飛であるがまだ14才の少年であった。

2014年6月2日月曜日

We meet only to part, as they say.  褌子

  青木君、信田君に関する小蔵ひでをさんの発言を興味深く拝見。
    熱燗や合縁奇縁ちくわ穴  なんて句がありましたな。
 私もむかしhorohorokaiの西浦温泉への旅行で東京駅から新幹線に乗り、となりに座っている紳士が中川徹君だとは名古屋駅で降りるまでまったく気がつかなかったことがあります。
 ぐぐっと近寄っても決して交わることなく双曲線みたいに永遠に別れてしまった女性が私の場合、じつに多かったなあ。手をにぎることも話を交わすこともなく。鴎外の『雁』のお玉さんみたいに…。ホントに、会うは別れの始め、なんだねぇ。
  「会うは別れの始めとはいうけれど」を英語でいうと We meet only to part, as they say. となるがどうもしんみりした雰囲気がでないなあ。
 天の川銀河の比較的ちかくにいるマゼラン星雲も実は急速に遠ざかっていて、この大宇宙のなかでマゼラン星雲と天の川銀河が二度と邂逅することはないのだそうだ。それどころか、二兆年後には銀河系以外は何も見えなくなる、というのだ。
 いま、読んでいるローレンス・クラウス『宇宙が始まる前には何があったのか?』(原題A UNIVERSE FROM NOTHING青木薫訳・文藝春秋)の目次を紹介してみよう。

■はじめに 何もないところから、何かが生まれなければならない
■第一章 いかに始まったか  
  始まりの一秒。百億度のプラズマ状態。陽子と中性子が結びついては、さらなる衝突のためにふたたびバラバラになる。ビックバン・モデルでさかのぼる原初の宇宙の状態とは……。
■第二章 いかに終わるのか?
  「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」のいずれかで、終末のシナリオは3つある。この予想の鍵をにぎるのが、目に見えない大量の暗黒物質だ。その正体を捉えることはできるのか。
■第三章 時間の始まりからやってきた光
  生まれてまもない高温の宇宙で発せられた光の残照、それが宇宙マイクロ波背景放射である。宇宙誕生の瞬間を見ることは不可能だ。しかし、誕生から30万年後の姿は見ることができる。
■第四章 ディラックの方程式
  ミクロなスケールの世界から記述する量子力学。そこでは、何もないところから仮想粒子が生成消滅する。特殊相対性理論と量子力学を結びあわせたディラックは、宇宙の始まりにも関係する重大な発見をする。
■第五章 99パーセントの宇宙は見えない
  エネルギーを含んだ空っぽの空間の中に、「暗黒物質」の海があり、わずか1%の目に見える物質がその海の中に浮かんでいる。それが現在の物理学が到達した宇宙像なのである。
■第六章 光速を超えて膨張する
  われわれに観測可能な宇宙も、膨張の速度が加速し、やがて光速を超える。アインシュタインが課した制限速度も、空間そのものにはあてはまらない。
■第七章 二兆年後には銀河系以外は見えなくなる
  宇宙がこのまま膨張し続けると、二兆年後にはすべての天体が遠ざかり姿を消す。ビックバンの手がかりも消えるだろう。われわれは宇宙を観測できる貴重な時代を生きているのである。
■第八章 その偶然は人間が存在するから?
  インフレーション・モデルや「ひも理論」によると、宇宙はひとつではなく無数に存在するという。とすると、われわれの宇宙は人間が存在するのに適した宇宙に過ぎないのではないか。

―――――以下、面倒くさくなってきたのであとは章立てだけを書く
■第九章  量子のゆらぎ
■第十章  物質と反物質の非対称
■第十一章 無限の未来には
■エピローグ 宇宙が始まる前には何があったのか?

2014年5月31日土曜日

ひでを

しばらく見てないうちに大変なことになっていました。国兼さん、無事ご帰還おめでとう。一番健康と思われていた国兼、西澤両君が今、健康問題に直面し、ほろほろの仲間全員が同じ土俵に立ったっていうことですね。これからは、一日一日を味わいながら生きて行こうと思っています。
 それはともかく、リラ忌に全員が気づかないとは、記憶力が失せたか、情愛が失せたか。「忘れまい リラ忌の日付 記帳する」です。
 最近のトピックスを一つ。最近知り合った一回り若い知人がおります。某国立大の応用化学卒ですが、修士を出て、就職は三菱化学の四日市研、「配属された研究室の主任が北大の高分子で、ドクターを修めた人でした。」「え?、もしかして青木?」と聞いたら、「え?、良くご存知ですね。」「私と同級です、きっと。」「びっくりしました、世の中狭いですね、優秀で真面目で、尊敬できる人でした。」そんな、落語のようなやり取りでした。これでびっくりしてはいけません。彼の話は続きます。さらに、上を求めて、退社し、アメリカに渡りデュポン社に入社しました。そこにいた先輩が、やはり、北大、高分子を卒業した方でした。「まさか、信田か?」「そう、え?。」「やはり、同級生です。今でも二人と付き合っている」「そうですか、一人ならず、二人まで!」。彼は、十年程前に会社を起こし、特殊なプラスチック素材を研究開発製造しています。その本社が私の家のすぐそばにあります。製造は主に東南アジアに外注(アウトソーシング)させているそうです。
 彼の娘の旦那が近くで飲み屋を始めたそうなので、近く一杯やりに行ってこようと思っています。こんな出会いもあって、まだまだ、人生楽しいです。

2014年5月27日火曜日

函館通信237・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 「あーリラなんか散ればいい 散って青い葉で私を包んで何処か遠くへ連れてってくれ あーリラなんか散ればいい」という様なライラックの満開の時期だ。昨日はリラ冷えで最高気温が12℃位だった。

��,花冷やバンダナ掛けて猫の通夜・・・冷たさがしんしんと伝わって来た。愛猫はお幾つだったのかな。
��.春月やチリより津波十センチ・・・地球は丸く海で繋がっている事が良く解る。月からその津波を見たらどんな風に見えるのかな。
��.春濤の礁(いくり)に砕け星生まれ・・・波が砕けて星となるメルヘン。
��.鳥曇レール継ぎ目の音つづき・・・昔直線のレールは25m規格だった。その継ぎ目の上を車輪が通るたびにガタンと音がしてその数から直線距離を概算して遊んだ記憶がある。JR北海道には任せておけないが。準特選。
��.晩霜や琺瑯引の猫餌皿・・・通夜を済ませた猫の餌皿に晩霜の取り合わせ妙。
��.如是我聞で始まる写経花杏・・・「にょぜがもん」とはお経のイントロ見たいなものなのだろうか。
��.仏の指に薄きみづかき若葉風・・・まず「みづかき」は「みずかき」と読ませて戴いた。仏の指にみずかきにも驚かされたが七ー七ー五の音律に違和感を感じさせないのも面白いと思った。特選。
��.全三巻北斎漫画春深む・・・北斎漫画は面白いそうだね。
��.春昼や端数うるさき消費税・・・四月以降一円、五円硬貨が良く出てきますな。
��0.大西日蹴り上げて花いちもんめ・・・作者から花いちもんめ遊びが結び付かないのがこの句の面白さかな。

2014年5月25日日曜日

初夏の読書  ・・褌子

  五月に読んだ本。
■クラウス・コルドン『ベルリン1945』
 大作であるが一気に読んだ。米英軍よりもいち早くベルリンを占領した下級ソ連兵の性暴力のすさまじさに驚く。ナチスドイツ軍の侵攻で2000万ものロシア人が犠牲になったが、スターリングラード攻防戦を勝ち抜いたソ連軍はロシアの大地からドイツ軍を追い払い、北ドイツの東プロイセンに突入する。貧しいロシア農民出身のソ連兵が裕福なドイツの農家に驚いて略奪をする様子などが興味深い。
 ポーランドやバルト三国にまで入植していたドイツ人は祖国へと避難する途中で170万人が犠牲になったといわれる。ヒットラーは米英軍の捕虜は比較的丁重にあつかい、ロシア人に対してはユダヤ人同様のホロコースト政策で臨んだ。あまりの苛烈なスラブ人絶滅政策に神経を冒されるドイツ軍指揮官もいたという。
 むかし読んだロシア系ドイツ人が書いた『スターリングラード攻防戦』もすさまじかった。人類史上最大の激戦。赤軍に包囲されたドイツ軍負傷兵が投降を禁止されて何万人と凍死していく様がこれでもかこれでもかと描写されている。人間というものはこういう殺しあいをいつまでつづけるのだろうか。
 いま読み始めたのがアントニー・ビーヴァー『ノルマンディー上陸作戦』
■大岡昇平『ながい旅』
 戦争末期に東海軍区で防空司令官だった岡田資中将の最期を描いている。
 日本本土の無差別爆撃をやったB29。撃墜されたB29搭乗員を処刑した罪で、岡田資は戦後、絞首刑になった。昭和の日本高級軍人にはめずらしく高潔な人物として『レイテ戦記』を書いた大岡昇平だが、岡田中将に敬意をこめて描いている。
■津村節子『紅梅』
 作家の吉村昭が昨年、癌で亡くなった。津村節子が吉村の妻として夫が舌癌から全身に転移して最期を遂げるまでを書いた。小説家夫婦というものの生活ぶりもリアルに描かれていて興味深い。
■吉村昭『殉国』
 15歳の沖縄の少年兵が鉄血勤皇隊員として沖縄本島に上陸した米軍と闘い、捕虜となるまでを生き残った比嘉義一という那覇のタクシードライバーから何日もかけてききとったままを書いている。のこぎりによる手足の切断。泥と血膿とウジ。洞窟に逃げ込んできた日本兵に強要されて母親による幼児の扼殺。手榴弾を支給されて一家全員の自決。これが戦争の実相。
■松本清張『半生の記』
 先月、吉野山の山桜を見物にいって短編『骨壺の風景』を読んだ。清張が43才で小説家として上京するまでの半生が知りたくなった。『半生の記』を読んで、ますます九州小倉の松本清張文学記念館に行きたくなった。
■松本清張『屈折回路』
 われわれが高校生の頃だが、北海道と九州で同時にポリオが大流行したことがあった。
 ある正体不明の細菌研究所の研究員が北海道の夕張や寿都にポリオを調査にいったあと自殺するところから物語ははじまる。
■松本清張『黒の様式』
短編『歯止め』『犯罪広告』それに中編『微笑の儀式』の三作が収録されている文庫本。 『微笑の儀式』は奈良の古寺巡礼にでた法医学の大家が、“古拙の笑い”ことアルカイックスマイルに心を奪われている青年彫刻家とであう話。三作とも甲乙つけがたい面白さ。いま読んでいるのが『十万分の一の偶然』
 

2014年5月24日土曜日

五月度投句・・・猫跨ぎ

  つまり、心筋梗塞ならニトロは効かないということね。普通、怪しいと思ったらカテーテルを入れて造影剤を投与して冠動脈の詰まりを調べるし、詰まったところの処置として、ステントを挿入したりする。そういう検査がないのだから、梗塞の所見はないんじゃないのかな。

それでは、今月の十句。
��,花冷やバンダナ掛けて猫の通夜
��.春月やチリより津波十センチ
��.春濤の礁(いくり)に砕け星生まれ
��.鳥曇レール継ぎ目の音つづき
��.晩霜や琺瑯引の猫餌皿
��.如是我聞で始まる写経花杏
��.仏の指に薄きみづかき若葉風
��.全三巻北斎漫画春深む
��.春昼や端数うるさき消費税
��0.大西日蹴り上げて花いちもんめ

次回は徹底してやる・・・  褌子

そうですか。ニトロが効かないときには、より恐ろしい心筋梗塞の可能性があるのですね。
今井先生はそういうことはいわなかったが24時間心電図は空振りになることが多いといっていた。5年くらいまえに胸のザワザワがでてきたときに、ある診療所で24時間心電図をとって医者が何ともないといっていたのでずっと今回の茅ヶ崎事件まで安心していた。
こんどは24時間心電図を何度もとって、その波形から証拠をつかみたいと今井先生がいっていた。次回はエコーとマスターダブルもやるそうだ。マスターダブルはどういうものかわからないが何だか怖そうな名前だ。しかし看護師さんが可愛いので、まな板の鯉となってがまんしよう。

ニトロが・・・猫跨ぎ

  ニトロが効かないのなら、心筋梗塞を疑わねば。24時間心電図は以前やったのでは。動脈硬化についての所見はどうだったのか、など疑問はいろいろあるね。
まあ、召されるときは召される。基本的には、大きな運命だと私などは思っているけれど。あと、五年か十年か知らないが、召されるときに、やり残したことが無いようにしようと言うことだね。

2014年5月23日金曜日

循環器クリニックに行ってきた・・・・・  褌子

   きのう、イマイ循環器クリニックに行ってきた。
  症状を初診カードに書き込み、血圧をはかり、お小水・血液・心電図・レントゲン撮影をして今井先生に面接。せっかく一ヶ月分測定した血圧計のデータは「手首で計る家庭用血圧計は誤差が多いからなあ」と先生は見向きもしない。
  診察結果は、とくに緊急事態というわけではないが、胸が明け方にザワザワする証拠、日中でも胸痛が起こる証拠をつかまないと適切な処置ができないので、24時間心電図をまずとりましょう。ザワザワ感や胸痛が起きたときに直ちにニトロを舌下にいれて、治まるようなら狭心症の可能性が大きい。ニトロを2錠も使っても治まらないなら狭心症ではなさそうだ。枕元・鞄・財布に常時携帯して症状が現れるや直ちにつかってみなさい。
『先生、ニトロは舐めたり飲んだりしたらダメですか?』
『ダメです。必ずベロの下です。舌の下に大きな静脈があってニトログリセリンが直接、吸収されて血管を拡張する特効薬です。ゴクンと飲んだら胃腸→肝臓経由で血管に入るから時間がかかりますよ』
『ニトログリセリンって爆薬の原料ですよね大丈夫ですか? それに友人が劣化すると言っているんですが…』
『口のなかで爆発しませんから安心しなさい。揮発性があって賞味期限があります。たくさん出しておきましょう』
  珍問答になったが性格の好さそうな先生だった。国兼さんみたいに直ちに三途の川まで行って引き返すという事態はとりあえず免れそうだ。
  さて、仁句鑑賞。
��.一か月傾いたまま鳥帰る
     一か月傾く、がわからない
��.角番のまわし叩いて夏に入る
 バンとまわしたたいて気合いをいれて。いい風景だな。
��.麦の秋二円切手を買ひにゆく
8%になって小銭ばかりがふえちゃって…
��.青嵐切り取られた十頁
『アンネに日記』切り取り事件を連想した。
��.五月雨や否と挙手する勇気なく
    町会長の評判が悪いが、交代する人がいなくて困っている。わたしのところまで頼みにきたが断った。みんな自分がやるのはイヤだから町会総会黙っている。
��.送られる筈が送りてライラック
    リラ忌だね 
��.陽を零す青葉若葉の挟間かな
    函館は新緑の候なんだろうね。こちらはそろそろ梅雨入りだ。
��.夏きざす枕の高さ替へてみる
    こちらは十年一日のごとく、古い枕だ。
��.郭公やダム放水の釦押す
     初夏の樹幹からカッコウの声が遠く近く聞こえてくる。
     夜半の豪雨をいっぱいためた深山のダムだね。準特選
10.デコポンのいびつを買ひて夏燕
     デコポンはポンカンと清見オレンジの交配種だそうだ。誰がつけたかネーミングがいい。文旦・小夏・ハッサク・イヨカン・・・みんな名前が定着した

タイ政変・・・猫跨ぎ

タイでクーデターだという。立憲制になってから19回目のクーデターとか。このところ国情が安定せず、反政府デモ、総選挙だ、ボイコットだと果てしもない。国軍が仲立ちをして、政府側、反政府側代表がテーブルにつき自説を述べあって、埒が明かない。そのさなか軍代表が「はい、そこまで」と制止し、「権力を掌握する」と宣言し、たちまち両代表は拘束されたという。そして直ちに戒厳令の布告。国中大騒ぎになるかとおもいきや、意外に平静で、街中の座り込みは、三々五々撤去を始めた。全くの無血クーデターだ。これも異様なら、ちょっと前、タイ憲法裁判所が首相に倫理を欠いた行為があったとし違憲で失職を宣告した。首相はさしたる抵抗もせず辞職した。
なにか、別世界の出来事に見える。まず、軍のクーデターだが、実力行使と言ってしまえばそれまでだが、この超権力的行為を、タイではだれも不思議に思わないらしい。軍にこんな権威を与えたのは誰だ?
憲法裁判所もそうだ。日本で言えば最高裁が総理大臣に、あんたクビ、というようなもの。一体誰がこの裁判官たちに、スーパーパワーを与えたのか。
日本では国権の最高機関は国会で、第一党の政党が行政権を掌握するが、常に国会が上位にあるという意識は揺るがない。私はそれが常識だと思っているが、タイはそうで無いらしい。王政を引いている。どうも、軍も裁判所も国王の意を体しているということを何となく諒解しあう空気があるように思う。
権力の淵源を辿ると、いつも不思議な感じがする。中国もそうだ。一般国民にとって周近平とは誰か。一私党である中国共産党の党首であるに過ぎない。それが、プロレタリア独裁というレトリックで、絶対的な権力を握っている。それにかりそめにも疑問を抱くことなど決して許さない。
我々は西欧型民主主義が正しいと思いそれに従っているが、周りを眺めると決して多数ではない。

2014年5月21日水曜日

26.5月仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

ウコンでの黄疸は違う。むかし代用食のカボチャの食い過ぎで顔が黄色っぽくなった人がいたがあれはカロチンとか色素のせいだ。ウコン大量摂取の場合もそうだろう。黄疸は病気。肝臓機能低下などで胆汁の異常分泌のせいだ。まあ、なんでも限度を越えてはなあ。

��.一か月傾いたまま鳥帰る
ここ一ヶ月の異常な気象を指しているのかな。こちらからは一ヶ月以上遅いね。
��.角番のまわし叩いて夏に入る
夏場所も後半戦。遠藤も角番を迎えそうな感じ。彼は角力巧者ではあるが、大型力士の間に入るとはちょっと小さい。馬力任せに一気に来られると苦戦しそうだ。そこをどう乗り越えるか。
��.麦の秋二円切手を買ひにゆく
このところ端数が煩いね。二円切手は買い過ぎても困るしね。
��.青嵐切り取られた十頁
アンネ本のことかな。いやな事件だが、あの愚かな行為に及ぶ情熱は奈辺から来るのか。歪んだ自己顕示なんだろうが。
��.五月雨や否と挙手する勇気なく
「では、反対の方、挙手願います」。さて、どんな場面だろうか。
自治会か、はたまた秘密保護法、集団的自衛権の問題か。
��.送られる筈が送りてライラック
昔の甘酸っぱい思い出かな。準特選。
��.陽を零す青葉若葉の挟間かな
これは、大人しい写生句。
��.夏きざす枕の高さ替へてみる
私は寝付きの良いのだけは自慢で、枕の高低は余程の事がなければ気にならない。季節と共に調整は要るのかな。
��.郭公やダム放水の釦押す
そういう場面に立ち会ったのだろうか。
10.デコポンのいびつを買ひて夏燕
デコポンが出始めたね。たしかに季節感はあり、たしかに変な形をしている。特選。

2014年5月20日火曜日

國兼式健康法に感謝しつつ・・・褌子

  ひごろ健康に留意している國兼さんには健康法において多大な影響をうけている。
 本欄をお借りして深甚からの謝意を申し上げたい。
 まずフンドシ、國兼家令婦人忍様御手縫いのフンドシを愛用させていただいていたがあるよんどころない事情(本欄では秘す)でトランクス型にもどってしまった。日本男児として恥ずかしい。
 つぎに靴下。靴下は氏にすすめられて足指が分かれているものを愛用している。水虫対策といざというときに足に力が入るというのである。結局、冬季のみ足親指だけ分かれているものになってしまったので水虫は治らないが、おかげで何事も逃げ足が速くなった。
 國兼氏の学説によれば酒は薩摩の芋焼酎のお湯割りが健康にいいそうだ。國兼家では九谷焼の壺に純金の蛇口をつけて、常時飲み放題らしい。小生も二十五年もの薩摩焼酎を一升瓶に量り売りで買ってきて、これはかなり真面目に実行しているが、暑くなってきたら冷たいビールになってしまった。
 ウコン、國兼さんは毎日、ウコンをカプセルにつめて飲んでいるそうだ。氏のツヤツヤした美しい黄色っぽい肌はウコンのせいであろう。私もあのような美肌になって女房を年甲斐もなく誘惑したくて鬱金カプセル剤を飲もうと思ったが、ウコンを栽培している近所のおじさんがウコンを飲み過ぎて黄だんになったときいて今躊躇している。ユンケル黄帝液のほうが効くのではなかろうか。
 忠実に実行しているのは國兼氏にすすめられて毎食後に整腸剤を飲んでいることである。武田のビオフェルミンとか三共のザ・ガードとか、きちんと三錠ずつ飲んで製薬会社の業績に貢献している。おかげで快食快眠快通どころか、快通快通快通で腸の具合がまことによろしい。
 以上、いろいろ國兼式健康法の一端を書いてみたが、結局、何といってもダントツに効き目がある超絶健康法は、日頃からお隣にお休みになっていらっしゃる奥方様を大切にして、いざというときの救命処置を果敢にとってもらう、これに限るということが今回の茅ヶ崎事件ではっきりした。
猫跨ぎ氏によれば「冠動脈痙攣収縮性狭心症」とはポックリ病のことらしい。
 小生も國兼さんとかなり似た自覚症状をかかえている。いっきにポックリと逝けるならそれがオトウサンにとって一番シアワセなのではないか・・・などと小生の愛妻が万一、いざというときにそんな英断をくださないように毎日女房を大事に大事にして生き延びていきたい。

函館通信236・・・間一髪・・・仁兵衛

国兼さん状況良く解りました。貴兄が発したうめき声を奥様が的確に判断されて素早い処置を取られた事がまさに間一髪の命の分かれ目の様に思えます。耳が少々遠くなってきている内のお隣さんはブログを読んでとても奥様のようには動けないだろうと言っています。私も同様です。充分に養生して下さい。

函館は連休中に桜が終り緑の滴るいい季節を迎えています。ライラックも少ないながらいつもの通りの艶やかさを付けています。しかし俳句の方は相変わらず四苦八苦。宜しく。
��.一か月傾いたまま鳥帰る
��.角番のまわし叩いて夏に入る
��.麦の秋二円切手を買ひにゆく
��.青嵐切り取られた十頁
��.五月雨や否と挙手する勇気なく
��.送られる筈が送りてライラック
��.陽を零す青葉若葉の挟間かな
��.夏きざす枕の高さ替へてみる
��.郭公やダム放水の釦押す
10.デコポンのいびつを買ひて夏燕


2014年5月19日月曜日

完訳日本の古典   ・・・褌子

   猫跨ぎさん ありがとうございます。
  近日中に労災病院に行こうと思います。医療費も1割負担のうちに。
  酒は一合に減らします。日本酒よりも赤ワイン愛用します。ご飯は三杯は厳につつしみます。一杯をよく味わって食します。まず、毎朝、きちんと血圧を計ります。台湾にいっしょに行ったおじいさんが買ってくれたオムロンの血圧計です。三回も台北に同行してあげた高血圧症のおじいさんは台湾では倒れることがなかったのですが、花見の同級会で1時間くらい倒れたそうです。おじいさんが台湾で入院したら大変なことになるところでした。
  ながねん懇意にしていた安本老人も二月に肺がんで亡くなりました。いま豪邸の一階部分をディサービスに貸そうと相談中です。たくさんあった骨董品や什器類もどんどん処分しています。50年間に数千万円かけて集めた骨董品が数十万でたたき売りです。ディサービス用に改装前に、安本老人の書棚から『完訳日本の古典』(全60巻・小学館)と昭和56年にでた集英社版の『漱石文学全集』(全10巻)をもらいました。
 『完訳日本の古典』は①古事記、②~⑤万葉集からはじまり、58巻目が蕪村・一茶集、59~60巻が山本健吉編の『古典詞華集』で終わっています。集英社版の漱石文学全集は岩波版の向こうを張った凝った造りで編者は伊藤整、荒正人。装幀が津田青楓、ぱらぱらとめくると今関一馬の挿絵がまたいい。岩波版よりずっと江戸っ子の漱石らしい味わいがある。
 ポプラ社からでた『完全復刻版夏目漱石文学集』というのも、文学少女の奥さんを亡くし老人ホームに入ったあるお年寄りからもらったのですが、たとえば『門』をみると明治四十三年十二月印刷とあり、実価金一円三十銭 著作者夏目金之助 発行所は日本橋の春陽堂とある。
  こういう本はめくっているだけで楽しいものだ。だから、まだぽっくりと逝きたくないので労災病院の心臓内科を訪ねることにしよう。

年齢相応に、か・・・猫跨ぎ

深刻だね。早々に心臓内科の専門医の再診を受けるべきだろう。
その他の我々としては、第三者的に言えば、確たる原因がはっきりしないから、ストレスの少ない規則正しい生活習慣で日々送るしかないということか。
国兼さんは煙草は完全禁煙(これはとっくに止めるべきだった)で、早寝早起きか。
褌子氏は、飯の大食をほどほど、酒もほどほどということだろうが、全般的にせわしなさ過ぎたのではないか。そういう生活習慣ですね。
結局は、お互いに年齢相応に則を外さず生活しようということ、そして予兆があるらしいから見逃さずということか。
そういえば昨日、大相撲の元魁傑がゴルフ練習中に逝った。こちらは虚血性の心不全とか。心筋梗塞だね。彼も何かの予兆があったのだろうが、今となっては何を言っても後の祭りだ。

リラ忌については、ひでを氏に仮託して、献句を作っておいた。何年経ったのかな。
リラ冷えや歩き疲れし夜の微熱

生きるか死ぬかそれが問題じゃあ・・・褌子

  五本さんごめんね。5月17日はリラ忌であったことを失念しておりました。時間の感覚がはっきりしなくなってきた。    リラ忌きて今が未来やそして過去。 
  国兼さんの貴重な情報で、あっというまにポックリ逝くか、ひょっとしたら長生きできるかのボーダーライン上に私もいることがわかった。国兼発言は女房にも読んでもらおう。
 ■頻度は一週間か10日に一度くらいかもしれないが、明け方ごろ寝ていて胸がざわざわする現象があります。5分くらいで消えるが何か不快です。不整脈とはちがう。文字通り、胸がザワザワと焦燥感につつまれる感じだが痛くはまったくない。安静に寝ているときに起きるのが不思議。すっと消えるのでふだんはまったく意識しないが忘れた頃に起きる。
 ■もう一つは左胸全体がじわーと痛くなる。これは日中でも起きる。じわーと痛いが会話などは可能。5分くらいで、すーと嘘のように消える。これも週一か10日に一度くらいかもしれない。
 両方とも10年くらいまえからの現象だ。四五年前に、医者に相談して24時間心電図をとってもらった結果、何ともないと医者はいうが…
 医者からもらっているニトロは一年くらいまえのものなので、劣化していることも今回の国兼発言でわかった。
 國兼大明神に感謝感謝。はるか茅ヶ崎方面をあおぎみてお灯明をあげて一礼二拍三礼しよう。

2014年5月18日日曜日

内助の功(続き)…国兼

皆さんもやはりこの年代になると、自分の健康や気になる体調異常に関して関心が高いようで…。アノ世に或る日突然の片道切符で逝くのではなく、出来れば往復切符でと・・。
 褌子さんの胸の現象は私と実によく似ている。朝目覚めた後に起こる心臓周辺の言葉では言い表せない不思議な苦しみというか、胸をかきむしられるような不快な現象で、汗がじっとりと滲み出る。その現象も10分前後で収まる。収まった後はあの不快なでき事を忘れてしまう程の元気そのものに戻る。その為に、数ヶ月後にまた起こるまで旧と変わらぬ生活をエンジョイし、不快なことを失念してしまう。かっては数か月の時間間隔で起こっていたあの不快な現象が、倒れたその週は毎日のように生じた。おかしいと思い、2年前に脳こうそくで通うようになったかかりつけの医者に相談に行こうと思っていた矢先に倒れてしまった。
 この狭心症は冠動脈の血管に異常な痙攣と収縮を与えるようなもの、その最たるものの一つがタバコであり、私もカミさんよりも長く50年以上も長く付き合ってきた仲良しのタバコとお別れした。また、ダラダラと深酒も良くないということで、目下9時前後には寝ることにした。フーテンの寅さんではないが、恥多き積年の罪深い人生を反省し…といった所だろうか。
 冠動脈が長く詰まって心臓の細胞が壊疽状態になる心筋梗塞だとニトロは効かないようであるが、狭心症の場合はニトロが有効である。 目下ニトロの舌下錠は肌身離さず携帯している。退院後未だこの薬のお世話になったことはないが、湿気に弱く賞味期限は半年ぐらいという。
 まだ書き足りないところがあるが本日はもう既に寝る時間である。

狭心症か・・・猫跨ぎ

「冠動脈痙攣収縮性狭心症」ですか。狭心症のひとつとか。私は心筋梗塞だとばっかり思っていた。これは別物ですね。種類は色々あるらしいが動脈硬化とは直接関係はなくて、原因ははっきり判らないらしい。いわゆる「ぽっくり病」なんかは、たいていこれなんだろう。
国兼さんは今後ニトログリセリンは常備だね。一般的な注意事項は何だろう。関心のある向きが多いので、この際、教えて下さい。
不謹慎な言い方だが、逝くときはこれがいい。(これは独り言)
これで逝くのも、隣にいる奥方に助けられるのも、まあ全て運命だね。

2014年5月17日土曜日

RE:内助の功    ・・・褌子

  「冠動脈痙攣収縮性狭心症」ですか。
  わたしも明け方などに、ときたま、数分であるが胸がざわざわとしたり、じわーと左胸が痛くなる症状があるので危ない。
  医者に相談して、24時間心電図をとってみたが何ともないという。「先生、狭心症ですか」ときいたら、狭心症は冷や汗がでるくらい、とてもがまんできるような痛さではない。あなたのは狭心症とはいえないが、いちおうニトロを常時携帯してください、というのである。じわーと痛いのは肋間神経痛かもということであった。
  今回の国兼事件を参考にして隣に寝ている女房に平身低頭して延命対策を頼んでみることにした。とにかく毎朝、まじめに血圧をはかることにした。
  国兼さんのその後の傾向と対策など詳報をひきつづきお願い申しあげます。

2014年5月16日金曜日

内助の功・・・・国兼

  カミさんが具体的にどういうことをしたのかは、私も意識を失っていたのでとんと知らない。後から話を聞いてみると、6時15分ごろにまた寝ようと布団にもぐってすぐに「ウオ―」というような常にない異常な声を私が出したらしい。カミさんの良かった所はその異常な声に敏感に反応し、寝息を確認し、呼吸していないことに気が付いた点である。驚いてすぐに心臓マッサージをし、寝室が二階だったために電話が無く、私がマッサージでフートか息をもらした瞬間に脱兎のごとく一階に下りて携帯電話を持って上がり、119番へ電話しながらマッサージをしたらしい(今は事故対策として2階に携帯電話を持って上がることにした)。救急車が来るまで心臓マッサージをしてくれたらしい。このカミさんの迅速な心臓マッサージによる初期対応により、幸いにも脳へのダメージも後遺症なく元気に退院できた次第。 このカミさんの処置によりアノ世をさまよったのは半日ぐらいで済んだ。後の9日間はこのような発病をもたらした原因を調べるための検査である。
 
 病名は「冠動脈痙攣収縮性狭心症」という長い病名であるが、要は心臓を動かす心筋に血液を送る血管の異常による血液不足である。何故血管が痙攣し、収縮するかは多々原因があるらしい。その後、私もインターネットで心臓マッサージを詳しく調べた。次にカミさんが私と同様のことが起こったら、その時には私がと・・・。
今にして思うに、持つべきものは普段は横に只寝ているだけの何とも思っていない空気のようなお方の存在であると。感謝!!感謝である。

2014年5月12日月曜日

函館通信234・・・他人事ではない・・・仁兵衛

 国兼さん、逸徳さんの云う通り正確にはどこが悪かったのかもう少し教えて下さい。
 隣で寝ているかみさんにもよく説明しておこうと思います。10日間も意識が無いままベッドに居たんですか。
 奥様の処置はかみさんも大変関心を持ってブログを読んでいます。

 逸徳さん、こちらは別の意味で大変ですね。
 私も先日介護認定を受け要支援2と判断されました。
 認知度合いはまだまだ何もありませんがパーキンソンは認知症に近づき易いといわれ要注意です。
 老老介護の疲れから体調を壊さぬ様くれぐれも気を付けて下さい。

大変でした・・・逸徳

最近周辺で、健康にかかわる事件が続き、関心が深くなっていたところへ、国兼さんのニュースにおどろきました。 これは脳梗塞ではなく心臓のほうだったのでしょうか。 それと、奥方の救急処置、関心があります。どういう対応だったのか参考にご紹介ください。ぜひぜひ・・・・おくればせながら、我が家の奥方にも勉強してもらおうかと。

で、79になるおいらのたった一人の兄貴が倒れた。 事情があり、独居老人である。家族はいない。で、おいらに世話が回ってきた。静岡に通う日が続いている。話にきく老老介護である。施設にいれたが、認知症が出てきた。 夜間譫妄がでて、対応に悪戦苦闘中。くたびれはてつつある。 ・・・やがてくる みちとは聞けど このみちが こんな道とはおもはざりけり・・・である。 落ち着いたら、人間のいないあの北海道の牧場にもう一度いってこようかなあ。 といった状況。参った。 

2014年5月10日土曜日

おいおい・・・猫跨ぎ

  ちょっと今回の一件は洒落にならないね。まさに、奥方のお蔭で死地よりの帰還というべきか。私などはさしずめ、数日後発見されて、またも孤老逝く、という小さい記事― 記事にもならんか―そういう事だろう。
貴兄は、去年だったか、言葉のもつれがあったが、間違いなくその流れの一環だろう。あれが大きな予兆だったということだ。くれぐれも養生専一で過ごして頂きたい。いい奥さんが傍にいて、一命をとりとめる。これも多分決められた運命なんだなあ。

RE お迎えが    ・・・褌子

   国兼さん。三途の川の途中から引き返してよかったですね。
  二十年くらいまえに、町会長になったことがある。老人クラブの行事があって、町会の70歳以上のお年寄りを車で迎えにまわった。玄関をぴーんぽーんと押して、でてきた家族に「おじいちゃんをお迎えにきました」と告げて近くの小学校体育館まで四人ばかりのおじいちゃん、おばあちゃんを案内して喜ばれた。
  ところが、あとで「こんどの町会長は、うちのじいさんをお迎えにきた・・・」といって連れて行った、と話題になったそうだ。あのころまだ、こちとら若干50才だったなあ。こんど町会から「お迎え」がきたら、そのむかし話で笑って老人クラブ行事参加をやんわりお断りしよう。

2014年5月9日金曜日

お迎えが・・・国兼

   3月頃にこのH.Pに今年は何故か成田山や川崎、川越の大師を訪れ、お迎えが・・と書いたことがあるが、本当にお迎えの使者がくるとは…と驚いた次第。

 4月26日の朝6時10分前頃に、この10日の間に継続して起こった胸の痛みで目をさまし、1階に下りて冷水を飲んだ。胸の痛みが治まってきた6時10分頃、血圧測定の異常もないようなので2階に戻り、時計を見ると6時15分頃だった。起きるのはまだ早いと思い、もうひと寝入りと思って寝たところがそこで意識を失ったらしい。
 途中の記憶は、息苦しくそれを取り除こうとしてもがいたことと、ちんぽこに管か何かをグサッと挿入された際の痛みと、麻酔の注射か何かを挿入された痛みである(カテーテル検査をやっていたらしい)。何が起こったのかよく分からないままに、意識が或る程度戻った時にはカミさんや娘や息子が救急救命室のベッドの傍らに立っていた(カミさんの電話で「チチシス」と受け取ったらしい)。

 看護婦さんから「とっさの状況で良く対応された奥さんのおかげですよ、命の恩人ですよ、」と言われたが、ピンとこなかった。が、その後巡回に来た医者に聞いたところ、初期処置が良かった由、後遺症もなく帰れますと。ウームと、カミさんは週1回の水泳教室でたまに人命救助の訓練を受けるらしいが、それが今回の私の意識不明の心肺停止の対応に大いに役立ったようである。芸(技術)は人を助けるという教訓のようだ。
 ともかく、10日ばかりあの世とこの世の境を放浪してきた。彼の岸はどんな景色であったか、次回に会った時にお話ししよう!!!いずれにしても亭主関白からカカア天下へと移り変わる或る出来事なのかもしれない。

 それにつけても、褌子さん夫婦はお二人であちこち楽しそうで、、次の機会には私も婿殿に・・・と考えている次第。

ヒトツバタゴ  ・・・褌子

   きのう、千葉市の大学病院近くの県立公園「青葉の森」を散策した。女房が、ヒトツバタゴの花が真っ白に美しく咲いているから見に行こうというのである。もと農林省畜産試験場跡地で広大な土地に巨樹が見事。
とくに印象に残ったヒトツバタゴ、ハンカチの木、ギョリュウを写真で紹介する。

■ヒトツバタゴ■
一つ葉タゴという名が気に入った。タゴとはトネリコの方言らしい。トネリコは漢字で書くと難しく小生のパソコンではでてこない。漢方生薬の秦皮を製すが、野球のバットやスキー板をつくるので有名。
トネリコの葉は複葉なのであるが、ヒトツバタゴが文字通り、単葉つまり一つ葉だからヒトツバタゴと名がついた。モクセイ科ヒトツバタゴ属。中国、台湾、朝鮮半島に多いが日本では対馬、岐阜県の木曽川流域、愛知県の一部だけに生育し、珍しい隔離分布の形態。シマトネリコの株立ちは庭木としても人気がある。


■ハンカチの木■
ハンカチツリーという名が気に入った。トイレのそばに植えておくと手をふくのに便利かも。
フランス人アルマン・ダビッド神父が中国四川省で発見した。(神父は1869年にジャイアント・パンダも発見している。もっとも発見といっても「西欧人が発見」して世界に発表したという意味か)
中国南西部にだけ自生するオオギリ科の1科1属1種の珍しい木。日本には1952年にはじめて小石川植物園に植えられた。写真のように小さな花を10数センチくらいの白い柔らかな薄いハンカチのような花包がつつんでいる。





















■御柳■
ギョリュウという名が気に入った。中国西部原産で木ヘンに聖と書き、「ていりゅう」と中国では呼ばれるが古くに日本に到来しタマリスクともいわれて和風庭園にもあう。春夏の二期、淡紅色の細花を総状に密生。説明がめんどうなので写真をごらんあれ。
※ハンカチの木と御柳の写真が逆になっているようだが細かいことは気にしないでほしい。

2014年4月29日火曜日

山中教授までが・・・猫跨ぎ

ようやく桜ですか。数日前、弘前城が満開と言っていたが。札幌は丁度五月連休のころだね。札幌といえば先日、25℃を記録したとか。沖縄と札幌がそうで、中間は低いという変な天気だった。

  小保方事件が変な展開になって、ついに山中教授が済みませんと頭を下げる事態になった。理研では小保方さんを「悪意ある改竄」と糾弾していた調査委員会の委員長が、自身も写真の切り貼りをやっていたことが露見して辞任、トホホの成り行きとなった。
オレのは10年前なら問題にされなかった、それに研究ノートにちゃんと記載がある、小保方のとは違うと強調、なんだか子供の言い訳みたいになってきた。
この切り貼りがよく判らない。他との差し替えでないならそんなに目くじらを立てることもあるまいと思うのだが。山中教授のもそうだが、皆、ネットの告げ口なんだね。狭い世界だから、やっかみ、そねみが渦巻いている。権威を引きずり下ろそうと、こっそりあら探しをやっているのだろう。いやしい根性だ。
研究ノートの件だが、みな綿密にやっていたのかね。自分しか判らん略記、メモなんかあるのだろうし、研究が失敗の連続なら、緊張感も途切れよう。瑕疵は絶対にある。あまり自分で首を絞めないことだと思うが。
何だか皆守りに入って、尻尾を出さないように汲々としているやにみえる。
  観点を変えて見れば、生物学の研究の特異性なんだろうな。写真、画像が、決定的な証拠になるから、取り扱いは慎重の上にも慎重はよく判るが。典型的な現象論の学問だ。
対極は理論物理学で、これはインチキしようがない。

実験物理学では、ベル研のシェーン事件ってのがあった。この件は、国兼さんが詳しいだろうが、2000年前後、ベル研のシェーンという研究者が、分子サイズのトランジスタ、有機物における超伝導、などで驚くべき発明、発見を連発、大騒ぎになった。各賞を総なめ、ノーベル賞確実といわれたが、程なく他では再現されず、おかしいということになった。そして結局、全部、不正、捏造、虚言だったことが判明。世紀の一大スキャンダル。この間、NATURE、SCIENCEなどの査読は全部通過していたというから好い加減なものだ。
むこうはスケールが違う。このシェーン、今はドイツに戻って小都市で会社員をしているらしい。
「STAP現象は検討の価値ある仮説」だそうだ。第二のシェーン事件ではないのだろう。じっくり検討結果をまとう。

2014年4月27日日曜日

函館通信233・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

 やっと函館にも桜がやって来た。「海峡を六日を掛けてさくらかな」といった所かな。

・花冷や印画紙に貌現れる ・・・花冷えの肌寒さと印画紙に現れてきた貌とがともに冷た過ぎる様に感じた。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ ・・・目深に帽子をかぶった自分の顔の背景に鮮やかな黄色の拡がりがある印象的な絵を句で表現しつくしている事に面白さを感じた。特選。
・階段の軋んで四月はじまりぬ ・・・古い軋んだ階段も新しい年度が始まる。さあ頑張ろう。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら ・・・艶っぽさはなんとなく判るんだが・・・。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐 ・・・宿坊、胡麻豆腐、それに朧夜と役者が整い過ぎてる。
・世界地図の平野は緑鳥雲に ・・・そうだ平野は緑、山岳地帯は茶色だったな。
・つまらなき景色北窓開いても ・・・何か面白い物を見つけて下さい。
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り ・・・べこの首が茶箪笥の上で動いているのがユーモアを感じた。準特選。
・象の来てまた遠ざかり春深む ・・・行ったり来たりしている動物園の象リズムが春のリズムだね。準特選。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ・・・髭の薄い小生にとってはゾーリンゲンの切れ味が判らなくてね。

2014年4月25日金曜日

凌霄花ねえ・・・猫跨ぎ

  褌子邸の凌霄花と全く同じだね。種類も多分同じだ。蔓性の樹木は動物じみたところがある。壁にもべったり貼りつくのも気味が悪い。剥がしても跡が残る。「ざまあみろ」か。ちょっとかわいそうだが、気持はわかる。団地内の凌霄花も、改めて眺めてみると、みな止めてしまうね。ちょっと辟易するんだね。
凌霄やギリシャに母を殺めたる  矢島渚男
、いいね。こういうのが現代俳句の一つの形だね。凌霄花のある雰囲気を伝えている。
判らない人は永久に判らない。
わたしの十句については好き勝手に言っていただきたいが、ぱっと見て判らなければ、縁がないから、無視して通り過ぎることだね。(笑)
・花冷や印画紙に貌現れる
暗室で現像している。花冷の感覚とどこか。
・象の来てまた遠ざかり春深む
そう、これは動物園の象舎の傍にて。

ノウゼン・・・褌子

ノウゼンカズラについては猫跨ぎさんと全く同じ経験をしている。
十年くらい前に樹高2メールくらいの山椿の幹にそっと沿わせて植えたら、数年で椿の葉全体を覆いかくすほどになってしまい、直径5センチもの蛇の胴体みたいに椿の幹にがっしりとへばりついている。植えた当初は可憐なそぶりだったが、いつのまにやら古女房が完全に亭主を尻に敷いている感。あまりに亭主がかわいそうなのでノウゼンのわずかな小枝だけ残してばっさりと切り落とした。ざまあみろだ。
近所のノウゼンには上品なオレンジ色のものもあるが、わがやのは毒々しい赤い花をこれ見よがしに咲かすのも気に入らない。
凌霄花の夜まで赤きは人嫌い  望月英男
凌霄やギリシャに母を殺めたる 矢島渚男

・花冷や印画紙に貌現れる
貌は、かおと読むのだろうがよくわからない。
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
イーゼルかついで画板、絵の具もって、とぼとぼと菜の花畑からゴッホが下ってくる景がありありとみえる。沈む寸前の春の夕陽がかっと菜の花畑を照らしている。次第にゴッホの姿がシルエットになっていくのだ。
昨年、オルセーでゴッホの自画像みたのが忘れられない。
特選
・階段の軋んで四月はじまりぬ
しんとした時間と空間。
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
犀の目は妙に小さく決して気品のある目ではない。放蕩無頼と遅桜とは妙なセットだなあ。
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
思い出します。寒い晩だった。あつい般若湯がうまかった。みんなで風呂に入ったなあ。
・世界地図の平野は緑鳥雲に
世界地図をみながら冬鳥がどこまで飛んでいったのか瞑想している
テレビで見たヒマラヤを飛ぶ鶴の映像には感動したなあ
・つまらなき景色北窓開いても
そうですか
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
年々歳々
・象の来てまた遠ざかり春深む
象というとつい猛々しいアフリカ象をおもってしまうので春深むとつながらない。いや動物園の景かな。
春ひとり槍投げてまた槍に歩みよる  能村登四郎  を突然おもいだした。
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ
なんとはなしにアンニュイを感ずる。ひげそりやべこ首や北窓や世界地図で…俳句の世界は縦横無碍面白いんだね。


2014年4月24日木曜日

凌霄花・・・猫跨ぎ

  昨日、玄関横に植えてあった凌霄花を根元から伐採した。もう10年になろうか、佐倉の川村美術館付設の園芸店で20センチほどの苗木を買ってきて植えたもの。すぐ根付き、横にあるかいづかいぶきの幹に添ってどんどん枝を伸ばした。夏には次から次へと花をつけ主人を喜ばせたものだ。そのうちに更にテリトリーを開拓しはじめ、四囲に蔓を這わせ、根を伸ばし、ちょっと不気味な感じを呈してきた。カーポートの隙間から枝を伸ばし、ついには我が家の反対側まで土中を這って顔を出す始末。
  勿論手頃な段階で適宜剪定しておけばこんな事にならなかったのは判っているのだが。もう遅い。この植物の魔性というか生命力には空恐ろしいものがある。情にほだされていたが、ついに決断、完全に撤去を終えた。切株は10センチを優に越えている。さばさばしたが、景色がすっかり淋しくなった。人生の一コマが終わったという感じ。ちょっと大袈裟か。

2014年4月22日火曜日

四月投句・・・猫跨ぎ

何年ぶりでたまたま週刊誌を買って車中で読んだ。下らんなあ。全然面白くない。現役サラリーマン相手の編集だから当然かもしれないが、こんな世界から随分遠くに来てしまったものだとしみじみ感じた。さて、四月の投句。

・花冷や印画紙に貌現れる
・菜の花や帽子目深にヴァン・ゴッホ
・階段の軋んで四月はじまりぬ
・犀の目に放蕩の色遅ざくら
・高野山宿坊朧夜の胡麻豆腐
・世界地図の平野は緑鳥雲に
・つまらなき景色北窓開いても
・鳥帰る茶箪笥のべこ首を振り
・象の来てまた遠ざかり春深む
・葉桜やゾーリンゲンの刃の毀れ

2014年4月21日月曜日

四月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

この前はお疲れ様でした。永六輔はTBSで土曜午前のラジオ番組を持っているが、さすがに昔の滑舌はないが、このところ若干改善しているように見える。

��.海霧深し西の方から領事館
領事館がいまいち解らないが、西から何が来るのだろう。異国情緒だねえ。函館は江戸末期の開国が早かった。この前知ったけれど、松前の博物館に日本最古の銀板写真が陳列されているとか。松前藩主をアメリカ人が撮ったらしい。
��.オクターブ高き囀り恋深し
鶯、雲雀、頬白か。そうね、春先の囀りは一段と声高だ。
��.一円玉転がり出した四月かな
造幣局は一円玉を大増産しているらしい。そうそうこの前の飛鳥山散策では、滝野川印刷所の前を通った。紙幣を刷っている。その大規模なのに驚いた。50円も2円up。兎のデザインの2円切手を貼る。51円ではないので注意されたい。
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
そうだよね。昔一年生、いまは新幼稚園生。〈一年生泣き葉牡丹の芯伸びる〉と作ったことがある。
��.春休み神経衰弱負けにけり
神経衰弱は、小学校低学年が生涯一番強いのではないか。
��.バンダナの男の料理山笑ふ
ラーメン屋なんかがバンダナをきっちり頭に巻いている。ここは、郊外のちょっとこ洒落たイタリア料理店かな。たまたま先日、〈花冷やバンダナ掛けて猫の通夜〉。ちょっとこれは陰気だが。準特選。
��.名ばかりの春を選んでローカル線
遅い春ながら、探梅みたいな、一寸郊外へ出かけた風景。
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
魚つき林は古い言葉なんだね。海岸沿いの森林の暗がりが魚を呼ぶとか。そして陸の生態と海の生態の関連が言われて久しい。
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
年と共に、昔に回帰する風情。穀雨は二十四節気、季語にも。良い言葉だね。特選。
10.腐葉土に期待漲り春の風
我が家の庭の真ん中にレンガで仕切って花壇を作った。黒土と腐葉土を買ってきて完成。
さて何を植えるか(笑)。

仁句鑑賞思いつき書くのでご容赦を・・褌子

・海霧深し西の方から領事館
函館湾の海霧に霧笛がボォーボーッ
   海霧深しとくれば、戦中派の心情にぴったりの歌が
   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
安倍政権は戦争する国へまっしぐら 新しい戦前にならぬように
・オクターブ高き囀り恋深し
   若き頃、仁ちゃんは合唱団やってました? 九州の熊さんの事?
   恋かなと思ったら不整脈  好きでした言うヒマもなく棺桶へ
わたしには夫がいますと妻寝言
・一円玉転がり出した四月かな
   8%になってにわかに一円玉が活躍 手紙82円 はがき51円
・初蝶や幼稚園バス泣き出して
初めての幼稚園で一日中泣いてたうちの息子も36才
いまや   転んでは泣いてた子が言う「転ぶなよ」
蝶の句で一つだけ記憶しているのは 方丈の大庇より春の蝶 高野素十 
・春休み神経衰弱負けにけり
    トランプだね こう記憶力が減退しては神経衰弱だけはいけない
・バンダナの男の料理山笑ふ
   バンダナは絞り染めの意のヒンズー語だと知りました。
   山笑うは「臥遊録」に春山は淡治にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡にして眠るが如し
・名ばかりの春を選んでローカル線
   函館の桜の満開はいつごろですか? 5月中旬頃か
   名ばかりの春を選んで、の12文字が長たらしい。
・春惜しむ魚付林の暗所かな
   漁民が植林をする時代だそうだ。
特選
・羊水の記憶にかへり穀雨かな
羊水の記憶百までも 穀雨は太陽暦4月20日頃とあった。
準特選
・腐葉土に期待漲り春の風
春だ 平和だ いい句だな
     準々特選

函館通信232・・・解釈と鑑賞・・・仁兵衛

 既に上野のホロホロ会から10日以上経ってしまった。皆さんの元気な姿から私も元気を戴いたのだからまずは御礼申し上げます。パーキンソンは一寸疲れてくると鬱的になり言葉が少なくなってしまう。当日の逸徳さんや褌子さんの滑らかな話を聞いている内に疲れてしまった。翌日の高校時代の集まりの時は話がぐっと少なかったようだ。
 永六輔がどうも同じ症状のようだ。「友ありてこそ五・七・五」(岩波書店)という最近の俳句エッセイ本に出ていた。この本は東京やなぎ句会という小沢昭一等の愉快な句会をまとめたもので小沢が死ぬ前にはじめの一冊でている。興味のある方はお貸しいたしますよ。
 当日俳句の事が少し話題に上ったけどまあ各人各様に煮たり焼いたりしてみて下さい。

平成二十六年四月
��.海霧深し西の方から領事館
��.オクターブ高き囀り恋深し
��.一円玉転がり出した四月かな
��.初蝶や幼稚園バス泣き出して
��.春休み神経衰弱負けにけり
��.バンダナの男の料理山笑ふ
��.名ばかりの春を選んでローカル線
��.春惜しむ魚付林の暗所かな
��.羊水の記憶にかへり穀雨かな
10.腐葉土に期待漲り春の風

2014年4月18日金曜日

大事故・・・猫跨ぎ

  韓国で大変な海難事故が起きた。家族が悲痛な声を上げているが全く同情に堪えない。こんなに簡単にひっくり返るものなのか。中古船を改造したと言われている。重心が上がったとか。そういえば、今の客船の形が昔と随分違うように思う。子供のころ見たクイーンエリザベス号に比べ、このまえ横浜に寄港した同号は、高層ビルを積んだような形をして、随分重心が高いように思った。日本のクルーズ船の飛鳥も同じ形をしている。一見不安定な印象だが、船の設計思想が変わったのか。

  その陰にもう隠れた感があるのが、マレーシア航空の実に不可思議な事故だ。あれは一体何だ。ボイスレコーダーの信号も途絶えたとか。現場は深海のようで、このまま痕跡も残さず終わってしまうのかもしれない。機長の計画的犯行として、一切をかくあるべく仕組んだとも思えてくる。それにしても、大胆不敵というか、凶悪極まりないというか。韓国船もそうだが家族、友人がこんな事件に巻き込まれたとしたら、たまったものではない。しかし、今後自分が遭遇しないとは誰も言えない。我々は地震、津波、原発事故、etc.大いなる危険のはざまに生きていることを実感する。

2014年4月17日木曜日

桜はやっぱり吉野に限る・・・褌子

   国兼さん
 わたしも今回、吉野の山桜の美しさに感動しました。上野公園あたりのソメイヨシノなどは全くだめですね。山桜は一本いっぽん咲き具合がちがい、しかも赤みをおびた茶色の光沢のある葉の色がなんともいえずやさしい色調で。
 泊まったところは民宿でしたが霞に包まれた中千本を一望に出来るところ、夜明けには「朝日に匂う山桜かな」の本居宣長の気分。風呂に入っても山一面の山桜のグラーデーションを堪能しましたよ。しかも下千本から順繰りに咲いていくために、吉野山全体でみれば早すぎた遅すぎたということがありません。来春、行くなら年内に予約しておいたほうがいいですね。
 私のまわったコース大野寺→室生寺→又兵衛桜→長谷寺→吉野山→談山神社と回るなら車で行くか、豪華に専用タクシーを頼むか。

2014年4月15日火曜日

ホロホロ‘14年春の集い(その2)・・・国兼

先に、鴎外荘に帰る前に「みたらし団子」を食べ云々ということを書いたが、またまた奇しくも、今日の夕刊に上中里駅(JR京浜東北線)のことが出ていた。この駅は我々が王子駅から飛鳥山、古川庭園を見て帰りに乗った駅である。
 その記事の中には老舗和菓子屋「平塚亭つるおか」なる記事が載っていた。読むと上中里駅に戻る途中にあった平塚神社の入り口横の、英蔵さん御推奨の和菓子屋である(写真の女将はあの日の女性とは異なるが)。記事にも載っていたが、この店の人気商品は「みたらし団子」と「豆大福」だと。ファンが遠くから買いに来るという。我々が訪れた時にも店に座っていた婆さん連中もそのように言っていたが、豆大福は1個しかなく、やむなく「みたらし団子」を買って食べた次第。思えば豆大福もと、残念だったナー・・・。

 団子を食べた後、平塚神社を英蔵さんと歩いていたところ、この神社のそもそもを聞かされた。何か後三年の役(11世紀末)の奥州からの帰途に八幡太郎源義家がここに立ち寄り、土地の城主に甲冑を与えたという。城主はこの甲冑を宝物として、平らな塚を作ってそこに安置したところから「平塚」という名が出たと。茅ヶ崎市の隣は平塚市というが、何か関係がと聞かれた。平塚市には平塚八幡宮という古い格式の神社があることはあるが、源氏が崇めたのは鎌倉にある「鶴岡八幡宮」で多分関係はないのだろうと思う。

 話代わって、褌子さんの投稿文を読んで来年の春は吉野に行こうと。以前カミさんから誘われたが、桜なんぞ近くの公園でも、また毎年上野の桜を見ていただけにわざわざ吉野くんだりまでは思っていたが気が変わったネ。

吉野の桜は判ったが・・・猫跨ぎ

  当欄の読者が、私を含めて鴎外の「小倉日記」を知っているのかどうか。どんな作品で、それがどれだけ鴎外研究に意味をもつのか。また清張が何故それほど関心をもったのか、などの断片でも聞かせて貰えないとね。褌子氏だけがうけにいっても困るで。

森鴎外と松本清張   ・・・褌子

  森鴎外(1862~1922・大正11年)が明治15年から大正7年まで書き連ねた日記は出版されたものだけでも独逸日記、観潮楼日記など十種類もあるそうだ。文豪ともなると日記も公表されることを意識して書き記しているので、今ではすべて作品として全集に収録されている。
 このうち、鴎外が明治32年から三年間を陸軍第12師団軍医部長(さきに私が書いた小倉連隊軍医という表現は正しくない)として北九州の小倉で過ごした時代の日記が『小倉日記』である。ところがこの『小倉日記』だけが戦前どうしてもみつからず、昭和26年2月になって鴎外の子息が疎開先から持ち帰った箪笥の反故のなかから発見し当時、新聞を賑わしたらしい。
 岩波書店は戦前についで二度目の鴎外全集38巻を昭和26年から昭和31年にかけて出版するが、『小倉日記』の収録巻をとくに急いで出版したことはいうまでもない。鴎外研究者や鴎外ファンが首を長くして待っているからである。
 松本清張『或る「小倉日記」伝』は昭和27年9月の「三田文学」に発表された。
 清張は出版されたばかりの『小倉日記』を読むやいなや傑作『或る「小倉日記」伝』を書き始めたことになる。一日も早く読みたいと一番、首を長くして待っていたのが清張ではなかったか。
 『或る「小倉日記」伝』は昭和27年下期の第28回芥川賞受賞作となり、一家が小倉での貧窮生活からやっと脱出することができたとき、清張はすでに43才になっていた。

2014年4月14日月曜日

談山神社の神幸祭 ・・・・褌子

  二泊三日で奈良の吉野の桜をみてきた。
 山桜の良さを堪能。初日は磨崖仏の大野寺のしだれ桜、室生寺、長谷寺、さらに又兵衛桜をみて、吉野山の中千本の宿に入った。中の日は奥千本まで登ったがまだ全く咲いていなかった。西行庵もひっそりしている。上千本まで下ってくると山桜が全山を埋め尽くすかのように咲き出している。
 中千本ちかくには鎌倉末期の後醍醐天皇陵もある。が、私は、南北朝時代より七百年も昔の壬申の乱の舞台となった吉野のほうがはるかに歴史ロマンを感ずる。天智天皇の弟である大海人皇子は、この吉野に逃げて反乱を周到に準備し近江朝廷軍を破って天武天皇になった。
 きのうは帰りは朝一番に宿をでて多武峰(とうのみね)の談山神社を訪ねた。
 談山神社は20年くらいまえに女房と門が閉まる寸前に入ったことがある。あのときの深とした夕闇せまる談山神社が忘れられないが、今度は朝いちばんに入った。
 中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我蝦夷、入鹿を倒す密談をした場所だから談山神社(たんざん)というのであるが、むろん藤原氏の元祖鎌足を祀っている。蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が大化の改新を断行し天智天皇になり大津京で即位するのである。しかし、645年の大化の改新から、天智天皇の長子である大友皇子(弘文天皇)が大海人軍にやぶれて縊死するまでたった27年しかない。
 桜よりも紅葉の名所であるが、桧皮葺の十三層の塔を背景に咲き誇る桜もまた悪くない【写真】。ちょうど春の神幸祭が始まるのに幸運にも遭遇した。篳篥(ひちりき)の音色にあわせて神事がはじまった。宮司さんが花粉症なのかマスクをして現れたが祝詞(のりと)がはじまるとマスクを外したので不謹慎にも可笑しかった。われわれも榊でお祓いをしてもらった。
 神社から数百㍍離れた森のなかに鎌足の二子である藤原不比等の墓所といわれる十三層の石塔がひっそりと建っている。る。正面からみる石塔はきれいに十三層に積み上がっているが、なんと裏に回ると十三層の石板のうち下から一〇層までがことごとく写真のように破損し欠けている。なぜだろう? 廃仏毀釈のせいか?今後の宿題が残った。
  この二泊三日の旅で、宮部みゆき責任編集「松本清張傑作短編コレクション」(文春文庫)の三巻本を半分くらい読んだ。女房たちが雑踏の夜桜見物に出ている間に独りちびりちびりと二つ折りの民宿の座布団を枕に小説を読むことほど楽しいことはない。
 松本清張は九州小倉の人である。芥川賞をとった初期の作品『或る「小倉日記」伝』を再読する。「小倉日記」とは小倉連隊の軍医だったころの森鴎外の日記である。さらに「ヰタセクスアリス」を書いた森鴎外の小倉時代の秘密に触れている『削除の復元』も短編ながら面白い。しかし清張の小倉時代の極貧生活を描いた自伝風の『骨壺の風景』を読んで粛然としてしまった。わたしは今年こそはどうしても小倉の北九州市立松本清張記念館に行かねばならないと決意した。
 さて、長い長い前書きになってしまったが、結局なにをいいたいかというと、今年秋のほろほろ会の旅行はできれば北九州方面にしたいといいたいのである。国兼さんに『三ツ目が通る』の写楽呆助みたいにペタンと絆創膏を某氏にかわって貼られそうな長々しい文章で申し訳ありません。そういえば先日のお酒も、上野の鴎外ゆかりの地でしたな。鴎外荘を選んだ小蔵ひでをさんの先見の明に恐れ入谷の鬼子母神。

2014年4月12日土曜日

私は誰でしょうか?・・・国兼

   デジカメの限界で奥の方がぼんやりして、顔かたちが不明で申し訳ない。本当はどっか一箇所に集まってと思っが、何せ足腰の悪い方が多くそのために転んでもなんだと思って・・・。
 で、奥の方の真ん中でドンと座椅子に座っている御仁は、九州の熊さんよりも遥かに本物に近い江刺のヒグマこと中川さん。その右隣の影がやや薄く、ボーット見える御仁は、自称その昔佐渡に流された〇〇天皇のご落胤の子孫の畏れ多くも褌子さんである。 熊さんも後悔はともかく、今年の「ホロホロ会秋の旅」は四国説と九州説が出ており、いずれにしてもその時には是非元気な顔をと・・・。

 話代わって、リケジョの件であるが、彼女がSTAPが存在すると信じ、今でも信じているのは事実だと思う。ただ、この論文がNatureに掲載されたらノーベル賞の山中博士のiPS論文を上回る世界的な注目を浴びることも、逆にその論文に瑕疵があった時には(論文の不正や、再現できないという)サイエンスの世界から抹殺されることも共著者を含め知っていたことと思う。それだけの論文内容なのに、彼女を含めてこの幹細胞(ES細胞を含め)の世界で著名という副センター長と山梨大学の某教授が一堂に会してその論文のデーターや画像の一つ一つを納得のいくまで深い議論がなされたという状況が伝わってこない。何故精査しなかったのだろうと??まだ何処も、誰も見つけていないのだから、時間をかけて焦らず、きちんとSTEPを踏んでと、何故慌てて墓穴を掘るのか?と思う。野依さんが言う「副センター長」の責任は重いと。

参加できなくて残念   九州の熊

写真掲載ありがとうございます。なつかしく拝見。やっぱり無理してでも行けばよかったと後悔しきり。

大変失礼ながら10名のうち2名の方のお顔が思い出せなくて・・。
一番奥の正面(議長席?)にいる方とその右(山内さんの右隣)の方は誰? どちらかが褌子氏と思うが自信がありません。ホロホロ会幹事役の乾社長にメールでこっそり聞いた方がよかったかな。

��TAP細胞にかかる小保方問題、実にミステリアス。小保方さんがある現象に気づいて直感的にSTAP細胞を信じ込んでしまった、というのはないかね(この瞬間にはまだ命名されてはいなかったけど)。先を急ぐあまり客観的な事実証明が疎かになってしまった? ちょっと根拠薄弱、これこそわたしのおろかな直感??? 少なくとも小保方氏が世間を相手に大ウソをついたとは思えないのだけど・・。

2014年4月11日金曜日

ご苦労さま・・・猫跨ぎ

ご苦労さまでした。解散前の写真を一枚。飲んだ後の写真は大体こうして冴えない顔をしている。気持は満たされているのだが。森井夫人がいつまでも若い。
まあ、いつまでも続けたいね。
  鴎外旧宅は庭に面して硝子戸がずらりと嵌められていたが、そのガラスを斜めから見ると細かに波うっている。この建物が複製ではなく本物だと判る。ガラス板の製法の違い。戦前のガラスは押出法といいロールで挟んで成形したもので、表面の均一性に欠けた。いまは油槽に融けたガラスを流し込むフロート法で、表面の滑らかさが全然違う。
勿論今は、昔のガラスの方が希少で、貴重。以前、谷中の朝倉彫塑館を訪ねたが、あそこの窓ガラスも同じく波打ちガラスだった。
古河庭園にしても旧岩崎邸にしても、旧財閥の私邸がこうして昔の典雅さを残しているのは良いものだ。最近の建造物が、一世紀後にこうして懐かしがられるかどうか。
飛鳥山散策で、平塚神社の名称にはびっくり。妙に細長い境内だった。女性がひとりお神籤を一生懸命読んでいた。今回の作品はこれのみ。
・花散るやお神籤を読むをんなにも

ホロホロ‘14年春の集い…国兼

   昨年は春の大嵐のため中止と相成ったが、今年は陽気なお天気で何よりであった。3年ぶりに、函館から参加された仁べえさんはじめ10人の仲間(下記写真)が
上野の水月ホテル鴎外荘(その昔、鴎外が住んでいた旧宅で、舞姫や於母影を書いたらしい。知らなかったが、また東京初の天然温泉宿)にてひと時の歓談に花を咲かせたしだい。

 足腰が弱くなったり、病魔に襲われ思うように身体がいうことを聞かなくなったりという仲間の話に、70を過ぎた皆々もいつこの身にと・・・(残念なのは、このような結構な話の間に、常に横から全く次元の異なる話を持ち込むお方がいて、話が腰折れになることである。他人の話に静かに耳を傾けるというマナーをと思う。次回には手塚治虫の「三つ目がとおる」様の「絆創膏」を褌子さん、是非用意して下さい)。

 鴎外荘に集合する前に、足腰がいまだ健在な5人が1時に王子駅に集まり、飛鳥山の桜の花びらが散る中ウオーキングを楽しんだ。奇しくも、今日の朝日の夕刊に飛鳥山の花見のことが記載されているが、8代将軍吉宗の時代に江戸庶民の憩いの場所として1200本余りの桜を植樹したらしい。この飛鳥山から音無し川を挟む王子神社に至る通りは茶店で賑わい、一大行楽地であったらしい。
 飛鳥山では明治以降の洋紙産業発祥の地(後の王子製紙)としての「紙の博物館」、及び陸奥宗光の別荘で後に古川財閥が購入した「古川庭園」(バラの花が有名らしく、コバさんは5月頃にこの西洋館の中とバラ園見学とを予約したとのこと)の庭園を鑑賞した。帰りには英蔵さん御推奨の茶店で「みたらし団子」を一串食べ、元気を取り戻して鴎外荘へと。
 仁べえさんが言っていたが、上野の桜を愛でるこの「ホロホロ春の集い」も振り返ってみると25年ぐらい経過したらしい。来年の春も元気に再会をと。
 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず、明年花開いて復誰か在る

それでも地球は・・・猫跨ぎ

  小保方会見を見た。女性の高い声で「STAP細胞はあります」と語尾を上げてキッと断言されると、そうかそうかと思ってしまうのはまずいか。「それでも地球は回っている」をつい連想してしまう。STAP細胞実験は200回成功している、Independentに成功した人がいるには場内すわ、となったが、具体的な説明はなかったので、怪しいという空気が支配してしまった。しかし実験ノートがお粗末だったと何度も言われるが、どうも二冊以外にもあると言うし、理研が拙速に結論した風もある。テレビでは皆お利口にきちんとやっているかのように発言しているが、そうかな。
  そこへ今日、核心的な人物、笹井副センター長が朝日のインタビューに応じた。「STAP細胞はreal phenomenonです」にぎょっ。更に「ES細胞のコンタミという人がいるが、実験を知らない人の発言」ともいう。なら、何で今まで黙っていたんだ。
来週、矢のような質問を覚悟して記者会見すると言っている。理研―小保方の真っ向対立構造のなかでどんな事をいうのか。勿論、彼はあくまで理研の人間で、今までの理研の動きに矛盾のない説明をするのだろうが。よく判らんね、この件は。

2014年4月7日月曜日

JR山田線・・・猫跨ぎ

  岩手の三陸鉄道、つまり北リアス線、南リアス線が全面復旧したらしい。この両線の間、宮古から釜石まではJR山田線でこちらは復旧のメドはたっていないらしい。我々はこの間、並行する国道をタクシーで走ったわけだ。山田駅の駅舎や周辺のロータリーは土台を残すのみ。見渡すと何もない山田町の風景が広がっていた。花壇にサルビアが咲いていて目に沁みた。
  ・サルビアのますます赤き駅舎跡
 ・サルビアや鷗は海をふり向かず

2014年4月6日日曜日

すり抜けた?・・・猫跨ぎ

  新聞記事によると、小保方さんから理研にNature記載の写真はウッカリミスでした、これが本当ですという四枚が提出されていたらしい。それを今日、理研の正式文書から削除したという。全面対決で、もはや全否定であれは理研の歴史から一切削除する、なかったことにするということの様だ。
  小保方さんの実験ノートの一件はいわば、象徴的な意味をもっていて、要は基本的なスキルのない人間が研究まがいのことをしていたといいたいのだろう。
しかしよく判らない。傍で研究を統括していた上司は、何を見、アドバイスし、指導していたのか。いやその前に、その人物の実力は、ちょっと会話を交わしただけで大体判る。その判断は概ね妥当だ。研究専門職であればなおのことだ。もちろん、研究ディスカッションで殆ど馬脚は露わになる。それを全部擦り抜けた?



2014年4月4日金曜日

小保方事件(その4)・・・国兼

   リケジョの実験ノートに関しては、ノート以外にも研究所から貸与されたパソコンにも当然データーが入っていると思う。細胞レベルの研究ではすべての観測が一義的にモニターに撮られ、コントラストや色を付けたり、必要なところを拡大したりして納得のいく画像をコピーしたり、自分のパソコンに伝送する。彼女のパソコンにはこの手の画像が豊富にあるのだと思う。後はパソコンの得意な多変量解析データー(この元データは多分ノートに記載された一つ一つの実験データーであろう)。後は所内や学会発表用のパワーポイント関係。
 理研も当然ながら再現実験をするために彼女のパソコンを念入りに調べたであろう。その結果が画像修正や3年間で2冊という「研究者として未熟な」という表現になったのだろう。

 ついでに特許における実験ノートの件、かってはアメリカの先発明主義(ほかの国は先願主義)のために、日本の外国出願先もメインはアメリカであったため、いつこの発明をしたかということが重要で日付を書いた実験ノートが重要視されたものである。数年前に(1、2年ほど前?)アメリカも国際的趨勢の先願主義に変わったため、要は早く出願したものが勝の世界になり、肉筆ノートは特許の世界では重きを置かなくなった。が、実験主体の技術者はやはり基本は実験ノートであろう。

 思えば、パソコンが一人一人の技術者に貸与された90年代に、テーマ―の中間、或いは完了評価会でプロジェクターに投影されるパワーポイントの画像のうち、どれが自分たちのデーターでどれがネットからのコピーペーストなのか判明しづらい発表が多くなった。
 ともあれ、特許や論文の原文を読まなくなり、実験室での実験が減ったのはこのパソコンの影響がきわめて多い。それに輪をかけて、実験ノートをも書かないような技術者体質では他を凌駕するような新たな発見、発明はと・・・・???

一体・・・ ・・・猫跨ぎ

  STAP細胞の話はどうも隔靴掻痒の感があって、しっくり落ち着かない。実験ノートが二冊しかなかったの件は、未熟な研究者の証明ということで話されている。未熟だけなら事は単純だが、改竄、捏造は未熟では済まない。悪質な意図がありありで、未熟どころか重大な倫理問題、犯罪行為になる。理研の発表はそこまで突いている。一女性若手研究者が周りをベテランを手玉にとったことになる。そんなことが可能か。
  聞くところでは、ハーバードの教授の研究に萌芽があったという。それをヒントに、弱酸処理とか細管を通過させるストレス負荷で幹細胞化を実証したとの成果は恐らく5年以上の実験で積み上げられたものだろう。二冊の実験ノートどころではあるまい。それがまるまるフィクションか。おとぎ噺を紡いでいたのか。周りが全く気づかずに。馬鹿な。しかし理研はそう言っている。母校の早稲田からもサポートの声は聞こえない。
Natureの査読では当初、貴女は細胞学の歴史を愚弄するのかと突き返したという。それでもへこたれず研究を続行した、そして覆し、説得に成功した。それはみな壮大なフィクションか。そんなこと、アリか。理研の発表はそうだと言っている。
皆、騙されました。私達はそれを見抜けなかったバカでしたと言っている。彼女は、本当に、決定的なデータを持っていないのか。持っていないのなら、貴女は、詐欺師をこえた、精神疾患を問われるのかもしれない。いや、理研はうすうす、そう思っているのではないか。

2014年4月3日木曜日

実験ノート・・・猫跨ぎ

  実験ノート二冊の件だけれど、これだけではよく判らないね。提出されたものが二冊で他に何もないとは言っていない。例えば、これだけノートパソコンが身近にあるときに詳細はそちらに記載されているのかもしれない。
特許の先発明を争うときに、肉筆のノートの存在が重要とされたが、今はどうなのだろう。パソコンのデータの扱いはよく判らない。それから毎月の研究月報を公証役場で印を貰って管理するなど、理研ではその辺はどうなのか。
いずれにしても、彼女が一人悪者という流れで報道されているから、要注意だ。

小保方事件(その3)・・・国兼

   一昨日の理研の会見で知った驚いたことは、リケジョがこの3年間で使った実験ノートがたった2冊ということであった。
 彼女が言っていたが、STAP細胞を作るためにありとあらゆる可能性を実験した・・。おそらく、その一つ一つの因子の実験には条件を様々に変えたりしていたはずで、たまさかの弱酸性という偶然に出会ったとは思えない。その個々の実験はその後のためのメモリーとしてきちんとノートに記述していたら、1年間に何冊もなるのではと・・。会社の研究でもそうだが上司が見る、見ないは些少なことで、研究者として当たり前のことだと思う。早稲田はともかく実験ノートの管理に厳格なアメリカのハーバードで同じことをやっていたのだろうか??リケジョの上司たちは実験ノートも書かない、採用して日の浅い彼女の実験の何を見、何を信用したのだろうかと・・・?不思議でならない!!
 今回の世界を騒がせた騒動の、理研の権威を失墜させた唯一のリカバリーは、リケジョが「私が再現します。見ていてください」と、彼女が実験ノートに従ってSTAPを再現すれば済むことなのに、この実験ノートでは再現実験ができる自信が無いのだろうと・・・。
 3年間で2冊というこの1点からも(これは極めて重要なことだと思う)、リケジョのNatureの論文は「限りなくブラックに近い灰色」なのだろうと思う。

 理研が1年間かけて追試実験をするという。災い転じて・・・というような、New STAPを是非見つけて欲しいと、このまま1年後に「やはり、あのデーターは間違っていました」というだけでは納得しない。奮起一番をと(リコーは戦前に理研にいた桜井博士の発明したジアゾ感光紙を商品化し(理研感光紙KK)、戦後にカメラ事業に乗り出し(理研光学KKとなり)、それから頭文字の二文字をとって横文字のリコーKKへと云うぐらい、今でも理研とは深い繋がりがあるだけに・・・)。

facebook私の発言転載   『怒りの葡萄』・・・褌子

   『怒りの葡萄』でアメリカ農民の辛苦を描いたスタインベックが、ジョンソン大統領のベトナム戦争を強烈に支持する従軍記を書いたことは、世界の若者たちに「許せぬ裏切り」として衝撃を与えた。当時、この従軍記は日本では毎日新聞に連載されたが、日本でもスタインベックの本はさっぱり売れなくなったといわれている。
 さて、スタインベックのもう一つの作品といえば『エデンの東』
 映画化されてまもなく主役のジェームス・ディーンが事故死したこともあって映画『エデンの東』の人気はいまだに衰えないようだ。ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』『ジャイアンツ』と『エデンの東』のたった三本だけだが名作を残して25才でこの世を去った。(ディーンは不幸な家庭に生まれた。生い立ちからくるその陰が反抗する若者という迫真の演技となった。オトコのわたしでさえグッとくるから、さぞかしオンナごころをゾクゾクとくすぐるのだろうな…)
 問題は『エデンの東』のエリア・カザン監督が1954年にアメリカ非米活動委員会(いわゆるマッカーシズム)に召喚されてかつての劇団仲間11人をアメリカ共産党員だと密告したことだ。『欲望という名の電車』などですでに巨匠といわれながら、自分よりも後進の仲間を裏切ったのだ。彼に売られた演劇人たちが職を失い投獄のうきめにもあうなど苦難の道を歩んでいるのを尻目に、『波止場』『エデンの東』『草原の輝き』など名作といわれる映画をつぎつぎ作り、名優マーロン・ブランドなども掘り出してオスカー賞を受賞。
 米ソ冷戦のなかでアメリカの赤狩り旋風は300人もの優れた映画関係者や演劇人を路頭に迷わせた。チャップリンもアメリカを追われた。
 朝鮮戦争も終結し赤狩り旋風がやんでもアメリカの民主主義的世論はずっとエリア・カザン監督を許さなかったといわれる。アメリカ映画界がやっと過去に誠実に向き合ったのは1991年にアーウイン・ウインクラー脚本・監督の『真実の瞬間』が発表された時からだ。わたしはまだ観てない映画だがロバート・デニーロ主演。
 しかし、『真実の瞬間』が発表されたあとも、エリア・カザン監督は2003年に94才で死ぬまで過去の裏切りをとうとう謝罪しなかった。深く悲しい赤狩りの傷跡である。
 『怒りの葡萄』でヘンリー・フォンダを主人公トム役に抜擢したジョン・フォード監督は赤狩りに反感をみせていたが『駅馬車』(1939)が稼ぎまくるので映画界からは追放されずにすんだ。(黒沢明監督はフォード監督を尊敬していた)
 フォード監督作品に何度も抜擢された俳優ジョン・ウエインは愛国者連盟をつくって赤狩りにすすんで協力した。三文俳優といわれた後の大統領レーガンが赤狩り時代になにをやっていたかは知らない。

そういう要素は・・・猫跨ぎ

  そういう要素もないとはいわないけれど、別に昨日今日始まったことではないしね。私が会社にいたときすでに独法化がはじまり、予算面で厳しくなったりで、いろんな話を大学や筑波で仄聞した。しかしそれと改竄、不正行為とは全然別のはなしでそこまで心を売ってはいないだろう。科学の発展はひとつずつ輪を繋いで行くようなものだから、どこかの輪が偽物だったら早晩切れてバラバラになる。そんなことは自明なことだ。

この件で連想したのは、去年だったか、iPs細胞に関連してありもしない医療実験をでっち上げてそれがばれた研究者がいた。やり口をみていると、日米の狭間にいて、ちょこちょこと短いペーパーや学会発表(ポスターセッションという簡単なもの)を繰り返し、いわゆるキャリアを集積する。経歴に書ける材料を稼いで、どこかのポジションを獲ようとするやり方だ。iPsという時代の脚光を浴びる舞台で、予想外の反響となって、バレてしまったのはお笑いだった。が、こういう手合いは結構いるんだ。地味な分野では気付かずに済む。
今回は、そんなコソ泥とは違うと思いたい。だから、一件でもSTAP細胞の存在を例示してくれればいいのだが、何故か周りの共著者が黙ってしまった。肯定的な人は皆無だ。
彼女の強気が、急転直下、悲劇に終わらねばいいのだが。

小保方事件の背景は・・・  褌子

  愛しさのあまり反語的表現となる心理の綾ですか。なるほどねーそういうものですか。
ふだん思っていることがひょいと口にでてしまったのだな正直なひとだなあ、と私は解していたのですが。私は、女は思慮が足りない、しょせん女なんて浅はかとか、ぜったい口が裂けてもいいません。
  小保方事件の背景だが。研究機関が独立行政法人化してから地味な基礎研究を軽視して有名になる研究とか早く金になる研究をしないと国から予算がおりない傾向がある。4月中旬に閣議決定が予定されていた特定国立研究開発法人選定にむけて理研が世界をあっと言わせる論文発表を急げ急げと彼女にせかせた圧力が背景にあったのではないかとみているのですが。

2014年4月2日水曜日

おやおや・・・猫跨ぎ

  女性への差別発言の件だが、まともにとるとは理解力が足らんなあ。私ほど女性を崇拝し愛情を抱いて接しているものはいない。愛しさの余り反語的表現となるこの心理の綾を見抜かねば。小生当欄では他にしばしばProvoke的表現をするが、ひとえに面白く活性化するためと理解して欲しい。
今回の件については、理研のとにかく強引な幕引きが目立つ。笹井(副センター長)という共著者がポイントだと思うが一切顔を出さないのはどうもおかしい。
小保方さんについては、記者会見をするらしいが、ただひとつ、STAP細胞作成の確たる結果をひとつ出せばいいのだ。それで彼女の地に落ちた全てが回復する。出せないのなら終わりだ。他のことはどうでも良い。

あれあれ、あらまー   褌子

小保方事件がいよいよ面白くなってきてしまった。
巨大な権威ある理研を相手取って、不正認定は承服できませんと可愛いカの泣くような涙声で不服申し立てをした。
まあオスの巨大アフリカ象の急所に小さなミツバチが一匹噛みついた格好。野依理事長の困惑しきった渋面がテレビに大写しになった。
国兼さん。貴殿としてはこの結末の見立てはどうなりますかね。私としてはうちの末娘と同じ年で同じ千葉県出身の小保方さんに判官贔屓でなんとなく味方をしたいんですが、やっぱりこれはちょっと無理筋ですかね。
本当に希代のデータ捏造女、データ改ざんの嘘つき女なのでしょうか?
猫跨ぎさんの「あんな可愛い顔をしてすごいことをやるものだ。STAP細胞なんか、いずれバレる。それをやってしまうんだから、何というか、矢張り女の浅はかさか」という“かなり的を得たような不規則発言”が全日本女性差別発言根絶運動・女性蔑視思想撲滅推進部長のN女史の怒りを呼びそうなので私は心配で眠られません。

2014年4月1日火曜日

あれあれ・・・猫跨ぎ

  理研の発表をテレビで見ていた。捏造による研究不正があったと断罪した。しばらくして小保方さんの「驚きと怒りと憤りで一杯」で理研に抗議するというコメントが報じられた。完全に降参したのかと思ったら違うのだ。共同研究者がみな逃げに入っていて、彼女一人が悪者の構図だ。誰か付いているのか、精神的に正常じゃないのなら、危ないが、どうも弁護士を立てているらしく、一歩も引かぬ姿勢だ。野依さんが、この対立の構図に、弱々しく「私には判りません」と視線を落としていたのが印象的だった。舞台は第二幕に入っている。

2014年3月27日木曜日

小保方事件(続き)・・・・国兼 

   今週のSciennce 3/21号に2ページにわたって「Irreproducibility Dogs New Reprogramming Method」というタイトルでSTAPの記事が記載された。 2枚の写真が載せられ、一つはリケジョが報道記者たちにSTAP細胞の説明をしている写真(タイトルは Media darling)、もう一つは理研の野依理事長はじめ理研幹部の謝罪の写真(タイトルはApologetic)。内容は日本で報道されたものと同じで、早稲田大学の博士論文に関しても触れている。世界に極めて恥ずべき論文を出したということで、いずれ野依理事長は責任を取ることになるだろうと思う。

Natureに2編の論文が発表された1月29日の2日後のScience1/31号での「Finding」の中でこの画期的な発見を簡単に取り上げている(同じ日にScience Magajineでもこの発見の意義を詳しく、3ページにわたって解説している)。その記述の中では、発見したのはHavard School in Boston and Riken Center in Kobe と、まず筆頭にはハーバード大学がと。今週のSienceでは、Brigham and Women’s Hospital in Boston という名前でハーバードという名が伏せられていたのが何となく笑ってしまった。

 リケジョの博士論文にまでコピーペーストをはじめ、本当に自分の実験に基づく論文だったのかという疑惑の火が付いてしまった。彼女が最初の記者会見で述べていた「毎日が今日で最後かと、眠れない日がと、明日でやめようかと…今日まで続けてこれたのは支えてくれた仲間がと・・・」あれは何だったのだろうかと??
 私も曲がりなりにも、会社に入って翌年、タイプライターを買って博士論文を作成し、論文審査を受けたが、少なくてもデーターも記述内容も盗作や改竄はない(マア―、外国のジャーナル誌に掲載された論文も、さしたる技術内容でなかったから誰も注目しなかったことだろう)。でも、論文審査の後に、中川先生から呼び止められて、内容はともかく英語のスペルミスや熟語や慣用句がと・・・。イヤー、冷や汗が出たね…。今は昔の話である。


2014年3月26日水曜日

小保方事件・・・猫跨ぎ

  小保方事件の顛末がはっきりしてきたね。山梨大学の若山教授が彼女のサンプル改竄の具体的証拠を明らかにしてしまった。STAP細胞は存在しなかった。すべては彼女の改竄(不注意とかではなく)である。改竄の理由は、結局はひたすらなる業績欲しさ。そして誰もそれを事前チェックできなかった。あんな可愛い顔をしてすごいことをやるものだ。
彼女は早稲田の博士課程卒業だが、本当にポストがないらしい。彼女の行為を笑えない悲惨な話は沢山あるのではないか。
  しかし倫理観の壁はそれほど低くなっているのか、腐蝕しているのか。まあ、歴史を辿ると今に限らんか。国兼さんのあげた韓国研究者の例がある。(彼は北大獣医学部に留学していた)。すわノーベル賞だと韓国は朝野をあげて沸き立っていたなあ。
旧石器時代の石器発掘を演出した考古学の一大スキャンダルがあった。
しかし、STAP細胞なんか、いずれバレる。それをやってしまうんだから、何というか、矢張り女の浅はかさか。
  今回は京大山中教授iPs細胞に対する巻き返しで理研が相当に力を入れていた経緯も言われている。理研は理事長の首飛ぶんじゃないか。巨額の国費を使って、何をママゴト遊びやっているんだ、と。彼女はアメリカへ逃げたらしいが、これからまわりのおいそれと逃げ出せない男たちへの責任問題の追求、処理が始まるのだろう。

2014年3月25日火曜日

無題…国兼

東横線と東上線が相互乗り入れで乗り換えなしで繋がり、そのために東上線と横浜線沿線の住民が相互に買い物や観光で賑わい、経済効果も上がっているという。一度乗ってみたいと思い、陽気に誘われ、川越まで遊びに行った。
 十数年前、英蔵さんと猫さんと尾瀬に行った際に、この川越で一泊したがが、それ以来である。その時の記憶は定かではないが、人通りも少なく有名な「時の鐘」が侘しくたっていた感じである。
 今回(23日(日))に行ったら、蔵通りや駄菓子屋等昔の名残をとどめている小江戸の雰囲気の街を、大勢の観光客でごった返していた。十数年前に見た感じの雰囲気とはまるで異なっていた。近くに川越大師(喜多院:徳川幕府と密接な関係のある寺院らしい)があるというので拝観に行った。大きな寺院で、川崎大師とは比べようもないぐらい広大な、荘厳な建物である。
 不思議なことに、別に意図したわけではないのに、今年になって成田の新勝寺と川崎大師、そしてこの川越大師と初めての寺院立て続けに巡ったことになる。これは一体何を意味しているのだろうかと・・・お迎えがと・・・?

 ついでにお相撲さんの鶴竜の件、日本人だと思っていたらモンゴル人とは、驚いたね!!!これで横綱3人がすべてモンゴルとは・・・情けないというか、その昔、千代の山フアンで、その後の九重部屋の千代の富士等を応援していた私も最近はまるで相撲に興味を失ってしまった。元寇のときの時宗のように、「ふざけるな」と、一喝する関脇が出て欲しいものである。「遠藤」改め「時宗」に期待したいネ。

2014年3月23日日曜日

まんさく・・・猫跨ぎ

 金縷梅は「まんさく」ですね。細くちりちり伸びた花からファスナーの噛んだ状態に連想が飛んだわけ。俳句のこの連想は瞬時だね。理屈はともかく。
それにしてもこの時期の根室釧路地方の猛吹雪は何とも言えないなあ。大変というか何というか。
  ところで、鶴竜が、あれよあれよで横綱だね。地味で全然注目されていなかったが、一度のチャンスをあっさりものにしてしまった。運を掴むときは大体こんなもんだな。堅実でいい横綱になるのではないか。それにつけても、誰もがいうのが稀勢の里のふがいなさだな。先々場所のきょろきょろした集中心のなさはこりゃ駄目だと思った。横綱のタマではないと言うことか。朝青龍以降、このモンゴル力士達に、相手を殲滅する荒々しさを身体の芯に持っているように感じる。稀勢の里にその印象がない。

函館通信231・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛

一昨日8㎝程降雪があった。函館もこれが今年の最後の雪にして貰いたいものだ。しかし低気圧の形、進み方によって局所的に暴風雪になるのは毎年変わるのだろうね。今度の根室はその典型だった様だ。そんな低気圧まで入れた猫跨ぎさんの句は相変わらず面白く鑑賞させて貰いました。

・手袋を前歯で脱いで花市場 ・・・花市場の忙しさが上五・中七の具体的な動作観察でよく伝わってきます。
・雪積むや長押に蟬の釘隠 ・・・最近の北海道の住宅には長押がどうも見当たらない。釘隠を使う様な歴史建造物かな。
・栄螺に渦巻南岸低気圧 ・・・ユーモラスな句ですね。この南岸低気圧が北まで来て発達し暴風雪を引き起こすんだ。準特選。
・ファスナーの噛んで金縷梅花ざかり ・・・金縷梅花ざかり の所がよく解らなかった。
・縄文時代長し蛤焼かれけり ・・・蛤は縄文時代から食べられていたのだろううなー。と感慨にふけさせてくれるのを長しという短い言葉で結んだシンプルさが気に入りました。特選。
・葡萄酒はいつも白なり春ショール ・・・佳人のショールも白色ということかな。
・晩霜や人身事故の遅延あり ・・・雪解けの汚れた雪ばかり見ていると霜の存在を忘れてしまう。
・百葉箱のうしろに伸びる遅日かな ・・・昼間がだんだん永くなって行く味が出ている。
・春陰やペティナイフの腥き・・・不気味さを感じさせる句だなと最初思った。しかしナイフを握って春の曇りがちな空を見上げれば生臭いことばかり思い浮かんできそうな気配だね。準特選。

訂正;重層→重曹

2014年3月20日木曜日

三月投句・・・猫跨ぎ

一日中春の雨。北海道は当分雪模様とか。まあ、この時期はこんなものかな。
三月の投句。

・手袋を前歯で脱いで花市場
・雪積むや長押に蟬の釘隠
・栄螺に渦巻南岸低気圧
・ファスナーの噛んで金縷梅花ざかり
・縄文時代長し蛤焼かれけり
・葡萄酒はいつも白なり春ショール
・晩霜や人身事故の遅延あり
・百葉箱のうしろに伸びる遅日かな
・春陰やペティナイフの腥き

2014年3月19日水曜日

そういうことであったか    褌子

そうです収差と査読体制の問題です。さすが国兼さんの発言はわかりやすく的を得ています。やっぱり利巧、理工、悧巧、利口、りこーの国兼博士です。逸徳先生も国兼博士に学んで短く要点つくした発言をこころがければ高分子学科にもういっぺん行かずにすみますよ。

レンズ&STAPに関して・・・国兼


  逸徳さんが、何故プラ・レンズが高級カメラに使われていないのかという質問、逸徳さんのようにカメラを持っていない方には難しいかもしれないが、高級なレンズは収差(また難しいかもしれないが・・・)を抑えるために複数の複雑なレンズを用いている。レンズ設計はこのレンズの材質の屈折率、厚さ、透過率、各波長での光路等をもとに複雑な設計してこの収差を抑えようとしている。
 日本で最初にコンピューターを作ったのは富士フィルムだが、これはこのレンズ設計のためといわれているぐらい、難しい計算である。プラ・レンズのように屈折率が低く、局所的なミクロな結晶化による均一性のない(光の分散)、また温度や湿度(水の吸収)でコロコロ変形するものでは、このような精緻なカメラを作ることができない。だから、変形しても、さほどどうでもいいような「写るんですか」という類の画像品質を問わないカメラ用とか、単一波長のレーザー光を用いた色収差を考慮する必要の無いCDディスク用レンズには使われたりする(ここまでは逸徳さんへの補足説明)。

さて、本題の件
 世界最高峰といわれるNatureやScience(両方とも月刊誌でなく週刊誌である)では、提出された論文のうち採用されるのは10%以下といわれている。最終的には専門に近い先生方に査読してもらっている。これは、この2誌以外の著名な物理学会誌であるPhysical Reviewや化学関係のAmerican Chemical Societyもまた同じである。ただ異なるところがあるとすると、投稿される論文が科学分野全般に及んでおり、それだけ論文査読に携わる先生方も各分野にまたがる一流の方々を揃えている点であろう(先に書いたように、いくら一流の先生といっても細分化して専門化した今は、ちょっと分野が異なると正確な判断は難しい)。

 STAP細胞の存在は?と。植物では普通に見られる分化した細胞の初期化だけに、リケジョの博士の発見したマウス細胞の「刺激を加えるだけで初期化」するということは、否定はできないことだろう思う。
 ただ、言えることは彼女が論文に書いた処方箋ではできないのだろうと・・・。この論文の持つ重要な意味合いから、再生医学という限りなく儲かりそうな特許を網羅しようと製薬会社をはじめとして世界中で追試が、更なる優れたSTAP細胞を作るための競争が始まっているはずであるが、何処からも「再現した」という声が出てこない(iPS細胞の場合はすぐあちこちで追試結果が発表されたものである)。どうしてこのような論文をNatureに発表をしたのかと…不思議でならない。

 これを他山の石として、理研はじめ、数々の疑惑の論文を生んだ東大等は率先して研究者の倫理観にもっと真剣に取り組んでほしいものである。

三月仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

昨日強烈な春一番。木々の芽吹きが目立ってきた。小保方さんの周辺の人間模様が週刊誌的に報じられるようになって、サイエンスを舞台にした一大スキャンダルを呈してきた。
山中教授のipsが余りに強烈だったので、すわ、俺も、しめた、の願望が殺到したのか。さあ、どんな幕引きで終結するのか。
仁句鑑賞。今回は大人しい身辺句が多かったように思うが。さて。

��.防潮堤まだ途中まで鳥曇
防潮堤の何がまだ途中なのか、特殊な事情があるのか不明だけれど、春未だ来の風情という感覚はわかる。そういうなかにも鳥は季節を感じて帰ってゆく。
��.残雪の上に金属バット音
残雪のなか、球児たちの金属バットの甲高い音が響く。球春とはよく言ったもの。視覚と聴覚が響き合っている。特選。
��.天丼のななめの蓋や風光る
最近の天丼は、やたらトッピングが大きくなって蓋そのものが使えないほど。これはまだ大人しいが、それでも斜めに被せられている。これも春の元気な様だね。
��.白黒の十四インチ朧月
白黒テレビか。それも随分小さい。古物商にももう置いていない。どんな風景かな。
��.水の春渡り廊下は響きをり
どこかの会館の渡り廊下だろうか。靴音が響きわたる。せせらぎが春の風情を物語る。
��.坂の名と友の名隠し春吹雪
季節外れの春の雪が、坂の標示なども隠してしまったということだろう。
��.水温む重層でとる鍋の焦げ
重層は重曹のことかな。この時期、鍋の焦げも綺麗さっぱりとしたい。
��.ぶきっちょな人差指や春三月
春ながら、人差指がイメージ通りの動きをしないということかな。何となく動きのキレが鈍くなってきているのはこちらもご同類だが。ところで春三月はどうかな。八高寮歌に「春三月に」があるらしいが。一般に使われるかなあ。
��.閉院の予定告げられ君子蘭
院長の都合で閉院などは寂しいもの。小生の行きつけの歯科医院も、院長が癌を発病し閉院となった。もう5年以上まえだが。君子蘭は待合室にあるのだろう。準特選。
10.街道のいさば屋の裏春日射す
いさば屋は五十集屋と書いて、魚屋のこと。母親がよく言っていて懐かしい。ニシンなんか連想し、ああ春がきたという感じ。準特選。

2014年3月18日火曜日

stap細胞さわぎ   ・・褌子

   逸徳先生が猫師匠に、もういちど高分子学科に行きなさいといわれているので笑ってしまった。学科がなくなっているので逸徳先生も困るだろう。しかし両氏の議論はわたしなどには大変興味深い。
  STAP細胞さわぎ(芸人グループはSMAP)の話は今の日本社会を象徴するような話。
  論文がネイチュアやサイエンスに採用されて掲載される仕組みを国兼さんにもっと詳しく書いてほしい。小保方さんは無名のひとだから共著者の名前をみてネイチュア編集者が掲載してしまったのだろうか。共著者の山梨大の先生は有名な研究者らしい。たぶん、世界の先頭を走っているとおもっていたらiPS細胞の山中先生に先をこされて、発表を焦ったのではなかろうか。とにかく今は大学も研究機関も独立行政法人化して、成果を早く出して有名になったところにのみ国の予算がたくさんおりるようになってしまった。その弊害が出たような気がする。小保方さんの割烹前掛けスタイルもまわりのやらせだったそうだ。まだ30才の彼女のこれからの研究生活が心配。しかしコピペはいけない。研究者としての最小限の道徳もいまは教える先生が身近にいないのだろうか。中川先生は実験データの偽造をきびしくいましめていたなあ。
  文学の世界では他人の著作の盗用がわかれば一巻の終わりだ。わたしの記憶に残るのは池宮彰一郎の司馬遼太郎作品からの引用疑惑。『四十七人の刺客』は吉良邸に討ち入った赤穂浪士の戦闘場面に非常に迫真性があって、そのご池宮作品をいくつか読んでいるうちに、司馬作品からの剽窃個所が次々とマスコミで話題になり、けっきょく文学界から抹殺されてしまった。
  安倍首相の「放射能は完全にブロック」、TPPの聖域死守という自民党公約、野田前首相の「原発事故は収束」、現代のベートーベン神話、東大森口特任研究員のiPS細胞臨床応用成功などウソが蔓延している現代日本である。

函館通信230・・・雪解・・・仁兵衛

 日本国中暖かくなって来たようですね。函館もやっと真冬日から脱出して最高気温が5℃近くまで上がるようになりました。積雪量も50㎝止まりでマンションの有料除雪もどうやら一回で済みそうです。これからの雪は水分も多く積っても直ぐに解けるでしょう。
 暖かくなって来て体の動きもそれに応じて軽くなればいいのですがパーキンソンはどうもそういかないらしくじわっと腰、大腿部、ふくらはぎが固縮して歩行を困難にさせています。最近、パーキンソン用に貼付薬を処方されました。果たしてどんな効果が表れるか期待しているところです。
 草花も咲いていない、春を感じさせないこの時期が一番面白くない時期ですが十句どうにか作りました。宜しく。

��.防潮堤まだ途中まで鳥曇
��.残雪の上に金属バット音
��.天丼のななめの蓋や風光る
��.白黒の十四インチ朧月
��.水の春渡り廊下は響きをり
��.坂の名と友の名隠し春吹雪
��.水温む重層でとる鍋の焦げ
��.ぶきっちょな人差指や春三月
��.閉院の予定告げられ君子蘭
10.街道のいさば屋の裏春日射す


2014年3月17日月曜日

光透過率・・・猫跨ぎ

要求水準が高くなると、光の透過性が、無機ガラスに比べ、有機高分子材料は今一劣ることが問題になるんだろうね。光との相互作用がどうしても高いから。こういう化学的な要素が今度は効いてくるということだろう。

そうなんだ・・・・逸徳

なるほどなあ  おいらとしては結晶性のプラスチックが透明性を阻害することは知っていたが、いわれてみればなるほどなあ。不勉強。グスン・・・
反省  しかしだ、では未だに高級レンズがなぜプラスチックになれないのか? なんとなく無定形個体の状況の中を光が通過するのに、分子のミクロな不均一さがからむようなイメージがとれんのだが・・・ それが、均質性と高分子性が同義だといわれるとなーるほどと思うが、イメージがついていかん。やっぱり、メガネや使い捨てカメラのような、ある程度のばらつきが許容できるものしかプラスチックになっていないのはなぜだろう。なんか気になる。

もう一度… ・・・猫跨ぎ

根本的に認識がなっていない。もう一度高分子学科へ行きなさい。

「確かに鎖状高分子が糸まりのように絡まりあっているイメージは、光学的に均質であるという要求とは一致しにくい」

これは真逆だ。糸まりのように絡まり合っているさまが、まさに無定型、無秩序の極みでつまり巨視的には均質ということなのだ。つまり「高分子性」は無定型と同義であり、透明性を阻害しない。
ところが、ポリエチレンなんかのように分子が並んで結晶(球晶という)を形成すると光を散乱するようになって、透明性を失う。

「ところがその後しばらくして使い捨てフィルム(カメラのことね)が世に出る。あのレンズはプラスチックであった。それに驚いたという会話を誰かとした記憶がある。 で質問はこういうことである。① なぜわれわれのころまでプラスチックは光学レンズには無理だと考えられていたのか。その理由は何か。 ② その後光学レンズにプラスチックがつかえるようになった理由はなぜなのか。 そもそも①の理由はうえにおいらがのべたような説明でいいのかなあ。」

結論をいうと、なかなかガラスのようにレンズが出来なかったのは、高屈折率のプラスチックが出来なかったから。あとは不純物の精製の技術の進歩を待ったということか。これらがクリアされてプラスチックレンズが出回るようになった。

誰か教えてくれ・・・逸徳

高分子OBのみなさんにうまい説明を教えていただきたいことがおこりました。 実はあるところで高分子OBだろということで、質問されたがうまく答えられず気になっているので。 話は光学レンズとプラスチックについてです。 今は、プラスチックレンズというのは当たり前になったのですが、おいらたちが学生のころは、光学系にプラスチックを使うことは、考えられなかったのではなかったか。 たしか、先輩のだれかと会話した記憶があるのだが、あのころ学科に求人ということで、日本光学からの募集があって話題になったおもいでがある。 内容は、光学ガラスは極めて均質な性質を要求されるのだが、プラスチックのような非晶物質はそれができない、あるいはきわめて困難(その当時として)なので、レンズにプラスチックを使うなんてとても考えられない、だからいったい日本光学は高分子出身者を何に使うんだ、というような話題だった。確かに鎖状高分子が糸まりのように絡まりあっているイメージは、光学的に均質であるという要求とは一致しにくい。 そこで、われわれの時代まではレンズは確かに必ずガラスだった。 ところがその後しばらくして使い捨てフィルムが世に出る。あのレンズはプラスチックであった。それに驚いたという会話を誰かとした記憶がある。 で質問はこういうことである。① なぜわれわれのころまでプラスチックは光学レンズには無理だと考えられていたのか。その理由は何か。 ② その後光学レンズにプラスチックがつかえるようになった理由はなぜなのか。 そもそも①の理由はうえにおいらがのべたような説明でいいのかなあ。  諸兄の鋭敏なる才能で、馬にもわかるような解説をしていただきたい。 お礼は、・・・・・ 私めの熱いハグで。

2014年3月16日日曜日

一体全体・・・猫跨ぎ

  本当にインチキだったのかな。写真の使い回し、公的なペーパーからの無断転載など、常識以前の行為が厳しく問われているのは当然として、STAP細胞そのものは本当のところどうなのか。ハーバード大の一教授がえらく頑張って擁護しているのが気になる。再度どんでん返しになったりして。
  このままだと理研が、何より早稲田が傷ついたな。科学者養成の根底を問われる。そしてノーベル賞に繋がる基礎研究はやっぱり官学だみたいな常識に風穴をあけたのは快挙だと思っていたが。
彼女一人が叩かれている感があるが、他の共同研究者はどうなんだ。勝ち馬に乗るみたいに名前を載せていただけなのか。
しかし、天国から一転地獄へ、が妙に続くなあ。猪瀬、佐村河内、そして今回。

STAPよ、お前もか!!!…国兼


昨日のニュースで、理研の野依理事長自らが出席してNatureに発表したSTAPの論文に関して謝罪の記者会見を開いていた。ここまで論文の信憑性を疑われたらやむを得ないことだと思う。
 1月末のSTAPのニュースを聞いた時には、リケジョのこんな若い女性がこんな大発見をと。細胞の初期化という点で、一昨年にノーベル賞をもらった山中博士のiPS細胞の発見を凌駕するような発見だと、私だけでなく、日本の多くの人はそう思ったに違いない。   そう思ったのは、理研という看板、共著研究者の看板、Natureという看板、いくら理研の看板でもリケジョのみの論文だったらNatureも突っぱねたていただろうに。

Scienceでも3年ほど前に「ヒ素生物」という論文で世間の注目を集めたが、あちこちの研究所での追試研究の結果、培養液に微量に存在していたリンの存在で間違いだったことが証明された。NatureにしろScienceにしろこの手の不正な、或いは間違った論文を排除すべく論文審査を慎重に行っているはずであるが、研究が細分化され、専門化された今では限界がある。後は、研究者の倫理観に待つしかないのかもしれない。

 リケジョの博士も論文が最初Natureに突っ返された時点で、何回も再現したという再現実験と、ゆるぎないデーターを示す時間はあったはずなのに、何故にと???論文共著の先生がたも博士との短い研究付き合いの中ではあれ、「まさか」と、歯ぎしりしていることだろう。

 ともあれ、理研という日本の最高峰の研究所の一つの恥ずべき汚点として、これからも語り継がれる事件であり、10年ほど前のお隣のソール大学の「偽ドーリー羊」論文を笑っていられなくなった。

2014年3月14日金曜日

早春賦   ・・褌子

   二月九日の何十年ぶりかの大雪から一カ月たった。
  夜来の雨もやんで久しぶりに庭にでたら、ヤマボウシ、椿や冬青(そよご)などの枝が折れている。めったに雪が降らない千葉の樹木はたまの雪にめっぽう弱い。「雪折れ」は冬の季語だがこういうとき俳句がさっと浮かばないのが残念。
 一月には咲いていた水仙はいったん雪に押しつぶされたが、また立ち上がってすっかり咲きくたびれている風情。フキノトウも十数センチも伸びてとっくに薹がたっている。ホトトギスやシランは大きく芽を伸ばしているし、シュンランも花芽をめいっぱいふくらませて今にも蕾が開きそう。暮れに数ミリの根を植え替えておいた桜草が鮮やかな可憐な新葉を黒土の上に少し見せているのがうれしい。ギボウシはまだ芽がでていないがもう少し気温があがれば突端を土から覗かせ、威勢良く伸びるにちがいない。
 ロウバイはとっくに散ったが、沈丁は芳香をふりまいているしサンシュユは黄色い小さな花を盛んにつけている。利休梅も芽をふくらませて今にも咲きそう。木蓮の大きすぎる花芽よりもクロモジの少し赤みを帯びた小さな葉芽が何ともかわいい。
 草木の芽がいっせいに競って萌え出る早春のころは一年でいちばん好きなとき。
 菜の花や きのうの嵐けふの富士

3.1ビキニデーについて・・・・逸徳

突然無粋な話ですまない。実は、最近ショックな話を聞いたので、それをあるところに書いたのだが、腹が立ってしょうがない。 そこで、その拙文のコピーをみんなにも読んでもらおうと思い、ここに貼り付ける。 暇なときに読んで。

3.1ビキニデーとは今から60年前に、ビキニ環礁でアメリカ核実験に遭遇被曝した第五福竜丸事件のことを記念した日のことである。こちら静岡では大変有名な事件であり、最近藤枝の高校生や大学生のグループが、これを記念して彼らのちからだけである映画をつくった監督を招いてちいさな講演会を開いた。関係があり招待されたので、そこに出席したときの話である。

・・・・・・映画のタイトルは「放射線を浴びたX年後」、そして監督は伊東英朗氏、もと四国の南海放送のプロデューサーである。彼は、講演の最初にこういったのである。 「長い間の反核、平和運動に携わった方々の熱意と努力に深い敬意を表しながらも、わたしは3.1ビキニデーという言葉をやめていただきたいと思う・・・・」 ビキニデーといえば、第五福竜丸の被災と原爆マグロ、そして久保山愛吉さんという犠牲がはらわれたことなど、こういう問題に深い関心を持つ人でもこういうことしか頭に浮かんでこないのが大多数ではないだろうか。では彼はなぜそのいわば平和運動のひとつのシンボルともなった「ビキニデー」という言葉に異議をとなえるのだろうか。 それはこういうことである。


アメリカが南太平洋で行った核実験は1946年から1962年まで、実に122回におよぶ。第五福竜丸事件は1954年3月1日ビキニ環礁でおこなった水爆ブラボーにかかわる事件であって、実はこの時期に前後して被曝した日本の船は延べ1000隻を超える。(もちろん漁船だけではない) 第五福竜丸は実はその中の1件に過ぎないのである。そしてそこにスポットがあてられた結果、他の船の被曝が今わすれさられようとしているというのである。伊東氏はその実態を南海放送のプロデューサーとして8年にわたって追跡した。その結果を集大成したのがこの映画なのだ。繰り返すが第五福竜丸はほんの一つの例に過ぎないと監督は強調した。そして映画は多くの国際賞を受賞した。


このことについては、さらに驚くべき事実が隠されていた。その後核実験による放射能汚染は全地球的に広がり、海は汚れ、汚染された魚は日本近海でも水揚げされるようになった。(伊豆沖でもとれている)そして全国に放射能汚染の雨がふりそそいだ。魚の汚染について、最初政府はいくつかの港を指定して、すべて遠洋漁船にそこに帰港するよう指示し、放射能検査を実施した。100cpm以下の肴は全部廃棄されたのである。いわゆる原爆マグロという事件をご記憶の方もおられるだろう。ところがである。 1955年、当時の岡崎外相はアメリカと交渉し200万ドルの賠償金で補償をすべて打ち切る。その金は、第五福竜丸乗組員の治療や、漁業関係者への補償などに使われることになる。
 一方で、アメリカエネルギー省のサイトにアクセスすると、多くのかっては機密文書だった資料を見ることができる。 それによれば、アメリカは日本列島の被曝を予想していたのである。 そして、汚染はアメリカ大陸にも届いている。だが、それによって核実験は中止されなかったのだ。

 だが問題はそこにあるのではない。それとともに政府は1955年12月をもって水揚げされた魚に対する放射能検査を一切中止する。もちろんそれ以後、魚がきれいになったわけではない。国民は、汚染魚をそのまま食べさせられたのだ。 ひとつのデータがある。政府発表でも857隻の漁船が被害を受け、廃棄されたいわゆる原爆マグロは457トンに達した。その多くが築地の魚市場の地下に埋められたのである。その汚染度の高さは、福島原発事故汚染土壌の比ではない。だが457トンを857隻で割ると、一隻あたり533キロにしかならない。つまり汚染魚はこれっぽっちのわけがないのである。では、その他の汚染魚はどこにいったのか。この時期から、暴落した漁価に対する対応として、魚肉ソーセージの大増産がはじまる。 つまり、おそらく我々は、汚染魚の多くを食べてしまったのである。(築地の移転が話題になっているが、あのマグロの場所掘り返すのかなあ。すごい線量だと思いますぞ)

被曝船の船乗りたちからは、専門家も認める放射線による健康被害が続出する。推定2万人。そして、被爆者手帳を申請した被害者は、今もって1件も申請は受理されていない。 理由は、被爆者に対する援護の法的裏付けはヒロシマナガサキに対する者のみとなっているからである。 法を理由にして、不正義をなす悪人を法匪という。 ビキニ以後60年。 彼らを救済しようとする官僚も政治家もついに一人としてあらわれなかった。 つまり彼らは、関係者が死に絶えるのをじっとまっているのである。 これを法匪とよばずしてなんといえばいいか。 そして、われわれはそういう国の国民なのだ。 

核実験の影響は未だにおさまっていない。 1957年には福岡で34万カウントの雨が降る。これは年間で24000ミリシーベルトに達するのである。 このような雨は、当時全国でふった。山形で10万カウント 長崎で8万カウント・・・ そしてこの雨に含まれる放射性物質がもしセシウム137なら半減期は30年 ストロンチウム90なら29年、したがってその当時の放射能の雨の1/4はまだ地上に残っている計算になる。そして、もっとも強い放射能の雨がふったのが、沖縄なのだ。天水を飲料にしている島も多かった沖縄である。ああ・・・


書いているだけで吐き気がしてくる。 60年前の歴史は終わっていない。福島の事故をみて関係者は、猛烈な既視感におそわれるそうである。
だが、このような被曝した船の実態をこつこつと掘り起こしてきた高知の高校生たちがいる。その活動をまた紹介してみたい。 若い人たちもすてたものではないのだ。いい大人がついていれば。

2014年3月12日水曜日

七尾・・・猫跨ぎ

  まだ髷を結えぬ遠藤が大関、横綱を相手にこてんぱに転がされている。まあ順当なところだろう。やはり横綱はダテに張っているのではないらしい。
遠藤は能登の穴水町出身。その南に七尾市がある。
芭蕉の連句、猿蓑を読んでいたら次の下りがあった。
・・・
道心のおこりは花のつぼむ時   去来
能登の七尾の冬は住みうき  凡兆
魚の骨しはぶる迄の老を見て   芭蕉
・・・
ちょっと冴えない場面で、辺鄙で住み憂き場所として登場している。
天然の良港で、北前船で賑わったはずだが。

2014年3月7日金曜日

卵かけご飯・・・こんし

いま東京の神保町です。チラチラ雪が降ってきました。岩波ホールで「家族の灯り」という映画みて、卵かけご飯200円、岩海苔100円、それに八海山1合400円を熱燗で注文して締めて700円でとても幸せな気持ちになったところ。お酒は食券販売機では八海山となっていたのに出てきたのは菊正宗だったが細かいことは気にしないことにした。卵かけご飯が実にうまかった。実は岩波ホールに「みつばちの大地」というドイツ・オーストリア・スイス合作映画を観にきたのだが5月からのロードショーだというので細かいことは気にしないでシニア料金で仕方なくみた「家族の祈り」も少し途中で寝たがいい映画であったので機嫌をなおして菊正宗を美味しくいただいた。しかしシニア料金なのに1500円は高い、非常に気になった。

2014年3月5日水曜日

地鳴りのような・・・猫跨ぎ

  地鳴りのような事件が世界のあちこちで起こっている。雲南省の昆明でウィグル族(中国政府発表)の10人ほどの反国家グループが、駅の雑踏でいきなり刀を振り回して29名を殺害、100人以上を傷つけたとか。29名という発表が疑問視されている。30名以上の事件になると現地の治安担当者が責任を問われるからで、実際にはもっと多いとか。この事件よく判らないなあ。仮にウィグルの独立運動グループとして、権力の出先機関の治安警察を襲うのならわかるが、雲南の無辜の大衆に刃を向ける意図が奈辺にあるのか。判らないが、多分、想像を絶した狂暴な怒り、絶望が背景にあるのに違いない。
  ウクライナの紛争もそうだな。ソ連時代はロシア、ウクライナは一体と見られていたから、クリミア半島の帰属など、どっちでもいいだろうくらいだった。解説を見ると、ウクライナ西部はヨーロッパにもともと近い民族で、戦後のどさくさにスターリンの意図でロシア側に帰属させたとか。そんな時の権力者の恣意的な線引きが、綻びを見せてきた。
  今は、新帝国主義の時代という人がいるが、その内実には、こういう民族問題がある。かって民族を越えて政治的、意図的に括られた版図が、いま民族毎の形を求めての分解過程にあるという認識をあらたにするね。

2014年3月4日火曜日

大反響?   ・・ 褌子

猫跨ぎさんありがとうございます。
キナバル山の写真はフェースブックに発表したら今のところたったお一人ですが大反響?がありました。■坂本俊一郎氏 ステキな写真ですね。まるで、右横のススキが、箒のように、左から雲間をス~と引いてきれたおかげで、山の風景が綺麗に現れたとも見えましたよ(笑)■西沢昭裕 坂本さん身に余る激賞ありがとうございます。ボルネオのキナバル山。東南アジア最高峰4905メートル。2月25日に撮ったばかり。撮影者は女房でして・・・■坂本俊一郎氏 それは、それは。奥様もステキなセンスの持ち主ですね。感服しました。
◎次の亞彌繁な文字列は千字文? いや般若心経? いやちがうなあ難蛇楼変痴倫なお経だな?
♪~■山片田芦田吉山鳩橋石岸田池藤佐中田木三田福平大東伊木鈴根曽中下竹野宇部海沢宮川細田羽山村本橋渕小森泉小倍安田福生麻山鳩菅田野倍安 ヒント ⇒後ろから読む
  戦後70年歴代33人の首相名。いやあ随分替わりましたなあ。いまが「新しい戦前」にならぬようにがんばらねば

2014年3月2日日曜日

ボルネオ・・・猫跨ぎ

  キナバル山を眺める写真はなかなかいいね。奥方のカメラワークは大したものだ。この山は休火山で年5mmも成長しているとか。近々活動を再開するのでないのかな。火山がないので窒素燐酸カリ成分が欠乏するという理由をそのうちにお願いしたい。
  ボルネオと言えば、会社にいたころの或る事件を思い出した。私の何年か上の人が、某商社経営のメタノール工場(多分)の工場長として派遣されていた。朝のジョギング中に、地元の車にはねられて頭部を打ち、意識不明。しかしボルネオでは救命治療はできず、ヘリでシンガポールへ移送されたが、間に合わず亡くなった、ということがあった。

2014年3月1日土曜日

キナバル山      ・・・褌子


   クアラルンプールから飛行機で1時間半、ボルネオ島のキナバルに着く。大きな港まち。
  片道2時間も車に乗ってテングザルをみに出かけた。どんよりと濁った川を船で動き回って樹上の猿をみるだけ。夜になってホタル見物に再度、船に乗る。たくさんのホタルが同期して明滅しているのが不思議。暗いので星はきれいだが、どれが南十字星かわからない。往復4時間もあるのでガイドの青年とはすっかり仲良くなった。バジョウ族の陽気な男でムル族は首狩り族だからネックカッティングに注意しろと首を包丁で切り落とすしぐさでしきりにおどかす。運転手のムル族の青年【写真はムル君】は運転に専念している。バジョウ君のご先祖はペニスサックしていたのかと女房に聞こえないようにそっと聴いたら、うれしそうに笑ったが、瞬間きっと真面目顔になってボクはイスラム教徒だから割礼しているんだと今にも逸物をとりだしそうな勢いなのであわてて制止。日本人のあんたのご先祖は海賊だろう、日本語話せるガイドは俺みたいに英語オンリーより収入が三倍もある、コンニチハ、サヨナラ、アリガト以外に何か教えろというので「あなたビジンですね。かわいいオボッチャマですね。元気なオジイチャンですね」とか教えたが覚えが早い。変なこと教えるなと女房に注意される。首狩り族も選挙の投票に行くのかムル君に聴こうとしたら、また女房に怒られた。私のカタコト英語でもなんとなく通じたのがうれしい。
■ 明け方、火災報知器の音でたたき起こされた。ドア開けたら何か煙がたちこめていて臭い。すわとズボンと靴はいて外に飛び出した。他の客もどんどん飛び出してくるのに、従業員が知らん顔。フロントの女性に抗議すると、月一回のゴキブリ退治の燻蒸です。防煙扉を閉め忘れてバルサンに火をつけてしまい、ごめんなさいとニコニコしている。
■ 車でキナバル山へ向かう。猛烈なスコールで山がみえるのか心配になったがバジョウ君は大丈夫ですという。二千メートルもの高地の展望台にたどり着いたら正面の雲の上にキナバルがそびえている。東南アジア最高峰の4095メートル。台湾の玉山(ニイタカ山)が3952、富士山3776メートル。毎年5ミリずつ高くなって造山運動中の地質学的には若い山。頂上の七つのピークがくっきりとみえる。頂上直下の大岸壁に氷がはりついて陽光を反射。富士山のような整った優美さはまったくない荒々しい男性的山容。30分くらいでまた雲に隠れてしまった。数万年前の休火山という。ボルネオは活火山がなくて地震も津波もない。火山がないので窒素リン酸カリといった肥料が供給されない意外とやせた土地だと信州大学の先生にきいたことがある。有り余る陽光による光合成と年間400ミリもの降雨量でびっしりと植物が繁茂しているが、土壌はやせているというのである。焼き畑農業は灰が土壌に還元されるが日本などがボルネオ産の材木をもちだしたあとの復元はむつかしい。いま一番の大問題はパーム油をとるために熱帯雨林を切り開いてつくった椰子林のモノカルチュア。パーム油は非常に需要があるのでモノカルチュアはとまりそうもない。
バジョウ君が石油・パーム油・観光の順でボルネオはなり立っているという。戦後、マレーシア連邦としてイギリスから独立するときに、石油が豊富なブルネイが連邦に参加しなかった。またボルネオの南側のカリマンタンはオランダ領だったのでインドネシアに編入された。ブルネイはみんなスリーピングして暮らしているとバンジョウ君がうらやましそうな顔をした。
帰り道に樹液をとっているゴムの木をみた。南米原産であったが、イギリス人が種子をもちだし王立キュー植物園で栽培に成功し、マレー半島でのゴム栽培をはじめた。
世界最大の食虫植物ラフレシアの巨大な花もみた。花のあやしい匂いに引き寄せられて昆虫が群がっていた。
■ ボルネオも三日目となった。もう二度とくることは無いだろうとつい余計なことを思うのは年のせいか。
少数民族の村を訪ねた。ボルネオ島の代表的な五つの少数民族の生活を観光化してみせている。
たしかに首狩り族だったムル族の家の玄関にはすっかり干からびた人の頭が五個つりさげてあった。
韓国、台湾、中国、香港などの観光客10数人といっしょに歩いて森の中でみんなで昼食を仲良く食べた。みんな似たような顔で区別がつかない。尖閣だ、竹島だと領土争いすることがくだらないことだと思った。

雪もすっかり融け・・・猫跨ぎ

 「忘じをり」は、ぼうじをり、ですね。冬の川は、水量の減ったちょっと情けない姿の川のことで、ちょっと心象句的に作ってみた。
  今年は大雪―といっても30センチ位。ハードもソフトもそんな雪への準備をしていないので官民とも大騒ぎ。こちらは久々の雪掻きで汗をかいたけれど、その後の雨と気温でたちまち融け、何だか白日夢を見ているような。根雪に覆われる雪国とは根本的に話が違う。甘っちょろいもの。
 〈まだもののかたちに雪の積もりをり 由美子〉
なんて、完全にこちらの人の感性だよね。同じ歳時記を使ってお互いに判りあっている気分になっているのも不思議なこと。

2014年2月28日金曜日

函館通信229・・・寒・・・仁兵衛

猫跨ぎ氏句鑑賞
 首都圏も一月二月と寒かったんだね。寒北斗、寒牡丹、寒九、寒夜、と寒のイメージが続いている。
 印象に残ったのは「チェロケースの赤き内張寒北斗」内張りの赤の上に輝く北斗が宮沢賢治の世界だ。
 逆に侘びしさの強調が頂点に達している「くたくたの竹輪麩残る寒夜かな」だ。竹輪麩の残ったなべ底が尚侘びしい。
 後は「半眼のオランウータン春愁」ここでやっぱり春を感じさせて貰えたな。
 以上三点が特選です。
 残り気になったのが「冬の川己がゆくへを忘じをり 」で下五はどう読むのですか。「ぼうじをり」


2014年2月27日木曜日

九十九里・・・猫跨ぎ

  そうね、九十九里浜へ行くなら、外房線の大網で降りて車で20分くらいかね。茫漠たる風景が果てしなく続く。ただし、何もない。かくいう私も一、二度行ったきり。
但し車がないと駄目だね。外房線をさらに先へ行って、勝浦とか安房小湊あたりで下車、鯛の刺身、金目鯛の煮付けあたりで一献やれば、応えられない、らしい。30年以上前、海水浴に行ったきり。

春をたずねて・・・逸徳

参加します  仁ちゃんが来てくれるのがうれしい  で、お師匠の作品を前にもうしわけないのだが、実はおいら千葉方面あんまりいっていないので今度の会が終わったら、のんびりと春を訪ねて外房線にのり、房総に行ってみようと考えた。 で、よく考えたら九十九里というながい浜があるということくらいかしらん。ホントに知らんのだ。で、みなさんのお知恵拝借。外房だったら見どころ(くいどころ のみどころもええ)どこかね。 教えてくださいな

で、投稿してから気が付いた。 お師匠の「参加しない?」 のコメントは別の意味かも。 おいらは上野の話かと。 勘違いなら失礼。ワスレテクダサイ

二月投句・・・猫跨ぎ

二月ももう月末。まったく加速度がついている。遅れぬよう二月投句。
褌子氏、逸徳氏 参加しない?
ところで、最近は芭蕉の連句集を持って、外出する。30分、一時間はあっという間に経つ。
実に面白い。勿論、何人かで実際にやるのが最高。
そう言う場が、いつか出来ればいいがね。単独で詠むだけでは、本来片手落ちなんだよね。

百万の部品の唸り初飛行
チェロケースの赤き内張寒北斗
人声にすこし離れて寒牡丹
酔ひ醒めの水沁みわたる寒九かな
冬の川己がゆくへを忘じをり
くたくたの竹輪麩残る寒夜かな
餅溶けるごとく一月過ぎにけり
抽斗に一月の闇古神籤
半眼のオランウータン春愁
鳴き声も遺伝のひとつ恋の猫

2014年2月26日水曜日

鄭和・・・猫跨ぎ

  鄭和の艦隊の東南アジア、インド南岸、西アジア、アフリカへの大航海は有名だね。イスラム教徒で碧眼の人だったらしい。目的は明の国威宣揚、官業貿易とある。このころ盛んに行き来していたらしい。中国は何故その後、これを止めたのだろう。西欧の大航海時代に、中国艦隊と遭遇したとはあまり聞かない。
  しかし思うに南シナ海でフィリピン、ベトナムを蹴散らしているのは、この頃の実績を踏まえているのかも知れない。アフリカ進出もその一環か。また尖閣が古来中国のものという鼻息の荒さもこういう時代の記憶に基づく失地回復意識の一環なのだろう。
  日本軍のシンガポール侵攻後、華僑を相当に酷く弾圧、迫害したのは、従来我々はあまり知らされていない。遠藤周作が敗戦後間もなく船でフランスへ留学したとき、この辺に寄港する度に船倉に隠れていたらしい。それ程、対日感情は悪かった。今は、それはなくなったように思える。というか歴史的事実に転移したというべきか。日本の総理大臣の靖国参拝にも格別の反応は無い。 ベトナム、マレーシア、シンガポール、インドネシアとの関係は良好だ。千年怨みは消えぬという韓国の異様な反日が殊更目立つ。

2014年2月23日日曜日

マラッカ・・・   褌子

夕べは酔っていたので真面目に書き直します。
仁ちゃんの投句につづき九州の熊さんや小蔵ひでをさんが投稿jし、また盛り上がってきましたね。
私はマレーシアに来て四日目です。クアラルンプールは30数度で閉口しましたが、きょう車で訪問したマラッカはマラッカ海峡に面しているせいか、それほど暑くありません。
ポルトガル人がマラッカに現れたのは1511年、そのときにポルトガル軍が築いた要塞が残っています。その丘の上から見下ろすと遙かかなたのマラッカ海峡を行き来する巨船が何艘もみえました。鹿児島出身の「やじろう」がマラッカで出会ったフランシスコ・ザビエルに心酔し、ザビエルを連れて日本に帰り島津の殿様に紹介したという祈念碑もカトリック教会の庭にありました。
ポルトガルは新興勢力のオランダに追い払われ、そのオランダもイギリスにマレー半島を奪われ、イギリスの長い植民地支配が続きますが、1941年12月8日にマレー半島を攻略した日本軍にイギリス軍は降伏。1945年8月15日まで日本軍統治時代を迎えるのですが、中国の国民党軍を応援している華僑の逮捕殺戮をはじめます。クアラルンプールでもマラッカでも華僑殉難碑を訪問することができました。
鄭和は明の永楽帝朝の宦官。イスラム教徒。大船隊を率いて1405~33年の間に前後7回南洋・インド洋方面に遠征。通商貿易に貢献。三保太監または三宝太監と称された。(1371~1434頃)
上記の二行は広辞苑からの引用ですが、ポルトガル人がマラッカに現れる百年も前に鄭和が率いる大船隊がマラッカに寄港しています。鄭和のマラッカ寄港690周年の年だそうで大きな商船の模型が飾られています。私も道教式の鄭和廟に詣りました。
コロンブスの新大陸発見よりも早くに中国人の大船隊がアフリカ東岸にまで達していたのです。
マラッカはモンスーン気候で西風が吹くときにヨーロッパからの商船隊が寄港し、東風がふけば商船隊は日本の漆器や中国大陸の陶器、絹織物、さらにインドシナの胡椒やシナモンなどを満載してマラッカに寄港したのです。
眠くなったのでおやすみなさい。

2014年2月22日土曜日

ひでをメロディ・・・猫跨ぎ

  ひでを氏は作曲活動をずっと続けて来たわけね。youtubeを見せてもらいました。ひでをメロディというのが何となく出来てるね。以前の曲を思い出しても、曲想がなんとなく一貫している。しかし歌詞がいささか平板のような気がするが。もっとパンチがあっても良いように思うけれど。なるほどyoutubeは身近にあるんだね。

 浅田真央という子は、何か持って生まれたようだなあ。多分、日本で好感度No1の人物かも知れない。今度の一件で、さらにメダルに相当、それ以上の印象を与えた。
  それに比して、いっそうのヒール役を演じることになったのが森喜朗か。この人物くらい人気の湧かぬ政治家はいない。かわい気がまずない。政治家としてひらめきのない凡庸な人物だった。何かもめ事があると、まあまあと中に割って入り、いつの間にかまとめ役になって、いつの間にか出世していった人物。想像力が貧困で発想が凡庸だから、本人は何かマシな事を言おうとしても、面白くないし、今回のような下品な表現になる。第一、もう過去の人物だろう。これを潮に引っ込むんだね。

2014年2月20日木曜日

またまたお久し振り登場    ひでを

 熊さん、お忙しいようで何よりです。本格的な合唱団ですね。
 女房が入っている女声合唱団は、おばさんばかりですが結構良い線いっています。その合唱団の一部メンバーにお願いして、私の作った曲、題して「ビューティフル ウインドウズ あだち」を吹き込んでもらいました。全くのテスト盤ですが、CDができたら区に寄贈しようと思っています。
 ところで、最新作の曲ができました。私の小学生低学年のころ、夢中になって読み、精神発達に少なからず影響のあった2作品を基に詞を作りました。2作品とは、「少年ケニヤ」と「鉄腕アトム」です。詞のタイトルは「二つの物語(ストーリー)」です。私の場合、作曲といってもメロディだけです。でもそれは万能細胞(?)みたいなもので、オーソドックスなものから、演歌調にまで、なんにでも変化できます。てなわけで、熊さんの合唱団で、息抜き用の軽い曲にいかがかなと思いました。興味があったら連絡ください。歌詞と楽譜を送ります。
 もうひとつ、私の友人が、U-チューブに私が作曲した「お大師様」という曲をアップしました。インターネットで「お大師様 扇」で検索すると曲が聞けます。聞いてみてやってください。
 最後に、”仁”句の一番、錆釘の履歴書ですが、春を告げる小魚の釘煮(錆釘を入れて作った煮物)が春告げ鳥のように毎年この時期に賞味できることを言ったのではと思いました。(もちろん春告げ鳥は賞味しませんが)。

2014年2月17日月曜日

二月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  昨日は映画を観た直後で、印象が消えないうちに書き留めておいた。邦画もいろいろ面白いのがかかるようになったね。映画人気復活かな。オリンピックはダイジェスト版を珠には見ているよ。浅田真央がどうなるかだね。数分の演技に何年も賭けるわけだから 数奇な運命の人生だな。

��.錆釘の履歴書通り寒明ける
判りません。
��.海渡る姉の嫉妬や梅便り
個人的なことではないと思うが。韓国が姉で、日本が弟か。嫉妬している?まさかね。
��.春泥や後継者なき装蹄師
競走馬の蹄鉄を打つ人。後継不足は何処も同じ風景か。春の厩舎の風景。
��.秘密ごと明かされぬまま余寒かな
判りません。
��.立春や縁起担ぎの踏切板
ジャンプの踏切板か。高梨沙羅。まあ15歳(?)で世界の頂点を極めたら、これからどうするのか。完全に目標喪失だ。これでよかったんじゃないの。でもこの子、インタビューは見事だね。十代の方がしっかりしている。
��.妖精のキャンドルスピン蕗の薹
キャンドルスピンは女子フィギュアの足を真上に上げてスピンする技。ロシアに伏兵が出て来たらしいね。
��.建国祭パチンとがま口閉じにけり
建国記念の日。この祝祭日くらい、俳句でもみくちゃにされる季語はないね。殆どは、ひと言物申すという感じ。がま口パチンか。何かを拒否しているんだね。
��.春の雪慌てふためく都市鴉
小動物は、こんな時は、すぐ危機に陥る。呑気にしているようで彼等も必死だ。
��.さまし湯を急須にそそぎしずり雪
温和な日常風景か。良いお茶はこういう淹れかた。
10.屋上のヘリポート発つ水の春
屋上にヘリの基地があるのかな。小川が雪解け水を集めて、水音を立てている。豊かな気分になるね。

2014年2月16日日曜日

「永遠の0」鑑賞記・・・猫跨ぎ

  熊さん、久し振りだね。ちょっと仁句鑑賞記は後回しにして、映画の話。観客動員が記録的という「永遠の0(ゼロ)」を見てきた。特攻隊の映画。いま世情を騒がせている百田尚樹原作だ。いやはや。 映画では特攻を別に美化していないし、軍のコチコチ頭や特攻作戦の愚劣さに主人公が懊悩する筋書き。トッコウ、ヤスクニと聞くだけで頭に血がのぼる体質の「文化人」はまあ、ぼろんちょに評しているらしい。私のように特段の思考癖に罹っていない市井の庶民(笑)からすれば、何を騒いでおるのかという感じ。
  ただなあ、最後がねえ。無駄死にするな、生きよと部下にいい、臆病者と評判の主人公が、最後、特攻に志願して、突っ込むことになる。この頃になると、グラマンは零戦の機能を凌駕し、艦船の迎撃も整備されて、零戦はバタバタ打ち落とされに行くようなものだ。名うての操縦技術をもつ主人公は、敵艦に接近、被弾するも、狙い定め敵艦に急降下。彼の顔が大写しになって、突如、フィナーレ。笑みを洩らすんだなあ。ぞっとしたよ。
アメリカ大使館は勿論この映画を観ている。百田という人物を調べているだろう。田母神の一件も知っている。日本の動向を見ている。匕首に見えたんでないか。ぞっとした、かな。

なんとなく書きたくなった   九州のくま

猫爺さんと逸徳氏そしてときどき褌子氏が絡んだやりとりは滑稽だね。大真面目に議論しているようでときどきお互いに茶化して・・。結局何が主要論点で結論は??? 最後は互いに痛み分け・・。 そうか、なんでもいいから議論することに意味があるのかな。途中でどうでもいいのでは、と感じてしまう場面が多い。なんとなく読み取れるのは強い肩入れをもっている2氏と、是は是、非は非、で肩入れに容易には同調しない約一名の他愛のない対決、という図式のような。暦年に引き込まれず若さを保つ秘訣なんでしょうねぇ。間に入って発言しようとするけどテンポが早すぎて機を逸する。残念なり! あ、そうそう、即刻か段階的にかはともかく原発反対の立場だけは表明しておきます。原発ゼロにいたる行程表作成に早急に取り組んでほしい。ほかにいろいろ考えるけどまた別の機会に。

今年8月にまた合唱のイベントが計画されていていまその練習に四苦八苦。3月に入ったらすぐにウィーンへ。少年合唱団と市民合唱団のコラボだ。山歩きも月7~10回になると日程調整だけでこちらも四苦八苦。忙しいとは思わないけど時間には追われている。これが私にとってのアンチエイジング、キープヤングの極意。体調もよく毎日が楽しいばかり。5月くらいまで冬籠りという仁ちゃん、すみませんね。こちらは適当に温暖。有害微粒子も今のところ福岡あたりまででこのあたりは大騒ぎするほどではない。自分に被害が及ばなければだんまりを決め込むノンポリ市民を演じております。いろんな場面で中国の挙動には腹立たしい気分にはなるけど・・。

かみさんが、はよ風呂に入れと言っている。遊んでばかりで発言力が弱いので言われた通りにしないとめしがあたらない。くわばらくわばら・・・。今晩はこれにて。

函館通信228・・・寒冷化?・・・仁兵衛

地球の寒冷化だって!冗談じゃないただ寒いだけじゃよ。
それでも真冬日からだんだん解放されつつあるよ。桜の5月初めまで2カ月以上我慢の子だね。
猫跨ぎさんには悪いけど寒い所に居ると五輪で騒いで寒いのを忘れさせてくれるのも有難いものだよ。
取り敢えず今月の十句やっと作ったので出します。

��.錆釘の履歴書通り寒明ける
��.海渡る姉の嫉妬や梅便り
��.春泥や後継者なき装蹄師
��.秘密ごと明かされぬまま余寒かな
��.立春や縁起担ぎの踏切板
��.妖精のキャンドルスピン蕗の薹
��.建国祭パチンとがま口閉じにけり
��.春の雪慌てふためく都市鴉
��.さまし湯を急須にそそぎしずり雪
10.屋上のヘリポート発つ水の春

2014年2月15日土曜日

温暖化と大雪・・・  褌子

なんと甲府などで140年ぶりの大雪だそうです。
地球温暖化のはずだったが。地球温暖化で北極海を冬期にフタしていた分厚い氷が融けたために、北極の冷水が巨大な寒波をつくって、かつてなく北太平洋を冷え込ませているという。ふーんそうなんだ。
ところで地球は4億年周期で長期の寒冷期を迎えることになっている。銀河系の渦巻きのなかから卍型に伸びている星雲が密集する巨大な腕の中を、太陽系が四億年ごとに通過するため。密集する星雲のなかでは超新星爆発で飛び散る宇宙線が地球にふりそそぐ確率が格段に大きくなる。この宇宙線が地球をとりまく分厚い雲をつくり、数百万年にわたって太陽光が遮蔽されるから地球は寒冷化する。これがいわゆる全球凍結。もっとも密集する星雲のなかといっても星と星の距離は数光年以上。地球がよその星にぶつかる可能性は皆無。それより地球に引き寄せられる隕石のほうがはるかに怖い。去年、ロシアに隕石が降ってきた騒ぎがあったが、もともと地球は45億年もかけて降り注いだ隕石からなり立っているようなもの。

2014年2月13日木曜日

脱脂粉乳・・・ 褌子

樋口先生記憶にあります。「菊と刀」でなく「梅干しと日本刀」でしたか。
とにかく日本人がチビで胴長なのは白米と梅干しのせいだといわれ、コッペパンで米軍放出の脱脂粉乳飲みました。そしたらこんなカモシカみたいな美脚になりました。

梅干博士がいた・・・猫跨ぎ

梅干を馬鹿にしちゃいけません。樋口清之って、國學院の歴史学者がいたなあ。「梅干と日本刀」というベストセラーがあった。「日の丸弁当は超合理的な食品、地震でも城の石垣が崩れない秘密、江戸は世界一美しい都市だった…。日本人が誇る豊かな知恵の数々。真の日本史がここにある」てなふれこみ。懐かしい。この人、そのあと続々と出る、日本再発見の先駆けだったかな。沢庵、梅干、白米の大食という日本の食生活が散々馬鹿にされたあとの、一つの反作用か。和食世界遺産の先駆けだったかも。






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登録情報

梅干しで戦った   褌子

梅干しだからアメリカに負けた。一億総特攻、子供たちもB29に梅干し投げろと命令された。B29が酸っぱい梅干しで腐食がすすむから。

2014年2月12日水曜日

朝食考・・・猫跨ぎ

あのさ、食生活を全部開陳するなら、話は別。サーロインステーキなら一昨日食べたばかり。和牛なんかじゃなくて、アメリカ牛で充分。500円で良いのが買える。フライパンで充分美味しく焼ける。
基本的には、日々、魚、肉を交互に食すこと、あとは野菜を切らさないことだね。白粥に梅干しは、もし粥ならということで、普段は食べないね。ちなみに私の朝食は年中同じ。御飯、味噌汁、納豆(オクラを刻んで混ぜる)、自家製浅漬け(胡瓜、蕪、キャベツ)、ベーコンエッグ、野菜サラダ(レタス、パプリカ、トマト)、牛乳。後片付けは皆さんはどうかな。それを含めるのならOK。

だめだこりゃ・・・・逸徳

褌子さん そういうおやじギャグをいいながら ただかみしめるだけというのは生来の不精、めんどくさがりやだ。 だめだこりゃ。 おいおい死に際に寝込んで、奥方に迷惑をかけんようにな。 お師匠の、白がゆに梅干しというのもいただけない。 その淡白さがアメリカに日本がまけた理由ではないかな。梅干しでは、世の中は変わらんのだ。 血のしたたるようなステーキを食いたまへ。

朝粥考・・・猫跨ぎ

そうね、どう読んでも昨日の仕舞湯を温めて粥を作ると読めてしまう。まあ、好意的に解釈して湯煎に使うとか。奇怪だなと思いつつ、食後の朝風呂だと判って、ようやく安心。
朝粥に色々入れるんだね。私は何も入れない真っ白な粥に、梅干し、塩昆布、卵のそぼろ、刻んだ古漬け、なんかを1、2品あればいいね。そう、小振りの目刺し二本付けてもらうか。高雅な性格そのままに。

あさがゆ・・・・ 褌子

逸徳さん
昨夜の風呂の残り湯を追い炊きして、その湯で朝粥をつくるのですか。
逸徳さんの逸物のダシがいいぐあいにでて美味しそうですが、奥様がめしあがらない訳がわかります。
わたしは齢70さいにして新発見、食事によく噛むことにした。そしたら実においしさが二倍になった。口中調味というのか知らん。

食い物の話・・・逸徳

食べるという行為を軽視してはいけない、あれは一種の文化的儀式ではないかという気がする。 それを軽視すると単なるガソリンの補給、あるいはエサを食べているけものになってしまう。というわけで、レシピをひとつ
 我が家では朝おきるのはおいらが一番はやい。 まず、昨夜の風呂の残り湯を10分くらい追い焚きしておいて、朝のおかゆをつくる。家人はかゆはきらいなので、おいらの分だけである。昔あるところで食べた中華粥がうまかったので、おかゆの「究極のレシピ」を追求してみた。今もさまざまに研究試行錯誤中である。で、現在の到達点。 まずサツマイモ。これはほんのすこしで、1㎝角強ぐらいにしていれてやる。この甘味がなんともいえずうまい。いつも芥川龍之介の「芋粥」を思い出している。さらにしいたけである。これは細かく刻んで、パックにいれて冷凍保存したのをつかう。いい味をだす。これも一握り強。これの二つを平鍋にいれ水は400mlくらいかな。そこに残りごはんをいれるが、茶わんで半分。問題はだしである。いまのところ、いろいろ実験したが、アジノモトの中華味という粉末調味料がいいという結論に達した。これをスプーン小で2はい。で、隠し味としてアジノモトをさっさとふりかける程度。ごはんが十分に煮えたら、最後に溶き卵か、納豆1パックをいれる。これはすきずきだが、いがいと納豆がうまい。味噌汁の実に納豆が使われるというのもむべなるかな。最後に刻み葱(おいらは刻んだやつをタッパーにいれて冷凍してある)をふりかけて、さっとにたてる。 で、その次が問題。 牛乳をいれる。量はお玉杓子に2はい弱。牛乳は、どんなものでも味をマイルドにしてしまう。たとえば、しょっぱすぎたりしたら奇跡的な効果を出す。科学的にも要研究。そういえばラーメンに牛乳をいれるのがあったなあ。不思議な効果で、クリームスープみたいになる。おためしを。このおかゆができたところで朝風呂にはいる。末梢血管がひらいて、まっこと快調。運動とおんなじ効果があるのではないかな。

 最近作って感動的なの。「忍び豆腐」。これがうまい。感動的にうまい。このうまさをぜんこくにひろげる忍び豆腐普及協会をつくりたい。 土鍋をつかう。 一人前用の100均にあるやつでいい。 つゆは市販の濃縮のつゆの元でいい。7倍希釈ぐらいで、うどんのつゆぐらいの薄味。ここにやや大きめにきった豆腐をいれて煮立てる。煮立ったところに片栗粉大匙1を水大匙2にといたものを流し込んでとろみをつける。つまりあんかけ豆腐になる。 そこに、あらかじめすり下ろしてあった山芋(1人前5~7センチもあればいい。) をすりおろし、卵をひとついれてといたものをながしこむ。弱火で火が通るまで煮る。上から刻み葱をふってさっと煮たてたら完成。ネギはたっぷり。 ゆずこしょうがあう。 これ、豆腐の上に山芋をながしてあるので、豆腐のありかがわからないから、忍び豆腐というらしい。 江戸時代からのレシピだという。 酒は熱燗でしょ やっぱり。 だまされたとおもってやってみい。あったまるぜ。
 料理にこるのは、認知症予防にはいいそうである。 うう、午前中というのに飲みたくなってきた。

2014年2月11日火曜日

都知事選私見・・・猫跨ぎ

  結局、何を言いたいの。宇都宮、細川と割れてしまった運動を統合して、反安倍政権へ一本化しようとする試みか。抜け目なく布石を打つね。自共時代の到来か。
  今回の登場人物を改めてみると、大衆の気まぐれの残滓を見るような気がするね。
細川。自民の長期政権の終焉ということで、鳴り物入りで支持率80%を越えた。佐川問題の何とかで政権を放りだした人物だろう。むなしいね。小泉。小泉劇場。郵政解散選挙ではこれも支持率80%を越えた。あの騒ぎは何だったのか。それから独自候補も出せぬ民主党は四分五裂で溶解状態。あの怒濤の勢いは何だったのか。まことに流砂のごとき大衆の気まぐれだ。選挙制度とかの問題じゃない。愚民政治の帰結だ。(おっと、暴言か)

  そして舛添。この人物、油断ならん顔しているね。大衆迎合の出世主義。どうも基本的に品性の劣るところがあると前から思っている。女癖も悪そうだ。こんなのしかいないのか。人物が払底しているね。というか、選挙民相応の政治家しかおらんと言うことか。  そうだ。田母神が60万票もとった。20代の得票数が宇都宮、細川より上だったという。これこそ今回の注目結果じゃないか。何だか変な地殻変動が起きている。中韓のメディアが注視しているらしい。
それから、オリンピックがうるさい。バカ騒ぎはほどほどに。

雨宮処凜さんのファンになりまして・・・褌子

  都知事選がすんだら脱原発で細川を応援した人たちと宇都宮を応援した人たちでノーサイドでいこう、いや舛添みたいなのを都知事にしちゃったんだからノーサイドというわけにはいかんとか論争がネット上を賑わしている。そこで雨宮処凜のブログ発言を読んだら感動したので転載してみる。

   ■■ 都知事選 私の選択、あなたの選択。の巻 ■■
 都知事選が始まった。
 前回書いた通り、それぞれの候補者の政策を比較し、そうして私は、やっぱり決めた。宇都宮さんを応援しようと。
 細川氏がどんなことを掲げるのか、非常に興味があった。また、それ以外の人たちの政策にも期待はあった。が、それぞれの政策を読み、やはり今の「生活者」の実態を、現場の声として最も知っているのが宇都宮さんだと思って、決めた。
 だけど、そのことをこうして公表するにあたって、強調しておきたいことがある。
 それは、当たり前のことだけど、自分と違う選択をした人についてどうこう言う気はさらさらないということだ。同時に、私の選択についても、あれこれ言われたくはない。
 「一本化」を巡るもろもろは、「脱原発」を目指す人の間で分断を産んでしまっている面は否めない。
 だからこそ、今、改めて、書いておきたい。
 今回の都知事選、私自身、今までにないくらいに悩み、たくさんのことを考えた。そして私の周りの人たちも、本当に悩み抜いていたことを知っている。
 誰かが本気で考えた果ての選択を、否定したり批判したりする資格は誰にもない。少なくとも、私は他人の選択を批判できるほど偉くもないし、頭も良くない。「自分と意見の違う誰か」より自分の方が考えているなんて、そんなおこがましいこと、絶対に思いたくない。その上、超能力者でもない限り、この都知事選の結果がどうなるかなんて、誰にもわからないのだ。
 自分と違う選択をした人だけでなく、距離をとって静観することに決めた人たちの心にも、ちゃんと思いを馳せていたいと思う。
 とにかく、どんな結果になろうとも、このことが禍根を残すようなことにだけはなってほしくない。そのためには、それぞれの立場の人たちが、「自分と違う意見の人」を尊重することが重要なのだと思う。というか、「違う意見の人を認める」「考えの違いを受け入れる」って、民主主義の基本中の基本ではないだろうか。
 きっと誰しもが、「民主的な都政」を望んでいるはずだ。
 それなのに、その都知事選で誰を応援するかによって「敵」「味方」に別れてしまったり、誰かの選択が批判されてしまうなんて、まったくもって本末転倒だと思うのだ。
 多様な意見が尊重されること。意見の違いで排除されないこと。
 それこそが、私たちが求めていたものではなかったか。
 311以降、私たちはいろんな壁を乗り越えてきた。これまでだったら考えられないようなたくさんの人たちに運動が広まり、多くの人と連帯する喜びを噛み締めてきた。時には、左右が共闘するような場面だってあった。この3年近く、私たちはさまざまなものを培ってきた。多くの人が、「都知事選候補の選択」という一点によって「誰かを見る目」が変わらないほどの信頼関係を、たくさんの人と築いてきたはずだ。
 だから、基本的には楽観している。
 そしてもし、本当に万が一、私にとって、そして脱原発運動、反貧困運動にとって好ましくない結果になろうとも、それを決して「誰かのせい」にはしたくない。
 これまで8年近く、反貧困運動などにかかわってきて、痛感していることがある。
 それは運動が停滞したりうまくいかない時、人は「犯人探し」をしたくなる誘惑にかられるということだ。
 「こういう問題があるから、うまくいかないのだ」「この人が原因で、いろいろなことが進まないのだ」。 
 だけど、それは大抵の場合、勘違いでいいがかりで責任の丸投げだ。私の場合、いろいろとうまくいかないことを認めるのが苦しくて、「誰かのせい」「何かのせい」にしてきたことが、恥ずかしながら、何度かある。だからこそ、もう2度とそんなことはしたくないと思っている。
 投開票日まで、あと10日ほど。
 今、この国はとてつもなく大きな分岐点にあるのだと思う。
 その中で、自分に何ができるのか。意見の違う人たちとも話し合いながら、模索していこうと思う。

爺さんは味噌買いに・・・猫跨ぎ

 また雪か。たしか昨日の天気予報では晴れたり曇ったりでなかったかな。今は一旦止んではいるが、また降るらしい。高いスパコンを持っているのだろうが、宝の持ち腐れじゃないか。しっかり予報して欲しい。
野生動物は大変だ。向かいの庭の枇杷の花を小鳥が啄んでいる。道路には野良猫の足跡が点々とある。こちらは味噌が切れたので、これから長靴はいてヨーカドーに行かねば。

2014年2月9日日曜日

赤木さん・・・猫跨ぎ

  今朝の雪掻きは本格的だった。それにしても体力が落ちたなあ。適当に切り上げて、上がってきた。皆さんは如何か。
  ところで今日の朝6:30からのNHK俳句番組を見ていたら、何と赤木工房の赤木さんがゲスト出演。今日の選者は小澤實氏で、二人は飲み友達とか。
頭の両側を綺麗に刈り上げたヘアスタイルで丸い眼鏡を掛けて、最初は誰かと思ったが。
今日の兼題は「海苔」。
一席は「現れし礁(いくり)に跳んで海苔を掻く」
小澤氏が海苔の句でさすがと紹介したのが「衰ひや歯に喰ひあてし海苔の砂 芭蕉」
そして、赤木さん作「海苔を喰ひ千年前の人と成る 漆子」。漆子が俳名とか。シツコというらしい。
漆は縄文時代から使われていること、塗り椀は轆轤が出来た平安時代から始まったが、製造工程はそれ以降一切変わっていないことなどを言っていた。

なお、一席の作は、動詞が3個もあって、本来は失敗作とされるが、そこはこの俳句のもつ力ということで、納得。まあ何事もそうだが、機械的な判断はすべきでない。

2014年2月8日土曜日

ちょいと話題を変えて・・・・褌子

   竹中平蔵氏がテレビで「正規雇用という人たちがですね、恵まれすぎているんです」とか「正規雇用という人たちが非正規雇用者を搾取しているわけです」と言ってのけたという。
 小泉内閣のとき「小泉竹中構造改革」で、戦後営々と労働運動が築き上げてきた労働法制を徹底してズタズタにし非正規社員として働くしかないワーキングプアといわれる労働者を山のように作りだした張本人の発言だから破廉恥と言うしかない。その竹中氏がいまや派遣大手パソナ会長に収まっているのだから日本人もここまで堕落できるのだという見本みたいな人物。いままた、東京国家戦略特区構想の座長になって岩盤規制打破などと叫びながら正社員と非正規の対立煽っているとは。
 今回の都知事選で小泉・細川コンビをつい応援してしまった著名人たちも、イラク特措法で自衛隊海外派兵強行や労働規制緩和など小泉改革が敷いたレールの上を安倍政権が暴走していることを忘れてしまったのにちがいない。健忘症は日本人の得意技。
 むかし串田孫一さんが「竹中がテレビにでてくると家中でいちばん汚い便所のスリッパで顔をたたいてやるんだ」と言っていた話がなつかしい。
 ナオミ・クラインが説く『惨事便乗型資本主義』つまり「原発事故ショックドクトリン」という福島原発事故を悪用して極めつきの新自由主義=市場原理主義を日本に持ち込もうとしている第二次小泉劇場が開幕したと私はみている。いまや落ち目の原発利権よりも将来性のあるシェールガス利権がからんでいるという噂もある。ポスト安倍政権の先の先をみている小泉親子と竹中一家。

雪はげし・・・猫跨ぎ

何だかああいえばこうになって来たな。もう止めようや。結局レッテル貼りだ。どんどん粗雑になる。

すこし角度をかえて・・・・逸徳

命より大事なものがある、という思念もわるくはない。確かに。 ただし、それを他人の命までまきこまないでいただきたい。その思念が強固な信念となり、盲信となってはためいわくになるまでは、そんなに距離がないように見える。
 観測問題はもういいや。おいらは、イメージの説明につかっただけのつもりだったが。
保守主義者が社会悪に鈍感とはいっていないぜ。そうではなく、たまたま社会悪に鈍感なやつが保守主義者なんだろう。 保守主義者で社会悪に敏感な尊敬すべき保守主義者もいる。 (まてよ ホントなにいるかな? 最近はそういうのが絶滅危惧種になっているようだが。) 保守主義だから社会悪に鈍感という論理を組み立てたら、それは悪しきラべリングだな。

ちと違う議論をしよう。 前にもいったような記憶があるが、事実と真実は違う。 ドンキホーテが、風車を巨人の群れと認識したのは、彼にとっての真実だが、その袖をチョコッとひっぱって「だんな あれはどうみたって風車ですぜ」とささやいたサンチョパンサのいっているのが事実だ。事実はおそらくひとつだが、真実はそうではない。 だから人の数だけ真実はあり、人はそれぞれの真実を生きているのだろうが、どうにもおかしいというか、哀しいというか、みんな自分の真実だけが事実だと思うことがある。幻想だろう。そして悲劇、または喜劇はそこから始まる。だからもちろん原爆も戦争犯罪だし、南京大虐殺も戦争犯罪であって、それは相対化して、どっちもどっちとはいかない。だから日本が勝って、アメリカが負けていたら、当然戦争犯罪としてさばかれていたろうなあ。 つまりどっちが事実かということはあんまり意味がない。両方とも事実なのだ。トータルとして、たがいに殺しあったという事実だけがのこっているのである。 百田氏が品性がないのは、原爆を大虐殺としたその口で、南京大虐殺の犠牲者の思いに想像力を働かせていないということだ。 特攻を描いたかれの「永遠の0」という作品が、映画化されて、某監督が(誰だか忘れた) 痛烈に批判していたが、要するに自分の真実を人におしつける品のなさを指摘していたのだと思った。 だからさ、安陪が靖国にいったっていいが、真夜中にでもどうぞこっそりひとりでいってほしいのである。

アメリカの常識・・・猫跨ぎ

おやおや、格好の例があったなあ。以下、たった今の東京新聞(ネット)からの引用。
「NHK経営委員を務める小説家の百田尚樹氏が東京都知事選の応援演説で、米軍による東京大空襲や原爆投下を「大虐殺」とした上で、第2次大戦後の東京裁判を批判したことについて、在日米大使館(東京都港区)の報道担当官は8日、取材に対し「非常識だ」と批判した。米政府の公式の統一見解としている。」
百田尚樹がどんな人物かよく知らないが、全くその通り。アメリカの「常識」は、こんなものだ。

言いたいことは・・・猫跨ぎ

  言いたいことは、人間の命を大事にするか否か、と理解した。勿論それを全否定するのは余程のひねくれ者だな。しかしさ、命より大事なものはあるという思念もあるということも言っておこう。何ごとも決めつけは良くない。
それから、どんな意見もその発言者のいる立場に依拠する、は、だから逸徳氏の信念なんだろう。別に量子の世界の現象と観測者の関係を例示する迄も無かろうに。それは量子の世界の話、巨視的世界は違うと言われれば直ちに破綻する喩えじゃないか。
むしろ上位構造、下位構造を根拠に言って貰った方が説得性はあると思うのだがね。何はともあれ、私はそんなことはないと思っているので、ここは物別れだね。
天皇主義者は例示が突飛すぎたね。じゃあ、進歩主義者と保守主義者としよう。この保守主義者は命は勿論大切に思っている。要は、保守の旧弊から明るい進歩へと、世界は進化するというのは幻想だったことを言いたかったわけ。
保守主義者が社会悪に鈍感か?全然別概念じゃないか。怒りも別概念だろう。
いまの自分の立場に頑固に固執しているだけではないのか。違うかい。

どうも平仄があわん・・・・逸徳

こういうことをやっていれるのは、まだ若いということで。、ご同慶のいたり。まあ、元気にやりましょう。
天皇主義者と進歩主義者の対比について。主観的信念の強さが問題ではない。そういうのはこわい。信じ込むことと狂気は紙一重だと思っている。そして比較する基準はある。簡単にいってしまえば、どっちの方が人間の命を大事にするか、人間の命以上の価値をまつりあげて、何かのために死ぬということを合理化する可能性がないかどうか。この一点だろう。それを判断するのが理性ではないか。 こういうところで下手に相対化するのはおいらは願い下げである。 二点目。上部構造と下部構造の比喩は、予想もしなかった。それは全然違う。そうとられたら、こちらの説明不足。 量子力学における観測者問題というのは、観測それ自身が対象に影響を与えるということであって、ことほど左様に、人間社会の諸現象を議論する場合には、傍観者というものはいないのだということをいいたかったのです。 つまりどんな問題でも、ではその問題とあなた自身はどういう関係なのかということが問われるということなのだ。 その問いから逃げて、客観性というなんだかよくわからんもののかげに逃げ込む評論家という人種は、あまり信用できない。特に60過ぎたら、そういう思いが強くなった。傍観者はいない。社会科学的問題については、参加するか(その形態は自由だが) にげるか、それともだまるか。それしかないと思っている。だから「参与観察」という用語はまことにいいえて妙である。
 個人的行為の件について。ここでいう個人的行為は、当事者から見れば、誰かにどう評価されるかということを問題にしていない種類のものをさす。まさにその点において「個人的行為」なのだ。したがって絶対的評価という点からいえば、その行為がどれだけ人間の命の尊厳を守ることにつながっているか、あるいはつながっていると当事者が考えているかだ。したがって、人間の命以外のある何かのために行ったとされる行為、たとえば特攻のようなものはここではおいらは考えてはいない。広瀬中佐の件が、現象としては知っていたが、それが彼にとってどういうものであったかはよくわからん。で、わからんことはコメントできない。
 でおいらのいいたいことは、そういう類のことではなく、「怒り」の感情の喪失の問題なのである。 この世の中に、社会悪や人間的不幸はなくならない中で、ほんとに「怒らなくて」いいのか、ということなのだ。 ものわかりがよく、うんうんあんたのいいぶんもわかるという好々爺は、墓場の一歩手前のような気もするのだが。

2014年2月7日金曜日

だんだん面白くなってきました・・・猫跨ぎ

  だんだん面白くなってきました。私もやさしいことを難しく言うのは嫌いなので、きわめて大雑把に言っている。しかしそこに言いたい真実が隠されている。腹黒いのは必ず逃げ道を用意してるからな。ということで、本音をざっくばらんにいうことは大賛成だ。
ところで、前段の部分は、上部構造(考え方)は下部構造(どこで飯食ってるか)に依拠するという懐かしい理念にまだ囚われているねえ。そうだな、量子力学概念にも近いね。本当にそうか。私は鳥瞰は可能だと思っている。人間の思考の自由度を甘く見ちゃいけませんやな。
  まあ誰が陰謀を抱いたか、は、いささか幼稚過ぎるなとは書きながら思っていた。ただ、そういう素朴な感覚で見直すことは意外に大事だ。仮に進歩主義者を弾圧する「陰謀」を抱いた天皇主義者(皇国史観論者)がいたとしよう。彼はしかし彼なりの強い信念で行動しているわけだ。彼自身、陰謀などとつゆ思っていない。彼もある思念に囚われている。さて両者のどちらが「正しい」のか。言うまでもなく進歩主義者が正しく、天皇主義者が間違っているのかな。ならその根拠はなにか。それは歴史が一方向に進んでいるという理念の下の結論だ。しかしそれは幻想にすぎない。現代史がそれを教えていると思っている。

相対化といえばそうかも知れんが、じゃ絶対化の根拠は?やはり或る座標軸からの判断だろう。悪いことは悪い―そのとおりだ。その座標軸は如何なる根拠か。何度も極東裁判を例に出すがその正当性を余りにナイーブに信じていないか。東条英機の例をだすものいいが、原爆を投下した指導者が何故、戦争犯罪に問われないのかな。
個人的な決死の行為だって、或る見方に立って、評価する側のお眼鏡にかなった人々の行為が誉れ高いのだろう。日露戦争の広瀬中佐の決死行(というのがあったな。詳しくは忘れたが)だって、当時の人々は涙した。これは何ら評価の対象にならないのかな。高遠女史の例をよく引用するが、命を省みず弱者に献身する例は、それこそ数知れずあるのではないか。相対化は気分が悪いのかもしれないが、結局見る人によって違う。そういうことではないか。

ちとちがうなあ・・・・逸徳

国民国家論の是非を論じたつもりはおいらにもあんまりない。太要においてお師匠の論はほぼ賛成であり、理解している(つもりだ。) 陰謀なんてそんな、古典的な話はまったく考えていない。そういうレベルは、おおむかしペリーメーソンとか、ユダヤ人とか、あるいはコミンテルンなんていうことばが飛び交ったおとぎ話の世界ではないかな。もっとも、悪人の陰謀という物語をつくりたがった、そしてそれを悪用したのはほとんど権力者の側だったが。

善悪二元論をかりに全否定したら、(そんなに単純な話ではないが)では、代わりに何が見えてくるか。鳥瞰図的に、すべてを相対化する客観主義、あるいは科学的分析の視点か。だが、そりゃ科学かね。そういう科学的と称する似非科学者は福島以後はいてすてるほど出現した。
 おいらはこう考える。歴史、あるいは人間の社会現象は、科学者が顕微鏡を通して、レンズの向こうに細菌の挙動を客観的に観察するように分析するというのは決して科学的とはいえないということだ。観察される現象も対象も決して観察者それ自身の存在のありようと無関係ではないのである。いいかえれば、我々は同時に、観察している細菌群の間に身をおいているのだ。 観察することそのこと自体が、観察される対象と深いかかわりを持つ。(この辺、後で気が付いたが量子力学の観察問題とよく似ているなあ。) 観察者(というのは我々自身でもあるが)が、ずっと後ろにひいて、舞台の外から観察するというのが「科学的」「客観的」というのであれば、実は人間については、そういうことは不可能だと思う。われわれは、舞台からおりることができないのだから。 客観的評論家というのはいないのであり、いじわるくいえば、すべての評論家は客観的というかくれみのににげこんでいるようにみえるのである。 ちなみにこういうのは心理学では「参与観察」というらしい。観察しながら同時に参加するというのである。

 そういうわけで、国家や歴史という枠組みの中でのみ、議論する前においらとしては、その個人の立ち位置が気になるのである。そんなこといったら何もいえなくなるといったやつがいたが、それなら語らないことだ。「知りえないことは語るなかれ」といったのはだれだっけ。そんなことをいった哲学者がいたなあ。 (ちなみに語らないことは考えていないことではない。 人はだまっていても考えているのである。 黙っている人を石と間違えるやつがいるが、そういうのは傲慢である。だからだまっている人を恐れたほうがいい。)

 歴史にあとからの意味づけは無意味だろうが、それぞれの曲がり角で、どういう行動を選択したかということをあとから考えると、やっぱり悪人はいると思う。 善悪二元論の否定が、容易に物事の相対化につながり、たとえば「ヒットラーだっていいぶんはある」などという地点までいってしまう危険はないか。大東亜戦争肯定論なんてそう見えていたのだが。そういう意味では、おいらはまぎれもなく善悪二元論である。ここは居直る。 悪いことは悪い。 おいらはものわかりが悪いのである。

 それよりももっと気になることがある。 個人という次元から考えてみる。 たとえばだ。スペイン市民戦争に参戦した国際旅団の兵士たち。誰がために鐘はなるの主人公ロバートジョーダン。 戦乱のイラクに飛び込んで戦災孤児のために活動し、バッシングを受けPTSDになった高遠さん。 まだいくらでも例はあるのだろうが、やむにやまれずこういう行動をとった人間の共通心理は何か。おいらの意見だが、ひとつはやむにやまれぬ感情。そしてその根底にあるのは「怒り」ではないか。これは非常に重要だ。 アンチテーゼとしての社会主義の誕生もそうだったと思う。 「こんなバカなことが、人間に対してゆるされるのかという怒り」である。 これが、最近どこかにいってしまったように見える。 みんな怒らなくなった。 人間としての劣化のように思う。 みんなものわかりがよくなったのだ。屁みたいなものわかりのよさ。 それがこわい。 ほんとにこわい。 だからおいらもこころの中では、しばらくは社会主義者でいてもいいかなと思ったりする。

2014年2月5日水曜日

噛み合わんね・・・猫跨ぎ

  何だかちょっと議論の平仄があわんね。国民国家が良いなんてひと言も言っていない。何度も言っているように、国民国家たらんとする巨大な共同幻想に包まれていたんだ。それを浸透させるために逸徳氏の言うように教育制度が完備されたんだろう。それは誰かの陰謀か?誰か特定できるなら言ってみて欲しいね。国民国家の流れは抗いようもなく襲ってきたんだ。それに忠実に対応したのが日本だったのだろう。「大成功」は礼賛して言っていると感じたのならそれは真逆だ。そのルーツを考えることなしに今を議論できないから言っている。そして、それは壊れつつあるとも思っている。
  そして逸徳氏の社会認識は相も変わらず、黒白をわける二元論だ。そういう見方は好きずきだが私はしない。歴史より今だと言いながら、歴史に関する或る固定観念に捕らわれている。そういう見方からは、敵を倒せと言うことになる。倒してメデタシかというと、味方の中にまた敵を発見する。永久革命論か。結局何も生まれないと思うからだ。
歴史、国家もどうでもいい、個人だ、は、開き直りだが、まあそこそこ付き合っていくしか無いんだろう。
 もどすと、コロッケで満足する気分は私も同じだ。3.11のあとの、節電で駅や町がうす暗くなった。不思議と不平は出なかった。制限のない蕩尽にこれでいいのかという気分は我々の中にある。

国民国家論かい・・・・逸徳

明治以降の日本史における教育の問題は、非常に関心があった。師匠の言うとおり、黒船以降、おしよせる列強に対して、今までの単なる藩の共同体のような日本が、近代的国民国家として離陸する上での戦略として、明治政府は天皇制を巧みに利用した。それまでの我が国では、一般民衆からは天皇なんてまったく直接的関係はなかったといっていいのではないか。 しかし、近代的国民国家の精神的バックボーンとして、天皇制はまことに利用しやすかった。要は、民衆の心の中に響くような「天皇」という幻想、あるいは物語を組み立てていけばよかったのだ。そのために権力者は教育をフルに利用した。教育の効果を熟知していたのである。自由民権運動がひろがりをみせたとき、それに対して「火付け、強盗、自由党」といっしょくたにして運動を敵視した権力者たちのイメージは、石破自民党幹事長の「デモとテロ」をいっしょくたにした発言と見事にオーバーラップする。そして、自由民権運動の高まりに手をやいた、福島県令某の「かくなるうえは教育でしまつをつけなくてはなりませぬ」という発言(これは高校日本史の教科書にも載っている)は、教育を民衆操作の手段として考えている、権力者の精神構造をよくあらわしている。そして、それは今も変わっていないし「しまつをつける教育」は、なお明らかに現在進行形であることは、教育現場にいたおいらにはよくわかる。
 とにかく、明治政府がどれほど教育を重視したか。その一例を紹介しよう。明治時代、各地に高等師範学校がつくられた。ここに入ると、防衛大のように給料(学費)が支給され、そして卒業すると30代で各地の義務制学校の校長になれる。その頂点が東京高等師範学校、今の筑波大学である。ちなみにおいらの祖父は静岡高等師範学校の1期生である。祖父は30代で校長になるのだが、調べてみておどろいた。30代はじめの給料で4間つづきの住宅が借りられて、女中が一人雇えた。生徒指導特別費という別給料があり、生徒が集まる広間にはこもかぶりがいつもあったのである。とにかくむゃくちゃに優遇したのだ。そして各学校には、ご真影と奉安殿、教育勅語という舞台装置が用意されて、教師たちはひたすら「天皇の赤子、天皇のために死ねる若者」を育てることに奔走した。 そして、結果として沢山の若者が死んだ。 このような政治の道具になった教育というのは、本当に効果があったのだろう。だから未だに「しまつをつける教育」のDNAはずぶとく、亡霊のように立ち上がってくる。 そしてこの背景に、蜃気楼のようにたちあらわれるのが「国民国家」なのだろう。

歴史にあとから意味づけをしてもしょうがない。この道は必然か否かという議論も関心がない。経済が貧乏になるかならんかも興味がない。今、日本の社会は明らかに収縮期にむかっているようだが、ではどうしたらいいかというと、そんなモデルは今までの歴史の中にはないだろう。 けれどもあせることはない。もしも経済が収縮し、エネルギー消費が今の1/2になっても、それはちょうど「三丁目の夕日」の時代なのである。コロッケ1個がごちそうで、町内にやっとテレビが1台はいり、スクーターにのるのがカッコウよかった時代だ。 いいではないか。あれで十分である。

つまりだ。国家というものにあんまり意味を感じないし、明治以降の幻想としての国民国家論とは、絶縁したい。とにかくもう人がたくさん死ぬのはやめよう。 国家という概念がそういう事態につながるなら、そういう国家はすぐすてたい。 非国民で十分である。そしてこれからの日本人は、軽やかに国境を越えてほしいと思う。つまりあくまで問題なのは個人なのだ。現在という時間の中を流れながら、自分が今どんな立ち位置にいるのかということだけが気にかかるのである。

2014年2月3日月曜日

奴隷根性論・・・猫跨ぎ

  奴隷根性論というのは戦後の早い時期、インテリ層に強くあった。そう言う意味では、伊丹万作氏の論は珍しくないと思う。一億総懺悔論の一つ。
まあ、丸山真男がそうだったし、言いにくいが中川先生もそういう考えを持っていた。その是非は措こう。
林房雄の大東亜戦争肯定論は出された当時、気違いの超右翼的見解とされた。最近はそうでもない。冷静に論議されているようだ。逆に言えば無意識の極東裁判的桎梏からようやく自由になりつつあるといってもいい。
  国民国家の論点から明治以降の日本を見てみることも大事だと最近思っている。
この島国にいる人々がまず自分を日本人と思うのはそんなに昔でない。明治維新からだ。それまでは、薩摩の人間であり、加賀の人間であり、会津の人間だった。薩英戦争で薩摩は英国と闘ったが、薩摩以外の人々には他人事だった。明治維新で天皇を戴き、大日本帝国が生まれ、急速に国民国家となった。この変貌は奇跡に近い。それは誤解を恐れずに言えば大成功だった。西欧列強の侵略の意図に対する恐怖が何と言っても根底にある。黒船はトラウマだったと思う。そして近代化をなし遂げ富国強兵、殖産興業・・・。
国のために命を捧げるのが当たり前になるまでの、この「共同幻想」のすごさを感じる。中国は一周遅れで日本の大成功の後を追った。ずっと前から、中国という国があったような錯覚を起こすが、辛亥革命以降だろう。
この国民国家が今転回点を迎えていると思う。ソ連の崩壊が良い例だ。中国もその矛盾を迎えつつあると考えている。
中国がその辺を敏感に察知し、日本は戦後秩序を壊しに掛かっているという。そう、連合国は勝った国民国家連合だった。この秩序を維持したい。それが彼等の存立の基盤だからだ。靖国参拝批判は、「正しい歴史」のためでなく、彼等の核心的利益だからだ。

2014年1月31日金曜日

伊丹万作『戦争責任者の問題』・・・ 褌子

   吉田満『戦艦大和の最期』を読んだ。東大法学部の学生だったが学徒動員で沖縄海上特攻へ向かう大和に乗艦。戦闘指揮所で出港から轟沈までのすべてを目撃し重油の海を泳いで生還した。敗戦後、たまたま近所に住む吉川英治宅へ戦後の身の処し方を相談にいったときに大和の体験を話したところ、君にしか書けないと励まされ、いっきに文語調で書き上げたという。
  若い頃に買ったまま本棚に眠っていたが、読んで良かった。非常に感動。
  淡々とした文語調の簡潔な筆致のなかに戦争の悲惨さも鋭く迫ってくるが、こういう日本人もいたのかという著者への敬意のほうが強くわきあがってくる。大岡昇平『レイテ戦記』などとともに日本民族の貴重なひとつの体験記としていつまでも残るのではなかろうか。
  ―――――さてあれほどの無謀な戦争であれほど多くの人間が殺されたのである。やっぱりどうして戦争は起きたのか…という疑問が残るのである。伊丹万作監督(伊丹十三の父)が敗戦の翌年1946年8月に発表した『戦争責任者の問題』はなぜ戦争が起こるのかと、すぐれた日本人論を展開しているとおもう。いままた秘密保護法などが強行成立するなか、きな臭くなってきているだけに、再度読み返してみたい。
  
   ■■■ 戦争責任者の問題 ■■■
                       伊丹万作  (『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)
――――― 多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
―――――中略―――――
 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
 ―――――後略―――――

2014年1月30日木曜日

異常な・・・猫跨ぎ

  ネットの朝鮮日報(日本語)を開いてトピックスを見たら、トップの10項目のうち、6項目が、慰安婦、靖国の話題だ。異常だね。憎しみをつのらせてこの先どんなイメージを持って居るんだろう。要人の発言も、2チャンネルまがいの下品さを帯びてきた。
「正しい歴史認識を」と口を開けば言うが、あんた、それはそれぞれ違うんじゃない?と言うのがごく普通の常識じゃないかね。いわんや相手の国の代表を捉まえて、こっちの歴史認識に合わないと顔も見たくないなんていう事例は今まであったかな。
過去の問題に、かく狂奔するエネルギーは相当なものだ。これからの見通しがあるとも思えない。これ以上日本が返す返すすんませんでしたと言うはずもないだろう。言ったって収まらないね。100年じゃ怨みは晴れぬと言っているから。何故耳をダンボ(懐かしい)にして日本の動向を注視するのか。精神分析の対象だね。放っておくという事ができない。気になって気になって仕方がない。半沢直樹でないが、何か言えば倍返しだ。こんどの日本人女性科学者の幹細胞の成果についても歯ぎしりが聞こえそうだ。何でまた日本なんだ、と。正気に戻って、地道に基礎科学研究にエネルギーを投下するなどしてはどうかねえ。まあ、余り相手にしないことだね。

2014年1月28日火曜日

骨董と古美術    ・・・褌子

私も古美術品と骨董品の違いがなんとなくわかりました。素人には両者の境目は判然としないが。
保本おじいさんも納得したらしく、銀座の古美術商はあきらめて遠い親戚筋の古物商つまり骨董屋を招いてみてもらったそうです。ところが「めぼしいものがないので…」といってそそくさと帰ってしまったというのです。
そのはなしが昨日、保本夫人から私の耳にはいったので、遠くにいる旧知の骨董屋さんに意見をきいてみました。「言いにくいが、そのおじいさんが生きている限りは誰も買い手がつかないでしょうね。長年かけて大金かけて買い集めた思い入れのあるものを当の本人の目の前で二束三文で値切って買い取るなんてことはできるものではない」ということでした。
骨董商の立場からすると、確実に売れる保証のあるもの以外は引き取りたくない。在庫はもちたくない。只でいいから持って行ってくれと言われるなら別だが。ごく一部のいいものだけを廉価で仕入れて、確実に売りさばいてこそ骨董屋は成り立つのだとわかりました。

2014年1月26日日曜日

ミステリアスな・・・猫跨ぎ

骨董商と古美術商が違うか。なるほどね。素人には価格決定の過程がよく判らない。ゴッホの絵は彼の生前一枚も売れなかったというが、今は一枚数十億円する(ものによっては百億を超えるかな)。桃山時代の作者不詳の歪んだ信楽焼の茶碗が何百万円もする。客観的な尺度がないから、眼前の作品が将来如何なる値段がつくのか誰にも分からない。ここに思惑とか、投機心理とかが錯綜して悲喜劇が生まれるのだろう。誰かが陰で操作しているとも言えないから素人にはミステリアスなところだ。
現代美術でも法外な値段が付く。佐倉市に川村記念美術館がある。自宅から自転車で行ける距離なので散歩代わりに時たま出掛ける。そこの二階に、高さ2.8m幅6mの「アンナの光」という赤一色の絵(絵の概念は通用しない。赤一色で右端に僅かの余白がある。)が掛かっていたが、諸般の事情で売却したらしい。価格が何と103億円。作者はB.ニューマン。1968年作のアメリカ現代抽象表現美術の記念碑的作品らしい。
親会社の大日本インキ製造㈱は今期の業績予想を改訂した。103億の臨時収入だから当然だが。赤一色だ・・・・芸術だといえばそうなんだろうが、そう評価が定まればこの価格で取引されるわけだ。
その他に、同じくアメリカ現代美術で有名なロスコの部屋というのがあって、黒褐色基調の抽象画が四枚掛かっている。ニューマンの絵のようにまるで塗っただけと言えぬ事もない。これも多分そんな価格なのだろう。尤もこの絵は、何か惹かれる所があって、或る時期、胸騒ぎを覚えたことがあったが。
海外で知名度の高い村上隆という現代美術作家がいる。彼のフィギュアが数億の値段が付くという。つまり現代美術ですら、もう確たる市場を形成している。その辺の機序が判らない。ともかくも、美術品の価格は摩訶不思議だ。或る評価が定まれば価格は天文学的数字になり、大まじめで取引される。
今、ネットを見ていたら、大阪が文楽協会への補助金700万円をカットという。去年の有料入場者が或る数字に達しなかったからとか。何ということだ。公的補助がないとこういうものは亡びる。橋下流の補助金カットだ。この馬鹿野郎を何とかしなければいかんな。こんなのを首長にしてはいけない。

2014年1月23日木曜日

真贋の森  番外編   ・・・ 褌子

   近所の豪邸に住む保本おじいさんとはミツバチを通じて親しくなった、じつに好々爺。
  ところが、おじいさんが病気になってしまった。病院から戻ってきたが、庭のミツバチの世話もできなくなり、秋には天敵のスズメバチに襲われ、冬には凍死するはでミツバチは全滅してしまった。そうそう、奥さんが逸徳さんに蜜蝋くれたね。
 そのおじいさんから、もう老い先短いと骨董品の処分を頼まれている。三人の子供は骨董には興味がないし、都会のマンション住まいだと置く場所もないというのである。(ついでにいうと私も骨董品は興味がない。というのはウソで輪島塗りの逸品があったらなあとさもしい欲心がつい…)
 そこでインターネットで調べたら銀座の古美術商が無料で出張鑑定、査定いたしますと書いてあるので「渡辺崋山とか下村観山とか、おじいさん自慢の清朝皇弟の書とかいろいろあります」とメールしたら車でお伺いしますとのこと。
 きょうの午後、保本邸のあっちこっちの棚をあけて大広間いっぱいに骨董品を並べる手伝いをした。掛け軸が五〇本くらい、桐の箱に入った皿とか鉢、壺が大小七〇個くらい、彫刻、風鎮、絵画類、常滑、越前などの大壺、火鉢まで出てきた。が、漆ワンはすでに自宅でつかっているもの以外には幸か不幸か出てこなかった・・・・。
 80才近いおじいさんにはどれも思い出のあるものらしく、おじいさんの親からの相続財産が半分、半分は自分が必死で働いて買い集めたものだとベッドの上でいちいち講釈してくれるのでやたらと時間がたつ。白髪のおばあさんは、「主人がギャンブルや女遊びに走るよりは、骨董品に稼いだ金つぎこむのならと我慢してきましたよ」と御主人の前でにこにこしている。いい夫婦だなあ。
 やがて銀座の古美術商の山田社長がワゴン車で保本邸に入ってきた。
 山田社長の黒革のかばんには相当の現金が入っている様子だが、このブログは誰でも読めるので鑑定や査定の結果はここには書かないし、すべて仮名であることもご容赦ねがいたい。
 さて鑑定とは真贋、査定とは時価相場を提示することである。山田社長は某新聞社のカルチュア講座で古美術鑑賞の講演を午前中にしてきたばかりだといっていた。古美術商も不況なのでアルバイトでカルチュア講座にもってくる骨董品の鑑定をしてやると、生徒のおじさん、おばさんが喜んでくれるとのこと。
  仕事を終えてお茶になり山田社長の話が面白かったので、いくつか書いてみよう。
 ・地方の旧家とか豪農の土蔵にはいまも骨董品がいっぱい詰まっているが、古美術といえるものがまずない。古美術商からみると、骨董はがらくたなので骨董市に流してたたき売るしかない。古美術は芸術品なので高く売れれば非常に儲かるが、いいものは博物館、美術館にすでに集まっている。
 ・奥能登の南惣美術館の話をわたしがしたら、山田社長が行ったことないと笑って地方には怪しげな面白い私設美術館がありますねえ…というので、でも「何でも鑑定団」の中島先生が絶賛している古伊万里がありましたよ、といったら、中島先生も好人物だが時々「故障」するんです。(故障? たしかにコショウと聞こえた)古美術の研究家とか学者は、ああいうテレビに出ませんよ、とのこと。ハンケチを口にあてて掛け軸の鑑定するおばさんもテレビにでているけど、といったら、彼女は「故障」しないひとですよ、でも何でテレビにでるのか、よっぽどギャラがいいのか… おっと余計なことはいわないようにしましょう。
 ・地方よりも、東京の旧財閥系の縁戚筋の地下室とか旧華族の蔵などからは逸品がでてくるので、根気よく訪ね歩いているが商売敵が多くてねえ。(ここらへんは松本清張『真贋の森』にもでてくる話。応仁の乱で京都に集まっていたものがいったん壊滅し、江戸期のいいものは大名家が買い占めるので、地方の地主など旧家にはいまはもう一級の美術品はまずないようだというのだ)
 ・掛け軸は和室や床の間がある家がなくなっているので売れない。在庫が千本もあって処分に困っている。大観など有名作家の真物がでてきても話題になるだけで、すぐには売れない。税金の関係もあるので美術館に損して寄付することが多い。
  家新築したひとは玄関用に名前の知られた平山郁夫などを喜んでかけている。
 ・中国から来た絵、書、陶器がいいものだと非常に儲かる。中国の金持ちが戦前祖国から日本に流出したものを高価で買いとってくれる。蒋介石の書は台湾だからダメ。魯迅や孫文がでてこないかと探している。むかし市川にいた郭沫若も中国では人気があるので探している。
 ・清朝皇帝の弟は書をたくさん残しているので、案外価値がない。(山田社長もこの有名な皇弟を生前、北京に訪ねてさらさらと陶淵明の詩を書いてもらい額装しているが売れないとこぼしていた。この話で保本老人かわいそうに、しょげてしまったが贋物でないことははっきりしたし何でも鑑定団に応募したが採用されなかったとぽろり。下村観山と渡辺崋山のことはここには書かない。有名でも多作の作家は安いし、寡作ならばいい値がつく)
 ・自分はこの世界に入って40年たったがいまだに贋物つかまされることがあります、と一生懸命にベッドのうえで元気なくしている保本老人を励ましている。山田社長は根はとてもいい人なのである。門まで送っていったら銀座に来たら寄ってください、この世界の面白い話いっぱいありますよとのこと。
 ・車に乗る社長に、小生が含羞のおももちで女房の高知の実家でもらってきた大町桂月の掛け軸のことをきいたら、桂月は能筆だから日本中歩いて、あっちこっちで酒席で頼まれて書いている。下手に表装などしてない原物なら三千円でひきとりますけど…とのこと。先年、佐倉までいって表装しなおして三万お礼したのにチキショー。
 ―――――結局、権力者や大金持ちだけが死蔵している古美術品よりも、民衆が日々つかう民俗家具や実用の食器などにこそ真実の美があると柳宗悦や朝鮮にいた浅川巧などがいいだして民芸運動をおこすのであるが、そんな話までは山田社長から伺う時間がなかったのは残念。

振り返ると・・・猫跨ぎ

この事件はいろんな教訓と問題を残した。
日米交渉の内幕報道に各社は敏腕記者を送り込んだのだろう。塀の上を歩くような取材を敢えてした。「事務官を酔わせ、行為に及んで・・・」 本当かどうか知らんが昔の記者の猛者ぶりにはむしろ感心する。結局ばれて、塀の内側に落ちたわけだが。言う通り、報道はこのドロドロに集中し日米密約の関心はどこかへ行ってしまった。
  先ず、プライバシーを忖度する常識が確立していなかった。女性は名前も出たし、写真も記憶がある。それほどバッシングは激しかった。その後離婚した筈だ。彼女と西山は裁判で争ったりしている。なんという悲喜劇だ。
それにしても西山や毎日に情報源を秘匿する配慮は不十分だった。役所は徹底的に調べるだろうから、通信文の公開の仕方を含め最大限の配慮をすべきだったろう。脇が甘かった。
爾来、こんな取材はないらしい。そんな強者はいないのだろう。なれ合いになったと言って良いのかもしれない。そっちの方が問題ではないか。
いま特定秘密法案が問題になっているが、何となく冷ややかな気分がある。今のマスコミは、西山的気迫で対象に食い入っているのか。報道の自由を言うほど、肉迫しているのかと思う。

2014年1月22日水曜日

どんな責任だ・・・猫跨ぎ

  逸徳論は論理矛盾を犯している。某女性事務官は責任をとらねばならないという。どんな責任だ?権力犯罪を白日の下に晒したのなら、彼女は英雄なんだろう。彼女を守り、クビにした奴らを糾弾せねばならない。そういう動きをしたのかな。放逐しただけだろう、「権力」と一緒になって。
一個の人間としての尊厳を踏みにじられて社会から抹消されてしまった。大の犯罪を暴くためなら個人の痛みは小さいなんて何時の時代の話だ。情報源の秘匿はマスコミは命を懸けるべきではないか。ちがうかな。

そうだろうか・・・・逸徳

西山事件をめぐって。 おいらの評価は師匠とはちょいと違う。 「情を通じ」という表現が有名になった女性事務官の事件、前から感じていたが、この人ほんとに100%被害者なんだろうかねえ。 そういう見方をするのは、逆に失礼な気がする。状況はどうであれ、責任はとらなくてはならないし、そういうことへの責任をとることを承認することは、究極のところでその人の人間としての尊厳を認めることでもある。このことに関連して、思いだすことがある。全然関係ないように見えるが、こういうことである。よく精神障碍者の刑事責任の免責ということが行われるが、それに準じるものとして「心神喪失状態」(これはだれでもなってしまう)の免責ということがあるのはご存じのとおりだ。ところがこのやり方、長いことひとつの強力な批判があるのである。しかもそれは当事者たる精神障碍者たちの中から出されてきたのである。批判の要点はこういうことだ。免責される、つまりお前は責任をとる必要がないということは、容易に責任を取る能力がないということにすりかわり、結局は障害者に対する人間的差別につながるというのである。自分たちは責任すらとらせてもらえないのか。それは社会の一員としての存在をおとしめていることではないのか、というのである。 この話は突っ込むといろんな問題に発展するのでここまでにしておくが、自己の行為に責任をとることを通じて、その痛みを一生かかえながら生きていくことを通じて、はじめて人としての尊厳が担保されるという論理は、おいらにとっては目からうろこだった。やっぱり彼女は責任はとらなくてはならない。あなた大人でしょ。そこのところは、おいらは冷たいのである。

で、西山事件の本質はそこにあるのではない。「情を通じ」ということで、マスコミが二人の関係をスキャンダラスにとりあげたとき、ひざをたたいてよろこんだのは、実は密約の当事者である政府権力側だった。これで、国民の目を横にそらすことができると。そして、マスゴミは競ってその片棒を担いだ。重要なことは、密約という権力犯罪と、道徳的に避難されるような二人の行為はすりかえてはいけないということだろう。次元が違う。主役は権力犯罪である。そこのところは石にしがみついても忘れてはいけないだろうし、二人の事件だけ論じるのは、正直いって気分が悪い。目くそ鼻くそを笑うという雰囲気だ。

2014年1月21日火曜日

西山記者・・・猫跨ぎ

色々行っているね。ちょっと後段の部分にひと言。
西山太吉記者は警鐘を乱打しているというが、彼に昔、日米の秘密通信文を渡した外務省の女性事務官はその後どうしたのか。その情報源を守りえず、社会的な死に追いやった責任をどの程度感じているのか知りたいものだ。これも重大な秘密だったはず。余り大きな顔で出て来て貰いたくないということだ。

新春の読書・・・ 褌子

   ソウルの安重根記念館は私も行きました。伊藤博文が安重根に暗殺されたハルピン駅のホームには、タイルが特別に埋め込んであっただけだった。処刑された旅順の刑務所も行ったことがあるが、日本人看守が死刑囚安重根の高潔な人柄に惚れ込んで深い交流があったらしく、この看守の郷里の岩手県栗駒町には日韓親善をうたった安重根記念碑があるという。実は三月にソウルに行って李朝の明成皇后暗殺記念碑や西大門刑務所博物館、安重根記念館とか再訪してくることになっている。
 二月なかばにはボルネオに行く。数年前に北ベトナムの棚田を見に行ったら中国系マレーシア人夫婦と親しくなった。この夫婦が昨年日本にやってきて日光戦場ヶ原など案内したら、こんどはボルネオに連れて行ってくれるという。クアラルンプールからコタキナバルまで飛行機で一時間弱。ボルネオ最高峰のキナバル山に登る元気はもう全くない(二泊三日の山中泊が必要)。山崎朋子『サンダカン八番娼館』で有名なサンダカンにも行く時間がないのが残念。
サンダカンには日本人からゆきさんの墓が祖国日本に背を向けてたくさん建っているが行ってきたある女性にきいたら朽ち果てつつあるという。
 マレーシアを舞台にした小説を読もうと思い、女房が図書館から松本清張『熱い絹』を借りてきた。マレー半島の中部にキャメロンハイランドという高原があって静岡みたいなきれいな茶畑がサカイ族に栽培されているのだそうだ。マレーの虎といわれた山下奉文将軍がマレー半島を一挙に南下してシンガポールを攻略したさいに静岡連隊から逃亡兵がでて…という設定でなかなか面白かった。
  児島襄『戦艦大和』を読んでみた。戦艦大和の建艦から最期までを主砲の村田射撃手(奇跡的に生還した)に語らせながら丁寧に描いているが、吉村昭『戦艦武蔵』の戦争のむなしさが迫ってくる圧倒的な感動には比ぶべきもない。児島襄は日本海軍の艦隊がサンダカンなどの港に寄港すると、水兵たちがわれ先にと娼館へ走って順番を待つ場面を戦艦大和の射撃手に淡々と何事もなかったかのように語らせているが、『サンダカン八番娼館』を読んだことがあるだけに、何とも複雑ないやな気持ちになった。
 吉田満『戦艦大和』には沖縄への海上特攻に片道燃料で出撃する戦艦大和の水兵たちの戦闘前夜の心理と論争が描かれているというので、いま読み始めたところ。
 私は山崎豊子と山崎朋子を数年前まで同一作家だと思い込んでいた。山崎朋子は若いときに元恋人にナイフで顔を深く切られるという不幸にあった女性であるが、からゆきさんの過去をもつ天草の底辺に生きる女性たちのなかに飛び込んで『サンダカン八番娼館』を書き上げたことを著者の後書きで知った。若い女性に読んでほしい本だ。
  いっぽう山崎豊子は昨年亡くなったが、『大地の子』『二つの祖国』『沈まぬ太陽』『白い巨塔』『不毛地帯』などがあまりにも有名。新作では沖縄密約を暴いて有罪になった西山太吉記者を描いた『運命のひと』がある。西山さんは秘密保護法の危険性に警鐘乱打している。『不毛地帯』は山本薩夫監督の映画でみただけだが、仲代達矢演ずるモデルとされた瀬島龍三をやや美化しているように思った。『白い巨塔』は田宮二郎主演の映画でみた記憶がある。山崎豊子ほどスケールの大きな日本人女性作家は今後出てくるのかどうか。