2011年12月31日土曜日

煤逃げ・・・褌子

ぶじ大掃除もガラスを残しておわった「煤逃げ」とはじつにいい季語だ。
さっそく季語辞典をひくと
  煤逃げと言へば言はるる旅にあり
  煤逃げの隣村まで来てをりぬ
  景品を抱へ煤逃げより戻る
などもありました。

  以下は尾道でメモした句碑から。

・焚くほどに風がもてくる落ち葉かな
  尾道のある寺にあったが、凡
・大屋根はみな寺にして風薫る   巌谷小波
  尾道らしい
・寒暁に鳴る指弾せしかの鐘か   山口誓子
  格調高すぎ
・うけながら風の押す手を柳かな   
  横綱陣幕久五郎の句碑
  尾道で角界に入門した。高潔な人柄がでている
・あれは伊予こちらは備後春の風
  尾道は広島県だがむかしは吉備の国の備後なんだね。わかりやすい句だが
・覚えきれぬ島々の名や夏がすみ
  たしかに瀬戸内海はそんな感じだ
・浜焼きをむしりつつ春惜しむなり
  美味しそうだが尾道でなくてもよい句
・のどかさや小山つづきに塔二つ
  千光寺山からみおろすと天寧寺の三重の塔の屋根が真下に、ずっとむこうの山の中腹には西国寺の三重の塔がみえた。やっぱり尾道全体をふんわりとつつんだ正岡子規の句がいちばんいいと思った。【写真:尾道の海と山と】

2011年12月30日金曜日

煤逃げ ・・・猫跨ぎ

年下の女房にガミガミか。実感がこもるね。
そういう時の格好の季語が「煤逃げ」。暮れの家の掃除から逃れるために外出してしまうこと。仕事のため、あるいはそれを口実に煤逃をする。男の滑稽と悲哀を象徴する季語として詠まれる、とある。例句をあげよう。

・煤逃げの蕎麦屋には酒ありにけり
・煤逃げもあらむ図書館混み合へる
などは可愛いが
・煤逃げの男に女ありにけり 
なんかはちょっと問題ありだが、まああと一日、さんざ悪行の罪滅ぼしに煤逃げなどせず
せいぜい尽くしなさいな。

大掃除をさぼってちょいと発信・・・・・褌子

とうとう残る二日となった。天気はいいが風が寒い。
朝から渋々大掃除をはじめたが…
阿~大掃除めんどくさい。いいとしこいて、年下の女房にがみがみしかられて。
しかし逸徳邸でも、お若く美しい奥方様に怒られながらハチマキ姿でガラスふきなどがんばってる頃だろうと思うとこちらも少し生きる希望がでてきた。
国兼さんとこは「あなた、お掃除はわたしががんばりますわ。あなたはいないほうがいいのでお散歩でもいってらっしゃい。おかえりになるころにはお風呂もわいておりますわ、お背中でもお流ししましょうね」てなぐあいなんだろうな。阿~うらやまし

2011年12月29日木曜日

中西準子氏追補・・・猫跨ぎ

  中西準子氏について追加すると、最近の仕事として、ナノ物質のリスク評価と規制の考え方を纏めたらしい。ナノオーダーのサイズの物質。機能性材料として脚光を浴びて久しいが、影の側面として、生体に取り込まれた時の障害について前から気になっていた。産総研に移って、他大学と共同で数年がかりで行ったらしい。先般、国際会議で結果を発表し反響を呼んだとか。詳細を知りたいものだ。キャリアを見ても現実に即したテーマを追求している。さすがと思ったね。

RE:中西準子・・・・褌子

  中西準子氏についてのこんな紹介記事を読んだ。
  中西準子氏は物質の危険性について「リスク」と「ハザード」を次のように区別している。
ハザード=その物質の毒性の強さ    
リスク=その物質の人の健康に対する危険度
  なるほど。このハザードとリスクの関係は放射性物質のベクレルとシーベルトの関係と同じだね。
  さらに 
  以下はインターネットからの安易な引用だが、「環境ホルモン空騒ぎ」をこんなふうに説明している。
  ダイオキシンに関する議論で一番の問題は、「ハザード」と「リスク」の区別がないことである。例えばある物質の一グラムのもつ毒性が他の物質一グラムの毒性に比べて大きければ、その物質はハザードである。ダイオキシンは間違いなくハザードである。しかし、人の健康への危険度、つまりリスクはその物質の毒性の強さと摂取量とで決まるから、強いハザードでも摂取量が小さければリスクは小さくなる。人間にとって大切な指標は、ハザードとしての特性ではなく、リスクの大きさとその特性である。中西準子のリスク論の出発点は「我々は、ハザードではなく、リスクを管理しなければいけない」という考え方である
  ―――――最近、中村梧郎さんという枯れ葉剤被害をベトナムで長年調査している人の講演をきいた。
  枯れ葉剤の問題についてもハザードとリスクの観点から考えてみたい。

函館通信167・・・歳末懐旧・・・仁兵衛

 歳も押し迫った。函館は雪はさほど多くないが真冬日が続き寒くてかなわん。森井家は半ばに入院した義母が管を付けたままなので正月らしい正月にはならないだろう。

 さて、ここの所の諸兄の書き込みに私にとっては懐かしい地名・人名が出てきたので今年を振り返る気持ちも重なって筆を取った。

 先ず褌子さんが行ってきた倉敷と尾道。共に北大の3年から4年の間の春休みにリュックを担いで一人旅。倉敷のO君、尾道のS君(共に恵迪寮友人)の家に転がり込んで一泊お世話になった。早春の瀬戸内海は穏やかで本当に優しさを感じさせてくれた。倉敷の大原美術館は休みで入れなかったのが残念であったが尾道から九州に入る前広島で原爆ドームと記念館に寄れたのは今になってみると貴重であったと思う。しかし、歳月は苛酷だねO君もS君も既に世を去ってしまった。

 次は横浜国大の中西準子先生。ダイオキシン問題で塩素系樹脂の焼却が問題視をされていた頃だ。環境庁が環境省に移る寸前の頃だったと思う。環境学会の中でダイオキシンでばたばた人が死ぬような似非データを多くの学者が並べる中「環境リスク論」を展開し冷静な判断を下していたのが中西先生だった。役人は庁から省に移って予算を分捕りたい動き、マスコミは煽るだけの論調、ダイオキシンはこんな形で世の中を転げまわっていた。懐かしくもアホらしくも思い出す。

 最後は柳家小三治師匠。高校の3年上の先輩である。昭和30年頃ラジオの素人寄席という番組で10週勝ち抜いたというつわものらしい。学校は府立15中から都立青山高校になった。今でこそ都立高校の中では進学校として上位を占めているらしいが都立一のゲバルト高校としても名高い。私の頃も落語研究会があれば社会科学研究会が極めて先鋭的に活動をしていた。
去年創立70周年の同窓会で師匠の独演があったが残念ながら出席できなかった。

 懐かしさがここまできて丁度歳が明けそうになっている。
 皆さんよいお年をお迎え下さい!来年もまた宜しく!

噺家 ・・・猫跨ぎ

閼伽の字は仏教を受け入れた中国のサンスクリット語からの当て漢字だろうから、余り大した意味は無いのではないか。霊水とかいうのはあくまで後で付いた尾鰭でもともとは単純に水ということなんだろうと思う。
 理髪店で待っている間、読んだ週刊誌に、立川談志のことが出ていた。死して何とかで彼への賞賛がやまないなか、大橋巨泉の一文が印象的。知へ傾き過ぎて、噺家としてはついに志ん朝を越えられなかった、と。そう思う。私も余り評価しない方だ。ビートたけしが談志のことを、学歴コンプレックスがあるとぽつりと洩らしていたという。意外な言葉だが、さもありなん。私は当代では柳家小三治が正統派というか本物の噺家と思っている。

i-Pad 閼伽桶・・・・褌子

  i-Padとi-Podの違いはむろん、aとoの違いだ。a は「あーパソコンより便利だなあ」と爺さんが絵や文字を読んだり書いたり、o は「おー北島三郎いいなあ」と電車のなかでバッハ聴いてるような顔して目をつむっているくらいか。
  猫跨ぎ発言をよんで共感、とうぶんi-Padを買うのはやめた。このあざやかな変わり身の早さがまことに快い。
  ところで尾道で閼伽桶(あかおけと読むんだって)と関係するものをみた。
広辞苑で閼伽をひくと ⇒〔仏〕(梵語 argha; arghya)貴賓または仏前に供えるもの。特に水をいう。また、それを入れる容器。

  尾道は坂と寺と海と山がほどよく攪拌されているなかに古びた庶民的な家がたてこんでいる。あの坂道ばかりでは年寄りにはつらかろう。救急車もこないし、売りにでている家もたくさんあった。墓地もびっしり墓石が密集している。造船所のクレーンさえ景色にとけこんいたし、やたらと多い句碑、歌碑もあまり気にならない。
  20ケ寺くらい、とぼとぼフウフウと坂を登ったりおりたり女房とまわっていたら、ある寺で目にとまったのが↑この写真だ。
  こういうものがぱっと目に飛び込んでくると言うことは、人間というものはただ飯食って◎◎で蹲踞しているわけではないのだ。この寺は禅寺らしく「生は偶然。死は必然。」と山門に貼ってあったが、墓地のそばに当たり前のことをわざわざ書くな、貼るなら産院の玄関がよかろう。
  写真をよくみると「あか」の字がどうもちがうね。 阿は阿吽(あうん)の呼吸の阿で、ものごとのはじめ、伽は「か=とぎ」だが、広辞苑に梵語の音訳に用いる。「閼―(あか)」→とぎ(伽)とあった。寝所に女性を侍らせる「伽」もあるがこのばあいは混同しないように。

2011年12月28日水曜日

今年も終わり・・・猫跨ぎ

  いよいよ押し詰まったなあ。去年の大晦日に息子と久々に飲んだのがつい昨日のようなのに。昨日散髪に行ってしげしげとわが面相を見たが、髪が随分白くなったなあ。顔が亡父に似てきた。亡父と言えば、先日煮豆を美味いなと思い食いながらが、ふとオヤジも煮豆が好きだったと気づいてハッタと箸を落としそうになった。
  褌子氏が感心しているiPadとiPod はどう違うんだい。電車に乗ると指でパッパッとやっているのが増えた。電脳社会とかユビキタスとか未来社会の姿を予想していたが、もう実現したのではないか。そしてそれはなにやらうそ寒いな。孤独な大衆社会がますます加速する。発想したスティーブ・ジョブスが今世紀最大の発明家と賞賛止まないが、どうなんだろうね。当面、持つ気はおこらないな。テレビもあっという間に液晶化してしまった。あと数年はソニーのブラウン管を使い続ける積もりだけれど、壊れればおしまいだ。液晶ははっきりしすぎて目が疲れる。適度の解像度がいいのではないか。
  こういう様に身の周りのツールが、大して検証もされぬままどんどん持ち込まれて社会を変えてゆくのをそのまま受け入れていていいのか。皆でわいわい囃し立てながら神輿を担いで吊り橋を渡っている風景。
  今日まで新聞に、リスク評価論の中西準子女史の半生記が綴られていたが、面白かった。目を引く新製品のリスク評価が何ら為されていない。放射能を神経質にゼロベースをと声高にいわれるが、それだけではあるまい。褌子氏の感心の記に水を差すことを言ってしまったが、前から感じていた。

はいはい褌子です

ごめん。↓の「発言」です、
いま、岡山の吉備路のたびから帰ってきたところ。
倉敷にいる娘と再会し、彼女のi-Padを使ってhorohorokaiを書いて発信してみたがインターネットもメールも簡単にできる。文章もタッチパネル上のキーボードだがちゃんと書ける。この三つできれば十分ではないか。お年寄り向き。欲しくなった。

はて・・・・逸徳

↓ この方どなたで。

発信

娘のiPadではじめて発信。いま岡山県の山奥にいます。娘が倉敷で働いているので女房と、倉敷や尾道を訪ねて雪のなかの湯原温泉に泊っています。
仁ちゃんが書いているけど、わたしもイヤな本、くだらん映画を見てしまった時などの後味の悪さをなん度も経験している。これからの座右の銘は「嫌なことはやらない」ーー
尾道の志賀直哉旧宅で作者自身が「暗夜行路」を朗読する声をテープできいた。あれほど推敲しぬいた簡潔な文を書く作者が自作を読み違えるところがあって面白かった。土門拳が「志賀さんの顔ほど立派な顔をみたことはない。志賀さんに比べたら俺の顔なんぞはヤクザそのもの」と酒田の記念館のビデオで話していたのを思い出した。

2011年12月27日火曜日

裏を読む ・・・猫跨ぎ

  この著者も出版社も知らなかった。札幌の本屋さんらしいが。この本屋から何冊も怪しげな本を出しているね。環境衛生工学専攻とは多分我々の頃の出来たての「衛生工学科」の先生じゃなかったのかな。専門書(これは専門の出版社から)の他、ことわざの本とか、一般向けの数学の本とか、色々書いていている。諺の裏を読むとか、余程ウラが好きな御仁らしい。常識を覆すという本は大体、眉唾、噴飯ものが多いね。よく判らん人だ。

2011年12月25日日曜日

函館通信166・・・騙された・・・仁兵衛

 まんまと騙された!
 「芭蕉と蕪村と諺と」・高桑哲男(中西出版)という本を新聞広告で見て取り寄せ購入した。新聞の広告には「句界の常識を覆す!芭蕉と蕪村のルーツは諺にある 『合鍵語』で導き出す『新解釈』 芭句・蕪句に秘められた『夢の世界』」とあるのを読んでわくわくして購入手続きをした。

 本を手にしてページを開いたら吃驚したのを通り越して呆れて何もものが言えなかった。幾らなんでもこんな解釈が成り立つとは呆れてしまう。例題をここに掲示するのも憚れる。

 序文に「芭句・蕪句をミステリー作品とみなすとき、『事件』の解決篇は合鍵語の意味づけ次第で異なる。著者が示す合鍵語も一つの正解の候補に過ぎない。つまり、誰もが自分の答を正しいとすることができるし、また、違った答が存在してもそれが何かを知らずに終る。読む側が『自由鑑賞する』度合いのきわめて高い文学ジャンルが新登場していたのである。」とある。さも崇高な新解釈がなされるのか期待されると思ってしまった。

 兎に角、合鍵語に陰茎、肛門セクスなどの言葉ばかりで二人の俳句と諺を自分勝手に解釈し長々と三百ページに渡り自慢しているのだ。読んでて気持ちが悪くなり直ぐに読むのをやめた。著者はと思いこれまた驚かされた。1940年生まれの北大工学部に2004年まで勤めていた男だった。

 興味のある人はあくまでも本屋で立ち読みをしてください。11月に出た新しい本です。あー損した!!

2011年12月24日土曜日

結構だね ・・・猫跨ぎ

  実に結構だね。この幸せなたのしみを今後とも続けたいものだ。
確かに、旅情を掻き立てる時、何故か北を向くのは不思議だ。
ところで細かいことを言うようだが「北帰行」は北海道の歌ではない。旅順高等学校の学生が休暇を終えて満州に戻る時に作ったとか聞いた記憶がある。
  しかし歌のそれぞれは、いかにもオヤジ歌ばかりではないか。「恋の町さっぽろ」「北空港」などをデュエットと行きたいものだ。時には佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」などアンニュイさを交えたい。以上は小生の実績である。まあ、佐渡島の田園育ちと、北海道とは言えシティボーイ上がりとの差といえようか。

2011年12月23日金曜日

演歌は北海道に限る・・・褌子

  今晩はすごく冷える。
 英会話の先生と男だけ三人で忘年会をやった。「浜宿」のぐつぐつ騒ぐ牡蠣鍋(鱈の切り身も)にあつあつの焼酎と酒。
まさに
 割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
 にぴったんこなのだ。あらためてこの句を特選にしたい
 寒いので店は三人で貸し切り。逸徳さんならイチコロの気立てがよいママさん。
 「北の宿」「襟裳岬」「津軽海峡冬景色」「知床旅情」「函館の女」「北帰行」など何故か北海道の歌ばかり歌った。
 いやあ演歌っていいねえ。サンマはめぐろ、演歌は北海道にかぎる。
 遠く仁ちゃんをおもって「どんぶらこっこザー♪」と「函館の女」をとくに熱唱したときには熱燗にむせんだのか泪がでた。。
 「高校三年生」「仰げば尊し」「はるよこい」もママさんと合唱した。いやあ一期一会だなあ。これだけ飲んで歌っておひとり3500えん。いまのうちに美味いもん食って旨い酒しこたま飲んでおこうと堅く硬く固く決意した。
 寒風のなか酔って電車に乗ったら八幡宿で降りるところを五井まで乗り過ごしタクシー代が三千円も。やっぱり、お酒はひかえめにしなくては…。

【写真:三等同時入賞の美男美女の握手。在日中国人粛華さん】

校正 ・・・猫跨ぎ

  ホト,窪みなどと止めどなく落ちてゆくかと危惧したが、ぐっと踏みとどまり誤植に話頭を転じたのは褌子氏も世の常識が備わってきたというか、沈黙の読者の期待を裏切ったと言うか。
  薄っぺらな俳誌の編集に携わっているが、原稿の打ち込み作業で誤植が出るのはやむを得ない。それらはかなりは校正で摘出できるが、その網をくぐり抜けるのが必ず数個ある。全く校正恐るべし。校正作業は「読むな」とよく言われる。内容を読んでしまうと流される。とは言え。
まあ、辞書の誤植は命取りで、校正のプロが必死にやっているのだろうが、矢張り絶無とはならない様だ。しかし実感でよく判る。

re、年の瀬の珍本騒ぎ・・・褌子

―――――と↓に書いたばかりだが、インターネットで調べたら、こんなことが書かれてあった。へーそうなんだ
 『岩波国語辞典』第3版第1刷(1979)は、少なくとも27か所の誤植を残したまま出版されている。岩波書店は、後日、27か所の誤植を記載した正誤表を出している(良心的!)。この岩国のケース、27か所の1つに、項目「ごびゅう」の誤植がある。漢字表記で「誤謬」を「説謬」と誤まった。誤りの説明を誤まったので、これは笑い話になった。


年の瀬の珍本騒ぎ・・・・褌子

  猫跨ぎさんがいきなり閼伽桶などというサンスクリットをもちだすので、議論がどんどん高踏的になってしまった。庶民的な話題に転じたい。
 珍宝ではなく珍本のはなしである。
 岩波国語辞典の初版は1963年(昭和38年)に発行された。日本の「標準的国語辞典」をつくるという岩波書店辞典編集部の自負のもとに西尾実・岩淵悦太郎氏らが第一版の計画をはじめたのは昭和29年だというが、九年後に初版がでた。
 昭和38年、大学二年の私は出たばかりの岩波国語辞典の初版を買ったのである。(佐渡の中学一年のときに国語の引野先生が三省堂「明解国語辞典」を全員に買わせて、これをずっと愛用していたがぼろぼろになっていた)
 ところが買ってすぐ偶然にも岩波国語辞典初版で『こんなん』をひくと「困難」ではなく『困離』となっているのを発見してしまったのである。
 奇書でもなくありふれた国語辞典のありふれた誤植なので、誰にも語ったことはないが、日本の“標準的国語辞典”で『困離』を「こんなん」と読ませるのはいくらなんでも困難である。『困離』という珍語を発見するのも岩波の「広辞苑」だってむろん困難である。
  この『困離』に気づいた編集部は驚愕し、あわてて第二版がでたはず。第二版は確かめてないが「こんなん=困難。佐渡島では、「こんなん」をわざと困離と書く奇習がある」などとくだらんことは書いてないと思うが。いまは第七版がでているらしい。
  これが三省堂だったら「毎日三たび反省す」論語(学而)を社名にしているくらいだから、たった九年で国語辞典をだしたりしなかったのではないかと思うが出版界の事情は私にはわからない。
  この初版本は私が三〇代に勤務していた市原民主商工会の事務所においてあったのだが、事務所新築のときの移転で紛失したらしく、最近、訪問したときには見あたらなかった。
 この発言を読んで、年の瀬の古本屋街では初版本を探しだしたヒマじんが「あ、やっぱり。本当だ」とにんまりしているかもしれない(笑) 

2011年12月22日木曜日

ヌチドウ宝・・・褌子

古代ペルシャ語でチヌは「命」だが、沖縄では今も「命」を「ヌチ」と言っている。
「ぬちどう宝」=命こそ宝、というふうにつかっていることを思い出した。
沖縄ではチンポコをヌチホコというのかな。
なお「ホト」は縄文時代から、窪み=女陰をさす。火之神を産んでホトを大火傷した女神の古事記のはなしは有名だ。
横浜の保土ヶ谷のホトもそうだ。
そうすると保土ヶ谷女子高校は「×××女子高校」となり乙女が通う学校として教育上からもいかがなものか。こういう話の学術的解釈に詳しい神奈川在住の国兼さんや元高校教諭の逸徳さんのご見解をおうかがいしたい。

チヌホコ?・・・猫跨ぎ

  また次元がぐっと高くなったなあ。ちんぽこになるとこれでもかこれでもかと語源論争があって収拾がつかない。一般的には、珍鉾。時として形、大きさに変容を見せるので「珍」それに「鉾」というらしい。まあ無難なところだがいまいち面白くない。そして、ほことぽこでは明らかに違うので厳密さに欠ける。
  チヌホコは目新しいが、チヌが古代ペルシャ語でホコが棒でも鉾でもいいが、これが日本語(ないし中国語)と分解してしまうのが難点。ここは一気通貫で行きたい。

珍説ちぬほこ・・・ konshi

   閼伽桶(あかおけ)なんてことばは全く知らんかったな。
 チヌホコは、古代ペルシャ語でチヌは命、ホコは棒つまり命の棒。これがはるばる日本にきてチンポコになったのである(矢切止夫博士の御高説『日本語の起源』より)。へー?本当かなあ。










  ↑の写真は坊里村の「臼石と老婆」など。

2011年12月21日水曜日

ダンナさんとドナー ・・・猫跨ぎ

  墓参りで墓石を洗う水を入れる桶を閼伽桶(あかおけ)と言うのをご存知と思う。
閼伽桶の閼伽(あか)とは梵語で水のことである。ところでaqui-やaquous-を接頭語とする科学用語が沢山あり、これらは皆、水と関連がある。ラテン語のaqua(水)に由来していて、発音は何故か「閼伽」とそっくり。
  もうひとつ、ウチのダンナさんであるが、これは梵語の檀那(だんな)から来ているというのは良く知られていて、布施、または施す人という意味である。これがまたラテン語のdonere(贈り物)に妙に似ている。ドナー(donor)は化学、物理また医学の専門用語としてあり、何れも「与える」という意味を含んでいる。卑近な例では臓器移植で提供者をドナーという。例を探すと枚挙に遑がないようだ。
  実はインドとヨーロッパの古い言語が繋がっているということ。つまりインドヨーロッパ語として本来これらは同源であるというのが種明かしである。仏教用語と科学用語が妙なところで鉢合わせしたという話。

※ 北欧にアクアビットという蒸留酒がある。アクアが水、ビットは命。つまり命の水というわけ。

プロの写真 ・・・猫跨ぎ

  素人の写真は画面に何でも詰め込み、プロのは出来るだけ余計なものを切り落とすと誰かが言っていたのを思い出す。俳句もそうだね。一概に言えないが、言外にいろいろ印象づけたいという意図の作品は大体失敗するようだ。焦点を絞ってそれのみを表現すると、結果として周りの景が見えてくるという逆説はどうも本当らしい。
中国の奥はまだまだこういう世界があるんだね。沿海部の変化とは大違いだ。

今日の報道に、広東省汕頭市で石炭火力発電所計画に反対する数万人規模の暴動が起こったという。かねてから環境汚染に苦情が出ていたがついに爆発したということらしい。強権で開発をという時代は中国でも急速に変わってきたという印象だ。

日立軍隊、松下宗教    ・・・褌子

  「日立軍隊、松下宗教」という業界用語もありました。
  PHPも松下政経塾も、みなさん心の持ちようで国も人も幸福になれますと説教してきたが、いまの世の中こころの持ちようだけではどうにもならない。そこでパナソニックにかえちゃったという説もある。野田首相の母校もパナ政経塾に変名か。
  栄誉に輝いた褌子作品だが、中国の山奥の村を訪ねたら、わーと子供たちにとりまかれた。
  カメラがまだ珍しいのか「おじさん撮って!撮って」と催促。レンズを向けるとキャーキャー逃げ回る。撮影したばかりのデジカメ画面を見せるとわーすごい!とまた大喜び。そのうち大人達もでてくる。牛がぐるぐるひいてまわる石臼を私がよいしょよいしょ回しだしたら、おばあさんが手伝ってくれた。それをとりまく村人が大笑い。
  こんな平和な村々を日本軍は三光作戦で荒らし回ったんだ…

なかなかなもので・・・・逸徳

先日、本をみていてはたと気が付いた。おいらの誕生日は8月19日であるが、これなんと「俳句の日」ではないか。もっともは(8)い(1)く(9)という
、ただのごろ合わせにすぎないらしいのだが。 しかし、だからといって俳句の神様はなかなかおいらにはほほえまない。 まあ、北の宗匠と江戸の師匠の名作集をあじあわせていただくだけになりそうで・・・・すまん。

友人で新聞社のカメラマンをずっとやっていて、独立した男がいる。彼から「産経残酷、時事地獄」という業界用語を教わったのだが、なかなかヒューマニステックな男で、彼のライフワークのひとつが「世界のこども」というポートレイトの連作である。で、このことは、前にも書いたのだが、スナップというのは決してカメラを意識していない。逆にいうと、カメラを意識させたら失敗なのだろうな。つまり被写体は、実はカメラマンの目を見ているのである。ここにことばを超えた交流がおこる。 こどもからみれば、親しくなれそうな仲間は微笑むし、疑わしいやつは「なんだこいつは」という目でみるし、敵はにらみつける。
 で、褌子氏の作の子供は何を考えているのだろうか。 すくなくとも相当な好奇心であるが、警戒心もある。そこで母親の指がいきてくる。「心配いらないよ、あの変なひとは別に宇宙人じゃないよ。とって食いはしないよ・・・・・」 それとも現地は相当の食糧難か。

終戦後まもなく すんでいる村にはじめて外人が来て、こどもたちがおおさわぎしてあとをついて歩いたのを思い出す。片言の日本語なんかしゃべると、みんな「あっ しゃべったっ」「うおお・・・・日本語らしい」とほぼエイリアン待遇だったのを思い出す。


花言葉は「細やかな愛情」      褌子

やっと千葉も氷がはるなど寒くなった。
ひさしぶりに朝の京葉線通勤快速に乗った。座れないが意外と混んでいなかった。
30才の頃、東京へ通う満員電車は文字通り立錐の余地もなかった。
東京湾の向こうに富士山がきれいに見える。羽田から飛び立つ飛行機がきらきら光っている。
きのう誕生日で古稀に一歩手前になった。
見知らぬ団体から誕生日おめでとうございます。という手紙が届いた。
封をあけると、あなたの誕生日の花は「フタバアオイ」。花言葉は「細やかな愛情」とあった。
身に覚えのないYahooからも誕生日祝いのメールが届いた。
 猫跨ぎさんから入選写真について身に余る激賞をいただき、いたく歓喜しております。
 シャッターボタンの右人差し指にちょいと指圧をかけただけで見事にとれてしまった。瞬間をきりとる俳人の神業にくらべたら、瞬間切り取り箱のカメラはくだらん…と謙遜につとめていたが、「子供と母親の表情が素晴らしいですね」と一席、二席の女性に喫茶店でこもごも褒められて、「いやいや貴女たちのゲージツ作品の前ではボクなんぞ恥ずかしいかぎり」と顔を赤らめていたが、つい不覚にもにんまりと微笑んでしまった

2011年12月18日日曜日

良い写真だ・・・猫跨ぎ

成る程、良い写真だね。つまり、被写体の目線がきっちりこちらを向いていて、母親の指す指もいい。写真の意図が単純明確で余計なことを言っていないのがいいのだろう。これ本当に褌子撮影かね。

2011年12月17日土曜日

素人写真だけど…晴れの表彰式・・・褌子

  けふ新宿工学院大学孔子学院で「わたしのみた中国」という写真コンテスト表彰式があった。わたしのは三等賞だった。

  一等も二等も若い女性の傑作で、それぞれが三分間のスピーチをした。
  入賞者だけで喫茶店で談笑してとても楽しかった。



【一昨年、河北省阜平県坊里村という山奥の村で出会った母子の写真が三等になってしまった】

愚痴と愚知・・・・褌子

ぐ‐ち【愚痴】
��1)〔仏〕理非の区別のつかないおろかさ。「―邪見」
��2)言っても仕方のないことを言って嘆くこと。また、その言葉。「―をこぼす」「―を聞いてやる」
ぐ‐ち【愚知・愚智】
おろかなことと知恵のあること。愚者と知者。
 と『広辞苑』にありました。『大辞林』もにたりよったり。
 ところが大槻文彦博士『大言海』をひいたら「愚痴」しかでてない。意外ですね。
 この『大言海』は(富山房創立95周年記念版)昭和57年に17000円も大枚はたいて買ったんだがいままでひいたのは「愚痴」もふくめて10回くらいか。
 そこで新潮社の『日本語漢字辞典』をひくと… ちょっと面倒くさくなった。
 『日本語漢字辞典』はたぶん猫跨ぎさんのすいせん?で買ってしまったものだが、面白い辞典だ。愚痴がでてくる漱石「草枕」の一節とか愚知がでてくる藤村「破戒」の一節とかでてくるんだ。まだひいてないけど…

2011年12月16日金曜日

愚痴 ・・・猫跨ぎ

愚痴と愚知はニュアンスが違う?知らなかった。辞書には併記してあるので。ちょっと教えて下さい。
今回は
・檻の口開けたるままに雪の声
がとても印象に残った。動物園でなくとも、何かがらんとした奥行きが感じられましたね。

函館通信165・・・檻・・・仁兵衛

 即刻の句評有難う御座います。少々の解説を・・・。
 湯豆腐の句は「愚知」と「愚痴」の意味に差があるや否やにあります。
 「檻」は函館には動物園がありませんのでそのイメージはありません。北海道では秋に熊の出没が非常に多かったので檻罠を仕掛ける所がありました。なかなか熊は掛かりません。その内に初雪になってしまいました。
 今日は全国的に寒さがやって来ました。函館は最高気温が-3度位です。
 中七に季語を入れた句を意識的に作ってみようと思っています。次回に幾つか報告します。
 

2011年12月15日木曜日

朔風 ・・・猫跨ぎ

北海道もすっぽりと冬らしい。こちらは寒いといってもたかが知れているが、そこへ14,15度の生ぬるい日があったりして、もっとすっきりしてほしいものだというのは贅沢か。

朔風 はなつかしい。仁ちゃんは流石だ。

「都ぞ弥生」の三番
寒月懸かれる針葉樹林 ・・・・
野もせに乱るる清白の雪 ・・・
ああその 朔風 飄飄として 荒ぶる吹雪の逆巻くを見よ
ああその 蒼空 梢連ねて 樹氷咲く壮麗の地をここに見よ  


割下といえばすき焼き。このところ久しく食べていない。今は知らないが、北海道では豚肉のすき焼きが普通で、それしか知らなかった。でも子供の頃のすき焼きに優るものはない。あれが家族の味だった。
湯豆腐がうまい季節になったね。鍋は何人かで囲むものだが、独りで豆腐がゆらゆら揺れているのを見るのも悪くない。湯豆腐は万太郎句できまりみたいな感じになってしまったが。兼題で出て万太郎はどうだいと自慢だったらしい。これはしんみりした風情とちょっとそぐわない。俳句の制作経緯は余り聞かない方がいいのかもね。「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」

檻の句は動物園の風景と見た。これを特選としたい。

2011年12月14日水曜日

仁句鑑賞・・・・褌子

宇宙の質量の起源になったヒッグス粒子とかが見つかったとか、高速より早いニュートリノがあるとか、宇宙の加速膨張とか宇宙物理学の世界はすごいですね。
・ブータンの国王の礼年惜しむ
  そうか。もう過ぎゆく年を惜しむ時期になったか。震災原発、日本人が忘れること  のできない年になった。
  アメリカ式弱肉強食社会に席巻されていた日本人にとって、ブータン式総国民幸福  度社会は新鮮だった。若き国王夫妻  もさわやか。
・中押しの黒で決まりて雪の峰
  碁はやらないが中押しは囲碁用語らしい。
  「雪の峰」とあるからさわやかにあっさり途中で負けちゃったということか
・朔風や人見知りする男の子
  北風も朔風とすると格調たかい。季語が一句の雰囲気にぴったり
  男児のはにかみ笑いが目に見える。特選
・割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
土鍋では蛎か鱈または鮭でも鮟鱇でもよい。あとは白菜たくさん。冷たいビールがたまらん、今晩はこれで行こう女房がどう  いうか。ぐつぐつ騒ぐ、が誠によい
・湯豆腐や一つ一つに愚知のあり
  割下のぐつぐつは湯豆腐のためのだし汁であったか
湯豆腐にはワケギ、柚子それに大根おろしかショウガおろし。越後の「かんずり」という辛子味噌で食うとたまらなく美味     い! 酒はやっぱり八海山か久保田だが、越の寒梅、雪中梅でもかまわない。ほんとはいつも千葉の腰古井なんだけど
・百円玉缶に音して根深葱
なんとなくわびしい年末の風景がでている。
根深ネギ、土鍋にいい。甘くやわらかいあの白い茎。
ネギってまっすぐに伸びるから「一文字」ともいうんだって。
��ちゃんと歳時記ひいていますよ)。
・金箔のひらひらひらと池涸るる
なんとなくわびしい年の瀬風景
・檻の口開けたるままに雪の声
なんかわびしいお客まだらな年末の動物園。猛獣どっか温かいオリにひっこし?

2011年12月13日火曜日

函館通信164・・・寿命とは・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんの今回の六句特別に高い鑑賞に値するね。どれをとっても柔軟で伸び伸びしていて感じが多くの人に好感を持たれるのではないかと思う。

 さて義母が今年二度目の救急入院した。88歳をこえてペースメーカーの入った心臓が少し耐えられなくなったのか血圧と脈拍が異常に上がったためだ。5月の入院は脳梗塞だったのだが今回は別の要因だ。医者が言うには心臓の周りに水が溜まっておりこれを抜けば少しは楽になる可能性はあるとの事。しかしその処置のとき脳梗塞の抑制する薬の投与が出来ないのでそちらのほうに影響が出るかもしれないそうだ。本人の意識は弱弱しいが少し喋れるしまだ私を識別できるだけぐらいはある。
 こう言う状態の人は沢山いるのだろうな。医者からは何か異常が更に進んだら人工呼吸器を付けるのか否か血縁者で相談をして明日までに結論を出せといわれてしまった。人の寿命とはどう考えたらいいのか突きつけられているのかな。ぴんぴんころりのリズムにはとても遠い話である。

 函館は根雪にまであと一歩の所まで来ている。緑が無くなってななかまどの赤い実ばかりが目立つ。そんなに綺麗でもないのに健気なものだ。雪催いという季語がぴったりの空模様が続いているがどちらかというと人を憂うつにしがちだ。そんなこれやで近作十句。

  ブータンの国王の礼年惜しむ
  中押しの黒で決まりて雪の峰
  朔風や人見知りする男の子
  神の留守鉄道好きな父子のゐて
  王将の穴熊に入り去年今年
  割下のぐつぐつ騒ぐ冬の空
  金箔のひらひらひらと池涸るる
  湯豆腐や一つ一つに愚知のあり
  檻の口開けたるままに雪の声
  百円玉缶に音して根深葱


 
 

2011年12月12日月曜日

re:年の暮れ・・・・褌子

・月蝕終り雪女消えてをり
   雪女にはとても懐かしい?思い出がある
黒沢明のオムニバス映画『夢』に、雪山で遭難死寸前の意識不明の男に雪女が戯れている場面がある。朝日がのぼって   男が意識を取り戻した瞬間、「雪女消えてをり」なんだ。
月蝕で赤黒く天空に浮かぶ妖しい球体、やがて月が太陽光を反射し出すと
   まさに「雪女消えてをり」なんだ。特選です。新宿で表彰式を行うので3分間のス   ピーチを(笑い) 
・前の世の全景として冬銀河
なにやらいわくありげなおもわせぶりのすこし輪廻っぽい句。でも銀漢とか冬銀河ってステキな季語だね。
わたしは先日の月蝕観察ではじめて昴をみました。家庭用望遠鏡でもはっきりと六連星がみえた。いま宇宙の一点の地球   にいきていることをしみじみ感じながらホットココアを飲んだが俳句ができなかった。   
・帰るべき一戸の見えて冬の月
なんとなく藤沢周平の小説の一節みたいだなあと思ったら
いや  軒を出て犬寒月に照らされる  周平 だった。
一戸があってよかった。
帰るべき一戸も見えず冬の月 では老境にはつらい
・一年を納め一湾鎮もりぬ
3月11日以前にもどりたいとどれだけの人が叫んでいることだろう

2011年12月11日日曜日

年の暮・・・猫跨ぎ

そうね、注連寺は注連縄(しめなわ)からきているらしい。
月蝕は見なかったが、俳句は作った。

・月蝕終り雪女消えてをり
・前の世の全景として冬銀河
・帰るべき一戸の見えて冬の月

ついでに二、三句
・大熊手エレベーターへ賑々し
・猿笑ひみんなの笑ふ年の暮

東北の海を思う。
・一年を納め一湾鎮もりぬ

七五三掛桜・・・・褌子

注蓮寺でなく注連寺ですね。
↓に書いた桜の古木は「七五三掛桜=しめかけざくら」という有名な桜だそうです。

注蓮寺・・・褌子

  注蓮寺のいい写真ですね。
  注蓮寺の階をのぼった縁側にものすごくカメムシがいたのが目にはいった。あの虫の臭いは子供の時、家の中にもたくさんいたので苦手なんだ。それで何となくお寺のおばさんの話は遠慮して寺のまわりを遠巻きにぐるぐる散歩していた。ちっともみんなが出てこないので国兼さんが世をはかなんで即身仏を志願しているのではないか、せっかくの骨壺がむだになるなあなどと心配したくらいだ。
  森敦の碑があったがあれが猫跨ぎ句の由来か。遠くに地滑りがあって大規模な工事をしていた。お寺の脇の小高いところに桜の古木があって歴代の住職の墓などが苔むしていた。京都あたりの隅々まで掃き清めた繊細優美なお寺よりも、月山のふもとの大ざっぱな雰囲気がいいなあと思った。高橋さんといったかタクシーの運転手さんとも世間話をずいぶんした。
  いい旅行だったね。
  ↓の写真、新幹線のなかで線量計を駆使している真摯なまなざしがぞくぞくするほどかわゆい!

写真・・・猫跨ぎ

  表彰式が終わるまで公開は憚られるということであるらしい・・・かな。結構なことじゃないですか。おめでとうございます。

昨日は月蝕だったけれど余り食指が動かず寝てしまった。何年か前、じっくり見たしね。日蝕と違って月蝕は割と多い。

写真といえばこの前の旅行の写真係であったので、遅まきながら、公開したい。行きの新幹線の中で、線量計データの記録に余念のない姿。それから注連寺でのスナップ。

2011年12月10日土曜日

月蝕が大事。写真などどうでもよい・・・褌子

いま皆既月食をみています。
  すばらしい! 望遠鏡でみると首がいたいが、地球の影になって赤みをおびた月の球体がすぐそこに手に届きそう

そういうことなら・・・・逸徳

その写真ここにのせてくださいよう。もったいぶらないで。みたいっ!!! 静岡はなんとか晴れそうで、これから子供たちや家族を集めて月食観察会です。何か一句うかぶのを期待していますが、こどもを相手にしているととても無理かも・・・・・ 俳句は 落ち着いて半径3メートルくらいはがやがやしていてはだめですな。

2011年12月9日金曜日

年の瀬の吉報    ・・・褌子

   JR新宿駅西口から地下道5分。工学院大学エステック情報ビルなる瀟洒なビルがある。そのなかに工学院大学孔子学院という中国の中日文化交流施設がある。この孔子学院が『私が見た中国』という第三回写真コンテストを行っていて、河北省阜平県の山村で昨年撮った子供の写真を投稿してみた(メール添付で送るだけ)。
  きょう、封筒がきて、応募数百点のなかから入賞作品に選ばれた。12月17日工学院大学information satellite loungeで表彰式が開催され、式後、紙コップでのウーロン茶のお茶会で入選作品にまつわる3分のスピーチをしてほしいとのこと。
  なお入選作品は日本語教室にくる在日中国人留学生や中国語教室に通ってくる周辺のビジネスマン、大学の学生、教授などの投票結果によるもの。
  


今晩 月蝕。
  今朝、千葉も初氷。ラーニャ現象とかで今冬は寒いそう。
  

  
  

2011年12月8日木曜日

型の小き・・・褌子

  この天声人語はわたしも読んだ。
  型の小きものどもの起こした戦さで命うばわれ二度ともの言えぬ無数の人々のために、我々は何を言うべきか。
  それにしても最近の政治家も小選挙区制のせいもあってか誠に型が小さい。

型の小き・・・猫跨ぎ

今日の朝日の天声人語は興味深い。

〝東郷茂徳は日米開戦と終戦の時に外務大臣だった。開戦後に退いたものの、再び請われたのは人物ゆえだろう。戦争回避に全力を尽くしたが報われず、戦後にA級戦犯として禁錮刑を受けた。獄中でよく歌を詠んだ。他のA級戦犯への目は厳しい。
〈此人等(このひとら)国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ〉
〈此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ〉〟

今日は開戦記念日で、このところ沖縄戦、南方戦線などで絶望的な戦闘に散っていった人々のドキュメンタリーが放映されるが、東京にいて「型の小き」連中が始めた戦争だった事を改めて知る。

2011年12月4日日曜日

つまり・・・猫跨ぎ

つまり、除染費用を全額東電か国かの閾がはっきりしていない。それとそれ程の線量でもないらしい。そういう中でとにかく東電に明日から除染やるべしという判断は出来ない。回りくどい表現ながら、そういうことを言いたかったのかな。

2011年12月3日土曜日

分かった範囲で・・・・逸徳

この記事のもとは東京新聞と朝日新聞の「プロメティウスの罠」という連載。裁判所の却下の理由は、ネット情報でよくわからんが東電の答弁書には踏み込んでいないらしい。いや踏込ようがないのではないかな。ひとつは、現在の線量ならゴルフ場は営業可能だろう(ということは風評被害を考えていない)ということと、もうひとつの理由がよくわからんので、ネット情報をはりつける。

・・・・これについて裁判所は言う。

「除去の方法や廃棄物の処理の具体的なあり方が確立していない現状で除染を命じると、国の施策、法の規定、趣旨等に抵触するおそれがある」


「事故による損害、経済的な不利益は国が立法を含めた施策を講じている」


つまり、除染も賠償も国が色々な手立てを考えているのだから、それを待て、ということだ。


確かに、国による賠償の枠組みに基づき、東電はさまざまな保証への要求に対応を始めている。

まずはこの枠組みに沿って、ゴルフ場も請求するように東電は求めている。


しかし、ゴルフ場側は、国や東電が対応してくれないから裁判所に訴えるしかなかったのだ。

時間ばかりかかる役所の処理に任せていたら、民間企業は倒産してしまう。

・・・・・・ とにかく、なにがなんだか裁判官の考えもよくわからん

よく判らない・・・猫跨ぎ

初めて聞いたけれど、裁判所はそれを認めたわけだ。東電けしからんという前に、そういう論理が成り立つということを説明してくれないかな。これだけではよく判らない。

無主物責任・・・・逸徳

すでにごぞんじかもしれないが、二本松市のゴルフコースが原因をつくった東電に汚染除去を求めて、仮処分を申し立てたことに対して、答弁書で東電が主張したことの中にこの言葉が出てくる。 それにたいして、東電は原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任を持たないと主張した。
・・・・放射性物質はもともと無主物であったと考えるのが実態に即している。無主物とは、漂う霧や海に泳ぐ魚のようにだれのものでもないという意味だそうだ。したがって放射性物質には責任者はいないというのである。・・・・さらにつづけていう。…仮に所有権を考えられるとしても、すでにその放射性物質はゴルフ場の土に付着しているはずである。つまり東電が放射性物質を所有しているわけではない。・・・・飛び散った放射性物質は、もう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではないというのである。そして裁判所はゴルフ場の訴えを10/31に却下した。・・・・・・

無主物、だれのものでもないのだから責任をとるものはいない。感動的な論理だ。おどろいてなにもいえん。だれかためしに東電を弁護してみてほしい。どういう理屈が可能になるのだろうか。 この「無主物責任」ということば。ぜひ流行語大賞に推薦したい。 はやるかもしれん。

おいらが、満員電車の中で屁をするとする。みんなはにらむ。しかし、屁は無主物であるので、おいらには責任はない。・・・・ 汚い廃棄物、液体がいいだろう。これを他人の土地にすてる。それはもう他人の土地にくっついたのだから、自分たちのものではない。したがって責任はない。・・・・・うーんおおいに活用できそうなことばである。



DNA・・・猫跨ぎ

  だからさ、言うところの日本の技術のDNAは何も原子力産業に対してだけではないということなんだ。私がちょこっと体験した石油化学だって本質的には同じだ。更に視点を拡げればどこの国でも形は違え似たり寄ったりではないか。最近の中国の事故事例を見るとその観が強くなる。むしろ緻密な工芸品をもってなる日本においておや、ではないか。人間の本質に関わる問題かもしれない。あまり日本特殊論になるとなあ。この本を読みながら、ずっとそのことを考えていたというわけ。
  福島原発の事故原因はこれから徐々に明らかになるだろうが、私のは耳にした一部に過ぎない。第ゼロ近似みたいなものだ。全く地震の影響ゼロということはないだろうね。いずれにせよ原発は止めるべきだという結論は変わらない。

2011年12月2日金曜日

さてそれはどうだろう・・・・逸徳

高木氏の本のポイントは、単なる技術をめぐるごたごただけではないように思うのだが。日本の技術における公共性と普遍性、日本の技術のもつDNAみたいなものについて論じているところが最大のポイントのように思うのだが。 技術のもつさまざまなぼろがいっぺんに出てきたのが原子力のように見える。しかし東電はひどい。権力に結び付いた技術の堕落みたいなところがある。関連して、岩波ブックレットで出た、「検証東電原発トラブルかくし」原子力資料情報室刊をご一読いただきたい。事故は必然的におこったという気分になる。それからどうも津波の前に原発は壊れていたという情報がぽろぽろ出始めている。津波のせいにできなくなってきているのだ。どうするんだろ。電力労組が民主党に原発推進で献金しているんだって。 あきれた。なんもいえんな。権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗するという言葉を思い出したよ。

改めて原子力・・・猫跨ぎ

  高木仁三郎のその本はこの前読んだ。印象記はちょっとこの前触れたが、原子力事故の細かな内実が書かれている。何げない勘違い、もみ消し、糊塗、改竄。それとは別次元で一方的に強行されるグランドデザイン。読みながら思ったのは、原子力技術だけではなく大型技術導入の歴史はみなそうだったということだ。それをこなして、何とか身につくのに長大な時間がかかる。原子力技術にそれは待っていられるか。それは不可能だというのが私の結論だ。
  ところで、福島第一原発の5,6号機は稼働中であったが冷温停止を実現した。高台に補助の空冷式のジーゼル発電機が敷設してありこれが津波に呑まれず稼働した。唯一その違いだった。今回の事故に限って言えば、原因は津波対策が不十分だったということだろう。
しかし、設備の中枢部への飛行機の墜落衝突、悪意を持ったテロリストの攻撃、等、これらはどうか。なにが起こっても事故を起こさないことははたして可能か。リスク管理の立場からいえば、ナノグラムの生成物のリスク管理は天文学的な負担を我々にもたらすということだ。

カレーの市民・・・・褌子

  テレビで宣伝したとたん、ひまじんが殺到。情けないねえ底が浅いんだオレもそうだけどさ。スペイン近代史の光と影のなかプラドでみてこそゴヤがわかるということもわからんのかねえ全く最近の年寄りは!オレもそうだけどさ。
  美術館レストランでカレーでも食おうと思ったら、バーさん達が行列しているので恐れをなして外へ。こっちもジーさんだけどさ。ロダン「カレーの市民」へ直行。だぶだぶズボンの上品な紳士をみかけたがあれがそうだったか。
  駅へ向かうと銀杏の落葉がすばらしい。あとからあとから落ちてくる。雑踏のなかしみじみと見上げる日本の秋。やっぱり上野はいいねえ。ここへくる日本人は新宿あたりより品がいい顔なんだ。しかし菊川で夕陽をあびながら富士を遠望する逸徳さんほど神々しくはない。

いいなあ・・・・・逸徳

東京近辺にいると、いい展覧会にすぐいける。これだけは東京がうらやましい。とにかく静岡からだと往復1万なのだから。こういう文化的格差は腹が立つ。ほかのことでは別に東京がうらやましいと思ったことはないのだが。もっと文化財を地方に移転してくれんかなあ。コンチクショウ。
ところで、きのう原子力資料情報室の故高木仁三郎の「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)を読んだ。読み始めたらあまりにも面白くて、ついにおくことあたわずというやつで一気に3時間で読んでしまった。これは氏ががんになってから病床でかかれた絶筆であり、見事な文化論である。氏は冷徹な科学者であり詩人であり、思想家であった。ほんとにいい人は早く死ぬ。そしてどうでもいいのが、世の中を闊歩している。世の中よくなるわけがない。
 その中でおもしろいのは、私小説と仏師をならべて論じている部分である。個人の中に見る「公」の部分という章である。私小説は「私」ということにこだわっていて、そこから発して、往々にして破滅型というか自虐的に自己の内なる世界に埋没していく。そういう堕落していく人間の悲哀みたいなものをえがくことで、ある種の人間性の中の普遍性を書こうとしている。それに対して、仏師について、氏はこういう言い方をする。仏師の中には理想の仏陀のイメージを持っていて、それを目指してほっていく。つまりそこに向けて自分の技術を習熟させていったはずだ。けれども仏師が目指していた仏陀や如来などの像は、多くの人を満足させなくてはならないから、そもそも非常に公的な性格のものであるわけです。しかもなおかつそこにやっぱりその仏師の個性があらわれなくてはならない。つまり人々が求める普遍性、公共性というものをまったくの個人としての自分が体現しなくてはならない。このことを氏は「仏師の公共性」とよんでいます。 ここから技術のなかの普遍性や公共性というものに話がつながっていくのですが、技術者の思想性ということについて考えていた自分の問題意識にぴったりとあった感じがしました。 ぜひおすすめ。どなたか読んでみてください。まだ読後のハイテンション状態がつづいている感じで、今度この本、市民運動の読書会でどうかと提起してみようかと考えています。

カレー市民像・・・猫跨ぎ

  まてまて、私も昨日、カレーの市民像の前に居た。
東京博物館の法然・親鸞展を見に行った。行ったは良いが30分待ちの掲示。急に気持が萎えてしまった。とにかくちょっと評判になるともう曜日は関係ない。見るとヒマな中高年がぞろぞろ。何、お前がそうだ?その通り。
君子豹変で、すぐ取りやめにし、六本木の国立新美術館のモダンアート展へ行くことにした。その途中、西洋美術館前庭に入り、カレーの市民像を見つつ上野駅へ。そうか、居たのか。
・カレー市民像裏側を行く冬帽子

2011年12月1日木曜日

ゴヤ・・・・褌子

  死にゆくカマキリを定点で経時的に凝視している俳人の目を感じました。
  きのう上野の西洋美術館にゴヤ展をみにいった。銀杏がきれいだ。ずいぶん混んでいてやはりゴヤはマドリードのプラド美術館でのんびりみたいものだ。(スペインは行ったことないけど) 有名な「着衣のマヤ」はみたが「裸のマヤ」はなかった。
  ゴヤ(1746-1828)は(明治維新の40年前に亡くなっている)、ヨーロッパ最後の古典的画家であり、最初の近代的画家なんだそうだ。
  人混みのゴヤ展を抜け出して、レンブラント(1669没)、クールベ(1877没)、マネ(1883没)、ミレー(1896)、セザンヌ(1906)、ルノワール(1919)、モネ(1926)などの常設展示をゆっくり見て回ってその意味がなんとなくわかりました。
  外にでるとロダン(1917)の「カレーの市民」【写真】が青空にそびえていた。

かまきり考・・・猫跨ぎ

  庭の片隅に大きなかまきりが仰向けになって死んでいた。外猫に餌を日に二回与えているが、それは餌皿のすぐ横なので嫌でも目に入る。猫も全く無視している。三日目だったか何げなくかまきりを見ると、何と脚が細かく動いているではないか。生きていたのだ。
普通、虫はあっけなく死ぬ。こいつは別物だな。なにか妙に感動してしまった。そう言えば腹部など身体はまだしっかりしている。
  昨日一日外出していて、今朝になって見ると、もう動いていない。腹部の一部は黒ずんで腐敗が始まっているようだ。すでに骸と化していた。生死の境は歴然としている。しかし全くかまきりは只者でない。仰向けに昂然として死を迎えたわけだ。庭の片隅のささいな事であったが、ここにも命の荘厳さ、といえば大袈裟か。

2011年11月29日火曜日

菊の香や奈良には古き仏達・・・褌子

   いまある忘年会で酔っぱらって帰ってhorohorokaiを読んだところである。
―――――いままで実は言いそびれていたのだ。
   告白すれば晩秋の「菊」ほど愛してやまない花はないのである。しかも人倫による丹精込めた大輪よりもだんぜん野菊である。畑のすみっこ石垣のはしっこに摘むものもなく秋の暮れなずむ陽に照らされている野菊のあの色とりどりの花弁ほど味わい深いものはなかろう。
    頂上や殊に野菊の吹かれ居り  原石鼎
  私はどんなにこの句を秋の日々に口ずさんできたことだろう。
  教養博学きわめる猫跨ぎ氏によれば万葉集には「菊」をうたった歌は一首もないという。秋の萩などがあんなに歌われているというのに…。そうか、菊=キクchrysanthemumは渡来植物であったか。
 そこで酔眼のなか小学館万有百科大事典「植物」をひく。驚いたことに菊についてはえんえん四ページもある、萩はたった10行くらいなのに。
  そのなかで十六弁の菊紋の項に目が走る。戦艦大和の艦首のあの菊紋である。
 【菊紋】
「平安時代や鎌倉時代の衣服や調度の文様に菊花は好んで用いられた。後鳥羽天皇(1239没)はとりわけ菊を愛し、衣服、車、輿、刀剣などをその文様で飾り、それを後の天皇方が踏襲したことから、皇室の文様として使われるようになったという」
―――――といろいろご託を事典はのべているが、せんねん訪れた鎮護国家の比叡山延暦寺根本中堂には菊の紋章がおごそかに輝いていました。大唐帝国に留学した天台宗開祖の最澄に起源をおくという猫跨ぎ説がむろん正しいのであろう。
が、わたしには
   菊の香やならには古き仏達  芭蕉
をはじめ
   有る程の菊なげ入れよ棺の中  漱石
   菊咲けり陶淵明の菊咲けり   山口青邨
などよりも、やはり渡来臭の薄い  
   次の世のしづけさにある黄菊かな   浅井一志
などの川原ヨモギの匂いがする句が捨てがたいのである。

2011年11月28日月曜日

菊がきれいだ・・・猫跨ぎ

  寒くなって一段と清楚な美しさが目立つ菊。ところで菊の「きく」は音訓のどちらか判りますかな。正解は音読み。訓読みはなし。ということは、中国でもキクと発音しており、これは彼の国からの渡来植物であることが判る。唐代に交配により華やかな栽培種が作られ、それが奈良時代に日本にもたらされた。日本固有の野菊は二十種ほどあるが、カワラヨモギなどと呼ばれ、勿論、渡来の栽培種の菊とは違うものである。
菊を詠った歌は万葉集には一首もない。菊が普及するのは平安時代になってからで、以後日本で著しい品種改良を見た。重陽の節句に菊酒と称し、菊の花びらを盃に浮かべて飲む風流な習慣もそのころからである。菊と言えば皇室の紋章であるが、あれは本来、延暦寺の紋章であり、皇室に一時貸しているとお寺では言っているらしいが、真偽のほどは判らない。

2011年11月26日土曜日

陽だまりの樹・・・・褌子

   神保町の岩波ホールでイタリア映画『やがて来るものへ』をみた。ボローニア近くのレジスタンスの貧しい村民がドイツ軍に700人も銃殺された世界大戦中の事件を題材にしている。
   そのあとコーヒーをのんでから神田の古書店街を歩く。中谷宇吉郎全集とか永井荷風全集とかちょっと立ち読みする。
   手塚治虫の幕末長編漫画『陽だまりの樹』をみつけたので9巻全部3500円で買ってしまった。
   帰宅するやいなや面白くていっきに読んだ。中一男子の孫も読むかなと思って買ったのだが、濡れ場シーンもあるのでまだちょいと早いか。
   テレビは男系天皇はむつかしそうだから女性宮家の創設とか皇室典範の改正とか報じている。雅子さんストレスでますます荒れそう。22人の皇族のみなさん。がんばって男の子産めよ殖やせよなんて本当にご苦労様なことです。

2011年11月25日金曜日

誠にめでたい・・・褌子

   知らなかったが、中川先生の勲章はラ・マルセイユと三色旗を国歌国旗にしているサルトルの国からだから誠におめでたい。鈴木カップリングの鈴木先生のノーベル賞受賞もじつにうれしい。
  いっぽう平和賞はスエーデンでなくノルウエーが出しているが佐藤栄作元首相とかキッシンジャーとかに授与するなどたぶんに政治的で危うい。ソウカナントカ学会の名誉会長がノーベル平和賞の受賞工作を長年しているのは有名。この先生は全世界の貧乏大学などに金ばらまいてすでに250個もの名誉博士コレクター。年中、セイキョウ新聞にでている。「潮」「第三文明」「灯台」「パンプキン」とかに“文明対談”とかを毎回掲載しているがすさまじい俗物性と飽くなき名誉欲には驚嘆。
  文学、哲学そして宗教も現状批判精神があってこそ。だから天皇から直立不動で文化勲章もらって皇居の庭でにこにこしているようでは失格。
  話がそれるが平成天皇夫妻はとてもいいひとみたいだね。ナベツネの悪相と反対で、温和な人柄が風貌にでている。夫婦仲も良くてめでたい。体調よくないのに公務多忙。長男の嫁さんで苦労しているとか週刊誌にあることないこと書かれて気の毒。やっぱり君主制は人道上からも問題あり。いずれ消えゆく封建遺制ではないか。



2011年11月24日木曜日

勲章つづき・・・猫跨ぎ

  中川先生はフランス政府から或る勲章をもらっているので念のため。文化交流に関したもので正式名称は失念した。勲章一般にはそれ程目くじらを立てることもないと思うが。
ただノーベル文学賞なんかは、エンターテインメントの部分は構わないが、哲学的、思想的な分野では誰かに褒美を貰うというのは自殺行為になると思う。あらゆる既存の価値観からは自由であるべきという考え方は理解できる。サルトルはそういう事だったのだろう。ノーベル平和賞などはそう言う意味では、やや危うい所がある。

2011年11月22日火曜日

re:勲章・・・褌子

  そうか。サルトルのほうが偉いね。(サルトルはノーベル文学賞を断っているのですか?)
  しかし、日本人は勲章に弱いね。山田洋次監督もかなり高位の勲章もらってうれしそうな写真が新聞に出ていたことがある。さぞかし寅さんもがっかりしたことだろう。中川先生はまちがいなく勲章辞退するタイプ。しかし、学士院会員なんかに推薦されて毎月年金がでるとなると貧乏している学者先生にとっては魅力的だろうね。(わたしなんぞは賞状と賞牌、表彰式すべて辞退して、年金だけ内密にこっそりもらいたいタイプか(笑)
  総務省の賞勲局は大江健三郎の文化勲章辞退で赤恥かいたので、まちがっても辞退などしないように念入りに事前審査をしてからだすんだそうだ。
  夫婦で60年安保いらい共産党の活動していたおじさんが亡くなったのでお線香あげにいったところ、質素な仏壇のうえに黄綬褒章の額縁がかけてあったのでびっくりしたことがある。
  民生委員を何十年もつとめると順番で推薦されるらしい。民生委員はなり手がなくて困っているそうだが、このおじさんはずっと地域の生活困窮者の相談に献身的にのっていた。戦争中は熱烈な軍国少年だったというこのおじさんのなかでは、お国のため戦死したら靖国にまつられることも、人に尽くして勲章もらうことも、福祉政策改善させようと共産党でがんばることもぜんぜん矛盾なく共存しているわけで興味深い。ちなみに奥さんは日赤の従軍看護婦志願だったが戦地にいくまえに終戦になりましたといっていた。
この老夫婦のばあいはマルクス主義などの思想は関係ない。与えられた仕事はなんでも誠心誠意でとりくみ世のため人のためにひたすら生きてきたということなのだろう。

勲章・・・猫跨ぎ

  文化勲章には選定基準があるね。かりそめにも反体制的視座をもつ人間はまず選ばれない。大江健三郎はノーベル賞を受賞したので国も仕方なく文化勲章ということにしたんだろうね。大江もその辺は察知して断ったのだろう。
もっともスエーデンの王様にはぺこりと頭を下げたわけだからこの辺は一貫しない。サルトルはノーベル賞などジャガイモ一袋ほどの価値もないと言って断った。こちらの方に軍配を上げたい。文筆家はすべからく過激でありたい。

銅像公害・・・褌子

  句碑公害。まったく同感。佐渡島でも海のうえの断崖のうえにいくつもみた。いったい誰が勝手にたてるんだ。
 銅像公害(勲章公害も)もあるね。市原では長年自民党の県会議員だったAという男がなくなったら巨大な銅像が田んぼのなかの小さな神社のそばにたった。いわば公有地。こういうのを建てる取り巻きの根性がいやしい。だれかがペンキをかけたらしく長いことそのままになっていた。A氏が亡くなったとき小生はたまたま町会長をしていた。市の町会長会から、「A先生の御仁徳をたたえる『一掬の花』という御本が出版されました。町会長の皆様におかれましては壱万円以上の御寸志で御購入をお願いします」と回覧がまわってきた。わたしは生活相談を長年やっていた関係でこの議員に相談するとすぐ百万円とか相談料をとられると証言していた人を何人も知っていたので、「Aの生涯はカネカネカネだった。『一掬の花』なんてちゃんちゃらおかしい」と書いて奉加帳を送り返してやった。
  じつはA氏は戦後まもなくは左翼だった。が、レッドパージで自民党に転向したらみるみる才覚をあらわして蓄財し県会議長などをやった地方政界の有力者になった。
  さらにいうと読売のナベツネは戦前、東大の共産党のリーダーだったが弾圧されるといちはやく転向、同志を特高(このときの特高の責任者が正力松太郎)に売って生き延びて、正力の一番の子分として戦後日本の出世街道を上りつめた男だ。心胆の醜悪さかげんはあの風貌が物語っている。晩節をけがす典型的なタイプ。
  そのてん、辻井喬は立派だな。成金財閥の堤康次郎の妾腹のこどもに生まれセゾングループの総帥にもなったが、文学者としての誠実な生き方をいまも貫いている。心根の美しさはあの風貌が証明している(?)
  文化勲章を辞退した大江健三郎も立派。天皇から文化勲章もらってうれしそうにしている丸谷才一なんかよりずっと人間が信用できる。

胸像・・・猫跨ぎ

  人の悪口をまた言うのはどうもと思うがこの際いいか。読売本社に渡辺恒雄の胸像があると聞いた。生前に像を建てるのはオーナー経営で特に中小企業ではままあるが、いやしくも日本を代表する新聞社で、彼はサラリーマン経営者だ。きっと太鼓持ちが発案し、そうかそうかと相好を崩して了解したのだろう。すさまじい権力闘争を勝ち抜いて登りつめ、反対派を次々に排除していった先の醜悪な姿がそこにある。こういう人物が現役の主筆だ。社員は一体どう思っているのだろう。ジャーナリストはこういう形をもっとも厭わしく思うのではないかな。
  ついでに、句碑について。景勝の地に最近目立つようになった。芭蕉、蕪村ならまだしも、多くの人には全く無縁の人物の俳句だ。皆が皆俳句をたしなむわけではないのに、これは景観を邪魔する一種の公害だと思う。近代ではせいぜい正岡子規、高浜虚子までだろうが、なんと現役の俳人の句碑が続々と立つ。いつかNHKのラジオ深夜便で講師をやっていた某俳人が「私の十個目の句碑が出来まして」と悦に入っていたが、馬鹿じゃないかと思った。下品さが馬脚を現した。まず恥ずかしくないのだろうか。
飯田蛇笏は自分の句碑は作るなと言い残したという。さすがである。

2011年11月21日月曜日

ブータン・・・猫跨ぎ

ブータンの国王夫妻への好印象の声がさざなみの様に広がっている。今年の禍々しい出来事、政治も経済も、はたまたスポーツも不愉快な事象山積のなか、素朴で慎ましやかな印象がなんとも好対照に映る。こういう社会現象というのは、何事かを忠実に反映している。実に興味深い。ブータンの国花がメコノプシスという罌粟の一種。「ヒマラヤの青い花」ともいうらしい。ネットで見つけた。いやあ実に楚々とした美しさだ。

地球という星の・・・  褌子

日本シリーズも面白かったし、相撲も久しぶりに面白くなったね。
今朝5時ごろ、ラジオ深夜便で
地球という星の落ち葉踏みにけり  (詠み人 有馬朗人の奥さん)  という句を紹介していた。そのあとテレビCosmicFrontで「ブラックホール」をみた。ブラックホールの中心を望遠鏡でみるプロジェクトがすすんでいて、名大の若手研究者の4年越しの計算によれば東京から富士山の頂上にたつ人間の産毛がみえる解像度があればよいという。すでに地球上の電波望遠鏡全部を総動員して、地球全体をひとつの巨大望遠鏡にすれば産毛の手前の鼻毛くらいまでいけそう。人類はもうちょっとで銀河の中心にちかいところ2800光年むこうに存在が確認されているブラックホールの中心をのぞくことができるのだそうだ。こういう話をきくと好奇心満々の人類の一員でよかったと思うね。
  銀漢のうしろの闇をニュートリノ   などと口ずさんでいると何ともいい気持ちになった。
  ところが宇宙にはてを覗こうという人間と対極にある人間の醜悪な面だが、ナベツネという男が専横を極めている読売新聞社。人間もいろいろだな。

函館通信163・・・巨人軍・・・仁兵衛

 野球好きの私にとって今年の日本シリーズは面白かった。公式ボールの質が変った事もあるのだろうが高投低打で試合が締ったものになったのではなかろうか。負けた中日の落合監督はなかなか好きになれないがあの個性は捨てがたいものがある。
 ノーアウト満塁から登板したソフトバンクの森福の変則的な投球も面白かったし杉内のスピードはないがコントロールと打者とのうまい駆け引きには頭が下がる。応援している日ハムもこれらにやられたのだった。
 こんなに日本シリーズを楽しんでいる時に巨人の内紛が表に出てきた。野球界をまだ背負って立つとでも思っているんだろうか。もともとアンチ巨人だったせいもあるが少なくとも日本シリーズが終ってからにする位の奥ゆかしさがあってしかるべきではないかと思った。
 教養時代に体育で野球の授業を受けた。投手もやったがよく打たれた。打ったのは柳生君だった様な怪しい記憶がある。来年はダルビッシュが大リーグに行ったら日ハムも苦しくなるだろうな。しかし菅野は来なくてよい!巨人に行きたきゃいけばよい。

解雇・・・猫跨ぎ

  巨人は清武を馘首したが、まあ既定路線。しかし現役の頃は名うてのスクープ記者だったらしいからおめおめと負ける喧嘩はしないだろう。何かが起こりそうな気配。
社長、オーナー、代表、GMと誰がだれより上で誰が何をしており、どういう仕分けで仕事を分担しているのかさっぱり判らん世界だが、なに、あの爺さんの鶴の一声で何でも決まっていたことがはっきりした。内実は個人商店で、偉そうな経綸を書いている新聞の裏側がはっきりした。今朝も嫌な記事を見たが、長嶋が清武解雇はまったく正しいと語気を強めて言ったとか。これはすぐ判るみえみえのでっち上げ記事だと直感する。必要ならこういう捏造を平気でやる。
さて、どの新聞にしようか。東京新聞か。しばらく購読を止めるのも一つかな。

2011年11月19日土曜日

週末の雨・・・猫跨ぎ

このところ週末になると天気が下り坂。今日も雨のなか出掛けなければ。
ブログが煙の様に消えてしまったのは今頃だったか。丁度当欄を開いていたときで、動きが全く異常で、完全に壊れたと思ったが、過去が復元不能とは二度びっくりだった。ITの怖さだね。
色変へぬ松は私も知らなかった。長い季語はそれぞれに一癖あって面白いね。勃興する武士の代表の義家を配したのは通じていると思うね。勿来の関の故事は知らなくても。
 この際、私も使って見よう。
  色変へぬ松や彼方に無言館
先日当欄で国兼氏より、ホテルの選択でご丁寧に陳謝があったが、なんのなんの、あれも一興。全然構わない。大体、我々は贅沢に慣れすぎている。


2011年11月18日金曜日

注意!! 本ブログはオートセーブ機能がない・・・褌子

   いぜん、本ブログで誰かが、自分の発言を削除しようとおもって「編集ツール」 ⇒「記事の編集・削除」 ⇒「すべてにチェックを入れる」をおしたあと、「削除」ボタンを押してしまい、すべての過去発言が全部完全に消失してしまうという“想定外の事故”がありましたね。
  「すべてにチェックを入れる」は絶対いけません!!  自分の発言にだけチェックをいれて注意深く恐る恐る「削除」してください。
  じつはあの事故のあと、諸兄のすべての発言を自動保存(英語でオートセーブ)してくれるブログを探してほしいと、パソコンに詳しい甥っ子にきいたのですが、その回答を忘れてしまいすでに何年かたっています。國兼さんはITに大変詳しい人なので自動保存機能をもつブログなどをぜひ探して紹介して下さい。
  「人災は忘れた頃にやってくる」

八幡太郎・・・褌子

むかし、勿来の関跡を國兼さんと私を案内していただきましたね。
  武将の銅像があったような記憶があるがあれが八幡太郎義家だったか。義家の和歌の碑もあったんだね。
・ 湿拓を施す関の碑に 油蝉のこゑ染み返るなり
   湿拓って私には難解だが、拓本をとること?
   油蝉の声…山寺も油蝉の大群ではなかったか。one cicadaでなく。
・ 武士の礎築きし義家の 今日の世を見て何を思ほゆ
・ 古の蹄音する関跡に 太平洋より渡る春風
    源家義家の馬の蹄
・ 可憐なる猩々袴見つけたり 春まだ浅き関の古径に
  なかなかいい歌である。
  そこで八幡太郎義家について調べた。東北と縁の深い武将であることがわかった。義家のひ孫が源義朝で義朝の子が頼朝や義経だ。源氏は東国系、平家が西国系だということがわかる。清盛は助命した頼朝をわざわざ東国の伊豆に流したのが平家滅亡の原因をつくった。
「平安後期の武将。源頼義の長男。石清水八幡宮で元服し八幡太郎と号した。前九年の役に父に従って参戦,勲功により1063年(康平6)従五位下出羽守となり,やがて下野守に転任した。陸奥守兼鎮守府将軍として赴任,任国に起こった清原氏の内紛を私兵をもって鎮定した(後三年の役)。しかしこの戦乱を通して義家と東国武士間の主従結合が強化され、義家は〈天下第一武勇之士〉と評されるに至った。源義家が〈衣のたてはほころびにけり〉とうたいかけ、貞任が〈年をへし糸のみだれのくるしさに〉とこたえたという故事は,衣川柵脱出のときのことという」
腕っ節だけでなく文人でもあったようだ。              



2011年11月17日木曜日

函館通信162・・・八幡太郎・・・仁兵衛

 折角書き終って送信しようと思ったら急に画面が消えてしまった。同時にPC上で聞いていたNHK・FMの音楽放送も切れてしまった。何かなと思ったら地震速報が流れたせいらしい。(5時38分)
 句評有難う御座います。若干の補足して置きます。
 ・ 色変へぬ松に八幡太郎かな・・・お恥ずかしい話だが「色変へぬ松」という秋の季語を知らなかった。他人が使っている句を読んで一度使ってみたくなった。松と言えば私にとっては勿来の関の松が頭にこびりついている。
 源 義家はここで 「吹く風をなこその関と思へども 道もせに散る山桜かな」と詠った。確かに桜も種類多く古木もありなかなか美しい。しかし太平洋からの松籟も私にとっては捨てがたい訳だ。
 毎年ある関記念館の歌会に出したお粗末な歌を加えさせて下さい。
 ・ 湿拓を施す関の碑に 油蝉のこゑ染み返るなり
 ・ 武士の礎築きし義家の 今日の世を見て何を思ほゆ
 ・ 古の蹄音する関跡に 太平洋より渡る春風
 ・ 可憐なる猩々袴見つけたり 春まだ浅き関の古径に

無言館・・・猫跨ぎ

  ふと思い立って昨日、上田の無言館へ出掛けて来た。天気は快晴、風もなく落葉を踏みしめながらの一日。
無言館と分室、やや離れて信濃デッサン館の三館からなる。ぽつりぽつりと人が訪れる程度で静寂につつまれ良い雰囲気だ。一通り見て外へ出て前庭の椅子に座って持参の握り飯を食べているとふいに涙が出て来た。
それぞれの過酷な運命をいまさら喋喋しても始まらないが、何というべきか、ここにあるのはいきなりへし折られた青春そのものだ。それがそのままの形で止まっている。それが痛切に胸を打つ。
信濃デッサン館は村山槐多とか関根正二、小熊秀雄らの言うなれば夭折の画家達の小品を集めている。(槐多の有名な「尿する裸僧」は近代美術館に貸し出し中とか。)
あわせて、ここは青春の美術館だ。反戦のシンボルと見る向きもあるが、それとはやや違う印象を持った。館主の窪島誠一郎氏もそういう考えらしい。
上田電鉄にゆられて塩田平の秋色に包まれる山並みをながめて、しみじみとした爽やかな一日だった。
景色に山があるのは見る人を安心させる。山のない千葉と比べて改めてそう思う。

2011年11月15日火曜日

仁ちゃん句鑑賞・・・褌子

初雪に遅れカリヨン響きけり
    空気が冷たくかわいている。函館のナナカマドももう落葉したか
冬紅葉遺跡の海に果てにけり
   病んだ冬紅葉が風雨で傷んでいるのは♪~哀れをさそうわくらばや~♪
縄文の人に勤労感謝の日
    生き延びるために縄文人は必死で食べ物を探し寄り添って寝た。
    失業がない。搾取がない。飢餓寒さ病魔に襲われるが現代日本人よりも安息した精神をもっていたはず
色鳥やブラキストンを跨ぎゆく
  秋渡ってくる小鳥類を色鳥というんだね
  ブラキストンは幕末箱館にきて津軽海峡線を唱えた。
  つまり人間も本州人と道産子ではビミョウにちがうかもしれん
発車ベル響き終りて秋の蝶
   啄木もあっちこっち借金ふみたおし女泣かしてこんな風に転々していたなあ
色変へぬ松に八幡太郎かな
  八幡太郎といえば源家の義家だが、はて
【写真:千葉県央の城下町久留里の山のなかの神社のシイの木】

頑張って頂戴・・・猫跨ぎ

  そういう事であれば世は大腸ガン患者で溢れていそうだがそうでもない。まあ小生の長年の持論、癌はなる人はなり、ならぬ人はならぬ、ということとしたい。毎年一回尻の穴に何やら差し込まれて長生きしてもなあ。
それから、日頃、三杯飯を食い、あれこれ雑多なものを腹一杯食して、大酒を呑む、いうなれば悪食の諸氏は注意しなければならないが、いつも腹八分、質素な食事を旨とし、晴耕雨読を心掛けている私には縁のない話ということとしたい。
ケツの穴の小さい奴だとも何とでも言ってくれ。

専門家??としてひとこと・・・・逸徳

ポリープをばかにしてはいけません。とったポリープは通常組織検査にまわされ5段階で判定されます。安全が1で、ほぼガンという悪性が5。おいらはいつも3でした。どなたも大体3でしょう。つまりガン予備軍で、ほっておくとポリープは進行してがんになります。良性のまま、きのこがおおきくなるようなことは考えにくい。で、よく便潜血検査といって便のなかの血をしらべる方法がスクリーニングでつかわれていますが、正直あまりあてにならない。ポリープ自体が出血することは考えにくく、要するに便が通過するときにこすれて血がでるという場合を見ているわけで、出血しない場合も多い。逆にいえば見逃す場合があります。おいらは一度みのがした。つまり便潜血がなくて、内視鏡ではあったわけ。大腸内部はアコーデオンみたいにひだがいっぱいあり、そういうかげにはいると便でポリープが出血することがおこりにくくなるらしい。
なお、しまつがわるいことには大腸がんは初期は自覚症状はほとんどありません。自覚症状が出てきたときは、相当進行して壮年のがんの可能性が高い。それから検査前に下剤や腸内を洗うくすりをのんで中をきれいにしますが、これ体のためには非常にいい。体が軽くなって気持ちがいいのが実感されます。そのために、それだけを目的に年に1度、腸のそうじということで、医者にかかる人もいます。薬も事前の食事も進歩していますよ。昔ほど苦しくはありません。腹黒いひとはおすすめします。

腔腸先生も目に泪・・褌子

 ちまたは大腸ファイバーで盛り上がっている。
  こういう下賤なはなしは苦手なたちだが、火をつけた逸徳先生がいけない。
  はじめてポリープをとったあと家内の女友達とアラスカに行ったことがある。
  オーロラが出なくてがっかりした分、ホテルでは四人全員が大腸ファイバーの経験者で盛り上がった。異口同音、子供を生む苦労に比べたら大腸ファイバーなんて屁のカッパよ。ちょいと穴だけ出せば用が足りるんだもんねエ…というのである。
  その、ちょいと穴だけが男にとっては驚天動地、みぞおちあたりまで異物で刺し貫かれる痛さと情けなさには涙がでた。
  猫跨ぎさんにはぜったいオススメ。句境にも劇的変化が生じよう。げんに小蔵ひでをさんは大痔主快癒祈願から名歌が生まれた。
   食っちゃ出すヒトもナマコも筒一本
   ずんどうの筒に目鼻のおなごかな
   ぶすり串刺し腔腸先生目に泪

2011年11月14日月曜日

腔腸動物・・・国兼

  ポリープね、思い出すなー・・・。、97年に初めて大腸ポリープ検査をしたが、検査前段階の便の黄色みが無くなるまでの、2日間の医者から与えられた腸内掃除用の食事と特殊水に辟易した覚えがある。検査は麻酔薬で眠っている間に終わり、「ハイ、ポリープ切断肉腫です」と言われたが記憶は定かでない。何か数ミリ程度の小さなポリープが数個かあったらしい。「まだ、ファイバーによる熱源で切るには小さすぎるポリープがあるから、大きくなる数年後に来なさい」と言われたが、あの事前検査がうっとおしくご無沙汰している。医者の見立てを信じると、かなり大きくなっているのかも知れんが、でも血便も無く腸の調子も快調である。ポリープも、時に悪性腫瘍に変化するものもあるらしい(しかし、逸徳さんも11回目とか、よくやるね、美人の看護婦さんにこれ見よと・・・?)
 動物の起源は腔腸動物で、口と腸と肛門があったに過ぎない。この3部門があることによりそのはるか後のヒトの今日の繁栄がある。肛門が無ければ垂れ流しで、栄養吸収が出来なく今日まで存続・存在できなかったであろう。やはり、ギッと閉める部分が必須なのだ。その後のヒト族は虎のパンツや褌で何か恥ずかしそうに隠しているが、そうではなく、動物生存にとって」重要かつ必須のものである。アダムがリンゴを食べてからヒトは変な羞恥心を持つようになってしまった。

 話代わるが、今回のホロホロ会での酒田のステーションホテル、申し訳ない選定をした。ともかく寝るだけでよいと言うことだったのでコスト重視で選択したが、元大地主からウォーシュレットのトイレが無いとか、又エレベータのないホテルはと、評判がよくなかった。今後は中程度のエレベータがあり、ウォーシュレットのトイレがあるホテルにしよう。



 
 

ポリープ談義・・・猫跨ぎ

大腸ポリープの話が盛り上がっているが、逸徳氏と同じ感興を抱き、大分前
・動物は一本の管穴惑ひ
という句を作ったことがある。
このまえポリープは直腸付近に出来るのかいと聞いて、とんでもない、大腸全部だといわれへーと感心した。聞いてみないと判らないものだ。ついでに聞くが、そのポリープ(勿論良性だが)を放っておくとどういう事態になるのか。ポリープが林立して腸閉塞になるとか。
かくいう程この件については無知で、褌子、国兼両氏も尻の穴を掘られているとはなあ。そんな母親以外に見せていない恥部を見せることが出来るわけがない。そうか、皆さんはそうとは見せず、実は修羅場を潜っているわけだ。アナ恐ろしや。

RE:栄光の虚人軍・・・褌子

  猫跨ぎ発言にまったく同感です。まったく嘘つき虚人軍だ。ナベツネにひれふす読売・日テレ。老害極まれり。
  むかしも江川事件というきたない事件があったね。
  新聞は「東京新聞」がいい。もちろん「しんぶん赤旗」がいちばんまともだが。企業の広告のせないから原発の危険性も昔から指摘してきた。

仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

・初雪に遅れカリヨン響きけり
 森井宅ではカリヨンの良い音色が聞こえるのだろう。これで二回目かな。
冬到来を奏でているのかの様に。
・冬紅葉遺跡の海に果てにけり
遺跡の海が判らないが、沈船のことか。海岸よりにあるのだろうか。
・縄文の人に勤労感謝の日
北海道は縄文につづく続縄文時代というのが長かったとか。労苦に思いをはせているのだろう。
・色鳥やブラキストンを跨ぎゆく   
鶸とかジョウビタキなどの冬鳥。函館を越え津軽海峡をわたって本州に飛来する。あんな小鳥がねえ。
・色変へぬ松に八幡太郎かな   
 松の緑に源義家を連想したのか。よく判らないが。 
  
残りの五句はいつもの身辺記。
・宿題は三桁足し算暮早し
これはお孫さんのことかな。
・口上をつかへつかへて冬隣
まさか結納の儀ではなかろうが。
・出しゃばりのブーツ三足小六月
小姑たちがうるさい?
・発車ベル響き終りて秋の蝶
彼等も帰っていった。
・切り貼りの障子の桜三つ四つ
孫の室内運動会の後始末。

妄想多謝。

栄光の虚人軍・・・猫跨ぎ

  巨人の内紛が異例な形で表面化した。たかがプロ野球の一事だが私のなかでは激震だ。私は平均的なフアンであるから全国的には同じ反応が多いと思う。
渡辺恒雄は一介のサラリーマンで出世をとげあの地位に登りつめたのだが、どんな才覚があったのか院政どころかまだ現場で権力を揮っている。85才だ。変な爺さんだ位に思っていたが、今回の一件で嫌になったのは周りの取り巻きだ。清武が反旗を翻したのは余程のことだったのだろうが、一緒だと思っていた桃井とかいうオーナーが何とさっさと清武を切り、渡辺にすり寄ってしまった。原監督、この優等生男も大勢がはっきりすると、渡辺よりの姿勢だ。勿論読売はこの件を一切報道しない。栄光の、常勝の巨人軍の看板も何か滑稽だな。このエリート臭の滑稽さを本人達が気付かない。江川がここへ絡んでいるのもお笑いぐさだが。この爺さんは読売本社でも同じ感じで人事、紙面に口を出しており、下がみな靡いているのだろう。読売本社、巨人まるごと急速に薄汚く見える。
子供の頃から生え抜きの巨人フアンだったが、もう止めようと思う。長年の読売購読もこれで終わりだな。
日本のマスコミの胡散臭さの内実がぽろりと顔を見せたといえるかな。
仁句鑑賞の前にちょっとひと言。

函館通信161・・・冬に入る・・・仁兵衛

 面白い旅行記等を期待していたが直ぐにポリープ切除の話になってしまいいささか寂しい気がする。
 「小惑星地球かすめる良夜かな」!褌子さん本当に素直な良い句ではありませんか。これからが大いに期待出来ますね。自分で句作していて十個いや百個に一つぐらいしか自分でいいなと思えないのが通常ですが思いついたら直ぐに書き留めて置いてください。

 さて猫跨ぎさんの句を鑑賞しましょう。
 特選は褌子さん同様「銀漢のうしろの闇をニュートリノ」に尽きる。ニュートリノといった比較的新しい専門用語を柔かく使いこなしている技に新鮮さと緻密さを感じました。
 「白鳥の胸照らされて渡りきし」・・・大きな場景なんだが焦点を胸に絞ってありその光が何とも神々しい。函館でも特定の所に行かないと鳥渡りは見られないそうだ。
 「今日終り転がり出たる新松子」・・・上五の今日終りが意味深だ。その一日が単に終っただけではなさそうだな。だから季語のしんちぢりが活きてくるのかな。
 「即身仏の赤き衣や秋幽か」・・・湯殿山入り口の即身仏かなつかしや。

 函館は明日頃から寒波がやってくるそうだ。土曜日にタイヤ交換も片付け万全とまでは行かないが準備に怠らない。TPPで北海道の農水産業が壊滅するとの報道が多いいがもっと冷ややかに対処策を考える人はいないのかね。そんな中鈍句十句を出す。

  初雪に遅れカリヨン響きけり
  冬紅葉遺跡の海に果てにけり
  縄文の人に勤労感謝の日
  宿題は三桁足し算暮早し
  口上をつかへつかへて冬隣
  出しゃばりのブーツ三足小六月
  切り貼りの障子の桜三つ四つ
  色鳥やブラキストンを跨ぎゆく
  発車ベル響き終りて秋の蝶
  色変へぬ松に八幡太郎かな
 

カモシカのような美しい身体維持に苦闘・・・褌子

逸徳さん。崇拝する十一面観世音大菩薩さまの大腸ファイバー検査だけはいかん。ぜったいいかん!。聖母マリアさまなら一回くらい黙認してもよい。
  じつはわたしも九年前に大腸ポリープをはじめて1個とった。一泊入院までした。また、そろそろかと思って大腸ファイバー検査を申し込んだら、事前の診察にきてほしいというので、さきおととい行ったら、いきなり大腸ファイバー検査なんておおげさです。まず便潜血検査ですよと容器をくれた。どうも逸徳さんと体質がちがうみたいだ。ポリープとかガンとかあんまり余計なものを作らないエコでカモシカのように美しい体らしい。
  はんめん、循環器系が非常にあやしい。ふっと一秒くらい記憶が途切れることがある。階段でふらふらとしたりつまづく。朝めまいがする。食い物ををむかしからぽろりとこぼす。酒はこぼさない。モノやヒトの名前を忘れる。まぶたが突然ぴくぴくする。そこで年中、左右の人差し指を両脇から動かしてぴたりと合うかやっている。今のところはぴたりと合うんだね。
  血圧もすこし高めだがまず正常だというし、あの3月11日にたまたまCTスキャンとったら異常ないといわれたが、確かに脳梗塞のかすかな前兆がある。
  そこで好物のたらこや塩辛はひかえて、野菜、青い魚を猛烈に食う。年中、水を飲む。が運動はあまりしないのでお腹がでてきた。みっともないと女房にいわれるのでストレスがたまる。これがいちばん身体にわるいんだ。

ポリープをとってきた・・・・逸徳

大腸ポリープの検査を受け、ちいさいのをひとつとってきた。今回は、ちいさかったので、切除したあとはクリップでパチンととめて出血を防ぎ、そのまま帰宅OKになった。技術の進歩はすざまじい。で、とにかくこれで12回目なのである。しかもおんなじ医者にかかっている。何度もおんなじ人に肛門を見せると、なんとなく不思議な親愛感がわいてくる。うん・・・・。で、腹の中はとてもきれいなピンク色で、別に黒くはなかったことを報告しておく。清潔温和なわが性格は、これで証明された。
 で、12回だからそろそろ割引にならんかときいたら、病院はスーパーの売り出しとはちがいますといわれた。だよな・・・。しかしかかっている医者がなかなかの名医で、もう10000回以上の大腸検査をやっているらしい。ということはひとの尻の穴をながめて10000人以上ということである。一般には、仕事での体験は、その人の世界観や人間観に一定の影響を与えるというが、では10000回も人の尻の穴をながめたら、どういうことになるか。「しょせん、人間とは筒である。なまこみたいなもんだ。」という感覚がうまれないだろうか。どんな権力者でも絶世の美女でも尻の穴を見てしまえばおんなじである。つまり、これはきわめて民主主義的な、人間平等の感覚になるだろう。で、妄想がわく。11面観音の腰まわりを見ていて感動した方がどこかにいたが、あの仏様を大腸検査したらどうなるだろうなあ。・・・・・

2011年11月12日土曜日

土門拳の古寺巡礼・・・褌子

 土門拳記念館では確かに向源寺の十一面観世音菩薩に再会した思いがしましたね。
頭部うしろのくぁっと口を開いた笑い顔はとくに迫力があった。
  やはり心の目で見ることが大事。観音様の腰のS字曲線ににんまりしているようではまだまだ修養がたりない。
  わたしはいま飛鳥のたびの前座に国兼・小林の諸兄とたちよった東大寺戒壇院の四天王像にはるか思いをはせている。  持国天・増長天・広目天・多聞天が甲冑に身をかためて忿怒の形相で邪鬼を踏みつけている。

円高の中味・・・猫跨ぎ

  ローマ人はその後ゲルマンの大移動その他に席巻されて混血が進んで、もう遺伝的にはぐちゃぐちゃになっているのではないか。たしかにコロッシアムとか水道とかローマ法とか作った人達とは随分違う印象。ギリシアも然りだな。混血が良いのか悪いのか一概には言えず、エスニック問題になって皆口ごもる。戦後この問題はタブーだね。
  これは前にも言ったことがあると思うが、ヨーロッパの国民の幸福度を調べると、一位はデンマーク、二位は何とギリシャ。イタリア、スペインなど問題国が上位を占め、EUを支えているドイツがずっと下位とか。皮肉なものだ。
ノーテンキが幸福度が高い。このままだとドイツの国民が黙っていまい。ぶらぶら遊んでいる連中の尻ぬぐいをどうして我々がせにゃならんのか。波乱含みだね。

日本の円高の原因がよく判らない。3.11で経済基盤が大きく傷つき、復興の輸入増で経常収支が大幅の赤字が予想され、これからは円安だと金融筋は言っていた。それがどうだい。
この未曾有の円高は。
  このマイナス要因が意外に軽かったこともさることながら、欧米が悪すぎる。日本の皆保険制度とかインフラがしっかりしている度合がのーてんきの欧米なんかより相対的に高いということの評価らしい。そういう総合点だという経済学者の見解を聞いた。

この国もだ・・・国兼

  ギリシャは数十兆円の借金で国家破綻だと、イタリアはGDPの1.2倍の借金で騒いでいる。一方、この国はGDPの2倍、千兆円近くの借金をしながら、困ったことだと腕組みをして沈思黙考しているぐらいで、又、国際的にも少々の懸念事項で問題にもならない。この国が破産しても、郵便貯金が同じぐらいの額があるというその担保のお陰で他の国への影響は少ないためであろう。
 竹下政権以来だろうか?国債という紙切れを発行して税収を補ない始めたのは。それが今や、税収を越える国債発行額である。「入るを図って出を制す」という家庭でも、会社でもあたりまえのことをこの国の人々が忘れている。この借金をこの国の子孫代々に「飛ばす」というのだろうか?「沈没」は近いのでは・・・?。

 話代わるが、今回のホロホロ会の旅で最も感動したのは、土門 拳記念館で何年か前に向源寺で拝見した「東洋のビーナス:十一面観音像」に再会したことである。漆黒の背景を背に浮き出たような十一面観音像は、向源寺で見たものとはまったく異なる印象の像である。向源寺では腰の辺りの艶かしさに目を奪われたが、今回は頭部の後ろの不思議な笑い顔?の面をもじっくりと見た。行きつ戻りつ何回繰り返し見たことか。写真集を買った御仁も居られるようだが、私は「心の眼」にシカと焼き付けておいた。



イタリヤとギリシャ・・・褌子

 伝えきくイタリアの無規律な国家運営ぶりをみていると、現代イタリア人は古代ローマ帝国を建設したローマ人の本当の末裔なのかなあと思ってしまう。こんな疑問をもつ日本人は少なくないとみえて、あるひとが『ローマ人の物語』の著者塩野七生に質問したそうだ。
答えは「同じ民族のわけないじゃあない。(人の出入りの少ない)島国日本ではないのよ。コロッセオをローマ人は四年あまりで造ったのに、いまは建物ひとつ建てるのに何十年もかかる人たちです」と一刀両断だったそうだ。(塩野というひとはエリート意識もけっこう強いタイプできついことはっきりいう人なんだ。そこが彼女の著作の魅力でもあるが)
 アメリカ式市場原理主義を拒否し、個性的な中小企業が元気な現代イタリア社会をみているとイタリア人が無能とは決して思わないし、民族的自立度の面でも今を謳歌する生き方という点でも、現代日本人よりも幸福度ははるかに高いのではないだろうか、そんな気がする。しかしイタリアの政治家は日本よりもさらに質が悪そうだね。

2011年11月11日金曜日

今日は満月のはずだが雨・・・猫跨ぎ

  地磁気の反転は外核の鉄の対流が急激に変化するからと説明されていたが、何故急変するのか判らなかった。それが今度の二層構造説で、説明の手掛かりが得られたということかな。一石を投じたということだろう。

  拙句の解釈についてちょっと補足させていただく。
白鳥句は褌子氏と並んで酒田のホテルで朝食をとっていたいたとき。大ガラス越しに白鳥の四羽が上空をかすめて行った。遠く向こうの方にも6~7羽ほど。「ほら、向こうに渡り鳥が」と言ったのに、褌子氏は飯を食うのに夢中で気付かなかったらしい。最上川のそばに白鳥の中継地があるとは後で聞いた。
月山文学碑は森敦の文学碑で、注連寺の境内にあったもの。

小惑星地球かすめる良夜かな・・・・褌子
そっと 題名に忍ばせるのは憎い。いや大いに目立つか。良句だね。

そろそろ仁句の出番だな。

小惑星地球かすめる良夜かな・・・・褌子

猫句を鑑賞する
   白鳥の胸照らされて渡り来し
白鳥の飛来場面みたことはないが、ありありと目に浮かぶ
   稲架暗く日本海はまだ暮れず
これはまさしく日本海の景。はじめて千葉にきたとき、なんでこんなに天気が毎日いいんだろうと思ったものだ。だから千葉生まれの男は、のー天気。陰影に富んだ愁い深い私の性格は佐渡生まれであってこそ。
   即身仏の赤き衣や秋幽し
注蓮寺
   薄紅葉さしのべ月山文学碑
出羽月山
   新松子青し高山樗牛像
藤沢周平記念館に行くときの鶴岡市役所そば
   銀漢のうしろの闇をニュートリノ
特選  光速より高速のニュートリノはどこに飛んでいったか?
―――――   
  78万年前に地球の磁石が南北逆転した。
  この地磁気逆転期の地層が市原市養老川の崖に露出している。地磁気逆転の露出層が現在みつかっているのは、イタリアと市原だけ。
  地球のN極S極がなぜ逆転するのか不思議だったが、このほど原因がわかった。
  今朝の新聞報道によると、極半径6357キロの地球は地殻の下のマントル(約2900キロまで)のさらに下の約5150キロまでが外核といわれる層だが、均一構造ではなく地下四千キロ付近で構造が変わることが東工大チームなどの実験で明らかになった。
  外核では高温高圧の酸化鉄が対流しており、方位磁石のN極が常に北を向くのはそのためである。東工大広瀬教授らは酸化鉄を地球内部同様の高温高圧状態にして温度と圧力を変えながら結晶構造の変化を調べたところ、240万気圧・370度で酸化鉄の規則正しい原子構造が崩れることを発見した。この気圧は深さ4000キロの外核の真ん中あたりの気圧に相当する。この結果をふまえると、この深さで二層に分かれた外核の地表側と地球中心側とで酸化鉄が別々に対流し、両者のバランスが崩れたときに、地磁気反転が起きると説明できるという。
  両者のバランスが崩れるのがどうして70万年毎なんだろう? 

2011年11月10日木曜日

十句・・・猫跨ぎ

禍々しい一年だったが、もう11月か。若い人達は大変だが、古希間近かとなってみれば
真顔になって執着することもあるまいと思えてくる。せいぜい、あまり周りに迷惑をかけぬよう、心していこう。

吟行句は中途半端だけれど、最近の十句

線量計を下げて見てゐる渡り鳥
無人駅のここまで寄せる野菊かな
白鳥の胸照らされて渡り来し
稲架暗く日本海はまだ暮れず
即身仏の赤き衣や秋幽し
薄紅葉さしのべ月山文学碑
新松子青し高山樗牛像
今日終り転がり出たる新松子
銀漢のうしろの闇をニュートリノ
蜂蜜のしづくの長き秋の暮

この時代だが酒は美味しい・・・褌子

  原子力発電と放射線防護の研究は続けるべきだ。廃炉するにしろ膨大な原子力関連技術者は絶対必要。
  エネルギーを原発に頼るのはいったん事故が起きたら放射性物質の拡散は空間的にも時間的にも人類の能力を超えていることが証明された。だから原発に頼るエネルギー政策は当分やめるしかないが、原子力の基礎研究はますます不可欠になった。
  地球温暖化問題、エネルギー問題、核兵器問題それに人口70億をこえて2050年までには100億人になるというから食糧問題(水問題)がじつに重く、人類の将来にのしかかっている。(ルワンダのツチ族フツ族の大虐殺も食料危機が根っこにある)
  近所のお医者さんの元山先生は、人類が生きのびるには世界的な産児制限運動が不可欠だ。地球規模の食料争奪時代になってきたのにTPPなどとんでもないと力説している。(中国の人口抑制策である過去数十年の一人っ子政策が将来、超高齢化社会となってはね返ることも隣国の大問題になってきているように産児制限運動には光と影がある)
  いずれにしろアメリカ型の多国籍企業の利潤・戦争追求システムでも中国型の国家資本主義システム(中国政府は市場経済を通じて将来は社会主義へ向かうといっているが実態は暴走する資本主義そのものにみえる)も大きな壁にぶつかりつつある。
  ずっと戦争ばかりしていたヨーロッパがEUでまとまってめでたしめでたしと思っていたが…ギリシャ、イタリアで大騒ぎになているし。
  宇宙の構造と生命の仕組みまで日進月歩で明らかにしつつある人類の頭脳だが、そんな頭脳をもつ人類自体の生存・再生産の基盤があぶなくなっている。こんな時代にわれわれは生まれあわせた。諸君、俳句ひねったり焼酎飲んでるばあいではないぞ・・・・
   などと勇ましく力んでみたが、先日上海に里帰りした中国人留学生がお土産にもってきた10年モノの紹興酒を飲んだらとても幸せな気分になってしまった。ままよもう寝よう

2011年11月9日水曜日

説得力・・・猫跨ぎ

「広島ナガサキフクシマで三度被曝した日本は原発きっぱりやめます、だから地球上から核兵器も原発もなくしましょうとならねば説得力がない。」

「説得する」という文言の主語は誰で、目的語は誰か。つまり誰が誰を説得するのか。
肥満体の医者が患者にメタボの話をしても説得力がないのは、これはまあ判る。
言いたいのは日本が中国に対し原発は止めましょう、ということだろう。日本できっぱり止めました、だから止めてください、と言って、相手が、はいと説得されそうもないのが問題なところだ。強勢中華大帝国が小日本の忠告など聞きそうもない。じゃあ市民運動レベルで反対運動を一緒にと言ったところで、これが全く不可能なのが今の中国だ。
むかしむかし、全学連の数人がモスクワで核実験反対のデモを企て、あっというまに捕まった夢みたいな話があったが。それが再現されるだけだ。内政干渉として外交問題となるだけだろう。
本当の国の安全保障を考えるのであれば、向こうで何かが起こったとき、すっぽんぽんの状態は避けねばなるまい。次善として、原発はきっぱり止めないで、或る水準で続けて、一定の技術は継続する、向こうで何か起こったときに問題に対処するため、場合よっては解決に協力するため、こういう能力を維持する努力はすべきだろう。軍事力に話は似てきたが。

吉村昭『光る壁』・・・褌子

  中国沿岸部の原発が事故おこしたら、あっというまに日本列島は汚染される。福島原発の放射能物質も大部分、西風で太平洋に落ちているが、中国大陸で事故が起これば黄砂といっしょで偏西風で日本はいちころ。韓国東岸にも原発が林立しているから対馬海流で日本海は総汚染されることになる。
  いまベトナムに日本の原発を絶対安全だからと輸出する話が進んでいるが、全然安全でないことが証明されたばかりなのにひどい話だ。去年ハノイ空港からハノイへの高速道路の両脇にキャノンや日立、小松製作所などの大工場が林立しているのをみたがベトナムは猛烈な日本企業などの進出ラッシュで大量の安定した電力を必要としているのが背景にあるときいた。
   うちはフクシマではちょいと油断したがもともと技術的には優秀なんだ。あんたんとこは後進国で心配だから危ないことはやめなさい…というのは説得力がない。日本だって昔は中国文明の恩恵多大だったし、明治維新後は必死で欧米の技術をまねして使い回しに成功した。江戸時代から読み書き算盤を奨励し当時は世界で一二の手先の器用さをもつ民族だといわれていたということもあろうが。先日、富岡製糸場をみてその感を深くした、
  広島ナガサキフクシマで三度被曝した日本は原発きっぱりやめます、だから地球上から核兵器も原発もなくしましょうとならねば説得力がない。
  タイの首都バンコクの洪水がひどい状態。大きくは地球温暖化のせいだがバンコクの周辺の田んぼや湿地帯が洪水になってもダムの役割を果たしていたが、これらを埋め立てて日本などの工場が大挙進出した影響がじつは大きいという。そういえば私のカメラもICレコーダーもmade in タイランドだった。
  ところでオリンパスといえば昔のぞいた顕微鏡はオリンパスだったし、私が二回飲んだ胃カメラも二回もぶすりと串刺しされた大腸ファイバーもオリンパス製。なんと世界の7割が同社製だというから超優良の医療機器メーカーではなかったか。大正8年創立の高千穂製作所という独立系のものづくりの名門企業が、バブル期に財テクに手をだした。本業からはずれたら失敗するということなんだね。
  わずか14ミリの喉を通過させる菅、カメラ、フィルム、ランプをどうするのか…胃カメラという世界初の技術開発にかけた男たちの苦闘を描いた吉村昭『光る壁』を興奮して読んだころがなつかしい。

2011年11月6日日曜日

安全とは・・・猫跨ぎ

  よかったね。ところで、発音が良いとの一言は手紙の裏に書いてあったのかな。
逸徳氏の項に戻るが、「日本では水と安全は只」とよく言われる。とにかく徹底的に除染せよ、国費でというのがそうだ。1msv以下まできれいにしてくれ、公費で、という主張はこの日本の常識に立脚しているのだろう。
それに対し安全には対価を要すというのが一方の常識だ。端的に言って保険の思想がそういうことだろう。微量汚染については、とにかく切りがない。或るところで割り切って、とにかく気になる向きは自費で綺麗にするしかないのではないか。
世田谷だったか、自宅の縁の下にラジウム試薬が埋まっていて大騒ぎになったことがあった。高線量を浴び続けたその家の婦人は90才でぴんぴんしているという。それも参考にする必要があるだろう。それから逸徳氏のいうように、交通事故死に遭遇する確率とか、喫煙者の死亡確率とか。
  玄海原発の再開を巡って紛糾しているが、一衣帯水のむこう中国で数年の内に百基の原発の建設計画が進行中だ。最終的には4百基まで予定しているという。多くは沿岸地帯だろう。事故あらばどうなるか。福島事故でも汚染物質の80%は海へ落ちている。海流、偏西風、黄砂、まあ結果は言うまでもない。日本国内で精緻な議論をしているさなか、桁違いの話が外で展開中だ。だから日本から原発を一掃しても話は全く解決しない。
この中国が世論のない国だ。技術思想がすこぶる怪しい。安全の思想があるのかないのか。
その上、前のめりの中華思想。どう対処したらいいのかな。



逸徳発言をよみながら・・・褌子

   逸徳発言を興味深く拝読した。(もうちょっと端的に書いてくれると助かる)
  先日わがやに泊まったネパールの反核平和運動家のシュレスタさんへの小生の英文を諸兄達によってたかって名文にしていただき、もつべきものは友人だと感謝している。
  ネパールから返信がきたので掲載する。小生の英語がとてもいい発音だったとか書いてある。sayonaraをバイバイといっているのが微笑ましい。
05th Nov, 2011
To, Aki Hiro Nishi Zawa-san
Hello Namaste From Nepal
Namaste from Peace Wave Nepal
I hope you all are well in the family. I am ok at my home in Nepal. I am
sorry, I could not say bye bye to you at the time of departure from Hanela.
You all are in my mind and heart all the time. Thank you. I am expecting a
lot of help and co-operation from you and Japanese Communist Party. I
remember Akio Ito Eto San and Yoshiko Suzuki San. Please convey my best
wishes and regards to them all and also Convey my rememberance and Best
regard to your Good wife, your son and your daughter. Thanks a lot for the
delicious food, soundless sleeping, and nice talking. What we have
done as a host was great and excellent. Thank you for everything. ok bye
bye.
Yours
Prem Kumar Shrestha
Peace Wave Nepal
Bharatpur, Chitwan
Nepal

2011年11月5日土曜日

ちと気になっているので・・・・逸徳

葛根湯のはなしからもどしてもうしわけないが、ちと気になっているので。諸兄のご意見をいただきたい。
 最近、地域の放射線の学習会によばれることが出てきた。このときに、どうも気になっているのが、低線量の被曝の問題である。科学的にうそをいうわけにもいかないし、だといって、あくまで科学的にやろうとするとなんだか市民の意識にバイアスをかけるような気もして、やや悩んでいる。
 ちと、情報を整理してみる。 100mSVぐらいまでは、被曝線量と影響の間に比例関係がある。つまり被曝が、健康に影響するということが疫学的にも出ているといっていい。ところがそれ以下では、影響と被曝線量の関係がはっきりしないので、というよりは統計的に結論を出そうとすると莫大な数の集団を調べなくてはならず、それが現実には無理というのだろうが、とにかくそこでは直線的比例関係を仮定する。いわゆる「閾値なし直線性仮説」である。つまり仮説なのだ。ところが、このへんになると、さまざまな現象の報告が出てくる。ここでは内部被曝か外部被曝かということははずして考えている。詳細は省略するが、低線量でも、悪影響がおこるという、ペトカウ効果や、バイスタンダー効果があるかと思えば、逆にかえっていい影響があるという放射線ホルミシス効果などなどである。 これはラドン温泉などの根拠になっているのだろう。 ちなみに最近WHOは、ラドンの健康への影響について厳しいことをいいはじめているらしい。(だから、ラドン温泉はいくのはやめた)
 ところがこれらの現象が正しいのなら、疫学的調査でなんらかの影響が出てくるはずだ。しかし、それがはっきりしない。というよりは「よくわからない」というのが正解なのだろう。 わかっていたら教えてほしいが。だから全体的にみて、これでは「群盲象をなぜる」状態で、「正直なところよくわからない」のである。そうすると1mSvがどうのこうのという今の騒ぎはなんなんだということになる。したがって、1mSvはあぶないから除染させようというのに対して、あぶないかどうかわからないけれども、とりあえずあぶないかもしれないので、除染しておこうというという言い方になってしまうのだが、これはなんとも迫力がない。どっか、市民の熱意に水をかけることになる。そこでおいらも言い方に迷いが出てしまうのである。市民運動の足を引っ張っているのではあるまいかと。
 社会心理学に「ネガティビティバイアス」という現象が知られている。これは、一般にひとは「負の情報を過大評価する」という心理的傾向をいう。「あなたの連れ合いが、財布を落としたといった場合と、財布拾ったといった場合、それを聞いてとっさにどっちの方を信用するか?」という質問をよく、いろんなところでぶつけてみるのだが、まちがいなく、過半数、ときには8割以上が「落としたほうを信じる」と答える。これは考えてみれば、進化論的には当たり前で、負の情報を過大評価していたほうが、生存の確率は高くなるからだろう。そして、どうもこの現象が広範におこっているような気がするのだが。
 ところで日本人のがんによる死亡は33.1%というデータがある。つまり1000人中331人ががんで死ぬという。一方で100mSvの被曝でがんによる死亡は0.5%であるという。つまり331人が336人になるのである。ただし、増えた5人は誰にもわからない。これが確率的影響といわれるゆえんなのだが、自分が336人の中にはいっていても、その中の5人にははいっていないと、ひとは考えたがるらしい。これは「正常化バイアス」と呼ばれる。したがって、それはどこか他人事になるのである。ああ凡人は度し難い。しかし100mSvで1000人に5人とすると、直線性仮説を認めるとするのなら、1mSvではその100分の1の0.05人になる。2万人にひとりだ。これは、おそらく自然放射線の変動幅のなかにはいってしまうのだろう。 だいたい今の1mSvの除染さわぎは、自然放射線をひっくるめているらしい。なんだか変な話である。

 酒瓶に半分酒がはいっているときに「まだ半分ある」というか「もう半分しかない」というか、という話がある。元の情報はひとつなのに、それをどう評価するかは、その人の立場による。そうなるとこれはもう科学というよりは、思想やイデオロギーの問題になる。現在の事態を把握する土台にはこの問題がありそうな気がする。
  
くたびれた・・・ひとやすみ
 

葛根湯・・・猫跨ぎ

  一般的に医者は変わったね。とくに若い医者は昔とは随分違う。
かっては、よらしむべし知らしむべからずの典型で偉そうにしていた。
「風邪をひいたのですが」と言った患者に、「風邪かどうかこちらが判断するんだ」と言い放った馬鹿医者がいた。

薬の副作用は私も経験がある。ピロリ菌の除菌のあと、渡された緑色の胃薬をしばらくのんでいるとき、別の検診で例のPSA検査(前立腺ガンの検査)をやったことがあった。すごい結果が出て医者もびっくり、すぐ泌尿器科へ行けと命令されたが、どうも緑色の例の胃薬があやしいと直感。服用を止めて手許の薬の本を調べるとその副作用のことが書いてある。医者にいうとそんなことはないと一点張り。会社の診療室で血液検査をしてもらうと全くの正常だった。勿論そこへは二度と行かない。高齢の医者だった。
薬は要注意だね。最近、葛根湯では一句作った。
柿すだれ葛根湯はゆっくり効き

2011年11月4日金曜日

お医者さんあれこれ・・・・褌子

  ダイオキシンも環境ホルモンも最近ぜんぜん騒がれなくなったね。
 余談を書く。30歳で結婚してまもなく今のところに引っ越ししてきた頃から、ものすごい「しゃっくり」に悩んできた(ことがあった)。
 とにかく猛烈なしゃっくりで一週間もとまらず、しまいには横隔膜がくたびれてぐったりして寝込んでしまうのである。
 あっちこっちの病院でいくら調べても原因不明。千葉大学病院で当時としてはまだめずらしいMRIをとったが脳には全く異常がなく神経内科の気鋭の先生が「柿のヘタを煎じて飲むとなおるときいたが…」と心もとないことをいうのでがっかりして帰ってきた。35才ころだったか。
 そこでどんなときに猛烈なしゃっくりが起こるのか落ち着いて女房といっしょに考えてみた。
 ―――――そうだ。近所にN医院があり、子供が風邪引いたりするといつも通っていた。よく効く薬をだしてくれる評判の先生でいわばわが家の行きつけの医院なのだが、ここでもらう風邪薬を飲んだときではないだろうか…とやっと疑いはじめて、あるとき「先生のだす風邪薬を飲むとしゃっくりがでます…」と思い切って話してみた。もう70才ちかい温厚そうなN先生が突然憤然として「うちの薬でそんなことをいう患者はひとりもいません」というのである。
 はじめてN先生に嫌気がさして、以後一度もN医院にいったことがないが、猛烈なしゃっくりも不思議とでなくなった。それでも売薬の風邪薬を飲むとしゃっくりが少しでることもあるので、風邪をひいたら葛根湯を飲むことにした。あれ以来しゃっくりに悩むということが全くなくなった。
 N医院は先生の老齢化で廃院となり、20年くらい前に元山医院が近くに開業した。初めて元山医院に行ったときに、10年も保管しておいたN医院の薬を元山先生にしめして、しゃっくりのことを話してみた。先生は分厚い医薬品の本をぱらぱらとめくっていたが「ありました。テオスローなどの気管支拡張剤の副作用でまれにしゃっくりがでると書いてありますよ。この系統の薬はださないように貴方のカルテに書いておきましょう。またよその病院に行ったときにもテオスロー系はだめだと医者に言って下さい。単なる鼻風邪なのに喘息の薬まで飲んでいたんだねえ貴方は」というのである。
  いらい元山先生とは、わたしと誕生日も同じ年月のせいもあり話もあう。いま元山医院の待合室には津波で壊滅した岩手県山田町へ先生がかけつけたときの記録写真がたくさんはりだしてある。
  というわけで、私が30代のころ、一週間も仕事もできないほど苦しんだしゃっくり騒ぎもあっさり解決した。
  ほかにも東京のさる名医に「あなたはアルコール依存症です」というご託宣をくだされたことがある。こんなにさわやかにいい酒をほんの少したしなむ程度の小生には全くの濡れ衣だった!!
  お医者さんもいろいろなひとがいるんだね。
   

2011年11月2日水曜日

毒性・・・猫跨ぎ

「要するに何ベクレルの食い物を一日三度の食事でどんくらいの量を何年間食い続けても、寿命には影響がないのか・・・・」

  食品衛生法に暫定ではあるが500Bq/kg以下となっている。とりあえずこの基準で対応するしかないのだろう。或るスーパーでは検出器を自前で買って測定し、20Bq/kg以下ですとか表示して売っているらしい。
体内被曝msvとBqの換算数値なんか見たことあるが、専門家でも甲論乙駁しているのにその煩瑣な議論を追跡する興味は私はない。悪しからず。
  ダイオキシンだけれど、これ前にも言った記憶があるがどうも眉唾くさい。大体、明確にダイオキシンが原因で死亡した人はいないという不思議な話がある。それから数年前、ウクライナの政治家が政敵から毒を盛られた。血液を調べたら致死量の数千倍のダイオキシンが検出されたという。その後この人は大統領に選出された。顔は有機塩素化合物中毒特有のひどい面相になっていたが、死ななかった。大体、塩と有機物を混ぜて燃した位で史上最強の毒が生成されるか? 神はそんな悪戯はしないと思うが。

続・計算してみよう    褌子

猫跨ぎ跨ぎさんの計算式を読んでみた。
アボガドロ数なんて忘れていたがなつかしい。
福島原発事故で放出した放射性セシウムはたったの11㎏なんだね。その19%が日本列島に落ちてこの騒ぎだ。
 食品衛生法の暫定基準は500Bq/Kg=1.56×10(-7)mg  
 いっぽう米軍がベトナムに枯れ葉剤としてばらまいたダイオキシンの一日の人体摂取量の上限は体重1Kgあたり4ピコ㌘だというから、一兆分の4㌘=4×10(-12)㌘=0.04×10(-9)㎎ えーとそうすると放射性セシウムよりもKgあたり2564倍の量のダイオキシンを人体内に摂取しても命に別状はない???? 
 いっぽう人体が年間被曝しても健康に害がないといわれる被曝量は1mS/年間=0.114μS/時だから・・・??
  なんだか面倒くさくなってきた。要するに放射線の質量というのはものすごく小さいということだ。
  國兼さん ボーツと焼酎なんか飲んでないで、すっきりと議論を整理して下さい。
要するに何ベクレルの食い物を一日三度の食事でどんくらいの量を何年間食い続けても、寿命には影響がないのか・・・・である。
―――――
  夕刊によれば福島第一原発2号機の格納容器ガス管理システムがXe133とXe135を11月1日に微量だが検出。核分裂の可能性があり、核分裂を抑制するホウ酸水480キロを2日に圧力容器内に注入したという。圧力容器の底に核燃料が溶け落ち、さらに底をつきやぶって格納容器にもN氏の表現によればウンコ状にたまっているというから「いぜんとして再臨界の可能性も完全には払拭できない」という。まだ何が起こるかわからないのだ

2011年10月31日月曜日

計算してみよう・・・猫跨ぎ

先日、松戸で高濃度の汚染箇所が見つかった。27万6000Bq/Kg
という。ところでこれは土壌1Kg当たり放射性セシウム137が何gに相当するか。ちょっと計算してみよう。

��N/dt=λN が基本式。N=(dN/dt)/λを計算する。
Nはセシウム原子数、tは時間、λ=0.693/T、Tは半減期で30年。
��λ=0.693/Tは基本式から導かれる:省略)
��N/dt=276、000
λ=0.693/30x365x24x60x60 =7.32x10(-10)
これらを上の式に入れて、
N=276,000/7.32x10(-10)=3.77x10(14)個となる。

答)
原子量とアボガドロ数を入れて、
W(重量)=Nx137/6x10(23) g=8.61x10(-5)mg 

因みに食品衛生法の暫定基準500Bq/Kgは、同じように
1.56x10(-7)mg である。
また、
福島原発からは現在でも毎時1億Bq放出しているという。
3.11x10(-2)mg ということになる。(セシウム137換算)

最近、欧米の研究チームが東京電力福島第一原発の事故で3月11日から4月20日迄に大気中に放出された放射性セシウムは、約3万5800テラベクレルと発表した。内閣府の原子力安全委員会が公表した推定値の3倍になり、チェルノブイリ原発事故の放出量の4割にあたるという。降下物は大部分が海に落ちたが、19%は日本列島に、2%は日本以外の土地に落ちた。
��万5800テラベクレルは、11.1Kg となる。

いわゆるトレーサー量のレベルで通常の化学工業が扱える量の遥かに遠い世界。一端まき散らされると、お手上げだということが改めて実感できる。
  高木仁三郎の岩波新書に述べられている「原子力産業」を「石油化学産業」に置き換えてもそのまま通用する。化学産業では、爆発、漏洩、汚染が繰り返し起こっている。重大な勘違いが事故に結びついたのは山ほどある。改竄もあった。同じだ。
公害の元凶として厳しく指弾されたが、それなりに学習し乗り越えてきたと思う。ひとえにコントロール出来る次元の量だったからだ。つまりなんというか、クソリアリズムのなかで導入技術を血肉化できる余裕があったということだ。
原子力ではこの学習がありえない。トレーサー量は人間の五感を超えておりクソリアリズムが全く通用しない。神の世界。神の世界に手をいれることは、だから倫理の問題として考えるしかない。そのことを改めて実感する。







新装版『土門拳自選作品集』・・・褌子

  そうです。新装版『土門拳自選作品集』(世界文化社2009年初版)13000円プラス消費税です。
  しかも会食の酒量をへらしてまで2011年10月23日山形県酒田市財団法人土門拳記念館でバーンと大枚はたいたところが誠に男らしくいさぎよいね。(じつは売店であれこれの土門写真集をうじうじと迷いながらみていたんだ。そしたら品のよい売店のおばさんがお客さんみたいな方には絶対これをおすすめしますといわれたもんでつい…)
  もっとも、この新装版は復刻版である。原本の土門拳自選作品集は1977年9月に全三巻で世界文化社から発行された。翌78年に、雪の室生寺を撮影したのが最後の仕事となり、その翌年79年に70才で脳血栓で倒れて11年も意識不明の状態が続いて、1990年に心不全で亡くなった。一ヶ月も奈良の病院で待機をかさねてやっと撮影できた『雪の室生寺五重塔』という入魂の作品はだからこの自選集には載っていない。

旅情・・・猫跨ぎ

  ひょっとしてそれは「土門拳 自選作品集」だね。大型豪華本のあの重そうなやつ。担いで帰ったわけだ、頭が下がるね。何を隠そう、実は私も別な所へ注文してある。気になって注文してしまった。明日届く予定。
  いつも思うのだが、もっと時間があればなあと。旅情とは、もう二度と此処へは来ないという感傷だ、とは誰かが言っていたが、全くそうだ。山寺の麓の蒟蒻売りのおばさんは今日もあそこで売っているはずだ。

2011年10月30日日曜日

秋の読書・・・・褌子

  山形旅行に持っていったが酒に酔って読めなかった山田風太郎『警視庁草紙』だが、帰ってきていっきに読んだ。
  めっぽう面白い。なんか面白え本ねえかなあというヒマ人に一押し。山田風太郎はむかし『八犬伝』『戦中派不戦日記』を読んでいらいだが、いま勢いにのって『魔界転生』にはまっている。このひとは司馬遼太郎の“英雄史観”がきらいだったんだね。池波正太郎は好きだったらしい。
  本屋にいって帚木逢生『三たびの海峡』も買ってきた。帚木逢生は『国銅』『ヒットラーの防具』『逃亡』などを読んだだけだがいい作家だ。辻邦生もいいが私にはすこしむつかしい。『安土往還記』『嵯峨野名月記』などめんどくさかった。『背教者ユリアヌス』『西行花伝』はいっきに読んだが。難しいといえば井上靖『本覚坊遺文』はむつかしかった。同じ利休ものでも野上弥生子『秀吉と利休』は両者の緊張関係がよくわかった。なぜ秀吉は自刃を迫ったのか? 先日テレビでやっていたが原作にはかなわない。
  酒田の藤沢周平記念館はよかった。『白き瓶』『一茶』などの小説も印象深いが、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』が、それも宮沢りえがよかった!これは原作よりも映画のほうがはるかによかった。りえちゃんのお手柄。
ところで藤沢周平も「あんなことを書いて大丈夫かな」と司馬史観に批判的だったそうだ。
  それから土門拳のいちばん豪華な写真集も13674円くらいで買ってしまったので夜半秘かにながめている。井上靖が土門拳の仕事への熱烈な讃辞をよせている。土門が過褒だと照れているのが面白い。

2011年10月26日水曜日

まだ心は彼方に・・・猫跨ぎ

  
皆さんお世話になりました。そして準備してもらった国兼さん、小林さんに改めてお礼を申し上げます。しかし二泊三日の旅程で色んなところへ行ったものだなあ。
帰ってきて雑事が溜まっていたのでずっと机にむかいっぱなし。まだ途中。
それでも断片的に思い出されてくる。
山寺の蟬塚、湯殿山の奇怪な御神体、注連寺の即身仏の赤い衣、藤沢周平記念館で買った周平の句集、土門拳記念館の池の鴨、本間家の本宅の佇まい、酒田の何とも言えない通りの淋しさ、海より南へ下っていった白鳥群の渡来、などなど。 これからぼちぼち俳句にしたい。
土門拳記念館では丁度、「筑豊のこどもたち」が展示されていたね。初版は昭和34年で、意図的にざら紙に印刷されて出版された。実物がケースに陳列されていて懐かしかった。実はこれ、ざらざらした紙質とともに記憶している。苫小牧駅前の君島書店でたまたま手に取り立ち読み。子供ながらもショックを受けた記憶がある。

蟬句だけれど、英訳を見ると矢張り限界を感じるね。
utterとかveryとか、最上の強調の形容詞を使わねばならないのは苦しい。
それに比べて原句の簡素さはどうだ。HAIKUは似て非なるものというしかないね。

2011年10月25日火曜日

In the utter silence A cicada's sound penetrates the very rocks

  褌子です。こんないい旅をともに楽しめた皆々さまに感謝したい。
    風狂をいう友もあり紅葉燃え
 上の逸徳句はなかなかいいね。(スペースは入れない方がいいね。本当はいっきに読み下す縦書きなんだが)
 風狂には「風雅に徹していること」と「常軌を逸していること」の両意があるのも一興。小生はむろん風雅のほう。
 藤沢周平は色紙にいつも
    軒を出て犬寒月に照らされる 周平
と書いていたというし、土門拳愛用の扇子には
    骨壺の妻も耳すませ蚯蚓なく  
とあった。
 さて
   閑かさや岩にしみ入る蝉の声  
 を山寺駅にあったんだがHAIKUにすると 
    In the utter silence A cicada's sound penetrates the very rocks
��たった一匹のセミ?。たくさんのアブラゼミの大合唱だという節もあるが…)
  俳句は17文字なのにスペースまでいれるとHAIKUでは63文字になってしまう。
  諸公が湯殿山で裸足でこうべをたれてカシコミカシコミなんてやられている最中にも、小生は俳句とHAIKUの間に横たわる越えがたい深淵について考えつづけていた。

2011年10月24日月曜日

みなさま お世話になりました・・・・逸徳

すでに東北は秋深く、静岡からいえば秋を出迎えにいった旅でした。大変楽しい旅で、考えてみたら行く先々で芋煮汁を食べていた記憶と、いつも褌子氏を待っていた記憶がつよくのこり、なかなかな旅でしたよ。で一句・・・・
   風狂を いう友もあり 紅葉燃え
で、この「紅葉燃え」は考えたら、何につけても句になりそうな気がしてきました。・・・・山伏の 青年の顔 紅葉燃え・・・・ この池に 鏡投げるか 紅葉燃え・・・・もうどんどんいっちゃう・・・・ 今宵また 芋煮汁食う 紅葉燃え・・・・ 君が頬 紅さすごとく 紅葉萌え・・・・ 思いきる 思いもありて 紅葉燃え・・・・・ この色を 届けたき人 紅葉燃え・・・・・ やや粗製乱造の言葉遊びでした。

で、今回の旅で感じたこと少々。 その一 いや確かに、この日本の風土では「一神教」が生まれるわけがないなあという気がしました。キリスト教を「父性宗教」「砂漠の宗教」といった人がいますが、あの出羽三山の山の中にたってみると、霧の流れる山の上から確かに誰かがこっちを見ているというイメージが生まれてもおかしくありません。こんな詩を紹介します
  むかし むかし
  おじいさんは 山へしばかりに

  むかし むかし
  おばあさんは 川へせんたくに

  むかし むかし
  川上からももがひとつながれてきた

  むかし むかし
  いろりの火だけがあかくもえ

  むかし むかし
  山にも川にも 神様が ひとりごとを言ってあるいておられた

  むかし むかし
  どの家からもうすをつく音が聞こえ

  むかし むかし
  ひとつ星が さむそうに山の上にまたたいていた

  むかし むかし
  そんな川べりで 桃太郎は大きくなった

  
  むかし むかし
  そんなくらい明けがたのみちで
  桃太郎は 山からくるきじにであった
                                       百田宗次

なんともさびしく しみじみとした光景がうかんできます。あの注連寺のある部落で雪がふったら こんな世界になるのでしょうか。 そして そこでは 山にも川にも 神様が ひとりごとを言ってあるいておられたのです・・・・ やっぱり どう考えても日本ではキリスト教がひろがるのは 限界がありそうな気がします。

もう一つの成果が土門拳記念館でした。 ひさしぶりに再会した「筑豊のこどもたち」。 自分が年をとったからでしょうか。 若いときに感じたのとはまったく違う、もっと強い衝撃を感じました。特に感じたのは「こどもの目」です。一般にポートレイトでは、対象となる人はカメラをみています。しかし、すぐ気が付くのですが、モデルとなった人が見ているのは、カメラではなく、カメラを構えているカメラマンなのです。あるいはそのカメラを通して感じている、カメラマンのまなざしといってもいいのかもしれない。人は、どんなまなざしで人を見るのか。そして、見られたひとは、そのまなざしからなにものかを感じとって、さまざまなメッセージをこめ、あるいはそこにいま「いる」という事の重みのすべてをこめて、そのようなまなざしでこちらを見返しています。見るという行為は必然的にかかわる行為なのです。そして、そこにひとつの対話が成立するのです。そしてそれは、まるで強靭なくもの巣のように、こちらをからめとります。あの極貧の中で、人としての矜持をしっかりといだきながらも、がんばっていた少女、るみえちゃんという名前でしたか。あの子のなんともいえない悲しみをこめたまなざしは、まさにそういうものでした。40年の時をこえ、土門拳のカメラをつきぬけて、今ここにいるわたしに、ひとつの問がつきつけられます。・・・・「わたしは ここにいる。あなたはどこにいるのか・・・・あなたはいったいだれか」 すみません・・・ああ、ぶざまに年をとったなあと思いました。

ちなみに彼女も妹さんものちに幸せな結婚をしたと、ネットにはかかれていました。



2011年10月20日木曜日

扇太郎先生との邂逅せまる・・・褌子

   けふ、山形の山寺駅までのジェーアールの切符を無事入手し、やれやれと安堵し、扇太郎作詞作曲・大石美枝子が歌うシーディ『夕焼けだんだん』『葦立ち 足立』をききながら山田風太郎『警視庁草紙』を読んでいる。歌もまことに結構、出だしのメロディが胸をかきむしる。小説もめっぽう痛快。幸田露伴、夏目漱石、尾崎紅葉、正岡子規が同じ慶応3年生まれだということもこの小説で知った。扇太郎氏、山田風太郎氏両者に共通するのは滅びゆくものへの郷愁が通奏低音となっていることであろうか。
  明日、作詞作曲者である扇太郎先生にお会いし直接ひざをまじえてお話をおききできるとおもうと夢のようである。ああ明日の栄えある日を幾とせ待ったことか夢というものは実現するものなのだ

仁ちゃん はなむけのお言葉ありがとう・・・褌子

  仁ちゃんの「はなむけ」を「たむけ」と一瞬よみまちがえた。
 羽黒山や山寺など線香くさいとこに逝くんだから「たむけ」でもよい。
 儀俄壮一郎という経済学者の話をおととし聞いたが去年95歳で亡くなった。
 儀俄という名前は珍しいですねと言われるが、ギガのつぎはテラだから来年あたりお寺にいくと言っていたがそのとおりになった。
 千葉県あたりは出羽三山信仰が盛んで鎮守の森などに小山になって石碑がたっている。ハタチになると消防団入って月山、羽黒山、湯殿山まわって白装束に六文銭のハンコついてもらって棺桶にいれ三途の川わたるときの舟賃にする。昔はついでに銀山温泉あたりで童貞の筆おろしもしてくるのが慣例だったそうだ。大山講をくんで大山阿不利神社にいって伊勢原あたりで遊んでくる若衆組もあったと近所の古老がいっていた。江戸期にはやった庶民の伊勢詣もそんな面もあったのかもしれない。
―――――
 とまれ、明朝御出立の羽前国詣はめっぽう品行方正の塊みたいなめんめんで震災慰霊の献杯を重ねつつ東北復興願って逸徳師の御講話と猫跨ぎ師匠の秀句の数々に心癒されつつ紅葉と歴史を賞でる旅である。また小林信機氏の御朱印帖の満願成就の悲願達成を祈念する尊い旅でもある。私はといえば今回はじめて、山寺立石寺の先導師を拝命したので、もし貴賓な方々に粗相があったら…と今晩あたりは緊張で眠られそうもない。
 万事少食ひかえめに生きている小生は羽黒山奥の院の五重塔で静かに一句ではなく一献かたむけたい。さらに酒田で北前船の往事をしのんではるか日本海の佐渡方向にむかって独りさびしくスルメをかじりながら一句ならぬ一献かたむけたい。
  さて――つらつら思料するに我々はサイエンスの学徒でなかったか
  やっぱり、線香くさいはなしは一切やめて、国兼博士に光速をこえるニュートリノは真実ありやなしや?とか
小蔵ひでを社長の宇宙加速膨張&冷間鍛造深淵的因果考察などの炉辺談話に静かに耳をかたむけながら精進料理をあじわひたい

2011年10月19日水曜日

秋深む・・・猫跨ぎ

ひょんの実なんかの季語を使っているとこの国の文化の重層性を感じる。奥が深い。もっと味わい愉しまねばと切に思うね。
仁兵衛さん、はなむけの句どうも有難う。含蓄を込めて見てきましょう。紅葉にはまだ早いと思うけど。賢治、啄木の岩手もそうだったけれど日本海側も歴史の襞が幾重にも折りたたまれているね。まさに、みちのく。そこの太平洋側が惨憺たる被災をした。そのことを片時も忘れまい。逸徳氏の話を聞きつつ酒を噛みしめたいと思う。


函館通信160・・・はなむけ2・・・仁兵衛

 大歳時記を面倒がらずに調べればいいのにサボってしまい失礼致しました。ひょんの実良く判りました。北海道ではなかなかお目に掛かれそうにはないでしょう。
 
 ホロホロ会の旅行が先週だと思っていました。今秋末ならきっと良い天気に恵まれ楽しいものになるでしょう。
 俳句を作りながらの旅も又おつな物ですよ。6年ぐらい前に女房と山形付近を旅したのを思い出し作句をしてみました。
 ・ 秋の空ホロホロの旅煌きて
 ・ 山寺や鳴いてる秋に鳴かぬ秋
  ・ もういいよもういいよと奥の秋
  ・ 杉木立羽黒の社闇の秋
・ 修験者の車走らす秋月山
  ・ 裸足湯を踏む秋の湯殿山
  ・ 初紅葉形代流す湯殿山
  ・ 霊岩に口づけをして蛇の秋
  ・ ホロホロ人秋の木乃伊に迎へられ
  ・ 最上川漂う秋や二日酔い
 楽しく行ってらっしゃい!!
 
 話変わって九州の熊さんお元気ですか。昨日のNHKニューアップ現代見ましたよ。延岡の駅前活性化での市民の方々の立ち上がりよく伝わってきました。いわきもそうでしたが企業城下町はいまゴーストタウン化している所だらけですね。地方都市はそれなりの特色を出さないと将来がないと函館でも言われて久しくなります。言われているだけでなかなか前に進まず人口が減るのを止められません。首都圏などに住んでいる方々にはおそらく実感が湧いては来ないでしょう。
 熊さん、合唱という得意技を活用して是非ひと脱いでください。おのずと長生きに繋がりますよ。

 

瓢の実・・・・褌子

   ひよんの実や古墳の柩がらんどう
猫跨ぎさんの今回の10句中で断然一番いいねえ。
  宇宙の悠久の時間の流れのなかに真っ暗で黴臭い柩の時間が停止している。盗掘で空っぽの柩の空虚感。子供たちがヒョウヒョウと吹く音色。いつのころからか遊び場になっている古墳。
  ひょんの実ってどんなものだろうと思っていたので写真掲載を感謝しています。
  むかし、次の発言をhorohorokaiに投稿したことを思い出したので採録してみる。
■□■□■□
 上総一ノ宮は千葉の九十九里浜にちかい一宮町にある玉崎神社である。
 ここは巨大なマキノキが群生しているというので巨樹探訪をしてきた。
 そんなに広くない玉崎神社の森に経1㍍ものマキノキが何十本もある。
 千葉の県木はマキノキだがこんなに大きいのはめずらしい。
 さて玉崎神社のご神木がマキノキではなくイスノキだと知った。柞とか蚊母樹と書く。
 葉に虫こぶ(虫=ちゅうえい)ができやすく、これを笛にして吹くときの音から瓢の木(ヒョンノキ)と子供たちはこの木をむかし呼んだらしい。実はヒョンノミ。心材は暗紫紅色で櫛や床柱にしたそうだが、幹をたたくといかにも堅く重そう。九州・四国・沖縄に分布すると事典に書いてあるから、太平洋の黒潮に向かってつきでている房総半島の暖地性がうかがわれる。
 
 

2011年10月18日火曜日

ひょんの実・・・猫跨ぎ

 
 句評どうも有難う。ひょんの実って変な季語でかくいう私も昨年実物を見た。これは本物の実ではなく、いすのきの葉にできた虫の巣がこぶ状になったもの。幼虫が出た後カラカラに乾いて、吹いたり、付いている枝を持ってふりまわすとヒョロ、ヒョロと鳴るのでこの音からこんな名がついたらしい。この妙なもの、淋しげな音から柩のがらんどうをイメージしたのだけれど。如何でしょうか。

2011年10月17日月曜日

函館通信169・・・句評・・・仁兵衛

 函館は寒暖の差が大きくなって体を合わせるのが大変になっています。秋がすごく短いのでしょうね。俳句季語を探していても意外と実感として冬に近づいてしまいます。四季の拡がりが狭いと感じる訳です。その点今週末の東北旅行は丁度いい季節になり句の題も探しやすいでしょう。秀作を期待しています。
 さて、その前に猫跨ぎさんの句評と行きましょう。
 ・くず珊瑚袋ごと捨て夏終る・・・暑過ぎた夏に耐えかねて思い出のある珊瑚を捨てたのか・・・。捨てると終わるの二つの動詞をどう読むか。
 ・秋茄子のそれぞれに電球(たま)映りをり・・・茄子の表面にたまが映っている光景に絞られた点に良さが感じられた。
 ・木の洞は深夜の月に開けてある・・・木の洞と深夜の月、共に幻想的であり二つがうまく合致して月光が洞の内側に差し込んでいるかのような更に幻想的な気分を盛り立ててくれている。特選。
 ・ひよんの実や古墳の柩がらんどう・・・上五のひよんの実やがどうしても分からない。乞う解説を。
 ・ジャスミンティこれ程澄めば小鳥来る・・・ジャスミンティと小鳥来るとの取り合わせ妙。

2011年10月16日日曜日

最近の十句・・・猫跨ぎ

旅行前で慌ただしいが最近の十句。しかし今日の当地は馬鹿陽気で30度
近くあった。

秋の十句

・紺碧の空や空蝉俯きて
・電波時計掛けある部屋の盆用意
・地震の日の宇治金時を掘り進む
・くず珊瑚袋ごと捨て夏終る
・秋茄子のそれぞれに電球(たま)映りをり
・逆光に猫の毛浮かぶ秋日和
・木の洞は深夜の月に開けてある
・枕辺に雑書散らばる残暑かな
・ひよんの実や古墳の柩がらんどう
・ジャスミンティこれ程澄めば小鳥来る

山寺など・・・猫跨ぎ

  山寺の奥の院まで千段の階段があるんだねえ。数年で古希の一行には大丈夫かな。天気予報を見ると雨模様・・・てな後ろ向きなことを言っていると、いつも溌溂の褌子氏にどやされそうだな。まあ元気に生きましょう、でなかった、行きましょう。
芭蕉は胡散臭いとか幕府の密使とか不穏な言葉が飛び交っているが、最初からあまり跳ねないで素直に向き合ってはどうかと思うね。どうも年寄りは短気でいかん。

  今、ヨーロッパの主要都市で若者の騒乱が起こっているらしい。明らかにアメリカから飛び火したもの。このルーツはチュニジアに端を発したアラブの春だね。中国でも起こりかけてたちまち鎮圧されたが。インターネットにより情報があっという間に世界で共有されてそれぞれの社会の矛盾に向けて火の手が上がる。既成政党が表に出てこないのも特徴だ。
  それと日本で起こる気配がないのも不思議だ。非正規雇用の問題とか、先日年金の支給開始年齢が70歳へという案が(計画的に)リークされたのに騒ぎにもならない。しらけ、諦め、というが、何というか動物的なリアクションがもっとあってもいいのではと思うがね。若者のアメリカへの留学がめっきり減った。向こうの国務長官が心配しているくらいだ。「羊群声なく牧舎に帰り~」は寮歌だけにして欲しい。

2011年10月15日土曜日

一週間後にせまる・・・・褌子

   芭蕉は幕府のスパイだったとかいろんなうわさがあるね。
 楚の屈原から400年で柿本人麻呂がでて、人麻呂から400年で西行がでて、西行から400年で芭蕉がでて、芭蕉から400年でお師匠がでたことに不思議な運命をかんじている今日この頃。
 酒田も羽黒山もはじめてだ。北前船の資料館など酒田にはあるのかな。倉庫群はみたいがジャンボタクシーはまわってくれるのかな。コースとプログラムはすべて北大自動車部出身の小林さんに一任しよう。
 宴会での酒のきびしい選定などは小生が四苦八苦したい。国兼さん小倉さんは山寺の頂上でお師匠さんのご指導宜しく俳句で四句八句してください。
 逸徳さん、貴殿の話はじつに気宇壮大、宇宙の森羅万象におよび、人間心理の深淵については何日かけても語り尽くせない学識の深さなのに、誠に申し訳ないが、東北の震災地訪問調査の印象を中心に酒席での乾杯のあいさつもかねて大体まるまる分くらいでシンプルによろしくお願い申しあげます。芭蕉忍者説や密教と顕教などの質疑応答はたっぷり時間をおとりします。

まてまて・・・・逸徳

それよりも、沙飛とシンポジウムの話をしてくれ。興味深々・・・・
国兼先生に命じられ、うんちく係りとして、資料を見始めたがあまり面白いものがない。というより、資料をみればみるほどあの山寺の階段が怖くなってきた。 うーん、自信がない。結局、今顕教と密教、修験道の資料をネットからおとして読んでいます。 芭蕉の「おくのほそみち」関係もみたけど、なんか芭蕉ってすこし鼻につく。若い人にきらわれているらしい。その若い人たち(国文科の学生)の「芭蕉のきらいなところ」というアンケートをみたら、笑ってしまった。おもしろい。「王様ははだかだ」といってみると、いろんなものがちがってみえるのかもしれん。 さてどんな旅になりますか。・・・・・

2011年10月14日金曜日

上海魯迅130年シンポ・・・・褌子

  9月の末に上海での魯迅生誕130年シンポに参加した。その感想文を転載する【写真は日本からの参加者】

■□■□■□ 魯迅生誕130周年記念シンポに参加して ■□■□■□
 ことしは辛亥革命から100年のとしである。
 上海魯迅紀年館で開かれた魯迅生誕130周年のシンポジウムに参加した。
 「沙飛研究・日本の会」の一員として招待されての参加である。
 外国のシンポにしかも招待されての出席ははじめてだが、お国柄がでていて面白い。  紀年館がある魯迅公園そばの天鵞賓館ホテルの滞在費が紀年館もちであるばかりか、りっぱな装本の魯迅『中国小説史略』までいただいたのにはびっくり。
 シンポでの発言者は中国人研究者がむろん大部分だが、日本語通訳がついていないので私には内容がさっぱりわからない。が、おおむねの発言は「現代中国の若者たちは偉大な魯迅を忘れている。いまこそ中国は魯迅精神にたちかえれ」というような内容のものがいちばん多かったらしい。
 私は、魯迅が指導した木刻運動が旧中国の民衆の覚醒に貢献しただけでなく、山形の無着成恭の生活綴り方運動など戦後日本の版画教育運動にも大きな影響をあたえたという日本人研究者の発言に感銘をうけた。
 新装なった紀年館をまわってみる。
 魯迅を敬愛してやまなかった内山完造を記念する内山書店コーナーが一角をしめており、魯迅が留学した仙台の藤野先生や当時の東京などの写真もたくさん展示してある。魯迅の棺を鹿地亘らがはこぶ記録映画もはじめてみることができた。
 反面、魯迅をかこんで談笑する中国の青年たちの群像が蝋人形にまでなって大きなスペースをとっているのに、この魯迅最晩年の貴重な写真の撮影者が沙飛であることを示すものが何もない。魯迅の遺影を撮ったのも沙飛なのにそのことにも全くふれられていない。
 「沙飛研究・日本の会」の来住新平代表が、「魯迅と沙飛」と題して沙飛が撮影した写真の数々を紹介しながらていねいにレポートしたときには、壇上で司会をする紀年館の王館長がしきりにうなずいていたから、いずれ立派な沙飛コーナーが新設されることを期待したい。
 二日間のシンポをおえて、紀年館をでて魯迅公園を散歩する。たくさんのお年寄りが歌ったり踊ったり太極拳や麻雀に興じている。公園入り口では、ひよこや子猫を大声で売っている。そばの北四川路の大通りを歩行者の間をぬって金持ちの高級外車が走りぬけてゆく。はるか遠くをのぞむと、けばけばしい広告看板で飾られた豪華なビル群もみえる。
 もし魯迅や孫文がタイムスリップして今この場所に立ったら、何を語ることになるだろうか。
 朝、ホテルの窓からみると、昔ながらの古ぼけた煉瓦の民家が高層マンションのビルのすきまに残っていて戸口から孫の手をひいてでてきたお婆さんが野菜や魚の行商のおばさんとにぎやかにやりとりをしている。こんど上海を訪ねるときにも、またこんな光景に出会えるといいのだが。

2011年10月12日水曜日

ツリバナ&ヨウシュヤマゴボウ・・褌子

    庭の雑木のツリバナがいつのまにやら小さな赤い実をつけてそれもはじけ飛んでいる【右の写真】
  下の写真は洋種山牛蒡の果序。春に植えてみたら2㍍をこえるほど大きくなった。根は商陸という漢方薬であるが、山牛蒡の名前にだまされて食べるとひどい中毒を起こし毎年新聞種になる。
   猫跨ぎさん。後藤夜半の
  滝の上に水現れて落ちにけり  
でしたね。先日も妙高山から信州小谷温泉にぬける笹ヶ峰の深山のなかに大きな滝があり、次から次から滝の上にぬっと水が現れる景におもわずこの句をおもいだした。
   仁ちゃん 国際シンポ「縄文文化とユーラシアの様相」面白そうだね。
   いぜん、北海道・サハリン・東シベリアなどの小数民族に関心をもって、常呂・網走・札幌・函館の北方民族資料館をみて歩いた。カムチャッカのイテルメン人に会いに行ったこともある。仁ちゃんには函館で五稜郭か空港のちかくで中空土偶をみせてもらったこともある。道南と北東北は同じ縄文文化圏だと実感したものだ。
  そんなこともあって、ほろほろ会で定山渓に泊まったときに「蝦夷錦と北のシルクロード」を話しした。参加者全員に東北アジアの逆さ地図をプレゼントした。
  ところが、旅行で酒を飲む前に誰かが順番で何かを講演するという美風はいつのまにやら忘れ去られてしまった。
  と思っていたら、逸徳氏から「福島視察記録――特に放射能関係についてのメモ」なる10ページの立派なレポートが送られてきた。
  これを山形や酒田のホテルに宿泊したときに酔っぱらう前に短時間で講演してもらうことにしようとおもうが旅行参加者の意見はいかが?
   

函館通信158・・・皿石・・・仁兵衛

 猫跨ぎさん、褌子さん句評有難う御座いました。
 十月一日に「函館市縄文文化交流センター」なるものが店開きしました。国宝の中空土偶が何時でも見られる様にしましたのでお好きな方は是非おいで下さい。実はここに近くで出土した皿石が展示されています。大きいものでも50センチ四方以下位でどの石にも(出土数は3千個ぐらいとか)真ん中辺りに凹みがあり料理をはじめとする何かの道具に使った形跡があります。このへこみの曲線の美しさに打たれ句につなげた次第です。

 更に現在「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の世界文化遺産の登録を目指して活発な動きがあります。その一環として今月29・30日に函館で「縄文文化とユーラシアの様相」という国際シンポジウムがあり覗いてみようと思っています。特に気候変動と文化変動との接点に興味があります。

2011年10月11日火曜日

もう冬だね・・・猫跨ぎ

高校生のは皆良い句ばかりだけれど、完成度が高いのは
・ジャスミンの骸を抱く下り坂      松本沙織
だね。適度に抽象化されていて、青年期の憂愁が表現されている。
褌子氏の言った
・滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
から連想するのは
滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半
だろうが、滝壺にながき一瞬経て、がいまいち判りにくいな。夜半句とは別な趣向をと
意図したのだろうけれど。

仁句鑑賞
今回もあえてprivateな部分には遠慮させていただく。
もう冬なんだね。
 ・するすると子冬将軍降りてきて
北海道の冬は早い。最初の寒波ですっかりあたりは冬模様に包まれてしまう。
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
北時雨って北国の言葉だなあ。リアリティがある。突如のジャン・ギャバには驚かされる。そんな外人旅行客がいたのだろうか。多分皮ジャンなんか着て。
・皿石の千古のへこみ櫨紅葉 
火口付近で採取される中央の凹んだ溶岩の皿状の石が皿石。庭石なんかにするのかな。
千古のへこみが面白い。
・六道の辻まで溢れ草の花
こういう感覚がもう他人事ではなくなってきたね。(特選)
「六道のどの道をいま春の泥(上田五千石)」というのがあったなあ。

仁句鑑賞・・・・褌子

   佐渡から帰ってきて四日分の日記をつけていたら4年前の10月13日の項に「北海道で例年より10日はやい初雪、函館に引っ越したばかりの仁ちゃん寒かろう」とあった。そのすぐあとに、ほろほろ会の旅行は近江路とある。三年前の10月18日は函館をへて里塚霊園で五本さんの墓参り。二年前は高野山へ。きょねんは石見銀山だった。五年前は飛鳥路だ。楽しかったね。いままでの旅行ぜんぶ正確に順番にいえる人には山形で背中をふりちんで懇切に流してあげよう。
 仁ちゃん紹介の句では
・ 滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
が一番いいと思った。が、どこか既視感ある句だ。
 林だったか長谷川なんとかとかいう俳人だったかが、滝のあたまにぬっと水がでて落下する刹那をよんだ句がある。あれはいい句だな。猫跨ぎさん、えーとえーと誰のどんな句だったっけ。
―――――
 ・虫の音やカチリと自動販売機
カチリに秋冷いたる感あり見事。夏の炎天はカチリではない。準特選
 ・菊供養海を見つめる友のゐて
そうだね。秋愁だね。
 ・長十郎読経の鈴は収まらず
収まらず…時間が動いている。瞬間トリミングだとどうなるか
 ・六道の辻まで溢れ草の花
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天が六道。いくら新鮮みずみずしくとも年食わんと読めない句だ。
 ・やはらかく小骨をとりて秋の暮れ
どこにでもありそうな句だが、なにもかまえず何も工夫してないのがよい。これが生きるということなのだ。特選
 ・初紅葉レジ待つ列の大男
コンビニで目に浮かぶ光景だね。この大男、革ジャン着ている。バイクのキイ振り回している。買うのは肉まんビザまん。
 ・追分を唄う木箱や林檎売り
哀愁がある。晩秋のいい光景だ。
 ・するすると子冬将軍降りてきて
そうか。もう函館はそんな季節なのか。するするとが面白い
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
北時雨とジャン・ギャバン絶妙ではないか。こんな映画があったんだ。この遠い日の記憶が作者の脳裏にふと湧き出たんだ。
 ・皿石の千古のへこみ櫨紅葉  
櫨=はぜ、は妙高山でも真っ赤に紅葉していた。せわしく移ろいゆくものと千古動かぬ石との組み合わせ。   


函館通信157・・・はなむけ・・・仁兵衛

 山形旅行ホロホロ会御一行様ゆっくりと愉しんできてください。紅葉には一寸早いかもしれないが山形路には俳句や短歌のねたには事欠かないと思います。

 俳句と言えば八月に松山であった俳句甲子園の優秀句があったのでご紹介する。噛み締めて読むと旅行中にふっと俳句が浮かんで来るかもしれません。
 兼題「滝」
 ・ 轟音に包まれ我は滝になる    橋本将愛
 ・ 滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
 兼題「雲」
 ・自画像に雲を描き足す我鬼忌かな 山本萌人
 ・悩んだら笑ってしまへ鰯雲      高橋里波
 ・夏雲や生き残るとは生きること    佐々木達也
 兼題「坂」
 ・クロックスの偽物履いて夏の坂   西橋朋子
 ・ジャスミンの骸を抱く下り坂      松本沙織
 兼題「昼寝」
 ・一畳を千畳として昼寝せり      神田莉穂
 ・水槽に日矢揺らぎたる昼寝覚    東影喜子
 最優秀賞
 ・未来もう来ているのかも蝸牛     菅千華子 

 どれもこれもみずみずしさを湛えているではないか。この若さが欲しいと思い句を作るのだがさっぱり若さは戻ってこない。成長しない肥やしでしかなさそうだ。その恥を忍んで又今月の十句をそっと出す。

 ・虫の音やカチリと自動販売機
 ・菊供養海を見つめる友のゐて
 ・長十郎読経の鈴は収まらず
 ・六道の辻まで溢れ草の花
 ・やはらかく小骨をとりて秋の暮れ
 ・初紅葉レジ待つ列の大男
 ・追分を唄う木箱や林檎売り
 ・するすると子冬将軍降りてきて
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
 ・皿石の千古のへこみ櫨紅葉     

極楽と地獄・・・・褌子

  小生のつたない英文に、よってたかって諸兄の御添削をいただき、おかげですっきりとした名文になった。小生独特の繊細微妙な情感こもったいいまわしを英語でもけっこう表現できることがわかり感謝にたえない。いま岩波新書のリービ英雄『英語でよむ万葉集』を読んでいる。山形の山寺で英語で句会を催しHAIKUを楽しむのも一興だね。Full in care frog to be come water botyann! とかやってれば観光客のおじちゃんおばちゃんが何て教養のある老紳士ご一行だろうと目をまるくして避けてゆくことだろう。
  ネパール人のシュレスタさんはゆっくり考えながら英語をしゃべるので大体わかった。いぜんわが家に何度か泊まったインド人の英語はさっぱりわからんかった。
  しかしやっぱり旅行するなら日本語が通じる日本にかぎる。
  四泊五日で佐渡と妙高山にいってきた。そのかんもずっとhorohorokaiは携帯電話でみていた。
  女房と車で郡山まで北上、阿賀野川沿いに新潟にでて佐渡へ。86歳の長兄の運転で山にはいり、登山靴にはきかえて近年評判になった杉の巨木群をフウフウと二時間かけてみてまわった。翌朝、小木港から直江津へ。妙高山で一泊。イモリ池というところで青空をバックに朝日にかがやく妙高山にみとれた。錦秋というよりも全体の色調は少し紫とダイダイが混じった深い黄色。あの世を黄泉というが極楽の色はこんな黄色なのか。そういえば人生の黄昏=tasogareもなぜか黄色だ。妙高山がイモリ池にくっきりと映っていて純白の蓮の花も(本当は睡蓮)咲き出した。
  あんがい極楽は近くにあるんだね。国兼さんのように骨壺、辞世の句を急いでつくって無理に三途の川を強行渡河せんでもよいとおもった。
  熊谷カメラクラブと腕章をした10人くらいのおじさんたちがマイクロバスでのりつけ高級カメラの三脚を林立させてしきりにカメラアングルの調整などをわいわいやっていて早朝からうるさい。その奥に五六人の上品な美しいおばさん達が無心に妙高山をスケッチしているのをみて好感。それとなく講評したらよろこばれた。殺し文句は「どんな高級カメラでもしょせん自然のコピーに過ぎないなあ。はかない。絵はこの世にたった一枚しかない。まさにゲージツ品」などと楽しそうにスケッチしているご婦人の後ろでそっとつぶやくだけ。
   「自分もシルクロードで写真ばっかり撮っていて女先生に怒られたくせに」と盛んにシャッターを切っていた女房にたしなめられた。
   「西沢さん!貴方はレンズを通してしか世界をみていません。心の目でみてください。もっと真剣に生きて下さい。帰国したら真面目に生きて下さい」とおれより年下の芸大のT女史にタクラマカン砂漠でしかられつづけた地獄の日々を思い出した。極楽と地獄も案外ちかいところにあるんだな。あの口吻五月蠅(英語でkuchiurusai)な女先生ももうイスタンブールまで到達したかな。さいきん手紙がこなくなってせいせいしている。なんとなく少しさみしい。
   【写真:小谷温泉ちかくの雨飾山のふもとの釜池でひとり苦吟する筆者。結局haikuはできなかった…】

2011年10月10日月曜日

悪のりかな・・・猫跨ぎ

英語の話に戻ったので気になったことを書いておこう。
We could happy time with Nepalese anyway
これだが、「とにもかくにもいい時間を過ごせた」ということね。haveを入れるとして
こういう意味ならcouldはいらない。
We had happy time with the Nepalese. で充分だろう。
ところで原文を生かして、
We could have happy time with the Nepalese. とやってしまうと、仮定法で、曖昧、遠慮な意味となってしまう。しかも時制は現在だ。「いい時間を過ごせるかもしれんなあ」とか。するとanywayが生きてきて、ますます自信なさげになってしまう。
We could know happy time with the Nepalese.となるとますます怪しい関係になるな。
以上、蛇足ながら。
今日、山形行きの切符買ってきた。図書館で旅行書借り出し。秋の旅行モードに入るとしよう。本気で俳句やる人、手を挙げて欲しいが。

深読み???国兼

  Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods.
 通訳の人は意図してwithという単語を除き、正に文字通り満足されなければならないと(暗に粗末な食事とよそよそしい友情にもかかわらず、という皮肉を言外に秘めているのだ)。そうすると後半の文の動詞が無いのも通訳の方の意図と見るべきで、褌子さんに「サー、どのような動詞を入れますか?」と問いかけている。
 He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese anyway???
 私はknowという動詞を通訳の方はいいたかったのだろうと。このweの表現で曖昧にしているが、当然youはネパールにこいと、本当のオモテナシが何であるかをあなたは知るはずであると・・・???。

 話代わるが、早いもので来週は山形だ。テレビで缶コーヒーのBossのコマーシャルで山寺で俳句を詠んでいる場面がある。逸徳さんの薀蓄に耳を傾けながら、山堂での猫跨ぎさんの
句会、私も辞世の句を作るにはもってこいの場所だと(私よりも若いサイエンス翻訳の仲間がすい臓癌で余命を宣告されてしまった・・・何時私も余命を・・・と)。


2011年10月7日金曜日

ネオテニー的奇形・・・猫跨ぎ

  人間はネオテニーという一種の奇形であるという仮説は人間の特質をうまく説明できるといたく感心している。こんな精神活動は生物にとって必要の無い事柄だからね。原子力なんて余計なことを考えつくなんて百害あって一利なしだ。そして人間が何時も感じている本来的な居心地の悪さもそこに起因しているのだろう。
  こんなことを考えていると、いつも思い出すのは子供の頃読んだ手塚治虫の漫画。人間の原罪を智恵だと思いついた或る男が、世界中の有名学者、知識人を襲って痴呆にするガス銃を撃ち込むというくだり。いやあ思うに彼はすごい漫画家だったなあ。

余計な事ながら・・・猫跨ぎ

Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods.
これは、「満足したに違いない」、と言いたいんだろうね。過去形にしたいね。satisfied for はsatisfied with だろうな。friendshipもour を付けたい。foodsか。まあ、dinnerくらい洒落たらどうか。
Mr. Shrestha must have been satisfied with our friendship and dinner.
come Napal はcome to Nepalだろう。これは来ネパールを求めた、ということで、聞きました、じゃないよ。最後のは逸徳氏の通りとして、Nepaleseはthe Nepaleseとしたいね。Anywayはどうかな。使いたいのであれば文頭につけたらどうか。頑張って頂戴。

そうそう、それから・・・・逸徳

お師匠の「子供っぽさ、それはヒトのヒトたる根源に繋がる。」は名言である。 ホントにこどもはすごいと思う。人はヒトとして生まれてきて、悪人または善人になるんだなあと思う。その分かれ目はどこかなあ。お師匠の言葉をみて、本棚から引っ張り出して読み直した本がある。岩波新書「幼児期・・・子どもは世界をどうつかむか」・・・ 岡本夏木。 名著である。著者は数年前に死んだ発達心理学者だが、心理学の領域をはるかにこえて人間の本質理解の基礎をあたえる、戦後民主主義の良質なものを土台にすえた名著である。 おいらは、この本を読んで子どもに対する見方が相当影響された。何しろ最後は魯迅で終わっている。幼稚園の先生を集めてこの本の読書会をやったがよかった。大学生の必読書にしてもいい。とにかく気が向いたら読んでみてくれ。




おうすげえ・・・・逸徳

こんどはネパールかよ。いいなあ・・・・英語をがんばっているのも褌子さんらしい。奥様もお元気なようでなにより。しかし、ちと英語は妙でないかい? Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods. He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese → シェレスタ氏は友情と食事に満足しなければなりません。かれは西沢夫妻にネパールに来るか聞きました。最初の分でmustを使うかなあ。最後の文は主動詞がないぞ。たとえばWe could have a happy time with Nepalese・・・でどうだ? なんちゃって・・・・ 
しかし頭の体操で、ここで英語の勉強もいいなあ。だれか英語で書いておくれ。 国兼先生なんかに直してもらおう。


2011年10月6日木曜日

ネパール人がわが家にとまる・・・・褌子





ネパールからシュレスタさんという反核平和運動家が来日し、わが家に泊まりました・
Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods. He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese anyway???
通訳として泊まった写真の男性は私の英会話の先生、環境問題の専門家で工学博士。

2011年10月3日月曜日

金木犀・・・猫跨ぎ

  昨日、我が家の庭の金木犀も開花した。土曜日の東京句会でもその話。考えてみればこの同期性は不思議なことだ。特にこういう栽培植物はルーツを辿ると数本の苗木に収斂する(?)から、謂わばクローンみたいなものだと思ったりするが、それにしても不思議な時計を内蔵しているものだ。
  生物の話を続けると、ロシアで狐の家畜化が研究されているという。人なつっこい狐を選抜し続けると50年ですっかり人間になつく狐が得られたという。
形質に特徴がある。尾が巻く、耳が垂れる、鼻先が短くなる。ひと言で言えば子供っぽさを残している。これはネオテニー(幼形成熟)ではないかというのである。幼体の特徴をのこしたまま動物が成熟することである。外見のほか、柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きする。
  実は人間自身がサルのネオテニーとして進化したという仮説がある。体毛が少なく、顔が平らなサルの子供はヒトに似ている。子供時代の延長が、知性の発達に大きな力を貸した。想像力の射程を伸ばし、光と闇のコントラストを教え、喜びと悲しみの深さを示し、美意識を育て・・・・子供っぽさ、それはヒトのヒトたる根源に繋がる。

2011年10月2日日曜日

行きましょう!   褌子

  ゆうがた、散歩をしたらあちこちからキンモクセイの香りがしてきた。
 まちがいなく秋がきたようだ、と思ったら肌寒くてくしゃみがでた。
 逸徳さん、ぜひ父島母島行きましょう。
 そのまえに羽黒山と山寺だね。

いきたいなあ・・・・逸徳

五能線はよかった 酒もうまいし、ド寒いなかではいった露天風呂もよかった。背中もかかされたし・・・・で、島への旅、いいねえ、褌子さんがあげた島、どれもいいが、一番興味があるのは、父島、母島の小笠原。飛行機が飛んでいないのがいい・・・・いったっきり帰ってこれなくなるかも。 参加者つのって本気で計画してみようか。

2011年10月1日土曜日

現代の古墳・・・・褌子

  セシウムが1000分の1になってまず心配なくなるのに300年かかるという。
 表土を5センチ削り取ると95%くらい除染できるというが、東京ドーム23個分もの汚染土をどう保管するかで大議論になっている。東大アイソトープ研究所の児玉先生は、政府がいうように、いまの仮置き場 ⇒中間保管所 ⇒最終保管所というのは六カ所村の現状をみただけでもまったく現実味がないという。けっきょく各市町村ごとにこまめにまとめて厳重に放射線がもれないようなシェルターをつくって300年間、忘れないように地上にも仁徳天皇陵みたいにわかるようにするしかないという。
 まさに現代の古墳。
 日本人はいまから300年間、21世紀はじめに築造した古墳を子々孫々語り伝えていくことになる。

やっぱり恥ずかしいです・・・褌子

 フリチンでまちなかを歩くのは僕の場合はやっぱり恥ずかしいです。男なら全員おなじものをぶらさげていると自らをはげましても僕のばあいどうしてもできません。いくつになっても、何卒それだけはお許し下さい。
 しかし俳句をつくらなくなったのは駄作の発表が恥ずかしいからではありません。
 いろいろ雑用もあって…。
 しかし兼好法師がいうことは本当だ。なんでも恥ずかしからず人様のまえでどんどん発表すればいいのだ。そうするといつのまにやらそれなりに上達するのだね。―――とおもって上海のホテルでフロント嬢数人のまえで自分では英語だとおもって胸はって話したんだがぜんぜん通じなかった。フリチンで舞台にたったみたいに恥ずかしかった。

2011年9月29日木曜日

俳句か短歌か・・・猫跨ぎ

  ちょっと取込んで留守にしていた。あれ、褌子氏は玉門関へ行ったのではなかったのか。急遽旅程変更か。それは残念。しかし羨ましさを通り越してちょっと形容に苦しむね。その行動力は。ホント、突発性認知性に注意だね。
  寺山修司は高校生のころ俳句をやり、ついで短歌へ移り、最後に演劇に転じた。表現芸術の究極に演劇あり。その演出をやったのなら、今更、俳句、短歌もあるまい。あとはのたれ死にするしかない。
  ま、冗談だが、余技として俳句または短歌なら断然俳句だね。自己表白は確かに恥ずかしい。その恥ずかしさを尺度にするなら、短歌の後の、七、七はどうだい。感情の限りを尽くし、バリトン歌手のベルカントよろしく朗朗と詠う。実に恥ずかしい。そこへ行くと俳句は相当恥ずかしさから逃れられる。つまりうまく作ると、韜晦することが出来る。
ただ、恥ずかしさもこの年齢になると、別にフリチンになったところでどうということも無いのではないか。
 私小説論は面白いし、日本文化論と結びつく。むかし人間探求派と称する俳人群があった。聞いたことがあると思うが、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷なんか。いまでも大きな影響力を持っているが、ふと彼等は私小説じゃないか、きわめて日本的なという気がしてきた。これを乗り越えないとなあという気が最近しているが。ま、これは蛇足。

2011年9月28日水曜日

突発性認知症・・・褌子

  逸徳さん。福島第一原発のかなり近くまでいったのですね。私も農家の四男坊なので田んぼが雑草におおわれているのをみるのはつらい。年5ミリシーベルト以上の除染対象汚染土は最低でも東京ドーム23個分だそうだ。福島県だけでも県土の17%。こんな汚染土を山から田畑から宅地から一体どうやってはがしとって一体どこに積み上げるのか・・・・・
  高校時代の同級生でA君というひとがずっと牡鹿半島に支援にいっていて被災地から時々メールをくれるが、体力的にも自分には出来ない行動力で尊敬している。逸徳さんもそれにつぐ行動力の持ち主である。私も海外で突発性認知症になったときに備えなければいけない年齢であるが、それいぜんに深刻なのは英語力。耳の悪いせいもあって聞き取りができない。北京空港で航機場をまちがえシャトル巴士乗り換えに冷や汗をかいた。ホテルのフロントでも支払いに何度も困ったが、なんとか切り抜けて無事一週間の独り旅で帰ってこれた。なお中国ではちゃんとしたホテルなら英語が通ずるが残念ながらこちらが話せない。だが紙に書くと通ずる。中国のタクシーは英語はだめだが漢字をかくと簡体字でなくとも何とか通ずる。韓国ソウルの青年には英語が通ずる。が、こちらが話せない。韓国のおじいさんおばあさんは日本語がかなり通ずるがこの世代も少なくなってきたそうだ。
  去年の五能線の男ふたりの独り旅は楽しかった。そのうち私がまだ行ったことのない与論島とか屋久島とか対馬とか済州島とか隠岐島とか父島母島とか喜界島とか八重山群島とか焼尻島とかで旅を実現させたい。ふたりがいっぺんに突発性認知症になっても人口減少に悩む離島のおじさんおばさんたちは死ぬまでここで住みなさいあんたがたと親切にしてくれる。

おかえりなさい・・・・逸徳

褌子さん、ご無事でおかえりなさい。 上海にいったということを聞いていたら、新聞に上海地下鉄の事故が報じられ、おもわず乗客の中にあなたの名前はないかと、ドキッとした。とにかくいつどこに出没するかわからんという人だからな。こういう行動力なら、お師匠のいうように「形而上的にぼける」暇はないわな。・・・ いやわからん。上海あたりの裏町をうろついていて、突然「あれ ここはどこ? あたしはだれ?」という光景がリアルに想像される。突発性認知症である。

しかし、俳句はだめだなあ。いまいち真剣味がなく、羞恥心が強いもんで・・・和歌のほうがむいてるかなと思ったりするが、それよりも一般に創作というのは、どこかまっぱだかになって銀座の雑踏をあるくような、いいにいわれない恥ずかしさがあるのである。したがって、一番恥ずかしくて、想像するだけで顔から火がでそうになる光景は、たとえば自分で「私は詩人です」と自己紹介するような場面なのだ。私小説というのがある。あれ絶対わからん。他からみれば、どこの馬の骨かわからんやつの、どうでもいいことを延々と描くという神経がわからん。いったいだれに読んでもらいたいのだ。そういう思いがないのなら、便所でつぶやいているのとどこが違うんだ。自分の世界のことは、自分の中にとどめておけばいいのに。・・・・だから演劇にくびつっこんでも、役者はやらなかった。役者として舞台にたつのはストリッパーとかわらん。考えただけで恥ずかしい。

福島にいってきた。いわきにとまって、そこから車で海岸線を北上し20キロラインの警戒線を突破して、(あとで聞いたら、これ災害対策ナントカ法違反で、10万円の罰金か拘留らしい。しらなかった。したがってこの話はないしょである。)だから細かいことは書けないのだが、完全に死の街になっていた。美田地帯だったところはすべて背丈をこえる原野と化し、住宅街では、にげだした時のまませんたくものが風にゆれていた。某寺院では、お骨が何体かあずけられたままになっていた。みんなにげちゃったので葬式ができないのである。酪農家の畜舎から逃げ出した、やせこけた牛の群れが街中をうろついているそうである。常磐線は寸断され、線路がぺんぺんぐさで覆われていた。
 ある事故がおこったとき、そこにどのような光景が出現するか。それを想像して、対策は講じられなくてはいけないのだろうが、このような光景は確かにわれわれの想像をこえる。というよりも、想像できる土台になる体験がわれわれにはない。したがって、原発対策の国会は、ぜひ20キロ圏内でもひらくべきだろう。なあに、議員たちはみんなもう被曝を心配するような年ではないのだから。

興味深いのは、原発事故で想定していた、緊急時の災害対策システムがまったくまともに機能しなかったことである。原発から数キロのところにオフサイトセンターというのがある。事故になったら関係者が集まって対策を講じる中央司令部になる予定だったそうだ。これまったく機能しなかった。みんなにげちゃったからね。

いわきで、原発問題のある学習会を傍聴した。参加者はみんな年寄ばっかり。聞いたら老人会の学習会だった。あとで、ひとりの参加したおじいさんと話した。彼いわく。「これはまごのための戦いです」・・・・ そりゃそうだ。そこにいる人たちもそしておいらたちも、福島の収束をみとどけることはまず不可能である。世代を超えたながい戦い。いったいこういういきのながい事例は今までにあったのだろうか。いろいろ考えさせられた。

光速より速い物質・・・褌子

西安から北京経由で帰ってきた。
きのうの夜は涼しかった。虫の声もにぎやか。白花の彼岸花を咲いている。秋分をすぎたんだから間違いなく秋になったんだ。
新聞をみたら光速より速い物質が見つかったそうだ。へー不思議だね。

2011年9月25日日曜日

西安から・・・・褌子

  上海から飛行機に乗ってはじめて西安にきた。かつての長安。どこにいっても名物の石榴を売っている。玄宗皇帝の時代に大唐帝国が滅びてから1200年もたってしまったが76人もの歴代皇帝がいた古代中国最大の国際的古都。中国では遣唐使としてきた弘法大師や吉備真備よりも唐王朝の大臣にまでなった阿倍仲麻呂のほうがはるかに有名だという。
  秦の始皇帝の都の咸陽も近い。
  始皇帝陵はいまは登れないが兵馬俑はやはり圧巻。井戸掘りの農夫が偶然みつけたというところがまことに中国的。まだ何が埋まっているかわからないらしい。秦はたった27年で滅びた。阿房宮あとも一面の畑でどこらへんかまだわからないという。
 日曜日のせいか華清池はひとひとひと。国慶節のせいもあって月末は日本への飛行機が満員とのことで急遽あす西安から北京経由で帰ることにした。
 歴史物語だとして知っていた中国古代史が本当の話だったんだと知るとやはり感慨深い。

2011年9月21日水曜日

巨大台風・・褌子

きのうみたハヤブサ帰還のテレビは面白かった。ひさしぶりに日本の科学技術の底力を感じた。
映画にもなるという。
日本列島ぜんぶが台風15号の風雨の影響をうけているという。じつに巨大な台風だ。
むかし、台風で無残に壊われた奈良室生寺の五重塔が、すぐ専門の宮大工集団によって修復される様子をテレビでみた。日本人はむかしから台風とつきあってきたんだなと思うが、それでもまたまた紀伊半島直撃とは非情だ。
こちらも成田発の飛行機が欠航となり中国行きは明日にのびたが一人旅なので気楽。集団ツアー旅行だったら大騒ぎだろうな。

2011年9月20日火曜日

お疲れ様・・・猫跨ぎ

  胃癌の手術は30年前、家内が経験した。傍にいて見ているので、貴兄の今の状況はよく判る。食事の違和感はたしかにかなり続いたように思う。一度に沢山は食べられない。のどを通過する違和感も同じで、噎せやすくなった。声に違和感があり、これは麻酔の後遺症とか言っていたが、貴兄のコーラスの活動の具合を推察するにそちらは大丈夫の様だね。その妻も30年再発もせず来たのだが、昨年、あっけなく肝臓癌で先立ってしまった。勿論30年前の再発ではない。
癌は結局よく判らない。直る癌は治るし、そうでない癌は治らない。その閾はさっぱり判らない。運を天に任せるしかないというのが私の結論だ。
  貴兄は今のところ順調のようだから、恐らくあと30年は大丈夫の口だろうね。おそらく、死生観といえば大袈裟かも知れないが、何事かに思いを致したのだろうと思う。ちょっと忙しすぎる活動予定もよく判る。要するに好きやるしかないね。私も同じだが。
妻について一言。死に際は見事だった。完全に覚悟して死を許容していた。あれだけは敵わない。きっと温めていたのかも知れない。

熊さん回復おめでとうございます。

ほぼ完璧に回復したとは、おめでとうございます。
合唱・ゴルフ・アメリカ旅行など大いに楽しんでください。できたら10月21日からのほろほろ会旅行にも参加してほしい。
あとだいたい30~40年くらいだし楽しくやりましょう。      褌子

がん闘病記   九州の熊

いやいやうまく乗せられてしまった。完全に思うつぼだね。
手術後の顛末・・。
結論からいうとほぼ完ぺきに回復したといえます。3月24日に手術、4月16日退院。退院直前に病床のなかで3つの目標をたてた。①5月から合唱再開 → 退院直後の記録をみると、4月20日に団員の一人が転出したのでその送別の宴がありそれに参加している、連休明けの5月6日に定例練習に参加している。 ②7月までに本コースでゴルフプレイ → 記録はないが6月にコースに出た。それ以降手術まえより頻繁にプレイをしている。あまりスコアはよくないが意地でやっている感じ。最近はすこし改善傾向。9月はきのうまでに7回のラウンド(ただし雨で2回キャンセル)。ゴルフ三昧の毎日だ。 ③なるべく早い時期に(年内に)アメリカ再訪 → 今月末から10月初にかけてアトランタ、ニューヨーク訪問予定。退院後1~1.5ヶ月間隔でフォローアップ検診。医者からはきわめて順調に推移、懸念される兆候はひとつもありません、ゆっくり楽しんできてください、とのこと。いま渡航準備真っ最中、ルン♪ルン♪なり。
というわけでがん宣言のショック、失意のどん底から奇跡の復活を果たしました。
ほぼ完ぺきに、の¨ほぼ¨の内容。食事には苦労している。これは予想をはるかに上回る大誤算だった。食べたものがのどに詰まる(円滑にのどを通過しない)。ひとくち、ふたくち食べたらむかむか感があって食がすすまない。味覚が鈍くなってしまいたいていのものはおいしいと感じない。・・等々。食べる量は健常時とくらべ半分程度になった。食べ物の種類も制限されている。体重は術前63kgからいまは53kg。体脂肪率は8%前後。原因はくすりの副作用とか。転移を予防するための投薬を5年間続けるのだそうだ。1日おきに朝、晩3錠づつ。この状態が5年間続くと考えるとぞっとする。退院後ことの経緯を知った方々から家族、友人、知人の経験談を聞かせてくれて励ましてくれる。1年くらい経ったら普通通り食べられますよ、と。そんな慰めはなんの役にも立たないよ、と叫びたくなるが皆さん善意で言ってくれているのでありがとうございますと応じ、実は聞き流している。がん闘病者の体験記事や雑誌をよく見かけるがやはり苦痛の部分は本人にしかわからない苦しみがあるということをしみじみ実感している。総合的にはやはり半病人です。でも気にしてもしょうがないから楽しいことだけを意識して普段の生活をしていこうと思います。皆さん気にかけて頂いていた、というこで大変感謝しております。改めて御礼申し上げます。

パンダ問答・・・褌子

  熊さんと猫さんが難しい熊猫問答をしていて微笑ましい。
  熊猫は中国ではパンダのこと。
  中国へ明日から27日までいってくる。上海の魯迅生誕130年祭のシンポのあと吐魯番(トルファン)あたりまで行く計画だったが、9月30日から国慶節のせいで超満員で帰ってこれないことがわかり、急遽、西安から先はあきらめた。高速鉄道は乗らないので安心、モノリンガルが心配。息子の航空会社のタダの切符だが、いきあたりばったりの一人旅には向いている。
  一昨夜BSの小栗康平監督『泥の河』で泣けてしまった。宮本輝の原作も知らず映画も観たことがなかったがマルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を何かでみたことがあって、いつまでもあらすじを忘れることができなかった。
  昭和三十年の大阪の貧しい貧しい下町のはなし。小学三年のノブちゃんが学校に来てないキっちゃんと仲良くなるが、ふとしたことで突然かなしい別れがやってくる…。
  キっちゃんの父は戦死、汚い河に係留する小さな郭船のなかで病弱の母(加賀まりこ演ずる)が子供を食わせていたのだ。  キっちゃんが小さな川カニに灯油をかけて焼き殺す場面があって逃げるカニを追ってノブちゃんはみてはならないものをみてしまうのだ。禁断の場面をみてしまったために船が突然ひっこししてしまう。この場面のマルセ太郎の独り芝居がすごい。マルセ太郎じしん、大阪生まれの在日朝鮮人で辛酸をなめて育ったひとだという。
  こういう日本がかつてはあった。いや今も形をかえてあるのだ。だから毎年三万人も自殺しているのだ。
  私が知る無籍のKさんはちょうどノブちゃんキっちゃんの年代。4才で母が家出。病気の父もKさんを孤児院に預けて死んでしまう。両親は横浜大空襲で家族をすべて失った被災者どうしだったのではないだろうか。Kさんはつらいことが多すぎて解離性健忘症になったのだ。この夏、現地を足で歩いてそんな確信がしている。
【写真はマルセ太郎】

2011年9月19日月曜日

熊さんじゃないか・・・猫跨ぎ

「価値観」なんてむずかしい英語使うのはだれだと思いきや、おや熊さんじゃないか。声を張り上げるほど回復したのはご同慶の至り。まずはお祝い申し上げたい。簡単に経緯をご披露願いたい。皆心配していたんだ。

ちょっと言い過ぎ?   九州の熊

「・・やってみると良いと思うが、後続はさっぱりだね。羞恥心が強いのと、いまいち真剣味がないんだな」 自分の価値観だけで他人のことをこう表現するのはあまりいただけない。合唱音楽にあまり興味を示さないひとに向かって「芸術文化への理解があまりなさそう・・」と決めつけるようなものだ。
猫跨ぎ氏特有の挑戦表現にのってしまったかな・・?

趨勢か・・・猫跨ぎ

  今朝の朝刊にドイツの代表的総合電機大手シーメンスが原発事業から完全に撤退する方針を決めた、と報じた。同社社長は完全撤退の理由について、「脱原発というドイツ社会・政治の明確な姿勢に対する企業としての回答」と語った。福島第一原子力発電所の事故以降、世界の主要メーカーの中で原発事業からの完全撤退を表明したのは初めてという。
  数日前、州立バイエルン歌劇団の日本公演を前に、総員400名のうち100名が来日を拒否したと報じていた。言うまでもなく放射能被爆をおそれてのことである。これが、ドイツの人達の今の率直な日本観である。雰囲気が良く判る。(と、他人事に言っている場合ではないが)。そんなこんなで、この国は、国を挙げて舵を切ったと言っていいのだろう。

  また昨日、小泉純一郎元首相が川崎で講演し、脱原発の立場を明瞭にし、原発は低コストであるというこれまでの政府の公式見解を批判したという。時代の趨勢を見るのに敏な政治家の発言として注目する。
 

2011年9月18日日曜日

俳句の世界・・・猫跨ぎ

  勿論、ベールは掛けておいて下さい。自句自解も程度を過ぎると興ざめになるのはよくあることだから。
それにしても、俳句の世界は懐が深くて興趣がつきない。散文で表現する世界とまた違う位相が開けるからね。皆さん、やってみると良いと思うが、後続はさっぱりだね。羞恥心が強いのと、いまいち真剣味がないんだな。

2011年9月17日土曜日

函館通信156・・・句評御礼・・・仁兵衛

 褌子さん、猫跨ぎさん早々の句評有難う御座いました。お二人の角度の違った感想を読み、作者の気持ちと合ったり違ったりするところを楽しませて貰っています。
 さて、午後四時を中年と言うのは40才台をイメージしましたが早すぎますかね。娘の夫が42歳になりきつい勤めと子育てに四苦八苦しているのを横目で見ているところからの発想した句です。我々の40台はどうだったでしょうか。皆さん手を胸に当てて思い出してください。つい25年ほど前の話ですよ。
 猫又ぎさん、毎日付ける日記も行動日記からはみ出すことが度々ありますね。それが行過ぎると飛躍がおおきすぎて他人には全く分からない物(句)になるようです。捨て置いてください。作者なりの作句意図はありますがそこまで行くと句の面白さも何も無くなるなと思っています。
 藤沢周平の「一茶」を読んで影響されたのかもしれません。何でもかんでも句にしてしまいたいと今は思っています。それにしても「戦後の露」は飛躍しすぎだな。

2011年9月16日金曜日

草ロール・・・猫跨ぎ

仁句は日記で良し、に徹しているから、どうこう言うこともないが、
 次の三句はそう。
・秋うららATMは故障中
・粉薬咽んでをりし野分あと
・歯石取る音治まりて秋の空

・午後四時を中年と言い虫すだく
もうわれわれは老年で宵闇は始まっているが、するとこれは誰のことかな。
 
・昨日今日傷つき易き秋の雲
やや心境に踏み込んだ句か。そうなんだよね。年を重ねてもこの種の感情の動きは昔のままだ。
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
草ロールは今や北海道の秋の季語だね。ジョン・ウェインか。「リオブラボー」は晩年で、なんといっても「駅馬車」だね。
・実はまなす無限の空に突き出して
はまなすを見なくなって久しい。トゲトゲが痛かった。

 
申し訳ないがまた何句か飛躍が大で着いて行けなかった。
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
・上野から戦後の露の生まれけり
 「戦後の露」は解釈が拡がりすぎて、何だろう。
・通帳に書き込まれたり秋の声
「秋の声」も何かプライベートな事柄のように思えるね。

初秋の月・・・褌子

  長命の相が豊かな黒髪、秀麗な眉目にくっきりとでているのは逸徳さんである。
  わたしは全くどうなるかわからない。佳人薄命ともいうし…
  ・秋白しヘクトパスカル馳走せり
馳走。なるほどね。むかしはミリバールといったがいつからヘクトパスカルになったのか最近はベクレル、シーベルト。むかしはキューリーをつかったが
  ・通帳に書き込まれたり秋の声
貯金通帳?むかしは米穀通帳、配給通帳もあったが
  ・秋うららATMは故障中
のどかでいいね。炎天下に壊れている自販機などみるとほっとする。
ゆうべの月もよかった。昼は暑かったがさすがに夜の風は涼しくなった。
かしましい虫の声がここちよい。西洋人は虫の声を騒音と感ずるらしいが、こちらはカエルの鳴き声も虫の音も小川のせせらぎみたいでちっともうるさくないから不思議。
  ・午後四時を中年と言い虫すだく
妙な句だな。人生の午後四時という意味か。虫すだくがいい。
  ・昨日今日傷つき易き秋の雲
そんな雲にだんだんなってきたのかね函館は
きのうなんぞはこちらは入道雲がでていたよ。しかしなんとなく元気がない入道雲だった
  ・粉薬咽んでをりし野分あと
むせぶのは夜霧のなかの霧笛がいいが。
  ・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
ジョンウエインなつかしいね。映画『アラモ』で売り出した。ジーパンがかっこよかった。牧場の草ロールと相性がいい。特選。
  ・実はまなす無限の空に突き出して
無常観がある。映画『裸の島』をおもいだした
  ・上野から戦後の露の生まれけり
「ああ上野駅」思い出すなあ。上越線十三番線
  ・歯石取る音治まりて秋の空
そうね。そういう年なんだね

2011年9月15日木曜日

函館通信155・・・大仕事・・・仁兵衛

 大仕事と言うからノーベル賞ものの大発見でもしたのかと期待したんだが外れたな。私も含め毎日大過なく過ごしている人はあせって大きな仕事を見誤らないで下さいよ。
 こういう時は大自然に身を任すことが一番良いようだよ。それを実行しているのは褌子さんだと思うね。褌子さんにはきっと神様から長生き賞が与えられるよ。皆の骨を拾って下さいね。
 それでは近作十句
 ・秋白しヘクトパスカル馳走せり
 ・通帳に書き込まれたり秋の声
 ・秋うららATMは故障中
 ・午後四時を中年と言い虫すだく
 ・昨日今日傷つき易き秋の雲
 ・粉薬咽んでをりし野分あと
 ・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
 ・実はまなす無限の空に突き出して
 ・上野から戦後の露の生まれけり
 ・歯石取る音治まりて秋の空



2011年9月14日水曜日

大仕事・・・猫跨ぎ

逸徳氏の投稿に気が付かなかった。
まだ死ぬという大仕事・・・これね、数年前に出た上坂冬子の著作「死ぬという大仕事」がルーツだと思う。あの頃〝死ぬという大仕事〟のフレーズがあちこちで見られた。彼女の癌と闘病中の著作で、まもなく亡くなった。~ではないかと思うがどうか。私も何かの折使ったような気がする。
それはともかく、大きな荷物を背負って死ぬという気分にならぬようせいぜい身軽にしておきたいものだ。ポンと彼岸へ飛ぶ。これが理想。

新米総理・・・猫跨ぎ

  新米総理が正心誠意やると言っているのだから、暫くは見守ってやればいいではないかと思うが、聞くに堪えない汚い野次は何だ。野党党首のコメントも意地クソ悪い。大したことのないイモみたいな連中が偉そうに言っている。

  この前、面白い囲み記事を見た。ヨーロッパの国民に幸福度のアンケートをとった。
一位はデンマーク。これは納得。二位は何とギリシャ。イタリア、スペインなど問題国がいずれも高位を占めた。これらの国の経済危機がEUの金融不安を招き、世界同時不況が囁かれているのに。ドイツ、フランスなどEUを支えている国はそんなに高くないのが何とも皮肉だ。
政府が緊縮政策を打ち出すと暴動騒ぎを起こしたのがギリシャだった。この国民は節電の号令をかけてもどこかの国みたいには絶対随わないだろうな。
経済欄をみると、中国はイタリア国債を大量に買うらしい。またブラジルはヨーロッパに経済支援をする用意があると言っている。
アメリカはボロボロになってイラク、アフガンから撤退するのだろう。ではアラブ過激派の天下になるかというと違う。アラブ世界も民主化運動で様変わりしつつある。世界の勢力地図は地殻変動を起こしている。いやもうすっかり変わっているのかも。

突然ですが・・・・逸徳

さる方からお誘いがあり福島原発被災地の視察ツアーに参加することになった。 浜岡原発20キロ圏住民として、現地にたって考え、感じてみたいと思う。 結果はまた報告する。 
鉢呂さんが辞任した。「死の街」という表現が問題だという。しかし、これ単なる文学表現ではないか。なんだか言葉狩りの様相を呈してきたなあ。 マスコミはチェルノブイリ報道でおんなじ言葉をつかっていたろうに。 言葉の劣化と政治のばかばかしさがひどくめだつ。ちなみに彼は北大のOBでなかったか。

最近、新聞をとらない若い夫婦の家庭が増えてきたそうである。ネットのニュースですましてしまうそうだ。ところが、これもつい最近気が付いたのだが、ヤフーのニュースはほとんどが産経と時事、たまに読売である。これはひどい偏り方で、どうりで菅さんの最後の方の論調はもう罵詈雑言にちかかった。こんなの読んでたらみんなばかになるぞ。

こういうことが続くと、国全体のことを考える気がなくなる。半径1000メートルぐらいをまずしっかり考えることにしよう。もうどうでもええという気分になる。

最近の老いについてのホロホロ会のやりとりは面白い。生死について、もっと軽やかに日常的感覚で語りたい。「還暦や まだ死ぬという 大仕事」という句が記憶にあるが、誰が詠んだかわすれた。もしかしたら自分かもしれんな。ちなみに厚生省の簡易生命表によれば。我々の余命は大体16年である。ながいなあ。


いうなれば・・・猫跨ぎ

  この手の話は尽きないが、考えてみれば老境にあって、枯淡とか優遊の境地を楽しむなんかは大体爺さんだな。婆さんの世界ではなさそうだ。
永田耕衣という人を皆さんご存知かどうか知らないが、私にとっていま、極北にいる俳人。もう故人だけれど、機会あればご覧あれ。
結論は女は形而下に生きぬ抜くしたたかさあり、男は形而上的に呆ける、この辺じゃないか。

2011年9月13日火曜日

東は東、西は西、両者はとわに会わず・・・褌子

山崎方代のうたも面白い。いなおりが見事であるが、やはりばあちゃんではよめない。じいちゃんのうただ。
灰になるまで男は男、女は女。両者は永久に会わず。Men make houses, women make home.??


―――――ゆうべの月は見事だった。けふは暑そうだが、房総半島の元禄大津波の痕跡をもとめるツアーに参加する。

2011年9月12日月曜日

そこに本質がある・・・猫跨ぎ

  男と女は随分違うぞ。こんなあっけらかんと自分の老いを言えるのは女の特質だね。女は地に足が着いている強さがある。開き直りがある。
男はそこへ行くとからきし駄目だ。観念臭が消えない。
山崎方代(ほうだい。男性だ。ややこしい)は、うじゃじゃけた歌を詠むが、おじやを啜る歌など詠めないだろうな。

とうきょうの夜更けの街の電柱に体あずけてあきらめている
卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり
こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

婆でも爺でもどっちでもよいのが老境の醍醐味

じいちゃんだと思ったら、ばあちゃんだったのか。うん、もいちど読み直したらばあちゃんくさいなたしかに。
九十過ぎたらどっちでもいいんだ。卒寿というから、男も女も卒業したということだ。
褌しているようではまだまだこの境地にはほどとおいということか…

史ばあさん ・・・猫跨ぎ

あのね、斎藤史さんは女性。父親も歌人だったが、二・二六事件の将校と親交があり、その関連で数年投獄されている。史さんも青年将校たちとは親しかったようで、彼らが銃殺された衝撃が跡を引いたらしい。
 額(ぬか)の真中に弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

なんかはそうなんだろう。生涯洋装で通したとか。

こんなのもあるよ・・・褌子

斎藤史じいちゃんはこんなのも詠んでるよ。
逸徳じいさんが九十くらいでよみそうなうただ。
・おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくようにゆかぬなり生は
・疲労つもりて引き出ししヘルペスなりといふ八十年生きればそりやぁあなた

老い ・・・ 猫跨ぎ

  毎日食材を買って、料理して、日に三度食べていると、つくづく人間とはのべつ食っているなと思うね。食って排泄を繰り返しているにしては、何か偉そうなことを言っている変な生き物だ。老いは老いていく自分にとっては格別のことではないらしいね。それは一安心だが、しかし傍からみるとすさまじきものだ。

斎藤史さんは詳しくは知らないが、老い行く母についてこんな歌も遺している。
老い不気味 わがははそはが人間(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく

関連してこの前、句会で
  香水に恋をしてゐたかも知れず
という身も蓋もないことを投句していたのがいたが、今更なあ。

急に老いのこころがまえ三つ(笑い)・・・褌子

��・11のWTCから10年たったのか。
10年日記というものをつけだして早くも5年たった。
新聞が斎藤史というひとの短歌を「老いの醍醐味」として紹介しているが気に入ったのを三つ転載させてもらう。
作者は93歳で亡くなるまで老いをみつめた歌をつくりつづけたという。
・ぐじやぐじやのおじあなんどを朝餉とし何で残生が美しからう
   そうか、やっぱりそうなのか
・九十歳の先は幾つでもいいやうなお天気の中花が咲くなり
   この心境までゆくまであと20年もあるなあ
・いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
   ということなんだろうな。なんだやっぱりそういうことだったのか
―――――というわけで何だか元気がむくむくでてきた

2011年9月11日日曜日

句評お礼・・・猫跨ぎ

  褌子、仁ちゃんお二方の暖かい句評どうも有難う。しかし俳句は難しいね。今いる結社誌で俳句昭和史を柄にもなく辿っているけれど、先人の苦心には頭が下がる。しかし時代は繰り返すといいながら、やはり明らかに新しい姿を見せてくる。俳句もこのままではね、変わらねば。

「放射能を移してやる」か。くだらん話だが、これ、視察帰りの大臣を囲んでのオフレコ取材だったらしい。それが大臣発言となっちゃった。首が飛んだわけだが、何だか後味が悪い。真面目に議論の俎上に載せれば、そりゃけしからんとなるが、いうなればよくある悪ふざけだった(程度が知れるのが情けないが)。マスコミとの阿吽の呼吸が成立する以前だったのが不幸だった。鉢呂って、北大農学部出身だね。国会対策関係のベテランとかで、あまり政策通でもないらしい。いずれ馬脚をあらわしたのでないか。残念だが。

函館通信154・・・句評・・・仁兵衛

 猫跨ぎさんの近作から選ばせて頂きました。
・氷水ほどの話も丁度果て・・・氷水ほどの話とはどんな話だったのだろうという想像が拡がってゆく楽しさがなんとも言えない良さだ。
・噴水のきらきら少年老いやすく・・・きらきらと輝くのは噴水か少年か。あーあ歳は取りたくないなーとの願望が迫ってくる。
・椋鳥のまだまだ入る大欅・・・千葉県のどこか。街中に大欅があり椋鳥の巨大な巣になっているのをTVで見た。椋鳥の集団で飛んでいるのを私はごま塩台風と言っているがこの鳥の習性は本当に面白い。この集団性は猛禽類から身を守る本能的行動なのだろうが街中の大欅をねぐらにしているその生命力の強さに脱帽である。句の中七にその生命力がよく現れています。褌子さん同様特選です。
・新涼や手足の熱き赤子抱く・・・赤子の手足の熱さと新涼との取り合わせの妙。


Re:秋の一日・・・褌子

・折られたる頁を元に半夏生
何気ないしぐさと半夏生の合性がいい。
  こんなふうに歳をとっていけたらいい。
・早足の雲水片陰を行かず
  片蔭…面白いことばをおぼえた。公民館の会合に大きな愛犬を連れてきた人がいて、  犬は太陽光をさけて片蔭だけに見事にうずくまっていて笑いをさそっていた。夏の葬  式でも最後の出棺となるとみんな片蔭に避難して霊柩車を見送っていた。
    片蔭にゐる半分の会葬者  岸田稚魚
・氷水ほどの話も丁度果て
  てんこ盛りの氷水もたちまちシャーベットになり腹におさまってしまう
  若い恋人どうしを想像した。楽しかったなああの頃は
・裏山の少し疲れて盛夏かな
  やはり盛者必衰。夏の終わりが迫っている
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
  こういうものに目がとまる作者の年齢を感ずる佳句
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
  どういわけか安部公房『砂の女』をおもいだした
・噴水のきらきら少年老いやすく
  こんな頃があったなあ
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
  貝原益軒の養生訓ですか。妙なものをもっているね。
  もっているだけで長生きしそうな本だね
・椋鳥のまだまだ入る大欅
  木にびっしりととまっている椋鳥はさわがしい。木のしたはフンだらけ。だが益鳥ら  しい。夕暮れ時の大集団の飛翔ほど秋を感ずるものはない。
  掲句に諧謔あり。断然一席。
・新涼や手足の熱き赤子抱く
  赤ちゃんはあったかいね。ミルクの匂いもしそう。幸せとはこういう瞬間なのだ

2011年9月9日金曜日

秋の一日・・・猫跨ぎ

  秋の旅行もそれなりに盛り上がる予感で、ますます結構ですね。楽しみだ。
前の職場の数人で年四回の句会をやっていて、来週が秋の句会の予定。六月、内一人が転移癌を発症。暗澹としていたら、抗がん剤治療で経過良好とのこと。今回は紙上参加ということで投句あり。仔細は知らないが、しみじみとした秋の一日。

最近の十句
・折られたる頁を元に半夏生
・早足の雲水片陰を行かず
・氷水ほどの話も丁度果て
・裏山の少し疲れて盛夏かな
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
・噴水のきらきら少年老いやすく
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
・椋鳥のまだまだ入る大欅
・新涼や手足の熱き赤子抱く

2011年9月8日木曜日

出羽のくにへの旅・・・・褌子

出羽三山、山寺、酒田、山形、鶴岡、米沢のまちについての講義をよろしくお願い申しあげます。

2011年9月6日火曜日

青岸渡寺はだいじょうぶか・・・褌子

那智大社の本殿までが裏山が崩れて土砂で埋まっているとは。じつに大変な雨量だったんだね、
むかし熊野古道を半日歩いて那智大社の裏にたどりついたことがあったが。じつにのどかな山里だったがいまあまりの豪雨にうちのめされている。
数年前にいった普陀洛渡海の西国三十三所第1番の札所青岸渡寺がなつかしく思い出される。
もういちど行くことがあるかどうか…

2011年9月5日月曜日

那智大社も・・・猫跨ぎ

  熊野本宮大社の話をしていたら、新聞を見ると熊野那智大社の裏山が崩れ、本殿の一部が土砂で埋まっているらしい。宮司は「土砂が垣根を越えて、本殿が高さ2メートルほどまで埋まっていた。50年神社にいるが、これほどの被害はない。世界遺産の危機だ」と話したという。
また、那智大滝も水量が大幅に増え、滝の前にある大社の施設の一部が流失、半壊した。文化財などの収蔵庫は無事だった、と。
熊野古道の参詣道も寸断された。田辺市の熊野本宮大社に向かう中辺路は数カ所で土砂崩れが起き、通行できなくなっている、と伝えている。 いやはやである。

十津川・・・猫跨ぎ

  台風12号は典型的な雨台風で和歌山県、奈良県、三重県などに甚大な被害をもたらしたらしい。奈良県の十津川村もその一つ。
  120年ほど前の明治22年8月18,19日、たぶん台風だと思うがこの一帯を襲い十津川村は殆ど壊滅したことは司馬遼太郎の「街道をゆく」に詳しい。途方にくれた住民はリーダーの発案に随いその年、北海道に移住した。その数600戸、2691人という大規模なものだった。それが現在の新十津川町。いま、当地は有数の米作地帯になっている。玉葱産地でも知られる。
ところでこの台風により当時音無川の三角州にあった熊野本宮も押し流されてしまい、現在の地に移設されたことも有名だ。地震だけじゃなく、大水害も繰り返す。

2011年9月4日日曜日

いっぽう陽関は・・・褌子





  敦煌から南西約70kmの所に陽関がある。
  ここはシルクロードのルートの一つである「西域南路」の関所であり、また玉門関同様、重要な軍事拠点でもあった。この陽関については、唐代の詩人王維(701?~761?)が詠んだ有名な詩がある。中国ではいまも惜別の宴では朗々三唱する。
友との別れを惜しむ気持ちはいまも昔もちっとも変わらないのに、大勢の兵士とシルクロードに旅たつ隊商でにぎわった玉門関も陽関もいまは写真のようにすっかり朽ち果てている。






【写真は陽関の防壁にたたずむ筆者】

 渭城の朝雨 軽塵を潤す
 客舎青青 柳色新たなり
 君に勧む更に尽くせ一杯の酒
 西の方陽関を出づれば故人無からん

西へ行くと・・・猫跨ぎ

   万里の長城も西へ行くとだんだん簡略、粗放になり手作り感が出て来るらしい。NHKテレビで見た記憶があるが、今でも場所によっては修復工事が行われているようだ。日本でも土木工事が機械化される前よく見受けられた重しの四方に長い把手を付けたものを四人で上へ持ち上げては落とし突き固める。歌を唄いながらリズミカルに調子を出してやっていた。古代でもこんな調子でのんびりやっていたのではないか。

2011年9月2日金曜日

玉門関の長城・・・褌子

  
  中島敦『李陵』を読む。
  (漢の武帝のまえでただひとり、匈奴に捕らわれた李陵をかばって宮刑に処せられた司馬遷は宦官になって一念発起、ついに「史記」を完成させた)

  玉門関は敦煌から西北に90㎞、前漢代に匈奴からの侵入に備えて築かれた。陽関とならぶ最西端の関所で、西域に向かう天山北路の要衝。漢代当時の長城は砂利、黄土、葦などを何層にも突き固めてつくられた。二千二百年以上の風雪により写真のように崩れている。

戦争責任・・・猫跨ぎ

自分を当時に置き換えて考えると、こちこちの皇国少年だったと思うね。多分間違いない。だから当時の人達に戦争責任を問うなら、世界事情を知りうる立場で、日本をずるずると戦争に引きずり込んでいった指導者層であって、庶民、青年層に問うても詮無いことと思うね。

2011年9月1日木曜日

函館通信153・・・仁兵衛

 逸徳さん、葉書自体は覚えていないけどこの件は鮮明に覚えているよ。言っているのは社長ではなく40代の若さで取締りになった大正13年生まれの当時の部長だった。このお年だと終戦時が22歳、海軍の若手将校だったと思う。現在も87歳で健在だ。直接の部長ではなかったが頭の切れと頑丈な体の持ち主であった。反面社内では敵も多かった様だ。
 何を考え終戦を迎えたのだろうか我々には分からぬ深層がありそうだった。仕事中の何かの時に私が戦争体験を話題にしたのかもしれない。急に「お前は何を考えているんだ」に始まり「目の前の仕事も禄に出来ないのに」とお説教がつづき、逸徳さんが書いてくれた様な事も話に出たんだと思う。こちらも若かったし、この年代の人とあまり接触が無かったので皮肉っぽい言い方でもぐもぐ言ったのだろう結局は部長が何を考えているのか分からずじまいであった。
 どうなんだろうこの年代は戦争で死んだ人も多いしそれこそ戦争責任に対してどう考えているのか今でも知りたいと思う。

ラインホルト・メスナー・・・褌子

  パキスタンのナンガパルバートは世界9位の高峰だが、初登攀したのは1953年のヘルマン・ブールである。1970年に垂直の大絶壁ルパール壁をドイツ人 ラインホルト・メスナーとギュンター・メスナーの兄弟が初登攀した。この兄弟はドイツの誇る世界屈指の登山家だったが、登攀成功後、兄のラインホルトだけが生還したためにドイツ山岳会でも長いこと論争を呼んできたのだそうだ。
  今夏、公開された映画『ヒマラヤ――運命の山』は兄弟の生い立ちから語り始め、2人そろってついにルパール壁を征服した後、ザイル不足で下山が不可能になり、弟が凍死、兄だけが両手両足を凍傷して倒れていたところを地元の狩人に発見されるところを描いている。
  (絶壁にぶらさがりながら体温をうばいつくすすさまじい烈風、ひっきりなしの雪崩、植村直己がマッキンレーから帰ってこなかったのはこんな極寒の地獄であったのにちがいない)
  人間はあらゆる苦労をのりこえて自ら地獄に突入していく不思議な存在だな…と思いながら観た。
  

知らしむべからずよらしむべし・・・褌子

  水俣病が日本科学技術史上の恥部というのはその通りだと思う。私が化学会社の新潟工場に入社した頃、昭和電工鹿瀬工場の新潟水俣病が新潟大学の椿教授によって発見されたが昭電かわにたって頑として否定していた日本化学会の対応はひどかった。まだ日本化学会はいちども公式には反省していないのではないだろうか。(日本医師会も戦前の中国人捕虜などにたいする人体実験などの謝罪をいちどもしてないという)
  鉄腕アトムは1951~68年まで「少年」に連載された。昭和26年から昭和43年まで。つまり私の場合、小学3年くらいから会社に就職して3年目くらいまで。そのまんなかあたりの1957年に東海村の原子炉が発運転したということは私の中学3年のとき。このときの記憶は猫跨ぎさんのようにない。(むしろ前年の1956のハンガリー動乱とスエズ動乱を覚えている)
 ビキニでの水爆実験で第五福竜丸が被曝したのは1954年3月1日(昭和29年)。広島長崎で核兵器の恐ろしさを知った日本人がみたび、被爆したのだが、原爆と原発とはまるでちがうものだとおもいこまされてきた。そして今度の福島での大惨事へとつながる。
 原爆の被爆者の治療を長年やってきた肥田舜太郎博士が福島にはいって、政府と東電が情報隠しをしたために取り返しがつかない被曝をしてしまった子供たちがたくさんいる…と発言している。3月12日、水素爆発がおきた時点でアメリカ大使がいうように福島第一原発から80キロ圏外へ緊急避難するべきだったのだ。3月12日から15日のあいだの被曝で、こんどもまた第二の水俣のようなことが起きているのではないだろうか…
  民は知らしむベからずよらしむべし

2011年8月31日水曜日

私の常識・・・猫跨ぎ

  一般論としては逸徳氏の言うとおりで何の異論もない。ただ私が拘るのは一点だけだ。
時代環境、随って我々の意識も幾何級数的に変動している前と後では常識も全く違うと言うことだ。裁判官だって同じだ。彼等こそ時代の常識をたっぷり意識している。それはまさに常識だ。
今の常識で過去を裁断することは虚しい。あの契約書を作った担当者も後になって忸怩たる思いに駆られたことはいうまでもないだろう。彼等が罪を負うべきでないとは言っていない。決着を付けねばならないとき当事者は彼等だ。これも今の社会の常識だろう。

むかしばなしもええなあ・・・・逸徳

仁ちゃんの投稿を読んでいて思い出した。就職1年目だったと思う。仁ちゃんからのハガキを読んだ記憶がある。おそらくご本人はもう忘れているだろうが。 このハガキ、どこで読んだか、そもそも誰宛のハガキだったかも、もうさだかではない。 印象強く残っているのは、次のような文面である。社長のことばを聞いた感想らしい。おそらく技術系社員への話かなにかで聞いたのだろう。社長いわく・・・「技術者というのは、高価な脂身みたいなもんで、金のフライパンにのせて下から、火であぶると、タラリタラリと高価な油を流しだすのだ」と。 仁ちゃんは森の石松みたいなタンカを切って、だいぶ怒っていたが、おいらにとってもこれが大企業の本音かと、インパクトが強く、のちに自分が会社をやめてやると思ったときのひとつのバックグラウンドデータになっていたかもしれない。仁ちゃんおぼえているかい。

お師匠へ。そりゃ、協定書は法務部が書いたかもしれん。しかし、技術者たちはすくなくともそれを知っていただろうし、原因が工場にあることも感じていただろう。それは猫実験をやった細川博士(付属病院の院長だったと思う)ののちの発言をみてもわかる。おいらが感じるのは、そのとき何を技術者たちは考えていたのかということだ。単純に「許せん!」と断罪する気はない。今となっては。弁護する気も全然ないが。 ・・・・むしろその時のひとりの技術者の内面を想像する。何を思っていたか。何を大切と思い、何を感じていたか。そういう想像力を働かせるのも必要でないかなあということである。さらにまた、瑕疵があってもあとから責任はとらないという契約書が、ある面ふつうのことであるのなら、裁判所は前代未聞の「公序良俗に反する契約」なんて、なんでいったのかなあ。 よっぽどふつうではない気がするのだが。それにしても、こういうアイデアを考える法律専門家のことを考えていたら「法匪」ということばを思い出したよ。

函館通信152・・・ぽっとして・・・仁兵衛

 逸徳さんの話で昭和20年、30年台の事に集中していた所を読んでいてなかなか面白いと思った。50年以上も経っているのに昨日のような感じがする。東海村で原子の火が点った頃より10年ぐらい前に湯川さんはノーベル賞を貰ったが、小学生の自分も「すごいなー」と感心していたのだろう。科学の夢に酔いしれていたのかもしれない。その後湯川さんは原水爆禁止の世界科学者アピール活動行っているが、一方米ソをはじめ中国、英国、フランスなどが次々と核実験を行っていたのもこの頃だろう。米ソ核実験反対を叫んで大通りをジグザグデモで走ったのも同時期だ。そして五本さんにぽっとしていた自分も居た。
 国内では逸徳さんの言う公害汚染が深刻に進んでいたし、何か科学と技術の乖離が更に大きくなった時期なのかもしれない。しかしその技術の中で私自身食ってきたと思うと僅かながら内心忸怩たるものも感じる。まあ人間が生き延びるためにも更に科学技術の発展は必要と思うしそのときの選択が人間にとってますます重いものになりそうだね。
 
 俳句の17文字の中では自分の主張を前面に出すことは難しい。敢えて出そうとすればスローガンに化けるのかもしれない。ただ日記的に俳句を作っていると自分の歴史が出来てきているようでこれはこれで面白いと思っている。昭和20年、30年に自分が何を考えていたのか想像して句を作るのも一考である。又どこかでぽっとしたい。

あの時代・・・猫跨ぎ

「今後、病気の原因が工場側にあるということがわかっても、これ以上の補償は求めない」
新たに見つかった瑕疵は問わない―と一般化すると、こういう論理は会社にいるとよく経験する。例えば会社同士で土地を売買する場合、将来土壌中に何か怪しげなものが出て来ても一切責は負わないという一項をいれたりする。単年で金の出し入れは済ませてしまいたいという発想が基本にある。
そうか、一般中古住宅の販売でも確かこんな一項は入れているはずだ。

そういう常識の中で処理してしまったという例だろう。こういう見たとこ血の通わない言い方を人間相手にするという異常さを感じる感性が無かった。水俣病の悲惨さが明らかになってその異常さがますます目立つのは、みんな知ってしまった我々の感性だ。
背景に我々は社会の為に重要な仕事をしている。君達は一般庶民である。これを下し与えるからもう騒ぐなよ―という明確な差別意識が有ったことはいうまでもない。

ところでチッソの交わした契約は工場技術者が書いたものではない。本社の法務部が作ったものだ。彼等は法学部出身であり、当然顧問弁護士と相談している。だから当時の法律専門家の判断でもあったわけだ。
科学哲学不在、はいささか大袈裟でないかい。

鉄腕アトム世代・・・・逸徳

以下に述べるのは、おいらの漠然とした私見である。あんまり深い論拠はない。
 おいらたちぐらいの世代と、そのちと前の世代を鉄腕アトム世代とよんだ学者がいる。確か小学校の3年で、あの鉄腕アトムの連載がはじまったのだ。そして、アトムの成長とともに、われわれの幸福な少年時代があった。アトムの物語は、科学技術の可能性と、その発展が人類の幸せな未来につながるという(漠然としたものではあっただろうが)、夢をわれわれにいだかせてくれた。 漫画を読みすぎて、乾電池と豆電球をつかってレーダーはつくれないかということを一生懸命考えてノートにアイデアを書いたのは、小学校の5年である。ああ・・・・

 そして、科学技術に対する純朴な信頼感をもったまま、この世代は高度経済成長を支える中核に育っていく。それはまた同時に、同時に公害を引き起こした科学技術のありように深くかかわっている世代でもある。つまり科学技術の陽の面だけに目をうばわれ、あまり陰の面を考えることがなかった、あるいは少なかったのではなかったか。あるいはそういう視点の教育をあまり受けなかったのか。簡単にいえば哲学不在である。

 このことについては、痛烈な記憶がある。水俣病の患者たちが、新日本チッソ水俣工場に対して、必死の抗議行動を展開した結果、会社側との間で損害補償の協定が結ばれることになる。初期の話である。その補償金は、わずかなものであったと聞く。ところが、その協定書の中には、「今後、病気の原因が工場側にあるということがわかっても、これ以上の補償は求めない」という一項が含まれていたのである。このときすでに、会社側の技術者たちはうすうすと原因はわかっていたらしい。有名な細川院長のネコを使った水俣病再現実験は、この前になる。
そしてのちに、この協定は民法にいう「公序良俗に反する契約」ということで、裁判所によって無効を宣言される。

 「公序良俗に反する契約」というのは、たとえば人身売買契約などがこれに当たる。いったいなぜ、このようなことがおこったのか。そのとき、会社側の技術者たちはなにを考え、何をしていたのか。これは、日本科学技術史上のひとつの恥部であるだろう。このへんのことは、すべての工学部の教科書に乗せるべきだろうし、科学技術倫理とでもいう講義がひらかれるべきだろうと思うのだが。

 なぜこうなったのか。ひとつは日本人と、近代科学技術の不幸な出会いがあるという気がする。黒船来航以来近代の西欧の進んだ科学技術に出会い、鎖国のなかで寝ぼけていた日本人の脳みそがごつんとぶったたかれてから、日本人はひたすらそれに追いつこうとした。その努力は大変なものだったし、それを可能にした素地もあった。だが、人間と科学とか、科学と社会といった、民主的なものの見方や、科学哲学などの側面は、ぽっかりと抜け落ちていたのではなかったか。 つまり、日本の近代科学技術は、その生い立ちにおいて、きわめて強く「実学」の側面を持っていたのである。実学とはプラグマティズム的なものである。(あくまで「的」である) つまり「役に立つかどうか」ということが価値判断の基礎になる。 その実学のひとつのあらわれが「工学部」だろう。世界最初の工学部は、実は日本でつくられたのは有名だし、公害が激しくなったころ、公害問題を専門に研究する講座は日本のどこの大学にもなかったと、宇井純さんが語っていたのを思い出す。
 そして「役に立つ」ということは、日本経済の資本主義的発展とともに、簡単に「会社の役に立つ・・・もうけるかどうかに役に立つ」ことこそが「善」という方向に歪んでいく危険性が内在していたのではないか。それは哲学のない科学技術の当然の帰結ではなかっただろうか。その先に「公序良俗に反する契約」に手を貸した技術者が出現したようにみえるのだが。 鉄腕アトムには、ちゃんとした哲学もあったと思うのだが。今となっては年寄のぐちである。

 

2011年8月30日火曜日

東海村・・・猫跨ぎ

  1957年の東海村の原研原子炉の臨界、運転開始はよく覚えている。朝野をあげての大歓迎だったと記憶する。たしか中学二年生だったか。新聞や週刊誌にも次々に関連科学記事が連載され、いっぱし判ったような気分で大いに読んだ記憶がある。あの年だったか、北海道博覧会があって、原子力利用のコーナーがあったのもよく覚えている。原子核の周りに電子軌道を描いている模型があちこちにあって、進歩の象徴の様に見えた。
当時の研究者は底抜けに未来を信じていたのに違いない。技術の進歩と経済の成長と生活向上とがセットになって無邪気に未来が信じられていた幸福な時代だったね。

佐佐木信綱の短歌はあの時代をよく反映していると思う。
短歌は社会タネをよく扱う。短歌の特徴かとも思うが、戦時下の国威発揚、反戦歌しかり。
安保の時も、福島泰樹とか道浦もと子らのスター歌人を生んだ。その点、俳句は戦後どうもおかしい。先般、戦時下の新興俳句弾圧事件に触れたが、その後遺症か戦後社会性俳句は全く勢いがない。安保の時もさっぱりだった。久しく花鳥諷詠のホトトギスの天下だね。俳句の特徴かもしれないとも思うが。